経済君主
「じゃあ今回はね、新たな経済制度について、委員長提案のものを私の方で修正したものを議会で諮るから、みんな良く考えてくれ」
この世界の常識から考えれば、全く異常な光景であった。
扇状に広がるドーベック市議会の演壇に、その権力・権威の源泉たるカタリナ氏が立って、その信託先である議員に対して報告を行っているのだ。
議会制民主主義とか、絶対王政とか、立憲君主制とか、そんなキレイに表現できるものでは無い。少なくとも私が知るの政治構造では無かった。その点に於いて、前世世界から考えても異常な光景であると言える。
経済君主制民主主義とでも表現すべき、意味不明な代物が今、カタリナ氏がテクテク歩いて演壇に登り、口を開いたお陰で爆誕していた。
時はカタリナ氏の執務室で私が報告を行ってから数日下る。
カタリナ氏は、アルミ兌換制を不採用とし、通貨そのものに対しては単にアルミを箔押しすることとした。
その上で、彼女は「そもそも借金から生ずる貨幣価値の総量はそれが流通する経済圏に事実上縛られるから、まずは帝国の貨幣秩序をボコボコにぶん殴ってブチ殺そうと思う」と、大体そのようなことを言った。
帝国貨幣は、金本位制である。つまり、帝国はそれを自由に発行することができない。貿易によって外から金を取ってくるか、或いは金鉱から掘り出すか、或いは改鋳するか金平価を上げなければ金の総量は増えない。錬金術は、未だその実を結んでいない。だからこそ我々は化学者の大量雇用に成功しているのだ。
今、ドーベックは事実上軽視されている。そこに、魅力的な商品があればどうなるか。少なくとも商人は関わらざるを得ない。これまで通り海路からじゃんじゃんやってくるだろうし、陸路からも、郵便制度の整備とそれに伴う物流能力の向上によって相当程度の流入が期待できるだろう。
これらの要素が組み合わさって、ドーベックという莫大な生産力が接続されればどうなるか。生産力の差は、ドーベックへの貨幣流入をもたらす。
すなわち、帝国から金が足りなくなるのだ。
何故ドーベックでこれまでそれが起こらなかったかと言うと、これまで商会が慎重に貨幣を実質的に供給してきたからであると、彼女はそう結論していた。
生産力が爆発的に増大していくことが大いに予期されるこれからは、商会に通貨発行権が無ければ平野まで金が足りなくなってしまう。それが彼女の導いた最善であると、そしてそれは私が思っていた『強欲』に根拠したものでは無く、自らが庇護する商会、ひいてはドーベック市民に対する『慈愛』に根拠したものであると――それは確かに強欲を基調とするが――私は思い知った。
皮肉なことに、市民から富を絞り出すために考案したリボ払いの濫用と、徴兵を目的とした市民番号導入に伴う預金制度導入は経済的支配と同時に実際的に信用創造までおこなっていた。我々は、成り行きで成立したコレを明文化して、そしてただ触手を外へと伸ばすだけで良かったのだ。
言われてみればそうだ。今や我々はあまりにも大きすぎる。私が好き放題に生産を拡張している間、彼女と商会は、その生産に値付けをし続けていた。
その上で、彼女は対外的な信用裏付けを担保することを表向きの理由として帝国貨幣を蓄財し、今後可能な限り取引を商会貨幣によって行うとした。
すると、本来巡るはずの帝国貨幣は信用創造の餌食となって商会貨幣に化けてドーベックを経由し、市場へと放流される。
本来、貨幣は巡る。
生産があれば、生産設備のための設備投資が必要になり、そして給料が払い出される。生産の対価がいつまでも蓄財されることは通常あり得ない。
それに、私が知っている先の『蓄財』先は銀行であって、銀行は、それを元手に他人へと金を貸し出すという信用創造を行うことができる。丁度商会が今ドーベックで行っているように。
