時
迫撃砲からサリンが撒かれたあの地の上で、「鼓笛隊行進曲」の軽快なピッコロのリズムに併せ、タン・タン・タンタンタン。と太鼓が打ち鳴らされる。
鼓笛隊の先頭を歩く鼓手が嵌める白手袋が、国家市民軍地上軍第一種常装(音楽隊用)の濃緑色の上で一挙に跳ね、落ち、そして跳ねる。
一群はドラムメジャーのバトンに導かれて行進し、そのバトンが斜め右上へ二回突かれた瞬間、「導入行進曲」に演奏を切り替え、一挙にステップを踏み始める。
「導入行進曲」が終わった直後、
ダン! ダン! ダンダンダン!
鼓笛隊に続く音楽隊が全力でリズムを刻み始め、暴力的と言って差し支えない音量で「国家市民軍第一観閲行進曲」がかき鳴らされる。
続いて国防大学校学生らが行進し、地上軍部隊、国境警備隊、海軍、航空軍が続く――
ニュードーベック(旧イェンス)で行われた、建国歴十年祝賀行事の一幕である。
建国記念日である9月13日を、兵らがゆっくりと過ごすため。そういう理由で、例年祝賀行事は12日に行われていた。
ニュードーベックは、軍工兵が一度『全て』を片付けた後、ドーベックよりも太い、様々なインフラが引かれ、理論的に理想とされる街が建てられ、今なお建設中であった。
そして、この日から、ニュードーベックは、ドーベック国の法律上の首都としての機能を始めたのである。
ドーベックは、ドーベック自体が持つ、「大穴」がいつ吹くか分からないという欠陥を、ついに克服したのだ。
国家市民軍中央音楽隊が奏でる行進曲は、国の無限の発展と未来を示唆するように力強く、勇壮で、そして暴力的でさえあった。
それとは別の一群が、大穴の麓で、なにかを掘っていた。掘っていたというより、探していた。資源を探しているのでは無い。
不真面目な一群が、ラジオに聞き耳を立てている。
『国家市民軍、万歳! 自由主義独立国家、万歳!』
決まり文句を受け、若い男が、壮年の男に向け叫ぶ。
ラジオからは、『国家市民軍第一観閲行進曲』が流れ始めている。
「先生! パレード始まりましたよ!」
「了解。じゃあ聞きたい奴は聞いてよし。興味ない奴は作業継続!」
「はーい!」
ニュードーベックから飛来した航空機の轟音が、休憩中の大学作業班の耳まで届いた。
このレシプロの爆音も、来年か再来年にはジェットの轟音に変わるのだろうと、若い彼は思った。
祝賀行事には、ロイスが出席していた。正確には、ロイスが主催者だった。
主賓はカタリナというのは変わらないが、奇妙なことに、アンソンが観閲部隊指揮官だった。
端的に言うと、アンソンが選挙に負けて、ロイスが選挙に勝ったのである。その理由は、対外侵攻に伴う物価上昇であった。
アンソンの指揮下で平野外を「ドーベック化」するという国家プロジェクトは、盛大に失敗した。その理由は、軍事的に目標を立て、それに消費できる国家のリソースを割り当て、目標を達成できたらヨシとするアプローチが、「ドーベック化」に壊滅的に不向きだったからである。
敵と問題を同一視し、敵対的にこれに臨む。
確かに貧困とか、飢餓とか、そういった言わば普遍的問題に対しては有効なアプローチだっただろうが、例えば市民権を付与するために兵役を課しますとか、徴税しますとか、裁判の結果に従って下さいとか、そういった『文明』レベルでのすり合わせを敵対的に行うとどうなるか――その象徴が『血の断行』だ――まぁ、ああなるのである。
万民の海の中で、国家市民軍は苦しみ続けた。
占領地の各地で泥沼のゲリラ戦に陥りかけたところで国家議会議員四年の任期が切れ、建国歴5年、ロイスは内閣総理大臣に就任した。
そして、先の総選挙で再任したのである。
皮肉なことに、第二次ドーベック平野防衛戦以降で獲得された広大な領域――旧イェンス家所領は、これを近代化・防衛するのに多大な努力を要し、角灯閥をも対外侵攻に慎重な態度を取らせたし、新軍種「国境警備軍」を創設する羽目になっていた。
