劣等種
僕は、自分の家を目指した。
「リアム!」
道中、幼馴染のロイスと出会った。
ススに塗れ、白い肌と服は真っ黒に染まり、髪もボサボサになり、いつもは笑いを湛えている美しい顔をぐしゃぐしゃにしていた。
咄嗟に手近な物陰に彼女を連れ込み、泣きじゃくる彼女を宥め、何があったのか聞き出そうとする。
「突然ね、ドーンってすごい音がしてね、気付いたらそこに倒れてて……
どうやら僕と殆ど同じような状況らしい。
「僕も……あっ」
チラ、と物陰から覗くと、銀色の鎧に身を包んだケンタウロスがロイスの母親を蹴り倒し、丁度斬りつけようとしていた。
ロイスもそれを認めたのか、一瞬の驚愕の後に大きく口を開き、
「お母さ
咄嗟に彼女の口を押さえ、身体を以て目を塞ぎ、声を以て耳を塞いだ。
「見るな、見ちゃダメだ」
コクコクと彼女が頷くが、胸のあたりが濡れた。
凄まじい悲鳴が周囲に鳴り響いたおかげか、我々の存在はバレていない様だ。
「お兄ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛!゛!゛!゛お父ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!゛!゛!゛」
この声は妹のものだと一瞬で理解したが、違うと念じ続ける事で辛うじて正気を保った。
あれは――そう、きっと違う誰かのだろう。サシャはこうしてどこかに隠れているに違いない。きっとそうだ。うん。
そうして、辺りが静かになるまで待ち、朝が来た。
血で濡れた路面を蹴り、家へと急いだが、そこには何も――ただ、焼けた木材だけがあった。
ロイスの家も同様、他の家、共同倉庫も同様だった。
この村で生き残ったのは、我々二人だけだった。
盗賊の略奪かとも思ったが、盗賊は魔法を使わないし、あんな上質な鎧を着ていない。
つまる所正規軍か傭兵の略奪だろうと結論付けた。
悲しみ、悔しさ、憎しみ、怒り。
負の感情がふつふつと湧き上がり、そのあまりの大きさに私は人生で初めて失神した。
そして思い出した。
****
「主任、おめでとうございます」
「ありがとう」
最後の退庁、拍手の中、フィルムに包まれた大きな花束を後輩から受け取った記憶。
六角匠。それが私の前世であり、国防省戦略設計局の教育調査課。その戦略教育調査主任の名である。
私の前世の仕事は、どのような火器が我が軍に適しており、どの様に用いれば最も効率が良いか、そして軍事がどのような歴史を歩んできて、そしてどのような道をこれから歩むのか。その他様々な事を現地研究を含めて調査研究し、教範を作り、どんなアホなジャンキーでも兵卒として運用可能に出来る程に育成するシステムを構築し、そして演習に於いて陸海空を股にかけ、士官候補生の猛攻に堪え、反攻まで行ってコテンパンにし、笑いながら彼らに課題を課しつつ、財務省を上手いこと丸め込んで予算を通す事であった。
最終階級はご祝儀昇進で准将、退役後も国防大学で教鞭を執り、(本当に)死ぬほど働いた甲斐もあって国から叙勲もされた。
死因は膵臓がんであり、子供と孫たちに見守られながらベッドの上で安らかに死んだ。
――神のイタズラか世界の不具合か妄想の産物かは知らないが、そんな前世の記憶がドッ、と夕立の如く私に降り注いだ。その上、専ら農作業しかしてこなかった勉強ざかりのこの脳味噌は、知識に飢えていたのかソレを殆ど全て吸い取ってしまった。
****
「リアム、ねぇリアムってば!」
私がそんな凄まじい経験をしたと露ほども知らないロイスは、私が突如気を失った事による衝撃と、一人で取り残されたという恐怖と絶望からか、泣きながら必死になって私を揺すっていた様だ。首が痛い。
「ああ、ロイス、すまない」
咄嗟に謝って起き上がり、辺りを見回す。
「良かった」
情報が無ければ判断も出来ない。安心からか笑みを零した彼女を再び物陰に隠し、私は迅速に情報の収集と精査、そして分析を行い、その結果既に判明していた事実の他、以下の事実が判明/推測された。
・昨日1000頃、我々の村『ネリウス』は、略奪の被害に遭った。
・殆どの住民は殺害或いは拉致された。
・生存者は私とロイスのみである。
・略奪者の目的は財物及び食料の略奪であった。
・略奪者は略奪後、家屋に放火した。その結果として我々は今晩の寝床を喪った。
・襲撃者の所属は現時点で不明であるが、襲撃者は精霊魔法を用いた事及び高級な防具や装備を用いていた事から、少なくとも人間の盗賊ではないと思料される。
・現時点で食料は本日分を含めて2日分を確保している。
・主要水源の井戸であるが、死体が複数投入されており使用不可能。
