侵入
「マルマル、こちらマーシャル。感」
「マーシャル、マルマル、感よし感」
「マルマル、マーシャル。良好、終わり」
マーシャルは、3コ小隊と本部からなる突入部隊を直接率いることにしていた。
彼は、化学剤散布下での行動経験がある唯一の人材だったからだ。
「部隊集まれ、小隊ごと四列横隊。短間隔に整頓する。左へ倣え」
元帥から発せられた号令を受け、突入部隊がやや開けた場所にゾロゾロと整列する。
それはまるで今から訓練をやるとか、大体そんな雰囲気であった。
リアムは、部隊の風上に回り、瓶から粉を撒き散らしてから話し始める。
それは防毒面に据えられた伝声器を経由して空気を震わせていたから、大変にぐぐもっていたにも関わらず、よく聞こえた。
「これより部隊は爵領庁城壁内に侵入し、行動を行う。火器使用は自由とするも、化学剤散布下、かつ夜間行動であるため、対特殊武器防護態勢の維持、及び友軍相撃には特段の留意。爵領庁侵入後、行動は逐次本部から指示する。なお、15分以上連絡が取れない場合は小隊長判断により集結地点まで撤収してよろしい。負傷者の発生・或いは防護装備の不具合がある場合、必ずしも部隊の全部が戦闘を継続する必要は無い、戦死者が発生した場合、防護装備及び武器装具の回収に努め、最悪の場合でも破壊せよ。死体の回収は努力事項とする。以上。銃、点検」
「「銃、点検」」
薄暮の中、厚手のゴム手袋越しであったから、それはいつもよりもやや時間をかけて行われたが。着実にそれは行われた。
彼らが手にする小銃には、キセノンランプと消音器が其々付けられていたから、それも、やや時間が掛かった原因の一つかもしれない。
二点スリングは迅速な長さ調節に対応し、かつ、キセノンランプのスイッチは各人が使いやすいよう、被筒の任意の位置へ据えられていた。照星と照門には夜光塗料が塗られ、兵らの動きに従って蛍光がチラチラと蠢く。
「元へ、銃」
一斉に撃発音が林内に響き、驚いた鳥の何羽かが茜色の雲へ向け飛び出す。兵士らの何人かは、銃床を右太腿の付け根に添えて槓桿を開放したから、防護服の表面に泥が付いている。
「銃点検で異常あった者」
「「無し」」
「現在時甘みを感じている者」
「「無し」」
リアムが撒いたのは、人工甘味料だった。元帥は満足そうに頷き、それに従って鉄帽が揺れた。
「よし、全員乗車。行進序列は建制順。無灯火で行動する。灯火スイッチに注意」
原付に乗り、国家市民軍はドヤドヤと地獄へ向かった。
****
「毒を撒かれた! 風上に逃げろ! 城から離れるんだ!」
爵領庁は化学攻撃に対し、国家市民軍の想定より適切に対応していた。
城の周囲にボカスカと様々が降ってきたことは把握していたし、近づいた者が光を失い、或いは失禁して卒倒し、何れにせよ死ぬということから、揮発性の毒物を大量に散布されたということを理解できる程、彼らは優秀だったのだ。
それにフッ化水素が生じる異臭と白煙ともその理解を助けたし、寧ろ彼らはそれを毒物として認識していた。(実際、フッ化水素は猛毒と表現して差し支えない)
「指揮は今誰がとってるんだ?」
「内務卿が来てただろ、どうなった」
「お館様は無事か? 城内だろ」
「おい、誰か見てこい」
「……」
各家で、或いは、生残した職員らの中で。
なんとなく集まって、城を東に望む、ちょっと高みにある家の大広間の中に指揮本部のようなものができて、吐瀉物が香る中、少なくとも城壁の中では団結したが、誰が貧乏くじを引くかという段になって、再び不和が起きた。こういうときには武功を餌に武士を突っ込ませるのが慣例だったが、悲しいかな、爵領庁の中に居た武士、というか冒険心的勇猛さを持っている人材は尽くが平野内で灰燼と帰していた。(そして、先程まではそれは良いことだと理解されていた。どちらかというと煙たがられていたから)
「伝令出して傭兵に調査させないか?」
――マルマル、FO1。門の開放を感知。伝令現出。
――FO1射撃許可。
――目標撃破。終わり。
「……クソッ」
国家市民軍は、主要街道に接続するような門はよく監視していたから、急ぎの方針と応急の対処とで案出された程度の対応は完封された。悪いことに、城門の全部は敵襲があったという理由で閉ざしており、幾つかの城門とは連絡が付かない――伝令を送っても返ってこない――状態に陥っていたし、それは国家市民軍側も把握していたので、機能する城門というのは監視の努力が集中されていた。