しかし、ドーベックは違う。意図的に帝国から金を『消す』のだ。その上、そこから出てくるのは金では無く、生産と暴力に裏付けされた『お金』である。単なる貿易赤字よりもそれは質が悪い。なんせ貨幣制度の根幹が異なるのだ。アルミを始めとする我々の生産物の価値が相当にある限り、『貿易』赤字によって発生した帝国からの金の流出は、まるで大穴に注ぎ込むように止まらないだろう。
小手先の工夫は不要と、それだけの破壊力を得るための生産力があるのだと。
今まで戦場に胡座をかき、生産の工夫をしていなかった彼らには、とても耐えられないだろう。そして、貨幣価値が上がった後、生産はいよいよ壊滅して死ぬ。すると今度は、生産財が出てこなくなる。それは即ち、経済の死であって、牧歌的、或いは黙示録後のような、丁度劣等種が基本的に行っている物々交換を、生産能力が壊滅している中でやり直す羽目になるだろう。その過程で人々がドーベックへ逃げてきた場合は? 大歓迎である。
我々は、独立では飽き足らず、帝国の貨幣制度に対する攻撃を行うのだ。
貨幣制度は、ある勢力の最も基礎的な約束である。それへ攻撃するのだ。武力による反逆と殆ど変わらない。
脳裏に、東ヨーロッパを突進する筈だった旧ソ連軍のMi-24の編隊がふと浮かぶ。恐らく、そう遠くない未来、この平野内に於いて、この世界の文法に従って起こるだろう。私に商人のカンは無いが、軍人のカンはある。そして制度は、軍人にカンへの服従を許さない。
流石に帝国法上違法じゃねぇのみたいな考えは、フランシア家の侵攻と、その失敗に伴う『家の消滅』が全部合法という恐ろしい事実によって塗り替えられた。
我々には、遠征能力と、機動兵力と、防空兵力、そしてDCA能力が必要である。そんなものは無い。血の気が引いた。
エンジンと、コンテナと、パレットとが最低限必要である。港湾労働者組合には悪いことをするが、まぁ彼らだって楽をしたいだろう。
前世で何回呪ったか分からないC-130の呪いが、今だけは祝福に思えて、母親の懐のようなそこが本当に恋しかった。そして胃がキリキリした。これから自分が行う規格の決定作業が、どれほどの富と制約とを生むかを身体が自覚し始めたのだ。
カタリナ氏は、商人を超えて、富の象徴にならんとしている。
彼女が常に首から提げている青い輝きが、やけに眼底を打突した。
「君が『金融』を始めてから、このオモチャに夢中になった。賭けてみようと思う」
俺のせいだったか。まずニコニコと笑みを湛えて手を振るその時の私を振り返る。お前のせいらしいぞ、良かったな。あっちに行け。
「そして、このようなことを行う以上、議会に諮らなければならないだろう。これの根幹は諸君らであって、その理解と協力が無ければ商会貨幣なんてただのアルミ箔が貼ってある紙切れに過ぎんからな。私が上程するから、手続と弁論を教えてくれ」
歴史家と経済学者は、リアムが導入した『金融』の概念は、カタリナ氏がその後改造して投入し、市議会を通過させたソレとは全く異なると指摘した上で、この時点に於いて、リアムのカンが示した通り、ドーベック市が既存支配勢力との衝突を避けることは全く出来なくなったと指摘している。
また、一部では、このような施策をしなくても、アルミ精錬が始まった段階で既に衝突は不可避であったとする意見もある。カタリナ氏が故意をもって行った帝国貨幣の蓄財は、敢えてそれを行わずとも、平野には既にそれに準ずる程度の生産力がカタリナ氏の支配下にあったからである。
この経済制度は、市内向きには偽造の防止を目的とした既存商会貨幣と帝国貨幣の新貨幣への切り替え、商会貨幣の市内強制通用力の確認としか理解されなかったが、実際にはリアムが看破したように、政治制度の変更が行われていた。
君臨すれども統治せず。
歴史家達が知る言葉で「中央銀行」にあたる存在となったカタリナ氏は、そんな甘っちょろい存在では無くなったのである。
そのような経済・政治構造が成立した期間は、全体で見れば確かにほんの一部ではあったが、確かに存在したのだ。
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