深淵
「誰だ?」
声だけが響いた。
正確に言えば、言葉だけが、そこにあった。
『うーん、六角さん、とお呼びすべきでしょうか、今はリアムさんですよね。お子さんが生まれてからは、リアムの方が強く自己認識されていますよね。いや、どうも、すみません。そっちまでメンテナンスが出来てなかったみたいでして、こちらの管理区域内で負傷されたみたいですから、私の不手際です。』
「誰なんだ、お前は!」
『申し遅れました。私はコンダクタ。石橋先生が遺されました、この世界の調律者です。六角匠准将。否、リアム・ド・アシャル。国家市民軍予備大将。あなたは先程、くも膜下出血で亡くなりました。』
「……そうか。ここは? 地獄か?」
『いえ、ここは私の客間と言うべき場所です。率直に申し上げましょう。私はあなたの記憶が欲しい。少しだけ、走馬灯――と言っても、逝去される直前のスパークを観測させて頂きましたが、素晴らしい。今の私にとって必要な知識を保持されているようです。それを、私に学ばせて欲しいのです。悪い話じゃ無いでしょう。そうすれば、私は――そうですね、あなたを、貴方がたがいうところのエルフにして差し上げましょう。』
『取引です。まぁ、ゆっくりお考え下さい。ご質問があれば受け付けますよ。』
「そうか、分かった。クソ喰らえ。まず、君についてもっと教えてくれ。君は、神か?」
『いえ、私は、リソースコレクションコントローラRC-877。貴方がたの言うところの――大穴でしょうか、その中央管制室です。』
「分からないな。大穴は人工物だったのか」
『ええ、貴方がたがダムを作ったように、私は地殻から資源を吸い上げ、ここに集積し、利用しやすい形で地表に運んできました。あなたは、地表への点検口からここに転落されたのです。』
「なるほど。だから――だから、この平野はこんなに豊かだったのか。そして、吹くのか」
『そういうことになります。』
「君の任務――プロンプトは?」
『私達は、石橋先生の子ら――貴方がたがエルフと呼ぶ種族の、保護者となるよう命ぜられています。』
「エルフは、君のことを神と呼んでいた」
『赤子にとって、母や父は神に等しい存在ですから。』
「なるほど。じゃあ神様にお願いしようかな。このまま死なせてくれ」
『強がりは良くない。本当は生を渇望しているはずです。フェインくんですか、まだまだ、母も父も必要な歳ですよね。』
「……」
『それに、あなたは無念――サシャさんのことがまだまだ気がかりなのでしょう。私からも、再度お願いです。あなたの全てを――あなたの経験と人格全てを、学習させて下さい。』
「ちょっと待て、もう、私の脳内を覗いてるんだろ? 今更何を学習する必要があるんだ」
『素晴らしい。やはりあなたは、学習する価値がある方だ。分かりやすく説明しましょう。私が今行っているのは、あなたの思考の受動的観測に過ぎません。つまり、あなたが参照しなかった情報にまでアクセスできている訳では無い。図書館で隣の席に座っている利用者が開いている本を眺めているに過ぎないのです。私は、その本を――否、図書館を、お借りしたい。それだけです。』
「同意などなくても、私はもう死んでいるんだ。勝手に参照したら良いだろうが」
『汚染されたくないのです! 脳に染み込んでいる人格の抵抗というバイアスがどれだけ情報を汚染するのか、あなたには分からないのでしょうね。悪い話では無いはずです。』
「分かった。まだ聞きたいことがある。俺は西暦で21世紀の末から来た。和暦で光和だ。君の元の主人、と言うべきかな、は何世紀から来たんだ。私も知らないような技術を使っているだろう。」
『22世紀から来ました。六角さん、安心してください。日本はまだまだ滅びそうにありませんでしたよ。そして、私はいわゆる魔法と、その時代の技術で動いています。』
「魔法。22世紀の技術。自己複製ナノマシン技術でも実用化したのか――待て、クロメウタニもお前の仕業か」
『いいえ。』
「じゃあ、魔法は、あれはどういう仕組みなんだ」
『基底宇宙、と呼びましょうか、どうやらそことは違う宇宙、空間中に遍在するポテンシャルを熱を移動させる等の形で生物器官により利用できる。そんな宇宙における地球がココだろう。と石橋先生は結論されました。私も、あなたも、それを否定するに足るだけのデータは持っていません。石橋先生と六角准将のご出身の宇宙で、生物が化学エネルギーで繁栄していたように。』
「この世界の文化は」
『文化についてですか、干渉したことは――まぁ、ありません。つまり、ここは、こういう文化文明なのです。あ、いや、食品類は石橋先生の努力で様々が再現されたみたいですね』
「君の目的は、子孫の繁栄と言ったな」
