組織
「郵便でーす!」
「はいはい、どうも」
軒先を軽く叩く音と、カツカツと舗装を叩く蹄鉄の音が、この街の神経が発火する、信頼のおける音であった。当時のドーベックで、その音は郵便局員からしか出なかったからである。
400名余りのフランシア家任務部隊残党――現、ドーベック郵便局局員は、フランシア家の旧所領が周辺勢力によって分割されたことにより、行く宛を喪っていた。当時ドーベック市議会が命ずる懲役に服していた彼らは、そのことを知った晩にある決定を行っていた。
あの夜は夕方から雨が降っていた。その中を引き上げてきた騎人達は、蒸しタオルで身体を清拭するまでは泥と絶望とにまみれていた。廠舎の中で少し落ち着いた後、それらは諦観と絶望とに変質していた。
その中、『委員長』は一人で廠舎へとやってきた。彼は作業服の上に雨衣を着ていた。よく磨かれた半長靴が、ガス灯の光を受けて鈍く我々を映していた。
「楽に休め。ご苦労。先程スザンナ君と話をしたんが、諸君らから直接意見を聞いておきたい」
「意見とは?」
副長をやっていたベッペさんが、口を開いた。
委員長が入ってくるまで、営内には不安と雑然があった。これまであった少しの希望が、つい先程無くなったのだから、当然であった。
今なら、やれる。
お互いに目を見合わせて、『武器になりそうなもの』を手には取らないが、把握する。
今でこそ我々は大人しくしているが、元々は、武士である。
「私は、諸君らをこの街に受け入れたいと考えている。諸君らは、この街にこれからも、居たいか?」
「最早我々に生きる意味は――「諸君らの価値観を尊重して家の話をするならば、現当主は名実共にスザンナ君だ」
舐めている。それを見透かされているような感じがして、一気に体表から引いていた熱が戻ってきた。矛盾を突かれるのが一番つらい。この感覚は初めてのものであった。沈黙だけがあった。
蹄鉄の音がして、彼女が帰ってきた。
「みんな、聞いてくれ」
誰が号令するでも無く、『気をつけ』となった。
ただ一人、委員長だけが腕を組んでいた。
「知っての通り、我々の家は、もうここしか無い。だが考えて欲しい、何故我々に土地が必要であったか? それはひとえに富のためである。ではなぜ、富が必要であったか? それは力のためである。そして力は、自由を我々にもたらすのである。だから、我々には所領が必要だった」
彼女は、あの日のようにずぶ濡れだった。明らかに震えていた。
尻尾は高く上がり、耳は前を向き、後脚は地面を何度か蹴りつけている。
「カタリナ閣下は――これが終わった後も尚、我々を雇い続けると、そう仰った。決して傭兵では無い。常備だ」
「それは、武としてですか?」
「……」
生まれてこの方、武を追求してきた。
武は、何も産まない。だからこそ、所領が必要であった。それを自覚したのは、この街で働き始めてからである。
沈黙が支配する前に、委員長が口を開いた。
「諸君らには、郵便局員として働いて貰う。その訓練は行う。しかしもし、将来また街が攻撃を受けるようなことがあれば、議会は『市民』に対して立ち上がるよう命ずるだろう。諸君らが望むのならば、諸君らは市民となるのだ」
更に、『郵便物を守るために必要な実力は、当然無ければ困る』とも委員長は付け足した。
決して、最良では無かった。だが、
「私は当家の当主として、皆を食わせる責任がある。その責任に立ったとき、我々は改めて、カタリナ氏と共に歩むべきでは無いか。そう考える。皆も知っているだろう。この街のことを。この街には、自由がある。我々が求めてやまなかった、それでいて理解さえしていなかったものが!」
スザンナは、決めたようだった。
ここに今残っている者は、ある程度の『現実』を直面して尚、我が身可愛さのために生きることを選択した者だった。もう、泣く者は居なかった。
「私は、家とは土地に根拠したものでは無く、人に根拠したものであると信じる。この街の私法の方が、苔むした帝国法よりもずっと合理的であるからだ。その上で問う。皆はまだ、私に付いてきてくれるか?」
思わず声を上げた。
「閣下!」
それは、恥から感じる熱では無かった。
「お供します」
****
発:郵便局長 宛:郵便委員長 件名:郵便番号の増訂について。
発:法務局長 宛:公安委員長 件名:派出所の増設について。
発:調達局長 宛:自衛委員長 件名:新実包の納入遅れについて。
発:福祉委員 宛:福祉委員長 件名:【至急】ベッドの更新について。
…………
……
