司法警察
――以上の通り、港湾施設周辺での騒擾状況は熾烈を極め、その鎮圧に際して火器を使用しなかったことは警察官の勇気に依るところが大きく――郵便局、消防局の協力を得て――概ね適正な程度で実力が行使されたと、公安委員長としては考えております」
「只今の委員長の報告に対し、質問のある委員は挙手をお願いいたします」
「今回、緊急事態の宣言を市議会議長に対して勧告しなかった理由は?」
「公安委員会の権限のみで対応可能であると判断した為です」
「今回、保安隊に対して出動が要請されたと承知しておりますが、これに際しては市議会議長による保安隊に対する命令が必要では?」
「委員ご指摘の通り、保安隊法81条の規定では、保安隊に対する治安出動命令の下命は公安委員会と命令権者との協議により、命令権者から行われなければなりません。しかし、保安委員長は、治安出動命令下命前の情報収集のために必要な準備・行動をするよう保安隊に対して命令をすることが可能であります。然るに、今回保安隊1コ中隊が即応体制を取ったことに違法性は無く――
「郵便局員を投入したのは明らかに過剰な実力行使であるとの声がありますが」
「火器使用を避けるため、やむを得ず協力を要請したものであります」
「法的根拠は?」
「警察執行法第4条であります」
「該規定は飽くまで緊急避難的規定であり、今回のように集団警備部隊の一部として『市民』にそれらへの従事を命ずるのは明らかに不適当であると考えますが」
「その点につきましては火器使用を……
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包み紙をよいしょと開き、まだ熱いソレを口いっぱいに頬張る。
肉汁とチーズとが協力して舌、喉、鼻を制圧し、その価値を脳に強弁した。こういう回りくどい表現はしたくないのだが、眼の前に開いた『訴訟法(刑事)実務』の教科書のせいで脳みその調子がおかしいのだ。
「クチャクチャ食うな! みっともない!」
「んぐ、ぐ――んんも」
「食いながら喋るな!」
眼の前の相方は、ちびちびと『お上品』にホットサンドを食っている。こんなの、冷める前に食っちまった方が旨いに決まってるのにだ。
包み紙越しに口内へ突っ込み、何回か咀嚼しゴックンと嚥下する。ごちそうさまでした。出前のホットサンドは店ほどは熱くないから出来る芸当だ。
「もう食ったのか」
「まだ食ってるのか」
ふん、と鼻を鳴らしてやると、チッという舌打ちに続いて『お上品』を早回しにしたような食い方を始めた。イモムシみてぇだなと思ったが、言った瞬間に警棒がジャキン! と引き出されることが容易に予期されるので止めておく。
「さて、時間だ」
色々と『ほーりつ』を書き込んだバインダーを引っ掴み、椅子から飛び降りる。
行き先は、取調室だ。
「こんにちは、昨日はよく眠れましたか?」
「……」
「はじめに、あなたの名前、生年月日、市民保険番号は?」
「……」
舌打ちして紙挟みで机をしばくと、バシン! といういい音がした。
カルメンがとんでもない速さでこちらを睨みつけ「おい!」と呼ぶ。
咳払いをして、マルコムに向き直る。
「マルコムさん、これは勾留質問ですから、あなたの言い分を聞く機会でもあるんですよ?」
「……名前ならわかってんじゃねぇか、チビ」
「手続きですので。えー……生年月日は不明、市民保険番号は314034959739ですね?」
「そんなの覚えてねぇ」
「結構。それではあなたに対する器物破損の被疑事実を読み上げますので、聞いて下さい……
「ありゃあ骨が折れるねぇ」
「まぁまぁ。ゆっくりやろう」
裁判所からの帰り、ボヤキが交わされた。
現在の訴訟法(刑事)が定める手続きでは、勾留請求を担当した捜査機関職員が裁判所まで赴いて裁判官に直接勾留を請求しなければならない。
この街の検察官は(今のところ)制度上にしか存在していなかったから、『検察官事務取扱司法警察員』という化け物みたいな職位が爆誕していたのである。当然、これぐらい人手不足だと事務官も居ない。(弁護士と裁判官の方が需要が大きかったのだ)
