ドーベック
「スフート01、5統制線までの進行を許可」
「5統制線までの進行を許可。スフート01」
大規模航空基地、と言って良いだろう。
3000mの滑走路が3本、大体500万平方メートルという巨大な領域を占めるネリウス航空基地は、将来の戦略軍基地となることを見込まれて、新たに設置された帝国との外交施設にほど近い場所――と言っても、騒音の問題があるので相当離れていはいたが――に設置されていた。
空軍工廠直結という好立地を活かし、試験飛行場としても活用されているこの飛行場に、1機の、この世界の航空工学者からすれば奇妙な見た目の航空機が居て、航空法に従い、管制塔からの命令を待っている。
「スフート01、2番滑走路への進入を許可。離陸準備を許可」
「2番滑走路へ進入。離陸準備。スフート01。」
正式名称、04年式航空軍要撃機。
国家市民軍航空軍初の本格的要撃機として開発されたソレは、ジュラルミンを潤沢に使い、低翼単葉、2門の13mm外力機関銃、双翼下に搭載可能な80mmロケット弾7連ポッドを主武装としていた。
13mm機関銃弾は、一式重機の後継口径として徹甲効果を重視して設計され、80mmロケット弾は高性能榴弾をはじめ対空子弾、対徹甲子弾、成形炸薬弾、化学弾等の種類がある。
一見優雅な、白銀のこの機体は、純粋に殺戮のために設計されているのだ。
「スフート01、風向0-1-0、風力2、2番滑走路からの離陸を許可」
「2番滑走路から離陸。スフート01」
航空士が左手のスロットルをギュウ、と前へ押しやると同時に、彼の眼の前でレシプロとプロペラとが空気を殴りつけ、爆音を奏でる。
前にあった風景が横へ、後ろへと押し流されていく。
一瞬だけ横を見ると、相当な速度を、この殺戮兵器が発揮しているのが分かる。
ゆっくりと、軽く、操縦桿を引くと、フワ、と、その出力と殺傷力に見合わない、心地の良い感覚が機体を満たして、ズンズンと高度が上がっていく。
計器系を見つめる。問題ない。クルクルと長針と短針が上昇を示しているし、身体感覚としても、外景としても、しっかり上昇している。
「スフート01。誘導管制と交信せよ。ご安全に」
「誘導管制と交信。スフート01。ご安全に」
エンジンが爆発しないか、ワイヤーが切れたりしないか。
そういう危険と隣り合わせだったから、座席に座る直前まで、飛行士は動悸に苦しめられていた。
「遊覧飛行みたいなモンだから」
落ち着かせるためか、実証飛行隊ではそう聞いていたが、今や、飛行士は興奮していた。
革手袋越しに降着装置を上げ、ガコン、という音と共に収納されるのを待つ。
フラップを畳む。増速を感じる。
今は僚機に併せてスロットルを絞っているが、左手のスロットルを離陸時のように前へ押し込んでやれば、ワイバーンを遥かに超える速度でこの銀翼は空気を切り裂く。
油圧、油温、燃料圧力、シリンダーヘッド温度――ヨシ。
誘導管制の指示に従って機体を傾け、ペダルを踏むと、意のままに滑っていく。
確かに、複葉機よりも旋回半径自体は大きいかもしれないが、経験したことの無い、強烈な力でシートに押し付けられて、彼は鼻息を荒くした。
「スフート01、ドーベック管制と132.3で交信せよ。ご安全に」
「ドーベック管制と132.3で交信。スフート01。ご安全に」
ここまでの手順を踏んで、漸く、獣人は自分が口を半開きにしていることに気付いて、閉じた。
眼下には、メウタウが視界の端から端まで広がっている。
11iRCTで、連隊長伝令をやり。
国防大学校で、大隊学生長もやり。
そして今、最新鋭機のテストパイロットをやっている。
恵まれているのか、いないのか。少なくとも、この国が体格を特に気にしていないということだけは確かに言える。
「姿勢試験を行う。90度。」
僚機の指示を受け、操縦桿を右に倒し、機体を横転させる。
「良いぞ、もう90度」
天地がひっくり返る。
視界の端に、小高い丘があった。
778高地だ。今は再開発が行われ、大規模な工事が行われているが、確かにアレは、778高地だ。命がけで守った。あの高地だ。
何も思わない。ということは無い。
あの時、困り果てていた人々を助けたという、当時の連隊長の判断に間違いがあったとは到底思えないし、その後に行われた手続きも『合法的』かつ『必要最小限度』であった。少なくとも、国家市民軍将校としての教育を受けた脳味噌は、何らの問題が無いと断言している。
