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教範

「あ~……」


 読めない。

 字が読めないのである。


「……読んでやるよ」


 先ずは読み書きを覚えなければならないな、と反省しつつ、ロベルトさんに読んでもらうと、再び面食らった。


「カタリナさん、賭け事がお好きなんですね」


 売上、仕入れ、ギャンブル、負け、勝ち。

 ……何なら勝ちの方が若干多い。


「……そりゃ、そうでもなきゃアンタらを雇ったりしねぇだろうな」


 いや、全く以てごもっともである。

 つまり我々は、投資対象では無く賭けの対象として雇われた訳だ。

 何だか、肩の荷が降りた様な気がした。

 そして、どうやらこの帳簿はロベルトさんのオリジナルスタイルだそうだ。

 何でもギャンブルの勝ち負けと利益、そして残りの財産を毎日確認する必要に迫られ、試行錯誤の末にこのスタイルに落ち着いたらしい。

 笑いながら、まさか勝ってるとは思わなかったとロベルトさんは言っていたが、私はそれよりも、複式簿記をほぼ独力で組み上げた事にただ驚いていた。



****



 久々に清潔なシーツと、焦げと血の匂いがしない寝床で眠った後、何が出来るかを考えた。

 敵をこてんぱんに打ちのめした事はあっても、金を稼いだ事はあんまり無い……が、利益を出すという目的と期限がはっきりしている以上、どの様な手段を用いるか、どれが一番適切であるか、またどれが実現可能であるか等を考える。


目的:利益の計上

期限:今より半年(地球と全く同等であるかは現時点に於いて不明であるが、経験を基に推察するとほぼ同等である)


手段:・新規販路の開拓

   →最早限られており、ヒト相手の大規模販路開拓は少なく見積もっても半年以上掛かる事が予測される上、購買力が貧弱であるという現状を鑑みると時間対効果が薄い。

   ・新規商品の開拓

   →調査の要あり。要検討。

   ・新規事業の開拓

   →同上。要検討

   ・新規技術の開発

   →同上+半年以上掛かりかねない。


取るべき行動:市場調査



 よし、決まりだ。明日調査を行おう。

 幸いにして、ある程度の『目』は前世で飛ばされた先、途上国の市場で培ってきている。



 出来る限り目立たないよう、仕入れに出かけたロベルトさんの荷物持ちとして同行する。

 周囲からは精々奴隷か、それに準ずるものに見えるだろう。

 感じたのは無関心。よぅし良いぞ、下手に絡まれるよりはよっぽど良い。


 今までの推測と併せて得た結論は以下であるが、初回、しかも一つの市場しか見ていないので誤りがあるかもしれないが、前世知識を加味するとまぁ大体以下の様なモノであろう。


・工業製品の主要生産元は、ドワーフのギルド制によるものである。

・ヒトの生産は、村内等、限られたコミュニティに於ける自給自足的側面が強い。

・その結果として価格が高く、ヒトの村等では、織機等、ごく一部の生産財や耐久消費財が少数あるだけであった。

・織機は足踏織機が主流であり、飛杼は用いられていないか普及していない。

・食料は、周辺の農村からの買い付けが主要な生産元である。

・製鉄は、木炭を専ら使用して行われている。

・石炭は木炭に比して安価であるが、コークスの生産は行われていない。

・略奪被害のヒト難民が相当数存在するが、領主は特に対策を取っていない。




 以上から、取れる手段を考える。


・飛杼の開発、使用→市場の反感を買い、下手をこけば『物理的脅威』が発生する可能性が大きく、また織機製造についての知見の不足のため、現時点に於いては不可能である。

・コークスの生産→生産設備の整備は簡易であるが、現状の木炭より安価に生産出来るか、また製鉄業者がこれを用いるかについて確証が得られない為、これを主要手段とするのは厳しい。