リアム待望論もあったが、リアムはドーベック大学の教授(兼国家市民軍予備大将兼国防大学教官)に収まっていた。
彼の授業は、ドーベックから無数のエリートを生み出し、それを軍に還元し、遂にはワイバーンに対抗し、或いは撃ち落とすための高性能AAAやF/I、近代的な電撃戦を遂行させるためのF/B、TK、FV……等を国家市民軍に与えていた。(当然『戦略兵器』も)
最終的には、そんな人間を首相『なんか』にして良いのか。というカタリナ氏の判断があったと言われている。(曰く「……あいつには総理とか向いてねぇんじゃねぇか?」である)
リアムが理解していなかったのは、学生というのは、単位が取れたらまぁそれで良いやという者が多く、ほとんどの確率でS評価が貰える実習授業というのは『カモ』授業であって、実習そのものに興味津々で来る者というのは、まぁ、殆ど居ないということである。
何故、大穴の周囲には様々な鉱物資源が集まっていたのか。それを明らかにしようとする大規模掘削作業の一部を担えるというのは、大変に学術的な知的好奇心を満たすだろうと開いた授業は、学生から食い物にされていたのだ。
結果、リアムが休憩を宣言した瞬間、実習に参加していた殆どの学生が、数少ない娯楽であるラジオの方に殺到し、或いは上空を仰ぎ見て、指差し、あれはF/A-8だ、アレはC-10だと騒いでいた。
結局、リアムだけが、ただ一人、坑道の中に立ち尽くしていた。
彼は、学生らを見送った後、彼らが文字と判別できなかったであろう、くすんだ岩の表面に、見覚えがある言葉が刻まれていることに気付いた。
『注意! 高線量地区! 入るな!』
彼の手元のガイガーカウンターは、何らの反応を示していなかったから、その板の下を注意深く払い、電球の灯りを近づけた。
『この先 管 理 区 域』
「あった」
リアムは、そう呟くと、ツルハシでシンボルを叩いた。
鈍い金属音がしたが、隙間にツルハシを挿し込み、テコの要領でグイと圧すと、バン! という音を立てて扉が開いた。
深く、深く、闇が続いていた。
リアムは唾を飲んだ後、坑道を引き返し、入口のテントで屯している学生らに、本日は明日の建国記念日を記念して、早めに解散すると告げた。学生らは歓声を挙げて自分の荷物をまとめ、トロッコに乗って帰っていく。
壮年の男は、拳銃を背嚢からホルスターに付け替え、予備の電池と、呼吸器、カナリア、ガイガーカウンター、水、食料、その他必要なモノを持ち、坑道に戻った。
本来は銃に据えるキセノンランプで、扉の底を照らし出す。
自分の口よりも下にカナリアを据え、ゆっくりと、ゆっくりと、リアムは階段を下った。
階段は、地下水が染みて表面が滑りやすくはなっていたが、腐食しているとか、そういったものは無かった。ただ、表面を覆う白ばんだ石は、長い、永い年月が経った後のモノであることが明らかであった。積層セラミックだ。
ある場所から、劣化が全く進行していなかった。
注意深くカナリアを差し出す。特に問題は無さそうだ。
踏み出すと、表面をヌルっとしたモノが覆っていて、あっ、と思った瞬間に、壮年の男は階段を転げ落ちていく。咄嗟に踏ん張ろうと思って手を側壁に押し当てても、滑りが嘲笑ってきた。
ガンガンガン! とヘルメットを階段の段差が叩き、手放した光源が踊っているのが分かる。一瞬、見覚えのあるシンボルが見えたような気がした。
最初に彼が思ったのは。不味い。このままでは酸欠で死ぬかもしれない。という恐怖であった。息を止めようとしたが、連続する衝撃がそれを許さない。なにか掴むものは無いか。うつ伏せになり、石の表面を撫でていくが、革手袋は何らの手がかりを掴めない。
ロイス。フェイン。ごめん。
命綱をすれば良かった。
でも、私はここまで頑張ったよな? ちょっとぐらい欲張っただけなんだ。許してくれるよな?
そこまでリアムの思考が至った直後に、彼は暖かく、柔らかな光の中に居た。
「はじめまして。六角――いや、リアムさん?」