半纏
国 家 市 民 軍 法
ドーベック国法典 第4巻(行政)318頁
(災害派遣)
第八十三条 地方公共団体の長その他政令で定める者は、大規模な自然災害その他の地方公共団体の能力では対応ができない災害に際して、人の生命身体又は財産の保護のため必要があると認める場合には、国家市民軍の派遣を国防大臣若しくは国家市民軍元帥又はその指定する者に要請することができる。
2 国防大臣若しくは国家市民軍元帥又はその指定する者は、前項の要請があり、事態がやむを得ないと認める場合には、国家市民軍の一部又は全部を当該地方公共団体の救援のため行動させることができる。ただし、天変地異その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。
3 庁舎、営舎その他の防衛省の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。
4 第一項の要請の手続は、政令で定める。
5 民間防衛法の規定は、本条第一項から第三項までの規定に対し、武力攻撃災害(民間防衛法第二条第四項)に際して、優越するものとする。
「状況、本日0230頃にドーベック州ドーベックの大穴より、大規模な噴出活動が発生。現在時まで――
国家市民軍総軍参謀本部。
隷下に地上軍、海軍、航空軍、国境警備軍を帯びる総軍の頭脳として設置された意思決定支援機関は、設立以来はじめて、キャパシティを超えていた。
理由は幾つかある。
まず、国家市民軍は豊富な実戦経験を積んでいたが、災害派遣、特に大規模な――総軍が指揮を執らなければならないような大災害に直面したことは建国以来無かったこと。(精々が弾薬庫の爆発事故くらいである)
ニュードーベックに国家市民軍総軍司令部が移設されたとは言え、定員の半分以上を占める国家市民軍地上軍の司令部は未だドーベックにあり、そことの通信が全く途絶してしまったこと。
そして、9月13日は建国記念日であり、即応体制以上の動員が困難だったこと。
最後について補足すれば、国家市民軍は、帝国軍からの奇襲を受けても尚、即応可能な体勢を勿論取っていた。しかしそれは国境警備軍という、全中隊が常備兵で補充され、帝国軍と常に睨み合っていて、戦時には遅滞か先鋒を担うという精鋭部隊の、それも当番部隊の話であって、他の軍種は幹部から兵に至るまで、12日に集中して行われた祝賀行事が終わったらそのまま解散して15日夕方点呼に集合としている部隊が殆どで――要するに、災害派遣に於いて軍に期待されている動員力が機能していなかったのである。
勿論、事態を把握した国家市民軍総軍の当直指揮官は、直ちに第三種非常呼集を掛けたが、そもそも通信網の中枢であったドーベックが寸断されているおかげでその伝達は困難を極めた。(ニュードーベックを中心とする通信網も、勿論構築される予定であったが、平時では実務上問題が無かったので、最悪なことに9月16日までドーベックを中枢とした通信網が使用することとして、通信インフラ技術者を休日に作業させるという方式が取られていた)
「ネリウスから入電、『我、0430ニ不明騎4ノ領空侵犯ヲ視認。コレヲ要撃シ回頭セシメタリ』」
「まぁ流石に帝国も勘づくか……」
「ミミズクってまだ出発できてない?」
「まだです」
「有毒ガスでドーベックが壊滅した可能性があるってんで化学防護装備の手配させたんですが、自給式の装備が特防にしか無いんで手配に時間が掛かってます」
「じゃあもうさ、特防に偵察させよう」
移動式の黒板と地図、様々な表に囲まれた空間で、段々と状況が明らかにされていく。
断片的な情報をかき集めて、半纏宜しく縫い合わせたモノを外套に――それも、儀仗時に帯びるような特別な仕立てに――して、指揮官の意思決定に寄与するのが彼らの仕事であった。
ただ、今回の場合、普段はボロ布でそれをしているのに、綿菓子でソレをやれと言われているようなモノであったから、大変に難儀していた。しかも土砂降りの中で、である。
だから、緊急閣議をやるぞ! と最高指揮官が言った段階で、お出しできたのはホコリの塊みたいな情報しか提供できなかった。