凄いな、人生ってこんなにも絶望的状況に置かれる事もあるのか。
豊かな世界に生きていた前世の記憶がこんな事を呟かせようとしたが、あんまり酷い状況に口をあんぐりと開けることしか出来なかった。
幸いにして食料(と、これが呼べるならばの話だが、少なくともカロリーはある筈だ)は2日分あるので近くの隣村まで歩いて助けを求めても良いが、悪いことにその隣村から立ち昇る煙と、その周りを飛翔する物体から光条が放たれるのを夕日の中に認めてしまい、上記のリストが長くなった。
・隣村もまた壊滅状態にある可能性が高い。
・敵は有力な航空兵力を用いている。
残念な事に、私は過去図上演習で用いていた様な太い兵站も、高性能な対空ミサイルやレーダー管制された機関砲によって構築された防空コンプレックスも、音速の三倍で飛来して航空優勢をもたらしてくれる戦闘機も使えない。
・我に有力な対空/自衛手段無し。
更に悪いことに、この地域には地域住民の人権を守ってくれる国連軍や、それに準ずるものが展開していないし、我々は『劣等種』である。
例え領主軍に助けを求めても、人間の子供二人など、無視されるか下手すれば切り捨てられる。
・救援の可能性、極めて小。
とかく絶望的な状況であるが、当座の寝床は何としても確保しなければならない。瓦礫の中から使えそうなモノを集め、岩も利用して雨風を凌げる簡易的なシェルターを構築する。
焦げ臭いのと、未だに生臭い血の匂いでむせ返りそうになるが、贅沢は言っていられない。
「……どうなっちゃうのかな、私達」
ロイスが不安そうな顔でこちらを見る。
「大丈夫、私が居る」
睡眠は水、食料に次いで大切な不可欠資源だ。実を言うと大丈夫なアテは全く無いのだが、安心させて眠らせなければ精神症状等を発症して更に困難な状況になりかねない。
本来、戦線後方に後送した上で専門家の治療が必要なのだが、そんなものは無い。
静かに泣き出した彼女を極力優しく抱擁し、心ゆくまで泣かせる。
泣き疲れた彼女が眠った後、外に出て天測を試みた。
地上の惨状を全く意に介さない、美しい星空を仰ぐ。
乏しいこの世界の知識の内で、使えそうな記憶――星座の記憶を引っ張り出し、周囲の環境と併せてここがどういう地理的位置に存在するのか推測を試みる。
概ね中緯度、過ごしやすい温暖な気候と農法から察するに、西岸海洋性気候か温暖湿潤気候に属するだろう。お、良い状況だ。夏季の今、凍え死ぬ心配は当分ない。
・凍死の心配は無い。
一通りの情報収集と分析を終え、ふぅと息をついて地平線を見る。
彼方が赤い。あの下では今、この瞬間にも略奪が行われているのだろう。
何人もの人が傷つけられ、痛みに叫び、悲痛に悲しみ、そして死ぬ。
だが、彼らは我々を『劣等種』と見做しており、人格を認めていない。
再び、怒りが頭を持ち上げてくる。
前世では、正義の軍隊として世界中を飛び回り、権利と自由の守護者として、同盟国と共に人道に対する罪を犯したテロリストや国家をしばき倒してきた。
その経験が、今のこの状況をおかしい、理不尽だと叫ぶ。
だが一方で、中世社会の残酷性と未開性も知っている。
何が必要だ?
憎しみと報復が何も産まないのは、嫌という程見てきた。
この世界で諸種族が共存し、繁栄するには何が必要だ?
……やはり、国民が主権を持つ、近代的国民主権国家が必要である。
近代の国民主権国家の成立は、ブルジョワジーの出現にそれを求める事が出来る。
それには先ず、『豊富』と『余裕』が必要である。
物質的豊富もさる事ながら、教養も豊富でなければいけない。『市民』は文字が読めなければ選挙に参加する事が出来ないし、国民に市民としての意識が無ければ国民国家は成立しない。
ただ、教養は物質的豊富を前提とするので、物質的豊富は必ず必要である。
物質的豊富を担保するのはひとえに重化学工業である。
そして重化学工業を担保するのはひとえに科学である。
しかし、技術のみをポンと置いても、そこに科学という根が張ってない限り、成長という果実が実る事は無い。途上国支援に工場をポンと置いて働き口を確保したとしても、そこに産業が育つ事は無く、国力増進に殆ど役に立たないというのも、この目で見てきた事実である。
よし、決まりだ。
この世界に近代的科学を根付かせ、諸種族が共存共栄する社会を構築する。
そしてこの世界に正義と秩序をもたらし、専制と隷従、圧迫と偏狭を駆逐しよう。
実現可能性は置いておいて、これが私がこの世界に生きる意味だ。
そして願わくば、これが死んでいった者達への弔いになりますように。
――更に願わくば、明日瓦礫から食べられるパンか干し肉が発掘されますように。