じゃあ、何を思っているのか。
それを言語化するための教育は受けていないから、僚機からの「もう90度」という通信を受け、機体を基準から270度傾け、頭上に地平線を置く。
「試験終了。良いぞ」
姿勢を水平に回復させる。『何らの問題』も無かった。
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「アンソン総理ってさぁ、頭おかしいのかな」
「戦争から逃げられないんだよ、あの人は」
「また戦争する気マンマンじゃん」
検察官事務取扱検事。
検察官事務及び秘密保護官事務取扱司法警察員という『最盛期』を過ぎ、正式に家族となった後、制度の方は理想に合わせてきて、あの悪制は漸く、当初想定されていた者を配当するようになった。しかし、彼らは警察官でもある。どういうことか、警察官が検察庁に片道出向して、法務大臣が出向してきた警察官を検事に補職したという形で『どうにかした』のである。
で、検事に補職された警察官は当然、警察官としての能力と人脈やらを持っているし、警察からも頼りにされているから、警察署に捜査から起訴まで頭を突っ込む。
要は、法律上の取り扱いが漸くスッキリ整理されただけで、彼らの仕事――国と警察が良いように使う法律屋というのは何ら変わっていないのだ。
「『血の断行』でちったぁマシになると思ったんだがな」
「そもそもさ、法の不知はこれを許さず。つっても限度があるじゃん」
飛行士と違い、ドーベックの建国前からずっと第一線でこの国の闇を見て、それを法の灯りで照らし、説明して、罰し、街灯を建ててきた検事らは、言葉を持っていた。
「たまたま、我が国の法秩序の庇護下に入るのが早いか遅いかの問題で軽機関銃で撃たれてミンチになるかならないかが決まる。それが今の平野外占領地域。彼らが暴力で抵抗した時点で、国は、法秩序は、『敵』に臨む」
「裁判所が悪い。ということになるか、結局」
心地よい空調、フカフカで、清潔なソファー、プラスチックカバーで柔らかくされた蛍光灯の光。
夫は、妻のうなじに軽く噛みつきながら、腹を撫でるようにしてくすぐる。
「まぁ、自分らで『決めてない』法律を無理やり執行することに問題があるか、無いかの問題になるが――」
「ん……今、平野外は非常事態下だからねぇ……」
「憲法の予定するところ。になるだろうね」
仲の良い夫婦が、職場で出来ない分、上下で粘膜を接触させつつも、限りなく理性的で、冷徹な会話を交わす。
彼らの脳内には、相手への愛おしさと共に、同一の記号が浮かんでいる。
ドーベック国法典 第1巻(憲法)18頁
第九章 緊急事態
〔非常事態の宣言〕
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃又は武力攻撃の切迫、内乱、大規模な自然災害その他の緊急事態に際して、国が非常の措置を執らなければ憲法秩序を維持し、国及び国民の安全と人権を守ることができないと認めるときは、国の全部又は一部に非常事態の宣言をすることができる。
2 内閣総理大臣は、前項の宣言をしたときは、直ちに、国会の承認を得なければならない。
3 第九条の規定により戦争を開始したときは、国の全部に、本条第一項に定める宣言をしたものとみなす。
〔非常事態下の権限〕
第九十九条 非常事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同等の効力を有する緊急政令を制定することができる他、国の資産の全部に命令して、非常事態を終結させるために非常の措置を執ることができる。但し、この場合においても、この憲法が保証する国民の人権は制限することはできない。
2 前項の場合に於いて、国家市民軍は、法律又は緊急政令の定めるところにより、警察力を補助するため、国内で行動することができる。
硬直の後、お互いの動きが止まり、湿っぽい吐息が調和された空気の中へ放出されていく。
「選挙が近い。そろそろ二課の尻を叩かなきゃ」
「アンソンが負けたら、軍がクーデーター起こしたりしてな」
「そうなったら……こまるねぇ」
「こまるねぇ……」
クスクスと笑い合う二人の検事は、今日、2週間ぶりに寝室に揃ったにも関わらず、翌朝の出勤を揃って控えていた。