勿論、大穴が吹くというのは建国時(厳密に言えば、それよりもっと前)からの想定であって、憲法にすらそれは刻まれていたのだが、想定と実践は全く別であるし、リアムの好みとして、想定と訓練は教育に資するモノが多かった――つまり、関係者が満遍なく課題に直面していた――言い換えれば、今回のように一部の者に負担が集中するような状況は『想定』しかされていなかったのである。
「ネリウスからの航空偵察写真です!」
無反動砲の弾薬入れのような見た目のジュラルミン製筒を抱えた情報部員が、突撃時の躍進が如き勢いで中央の机に大きく引き伸ばした航空写真を広げた。
「……ダムがまだある」
それは福音か、絶望か。
どちらかと言えば絶望寄りの情報であった。
良い知らせと悪い知らせがあると言われて、良い知らせが、人質が恐らくまだ生きていること、悪い知らせが、人質の頭上には髪の毛一本で吊るされた着剣自動小銃(装填済み、切り替えレバー『タ』)が吊るされていると言われたみたいなモンである。
勿論、人質を生きた状態で救出できれば良いが、仕事としては、人質の死体をよっこらせと運ぶ方が遥かに簡単である。
「ダムに噴出物が流入してるな。これは――「不味いですね。幾ら重力式コンクリートダムとは言え、想定は水と越流までだったハズです。更に岩石類が勢いよく流れ込んだ場合は転倒してもおかしくありません。それに――降雨で土石流が発生した場合も危険です。擁壁上に噴出物が認められます」
四科所属の特別幕僚である、メガネを掛けた工兵将校が早口で、かつ端的に状況を整理して、一番聞きたくない情報を総軍の中に満たした。
重力式コンクリートダムとは、要するにクソデカい石の塊で水をせき止めているというモノである。
それに勢いよく、土石流をぶつければ? コケる。当たり前である。
「地上軍総隊との通信が回復!」
おッ、と色めき立った。
「被害軽微!」
わぁッ! と歓声が上がった。
良かった、良かった。
これで、人質が『生きている』ことが確定した。
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「つまり、ドーベックは今、正に危機に瀕していると、そういう訳だな」
「はい、鉱業地域のうち、大穴の縁に近い部分は壊滅しましたが一斉休業日だったため人的損害は軽微、ドーベック市街についても粉塵による混乱と通信の不能がありましたが現在は回復しております。ただ、ダムに噴出物が流入しており、水道は飲用不適、ダム決壊の可能性を排除できません。総軍幕僚の意見としては、全市の強制避難を提言します」
「分かった」
なんとか仕上がり、元帥にお披露目された外套は、それはそれは見事な仕上がりだった。軍として『こうしたい』というのが明確に示され、その根拠は明快だ。
「で、30万人の手当はどうするんだ」
「……キャンプに収容するしか無いかと」
幸いなことに。これは皮肉でもなんでも無く、本当に幸いなことに。
ドーベックは市民皆兵制の国家であり、国民皆兵制への移行――つまり、人口の全部を武装させて『突撃』させること――を想定した国家であったから、戦争のための道具やら基盤やらは、その筋肉質な体質とは裏腹に過剰と言えるレベルで備蓄されていた。
要するに、戦争というのは『屍山血河、泥濘厳寒』の中でやることを想定されているから、当然にしてそういう状況の中で飲んで食って出して寝て戦って死ぬための準備がされていたのである。
だがソレは、飽くまでシステムとしての軍隊が用いることを前提にされているのであって、即ちキャンプを作ってなんとかするしか無い。
端的かつ露悪的に言えば、ドーベックに居住していたというだけで、生活を根こそぎ捨てて全員入獄して下さいと言うようなモンであり、それは即ち、国家による一大プロジェクトであると同時に、巨大な人道危機であった。
「総理は渋るだろうな」
元帥は口元に手を当てた。
総軍幕僚長から見れば、それは彼女が直面した困難を理解しての苦悩に満ちた反応であることが分かったが――
彼女は、微笑んでいた。