郵便制度を整備したのは、ダム建設に際して現場視察と現場指示で駆けずり回った結果、『もう二度とごめん』との結論を脳内が全会一致で出したからである。ついでに『騎人力の非武力的利用』という名目で議会を通せたのも大きかった。正直商会側の予算でやっても良かったのだが、それでは郵便の魅力が半減する。従来は商用に限られていた信書通信を一般に開放する以上の意味が、通信の一般化にはあるからだ。
個人的な執務面でのメリットも大きい。訓練を受けた幹部が、必要事項を書類にまとめ、その返信を信頼できる経路を通じて受け渡すだけで通信ができるというのは、最初の方は期待通りに画期的であった。これまで一々何か決めるために現地に行くか、或いは幹部を集めて会議して顔と頭とを合わせていたのが無くなった。
それに、タイプライターの増産に成功したことも、大変に好都合であった。
タイプライターは、簡単に言うと活字印刷をキーボードを叩くことによって任意簡便に可能にしたものだ。即ち、活字を特別に生産して独占しまえばある程度の『信頼性』を得ることができる。あとシンプルに紙にペンでガチャガチャ書くよりも読みやすいし、楽だった。
結果がこれである。
私の人格は拡散し、紙切れが雄弁を振るい、実際より記述が優先する。
独裁の、何がいけないのか。
これが、いけないのだ。中隊程度ならまだ良い。ソレ以上になると、自然人が一人で率いることができる集団では無くなり、末端は統制から外れ始める。
逆説的に、統制主義や独裁主義は、寧ろ末端において自由主義よりも非効率かつ不経済、そして腐敗を生むことがある。
すると、組織はどうなるのか。
意思を喪う。そして、死ぬ。
ピラミッド型組織は、実際的には頂点のために下辺があるのでは無く、下辺が地面を引っ掴むために、その他の全てがあるとさえ言える。だから、上に行けば行くほど『大変』なのだ。
私は、まだ良い。
『国家』が出来上がるまでの間、なんとかして人材を育成し、下から上、上から下の回路が回るようにすれば、そして、独裁の何が駄目なのか、そして、私が独裁者たることをよく自覚すれば、良い。よく独裁の欠点として迅速な意思決定やら方針転換の不能やらが挙げられるが、それは『下手くそ』な独裁だからそうなるのだ――
私は、知っている。
何故、独裁者が独裁者たるのかを。
着実を、喪うからであると。
****
一年余りに渡ってドーベック平野全体に残っていた戦後の熱が、上下水道と電化街灯に押し流されてから暫くして。
夜にまで拡大した経済活動と、まだ未熟ながら魅力的で、鮮烈でさえあった電化製品は無事、市場で育まれた市民の財産を余すことなく吸い取ることに成功していた。
そんなことをカタリナ『閣下』に報告した後、私は問われた。
「君は将来、どうするつもりだ」
「と、言いますと」
彼女は、明らかに苛立っていた。
戦死者数を報告したときよりもシンプルな『苛立ち』を、彼女の眉の間と目の中とに認めることができた。
「そんなに早く老いて、お前は……私を置いて行くんだろ?」
「老いただなんて、私はまだ若いですよ」
故郷に戸籍は整備されていなかったため、正確な年齢は分からなかったが、まだ、顔にシワは刻まれていないことは今朝の私が良く知っている。
だが、
「こういう言い方はしたく無いが、君は、年寄になれるのか?」
「それはどうでしょうね、私の村に年寄は――「私より後に死んでくれるのか?」
今思えば、もう親ほどの年まであと少しのところなっていた。そうか、もう、そんな歳なのか。
「大丈夫です。私の、私達の部下は大変優秀です。商会は私が死んだ後もずっと――「子供も居ないのにか?」
連続で言葉が遮られる。
前世ならばセクハラで送憲されているような言動だが、悲しいかな、今の我々はそんな秩序に支配されていない。
「……商会は、組織は、私が責任をもって、会長が死んで以降も回るように致します。子供については私達の選択に係る問題ですから、差し控えます」
私には『じゃあおめぇはどうなんだよ』と追求しない程度の良心と、自制心があった。このとき始めて、敬意と忠誠とが揺らいだ。
空気がピンと張り詰めて、会長付秘書がチラ、チラと我々を伺っているのがわかった。
「……すまない。撤回する。実はな、最近金儲け以外にも興味が出てくるようになったんだ」
「と言いますと」
「通貨発行権が欲しい」
ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございます。
あなたの応援で、この物語は進みます。是非、レビュー、フォロー、シェアなどで応援して頂ければと思います。
日本怪文書開発機構が創作する作品は、往々にしてマニアックであるため、如何に『マニア』に愛好されるかが死活問題です。是非Twitter(X)や各コミュニティでシェアして頂ければと思います。