・難民を使用した工業製手工業(マニュファクチュア)→生産設備の整備及び取り扱いの為の教育が困難である。



 おっと、駄目かもしれない。


 頭を抱えていると、レダさんの工房から戻ってきたロイスが部屋に帰ってきた。


「お昼だよ」


 香りから察するに、料理を教えてもらっていた様だ。

 腹が減って(陸軍兵站教範第5)は戦は出来ぬ(章『食料』1節より)。取り敢えず飯を食べなければいけない。


 階段を降りると、立派な絵が飾ってあった。


「ああ、それね、先代。私の父」


 カタリナさんが、何やら感傷に耽る様な顔で見つめている。


「皆から変って呼ばれてたけど、この商会を立派にしたのは父さんなんだ……」


 どうやら、父子二人揃って(この時代に於ける)変人であったらしい。が、あまりに先進的な思想を持っているからこそとも言える。

 そして私は、この命の恩(エルフ)に報い、彼女の思想を世に広めなければならない。

 ここで諦めてはいけないのだ。


 諦めるな、(陸軍歩兵教範)我々は必ず勝利する(第1章『任務』第8節)


 それにしても立派な絵だ……絵?



****



「主任、この教範、ちょっと絵多すぎやしませんか?」


 後輩が、A4に拡大印刷された教範を捲りながら、その内容に異議を唱える。そしてこの場合の『ちょっと』を英語に訳すと『very(とても)』だという事は、日本人なら大体解る。


「テキストベースの方が多くの情報を伝えられますし、何より漫画みたいで士気が上がりませんよ」


 私はニヤッと笑って、顔を上げながらこう返した。


「漫画みたいじゃ無いとね、今の兵隊は教範なんて読まないよ」


 キョトン、とした彼目掛けて、更に続ける。


「君は今まで真面目に勉強とかやってきたかもしれないがね、今の兵卒は教科書すらマトモに開いた事が無いってのも結構居るんだ。それに皆、軍事の用語とか分かったモンじゃあ無い」


 大体1年前から再開された徴兵により、今まで入って来なかった『やる気が無いとんでもないアホ』が軍隊に入ってきている事に、我々は難儀していた。

 そして、彼らの教育の責任を負っているのは悲しいことに我々であった。


 どんな本を読んでいるのかと調査を行った所、そういった者達は漫画しか読んでいなかった。つまり活字に慣れていないのである。


 そんな人間に、六法全書の如く文字が詰まった教範を与えても、読むわけが無い。


 で、得た結論が図表や絵をふんだんに用いた、米国スタイルの教範である。

 一部からは、後輩の様に不満も出たが、概ね好評であり、そしてこれをベースとした教育改革が功を奏し、どんな人間でも兵卒として運用可能なレベルに育て上げる事に成功したのである。



****



「どうしたの?リアム君?」


 暫く呆然としていたのか、カタリナさんが覚醒を促す。


「いえ、大丈夫です」


 コレなら行ける筈だ。という一種の確信を以て、私はプレゼンの準備に取り掛かった。




 プレゼンで大切なのは、声、資料、そして思いやりである。


 ボソボソ喋ってはどんな名文も雑音になるし、読みにくい資料は睡眠導入剤として機能するし、思いやりが無ければ相手に無礼であり、下手すりゃ怒りまで買う。


 これは下手したら人生を左右しかねない重要なプレゼンではあるが、不思議と緊張しなかった。

 どうやら、財務省の官僚と、与党の大物政治家相手に渡り合った経験が心の中でブイブイ言っているらしい。有り難い。


 そして、新規事業開拓の説明に図表を使いたいとカタリナさんに言った所、楽しみにしている旨と、それだけの価値を期待している旨を告げられ、筆記用具を渡された。

 この時、初めて心拍が少し上がったが、『劣等種』である私にここまでの賭け(ベット)をしてくれる賭博師(ギャンブラー)は、この世界に彼女しか居ないというある種の確信と、恩義に報いるという信念を以て、図表の作成に取り掛かった。



「ロイス、教えて欲しい事があるんだけど……」


「何?」


 倉庫に一つだけあった織機の前に、彼女を呼び寄せ、その使い方を微に入り細に入り教えてもらった。

 何とか理解できたが、これを図表に起こすとなれば大変だ。

 図表を起こし、それを直して具体的な計画を立てるまで、大体3日かかった。


 最終的に私が得た結論。それは、『従来型織機の集中的運用によるコスト低減及び、難民の図版入り教範を用いた教育による安価かつ効果的な労働力の確保』であった。


 つまり、工業製手工業(マニュファクチュア)の導入である。


 資料を持ち、彼女の部屋のドアをノックした。

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