今、彼らの階級は巡査部長である。ロベルトに対する調査での功績で2階級特進したとかでは無く、急速な警察組織の拡大によってグイ、と押し上げられたのだ。
それから三週間。
勾留延長を経て、マルコムはとうとう釈放された。
「お前らと会うのもこれが最後か」
取調の間、彼はずっと黙りこくっていた。
しかし、ようやく自由の身になると知って、晴れやかな笑顔と軽くなった身体で、その喜びを余す所なく、筆舌に尽くしがたく表現していた。
「店のビールが楽しみだ」
刑事らは、黙って微笑み、保管していた荷物を持ってきてやって警察署の玄関まで見送った後、懐から封筒を取り出してマルコムの前に立ちはだかり、その中身を示した。
マルコムは当初、補償の小切手か何かくれるのかと期待したが、違った。
「マルコムさんですね?」
「なんだよ、何の用だ! どけよ!」
「あなたに裁判所から公務執行妨害で逮捕状が出ています」
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「カンパーイ!」
「イェーイ!」
被疑者の人権を蹂躙していることは取り敢えず置いておいて、司法警察員らはビールが満ちた冷たいグラスをぶつけ合った。
普段彼らはチビチビと蒸留酒を飲んでいるが、今だけは香りでは無く喉越しを楽しんでいる。
彼らがしたのはこうだ。
例えば、誰かをナイフで刺して怪我をさせたとしよう。このとき、当然違法に携帯した刃物をもって(銃刀法違反)服を切り裂いて(器物破損)人に怪我(傷害)させているのだから、一旦は三罪が成立することになる。このとき、警察は三回の逮捕によって最大20+3日を3回、即ち69日間被疑者を勾留することができる。しかし、これは明らかに一つの事件(観念的競合)であって、一罪一逮捕一勾留の原則というものに反する。
これは、本来彼らがしたような『人権蹂躙』を抑止するために、『一つの事件に関する逮捕は一回のみ』とする原則であるが、しかし実務的にはそうもいかない。
ドーベック市刑法典は、自白を重要な立証要素とする犯罪が多く規定されている。これは、ドーベック市が個人の自由と人権を重視していることの裏返しであるのだが、すると今回のような場合に大変困ったことになる。
じゃあどうすれば良いか?
『別の事件』を探してくれば良いのだ。
例えば今回の場合、一回目の逮捕は「市財産である道路を破損させた(器物破損)」という罪状で行われている。
しかし、今さきほど行われた逮捕は「警察官の職務を有形力を行使して妨害させた(公務執行妨害)」という罪状で行われた。
おお、被害者も罪名も行為も全然違う別の事件だ。これは改めて捜査しなければ!
これが通るのである。
リアムが前世居た世界では、例えば本来殺人罪で逮捕すべき被疑者を死体遺棄で逮捕して、後日殺人で再逮捕するといったことは普通に横行しているのだが、今回ドーベック市警察局が行った再逮捕は、前世世界の裁判所から令状が発行されるか微妙なレベルであった。しかし今回、ドーベック市の裁判官は捜査機関の請求を認容して逮捕令状を発布した。
マルコムは、賢かった。
賢かったから、勾留が精々23日で終わると知っていたし、だからこそ、耐えた。
しかし、彼はまた、捜査機関が切った手札の意味を理解してしまった。
人は、ゴールが見えているなら、走り切ることができる。
ゴールの後、引き返せと言われたら?
崩れ落ちるしか無い。
彼は、全てを自白した。
こういった長期間の身柄拘束は、後世の法学者から「人質司法」であるとして激烈な非難を加えられることになるのだが、その後世に於いてすら、捜査機関の強力な『真実究明手段』として常用されているのはまた別の話である。今はただ、
「いや~! 勉強しといて良かった!」
「だろ~!?」
「カルメン様~! 大好き!!!」
公安刑事らに求められる広範な知識と、その理由が理解されたこと、そしてこれまでの学修努力が無駄では無かったこと、ツマミがアツアツで提供されたことを喜ぶべきであろう。




