憲兵
中隊本部を詰めている警備用装甲車は、なぜ隊列が停止したのかを把握しようとしていた。
そして、聞き慣れた、しかし鳴ってはいけないが鳴る理由は明らかな音――1500発毎分で7mm曳光弾が吐き出される音――が鳴った理由を、まだわかっていなかった。(先の戦役で、小銃は数丁が鹵獲されていたが、軽機関銃は全量を回収していた)
「中隊長、1小隊が接敵」
「接敵ぃ!?」
「林内から射掛けられたそうです。人的損害なしも……敵を見失った旨の報告が」
「無線手、1小長呼び出せ」
「はい。――――『01、01、こちら00。送れ』」
――『00ぅ、こちら01送れ』
無線が通じたのを聞いた中隊長が、無線手からマイクを奪い取る。
「貸せ。01アルファ、こちら00アルファ。送れ」
「行進中林内から射撃を受けた為応射した。送れ」
「了解。行進は再開できるか。送れ」
「えー……林内掃討の許可を乞う。送れ」
「……――しばし待て」
明らかに殺しに行くのだ。部下も殺されるかもしれない。
だが行進間の部隊の脇腹を『闇』に晒し続けるのは不味い。
「ホワイト、ホワイト。一斉放送。既報の通り、現在1小隊が接敵した。ホワイトは薬室に装填し、安全姿勢をとり現在位置で待機せよ。なお、1、4小隊には別に指示する要領により――
****
「中隊は何やってんだ」
「昼寝じゃねぇのか」
盛夏を少し過ぎた頃、まだ暑い空気と照りつける太陽に蒸された草の匂いの中に、ブカブカの迷彩ヘルメットカバーがクラクラと動きつつも、黒光りする銃身を敵方に向け、伏せていた。
最初に接敵してから7分は経っただろう。そろそろ腕がしんどくなり、銃を地面に置いて地面に寝る者も居た。
もしコレが武力出動(つまり戦争)ならば、小隊長の独断で攻撃(掃討)を開始できた。しかし、今回の出動は治安出動であり、正当防衛若しくは緊急避難に該当する場合の他は『当該部隊指揮官の命令によらなければならない』とされているのだ。
で、この『当該部隊指揮官』の解釈は、最下級部隊の指揮官、つまり分隊長とか班長では無く、『その場』の部隊指揮官のことをいう。今回の場合は第三憲兵中隊長がコレだ。(事態の急迫度とか行動の規模とか通信云々とかでコレが臨機応変に変わるのが厄介なのである)
結果、多分敵がまだ潜んでいるであろう森の真ん前で停止して、雑嚢から迷彩ヘルメットカバーを付けて草むらの中で延々と伏せるというザマになったのである。
普通、兵はなんとなく、漠然と上官を尊敬することは無い。
逆に、単にキツイ仕事を振られたからと言って、尊敬が損なわれることも無い。それが仕事であると理解していない兵は、生き残れないからだ。
上官を尊敬するのは、利益をもたらしてくれる時、即ち『思ったより楽に』仕事を終わらせてくれたときであって、その期待が裏切られた――つまり、兵が「こうしたら良いのに」という理想を損なったとき、或いは、上官が示したソレが理想を超えられなかった――ときは、尊敬が失望に取って代わられる。
「憲兵なんか、なんなきゃ良かったなぁ」
リコはボヤく。
あの的確な指示を下し、率先垂範部下を統率して突撃を成功させた分隊長のような『歩兵』の指揮官はここにはおらず、法という鎖に雁字搦めにされた官吏しか居ない。
背の高い草の後ろで水筒の水を飲み、肩ポケットに入れておいた飴を舐める。
「伏せたまま聞け! これよりぃ、小隊は、公務執行妨害及び殺人未遂の被疑者を緊急逮捕するべく、林内を捜索するぅ――
もう逃げてるだろ。そう思いつつ、発進準備を整える。てっきり、『速駆け前へ』が号令されると思っていたからだ。
「1分隊、その場に立て。安全装置。ヘルメットカバーはずせ。付け剣!」
死にたいのか。
目立ってしょうがないぞ。
だがしょうがない。
「前へ、進め!」
銃口正面構え銃。要するに腰だめに銃を構え、白色のヘルメットと銃剣をギラギラさせながら早足で歩くという――確かに暴動鎮圧ならどうにかなるだろうが、林内から矢を射掛けてくるような連中相手にやるのは率直に言って死にに行くような戦法――を正確にやりつつ、『軍服を着た警察官』であることを思い出して、そりゃそうせざるを得ないかと思いながら前へ進む。
絵になるからか、カメラマンが横隊を横から撮っていた。要はそれぐらい『機を逸した』『攻撃』になった訳だ。
小隊長や分隊長が叫ぶ。
「両手を挙げて出てこい!」
「武器を捨てろ!」
……
間抜け。
****
「あいつら、帰らないのか」
ロックリンの顔には、深いシワと傷、諦め、そして白髪が掛かっていた。
あの日、村を焼け出されて散り散りになった後、北に逃げ、西に逃げ、南に逃げ、東に逃げ……気付けば、そこそこの規模の集団を率いていた。
盗賊団と言ってしまえばそこまでだが、そんなことやりたくなかった。
しかし、やらなければ死ぬという状況下で、どうしてやらないという選択肢が取れようか?