そして、被害者の治療にあたっていた魔法師が、ある重要な指摘をした。
意識を喪っている重症者を治すことは出来なかったが、嘔吐とか呼吸困難程度なら魔法で治療出来たから、その指摘は産まれた。(尤も、この魔法師は名だたると形容できる程の治癒魔法の権威だったのだが)
「集団で相互に治癒魔法掛けながらなら、行けるかもしれん」
何人かが顔を顰めたが、それが一番良いことのようにも思えた。
実際、試しに互いに治癒魔法を掛け合ったとき、それが効力を生じている――つまり、身体が損傷を負っている――ことを意味する青い光球がフワ、と浮かび、気の所為だと言い聞かせていた視界の曇りが晴れたから、ここにも『毒』の影響が廻っていることを知り、同時に、まだ治癒魔法を使えば息のある者を助けられるかも……つまり、もし家長とかが生きていて、それを治療できれば、今後爵領庁内で実権を掌握できるかも……という打算の元、とりあえず捜索隊を組織して城へと向かうことになった。
全員が、嫌そうな顔をしていた。
****
「警戒方向、1小隊前方、2小隊側方、3小隊後方。写真班は被写体の位置を記録」
「了解」
一応の外部観測によって制作された地図を頼りに、特殊部隊員らが闇に紛れつつも城へ接近する。
昨日はボウ、と灯っていた街灯に相当する光が灯っていないことは、寧ろ彼らにとって好都合だった。
月明かりが点々と存在する雲に反射して照明の代わりとなっている。
彼らが経験したことのある新月下での行動より、相当視界が通った。
「先遣班はA棟に到着、動向なし」
「了解、待機せよ」
しかし、桿体細胞には色覚がない。
目ガラス越しなこと、街中なのにあまりに静かなことも相まって、隊員らはどこか非現実感すら感じていた。
だが、防護装備が齎す激烈な不快感と、ドーベックとはまた違った街並みが、これが現実であるという事実を冷厳に告げている。
「1小隊到着」
「爾後の行動、1・2小隊及び中本は俺とA棟内部へ突入。捜索及び撮影、効果判定を行う。3小隊は現在位置及び離脱経路を確保せよ。以上」
思ったよりもショボい。1小隊の1番員は、突入直後直感的にそのような感慨を得た。所々に倒れている死体と、吐瀉物やら排泄物を差し引いても、警備の時に見た本館の廊下の方が『高そう』だった。
非常灯、或いは常夜灯だろうか、得体のしれない赤い光が所々に灯っていて、不都合なことに遠くまで視界が通っていたが、好都合なことに視界内に動いているものは無かった。
呼吸缶と目ガラスを隔てているから、自分は死んでいないに過ぎないというのを実感したのは、メイドだろうか、若そうに見える女が折り重なるようにして倒れているのを見て、漸くだった。そりゃそうか、エルフにも下級労働者は居るか。
仕事だから、そう言い訳をして、生死を確認すべく、メイドの脇腹をつま先で蹴る。死んでいる。
彼女は、何か悪いことをしたのか。していないなら、何故、我々は彼女を殺したのか。
ポイントマンはそんな疑問を一瞬のうちに得たが、それは緊張によって上書きされる。
何かの気配を感じ、 廊下が直交する位置の手前、ハンドサインで停止を指示する。班長が自分の位置まで出てくる。
(散兵近接)
(姿勢を低く)
左からゾロ、ゾロと、それは歩いてきている。少なくとも、聴覚からはそのように理解した。
やや後退し、伏せ、安全装置を解除して被筒に据えたリモートスイッチへ左手親指をあてがう。
呼吸と鼓動とが早くなっていることを、呼吸缶と防護服内部の反響とを経由して認識したから、随意的に制御できる呼吸を以てそれらを鎮めようと試みる。
吸い、止め、吐き、止め。
息を止めている間、寧ろ心音が叩きつける程にやかましく響いたが、どうすることも出来ない。射場でそうしたように、黄緑の輪の中央に点を置いて、照星に焦点を合わせ、左目でぼーっと周辺を見渡す。
人には、反応速度の限界というものがある。
しかしそれは、準備し、予期すれば短縮することができる。
逆に、予期していないことに直面した場合、人は恐慌し、或いは――
座学を全部反芻する前、「敵」が角から現出したから、彼女は左手親指を圧し、キセノンのアークを受けるソレがそれが魔法使いであることを確認した。
ソレがこちらを向いて、事態を把握して恐慌する前に、7mm普通弾は正確に殺到した。