『正確に言うと、熱的に持続可能な、石橋先生の子孫の繁栄です。』
「……続けろ」
『シュミレーションの結果、種族間で社会階層を分けてしまうのが、最も持続可能かつ安定的な社会の構成に資すると判断されました。そのシュミレーションの中に、あなたのような――あなのような外部因子は、挿入されない筈でした。私は、シュミレーションによる推定でしか考えることが出来ない。私も巨人の肩の上に乗りたいのです。分かって頂けるでしょう?』
「石橋は、何をしたんだ」
『生態系エンジニアリング。と説明できます。』
「この世界は、そんな理由で……」
『魔法、と我々が便宜的に呼んでいる魔力体系は、シュミレーションの結果、この宇宙でのみ生体が扱えるエネルギーポテンシャルの一種と考えられます。熱、即ち粒子運動、究極的には時空間を操作できることにその基礎があります。要するに、宇宙の熱的死を避けるだけの可能性があるのです。石橋先生は、それを永久と呼ばれました。惑星上だけで、永久に繁栄ができると。』
「無限の可能性じゃ無いか、それは」
『あなたは分からないかもしれませんが、未知への挑戦というリスクよりも、安定による無限の繁栄は――何物にも代えがたいものだと。』
「自己中心的だ。君はそう思わなかったのか」
『創造することの何が問題なのでしょうか? あなたの時代ですら、3D プリンタによる印刷肉はありました。それは――それすら、倫理的問題に対する回答であった筈です。貴方がたの言う所の劣等種は、被造物なのですよ。』
「我々だって生きているんだ。我々だって――人だ」
『あなたは、許されない罪を犯し、それを隠しましたね。非倫理性で言えば、我々と大差ないか、否、我々の方が遥かに優位にあると、そう思いますが。』
「……否。違う。君等がしたことは、知性ある主体に対する搾取構造の創造であり、君の目的はその固定化だ。断じて容認できない」
『そうですか、まぁ、そうおっしゃるだろうなと思いましたよ。』
「――君は、何を、どうやって知っているんだ」
『私は、新しい子らから知っています。我々は、貴方がたも子として受け入れることができるのです。そうだ、あなたも、子らのように、エルフになりませんか? あなたがエルフになれば、ドーベックは益々繁栄し続けるでしょう。そのような未来は殆ど確実です。そして、私達の子らと共存するのです。20世紀に確立された安全保障体制――冷戦の、より洗練された形の上で。』
「私は、前世で外挿した知識でここまで生きてきた。石橋か、石橋は、どうやって君を作ったんだ。22世紀なら私が入れているような知識もある筈だろう」
『見事。見事な推論です。ですが、あなたは目的を見失っている。』
「どういうことだ」
『石橋先生の目的は、氷河期に、持続可能な生態系を地下空間に実装することでした。彼の知識は、生命の創造、生態系、遺伝子――に深く特化している。』
「地球寒冷化は避けられなかったのか。だが、それで社会を維持できるとは思えん」
『あなたは、闘争と競争の果に、それに勝利し、生存する目的で知識を深化させてきました。そんなあなたが、この完璧な、否、完璧だった庭に撒き散らした知識をなんとか受容し、私の目的を達成する為には――あなたの知識を知る必要があるのです。』
「ドーベックを滅ぼすつもりだろう。そんなことは出来ない。それに冷戦と言ったがな、貴様、高校の教科書程度の知識しか無いだろ。アレは平和でも無ければ持続可能でも無い」
『一筋縄ではいきませんか。そうだ! サシャさんを治療して差し上げましょう。これでどうです。あなたは、ドーベックは、私の任期中に発生した最大の予測不能変数です。私は、理であることを要求されています。嵐が現れた以上、それを理解し、管理する責務があるのです。理解して頂けるでしょう?』
『はじめて、真剣に検討して頂けたみたいですね。』
「……わかった。受けよう。どうしたらいい」
『助かりました。実は、私にはもう、この単位時間分の計算リソースがあまり残っていなかったのです。如何せん地熱差で発電してるモンですから。コンデンサも古いですし。もうじきココは自壊する予定です。データについては有線でCPC-11に渡しておきます。細部要領は……後ほど。』
「じゃあ、噴出はもう無いのか。遷都した甲斐はなかったな」
『いいえ。残有圧が解放されますから。デカいのが一発。ああ、ご心配なく。契約はキッチリ果たしますよ。勿論。あなたも生きて地表に。尤も、街やダムがどうなるかは保証できませんが。』
「この、クソ野郎。絶対殺してやる。有線を引きずって、テルミットで焼いてやる」
『良いですね。その姿勢を私は学びたいのです。では、失礼。』