訳のわからないことを言ってきた連中は、尽く返り討ちにしてきた。
ケンタウロスでさえそうだった。彼と、彼の仲間たちの弓術や投石術にかかれば、彼らが走り始める前に、その出足を挫くことができたのだ。
そして今日、『彼ら』がやってきたのだ。
これは、不味いかもしれない。そんなことを思いつつ、ロックリンは村へと引き返した。
****
結局、安全を確保できたと判断した中隊は行進を再開した。
そして、案の定『準備』を整えていた現住民ら――不法占拠者と対峙することと相成ったのである。
「一歩前へ!」
ザッ、と部隊が一斉に左足を前へ差し出し、地面を踏む。
部隊は装面していて、小銃を襷掛けにし、警棒か大盾を持っていた。
「警棒伸ばせ! 気をつけ!」
ジャッ! と一斉に特殊警棒が展開される。
バッ、バッ、バッ、バッ。
右手に持った警棒で左手を軽く叩き、或いは大盾で地面を叩き、相手を威圧する。否、威圧を試みる。
相手は、全く怯んでいなかった。
「帰れ!」
農具や武器を持った『不法占拠者』らは、中隊より少し多いぐらいの数だった。
3コ小隊からなる隊列とは別に、機関銃とてき弾発射器が射点を占領してその威力を発揮せんと命令を待っている。
「憲兵に対し抵抗する者は! 公務執行妨害の現行犯人として逮捕する!」
虚しい警告が無人地帯に響き、誰かが石を投げたのをキッカケとして、均衡は崩壊した。矢が飛び、ジュラルミンの盾で弾かれ、或いは貫通しかける。
拳銃から、威嚇射撃がされた。だがそれは喧騒に掻き消され、何らの効果を発揮しなかった。
「これ以上諸君らが暴力を振るうならば! 憲兵隊は武器を使用して諸君らを解散させる!」
悲鳴が上がる。矢が運の悪い者の肩に突き刺さる。彼は地面に倒れ、ガスマスク越しに叫びながらのたうち回っていた。予備部隊が彼を隊列から引っ張り出して止血し、担架に乗せるまでの間、憲兵らはよく耐えた。
だが、呼吸を楽にしようと、負傷者のガスマスクを外した瞬間、やかましい悲鳴が隊列の間を満たした。堪忍袋の緒が切れる。
中隊長は、それを見てようやく腹をくくった。
「2分隊、撃ち方用意、撃て!」
パラパッ!
てき弾発射器から、白い雲を曳く金属缶が発射され、群衆の中に飛び込んでいく。
「軽機は弓持ちを撃て!」
混乱の一瞬を捉え、1500発毎分――教範によれば、「中遠距離に対する狙撃的用法」に適するとされた、確率論の暴力――が至近距離から展開され、弓手の両手を吹き飛ばし、その構造と原型をグズグズに突き崩す。
催涙てき弾に次いで、憲兵一人ひとりが持っていた催涙手りゅう弾が投擲された、次の瞬間。
「中隊、検挙前へ! 突っ込め!」
咆哮。
それは戦闘というより、もはや駆除であった。
対峙しようとした者のうち、運の良いものは、こめかみを斜め左上からぶん殴られ、或いは鼻面を鋼材製の特殊警棒で殴り飛ばされた。
殺傷性があると『見なされた』道具を持っている者は、拳銃で射殺された。
最後まで爆発性武器だけは使用されなかったが、結局33名死亡、重軽傷者は憲兵と村民併せて数百名という大惨事になり、後に「血の断行」と呼ばれるようになった。