法治
「こちらは、第三地方憲兵中隊長である。第二巡回裁判所の執行官から、建物明渡請求の執行協力を求められている。君たちは、他人の私有財産を不法に占拠しているのである! 直ちにこれらを明け渡しなさい!」
大盾と着剣小銃を掲げた横隊の後ろから、警備用装甲車に乗った少佐がメガホンでがなり立てる。
何が起こっているのかを説明するためには、以下の説明をする必要がある。
時効という概念がある。これはよくご存知だろう。
これとは別に、即時取得という概念もある。
ここに三人の登場人物を用意しよう。宝の持ち主A、詐欺師B、何も知らないC。
Aは宝を、Bに翌月の支払いを約束された上で売り渡した。Bは、売り渡しの翌週に宝をCに売り飛ばした。しかし、BからAに支払いがされることは無かった。
このとき、AはCに対して宝を明け渡すように言えるだろうか?
少なくともドーベック民法典上は言えない。そのようなことが言えた場合、BとCの間でされた取引の安全と安定を損なうからだ。
でもAが可哀想ではないか、という問題に対しては、それは飽くまでAとBの間の問題であるとして処理する。これを即時取得という。
だが、土地に関しては別である。
778高地近くの村。覚えているだろうか、11iRCTが北上するイェンス領部隊を殲滅した一方、クロメウタニ病害によって飢饉に陥り、部隊に助けを求めてきた難民らの故郷である。
難民らの多くは戦後、ドーベックで家を持ち、職を持ち、義務を負い暮らしていた。
村を捨てた訳では無く、心の中であの日のことを抱きながら、一日一日を懸命に過ごそうとしていたのだ。
ドーベックからあの村は、あまりに遠い。
だが、帰りたがる者も居た。特に農民はそうだったし、農家に戻りたいという者も大勢居た。当然である。
その上、たまたま軍事作戦中に救助されたからという理由で手厚い保護を受けた難民らに対して、ドーベックの大体の外来市民は批判的だった。何故、我々は自分の足で歩いてきたのに、彼らはトラックに載せられて、しかも衣食住まで確保されているのか、と。
耐え忍ぶ難民も居れば、反発する難民も居て、その中にはじゃあ元の村に帰ってやる。元の村もドーベックと同じぐらい豊かにしてやる。という気概を持った者も居た。
その者は、背嚢に缶詰と水、そして殆ど全財産をはたいて買った原動機付自転車に乗って、投資家から借りた写真機を持って『故郷』の写真を撮ろうとした。
そもそも11iRCTが778高地を占領しようとしたのは、あそこが交通の結節点(イェンス爵領庁~帝都~メウタウ河)だったからであり、今やイェンス爵領庁を含む広大な領地を確保したドーベックの鉄道交通や道路交通(そして、河川交通)の将来を鑑みれば、大いなるポテンシャルを――というか、殆ど確実に大いなる発展を遂げるであろうということを、彼は投資家に説明した。
じゃあ、写真を撮ってきてくれ。それを見て判断するから。
彼は778高地に登って写真を撮り、(ドーベック土木の基準からすれば)みすぼらしい橋の写真を撮り、その結節点に村があることを示した。
その写真には、どこの馬の骨か知らない連中が『故郷』に棲み着いているところがバッチリと記録されていたのだ。当然である。だって無人の、しかも無傷の村が交通の便利な場所にあったのである。しかも様々なモノも放置されていた。
悪いことは連なる。投資家は、他の投資も募ろうと、新聞に広告を出す手配を事前に済ませていた。全くの善意で、『難民らの故郷はこんなにも可能性に満ちた場所なのだ』と、『だから彼らは潜在的には資産家で、我が国の未来の要石になりうるのだ』と。そして新聞広告は、当時のドーベックでは最強の広告媒体であり、その掲載予約だけでも大変に高価だった。
要するに、ドーベック中に故郷が蹂躙されているところが配信されてしまったのである。
当然、最初から実力行使が選択された訳では無い。
警察官らが赴き、不動産については善意無過失にその占有を開始したとしても、登記か時効取得が必要で、法的にはまだ『元の持ち主』の物だということを懇切丁寧に説明した。
だが、そんなの理解されるワケがないし、仮に理解されたとしても、そもそも法の概念もない。ドーベック市民が法の概念を理解し、或いは理解していなくても従うのは、強力かつ組織化された教育と、そして何よりも警察力の賜物であって、それらの威力を知らないのが『普通』なのだ。
そこで法的手続きが始まる。
投資家は、地理院から地図を取り寄せ、弁護士を雇い、まず難民らの家がどれであるかというのを明らかにした後、すみやかに登記を備えさせた。
そして、ドーベック平野外の裁判籍を管轄する巡回裁判所に建物明渡請求をした。(予備的に、不法行為に係る損害賠償請求をした)
もしコレが刑事裁判であったならば、酌量減軽と国選弁護人のはたらきによって、権利濫用とか、事実上放棄した占有に対して保護を認めることはできないとか、そういう判断をしただろう。
だが、『新たな住民』は、そのような法的に「正しい」立ち回り方をしなかった。
ただ、訴状を到達させようとした郵便局員に石を投げ、矢を放ち、家を守ろうとした。
ドーベック国官吏を意味する制帽をめがけて、それらは飛んできた。
確かに、自動火器と比べれば弓矢はクソほどの役にも立たないが、郵便局員をして送達を困難にせしめる程度の抵抗であると見做されるには十二分であった。
裁判では、被告は欠席し、原告のみが陳述した。
民事訴訟のテーゼに、『当事者間に争いのない事実はそのまま裁判の基礎にしなければならない』というものがある。そして訴訟法(民事)は、『相手方の主張した事実を争うことを明らかにしない場合は、その事実を自白したものとみなす』という規定がある。欠席した場合は当然、『明らかにしない場合』にあたる(これは同条第三項に規定されている)。
流石に裁判所も損害賠償請求までは認められないと考え、釈明権の行使とかを経た上で建物明渡請求のみを認めたのだが、新しい住民らからすれば、そんなことはどうでも良かった。
明渡しの催告をしに行った執行官も、当然激烈なる抵抗を受けた。そして運の悪いことに、スリングショットから放たれた石がヘルメットに当たり、額を切って大出血をし――その光景がまたもカメラに収められた。
法治主義への挑戦である。法の不知はこれを許さず。大体そのような論が平野内を席巻し、遂には平野外警察権を持つ国家市民軍憲兵隊に対し、執行官から協力の要請があったのである――。
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「リコ! リコ! 起きろ!」
トラックの、荷物を乗せるためにあるのか、腰を破壊するためにあるのか良くわからない木板に尻を押し付け、戦闘糧食缶のごとく詰め込まれた憲兵らに、到着予定まで5分という叫び声が浴びせられ、憲兵らが活気づく。
「んあ?」
その中に、リコ・ユルエ三等兵曹が居る。
断行日は、リコが叙勲されてから丁度半年後だった。
近接戦闘能力に優れ、身長が高く、実直という評価から、彼女は憲兵に推挙されたのだ。
実際には、家族を養う必要があるのだから汚職しにくいだろうというのが相当程度G1の方で考慮されたのだが、それは彼女の知る由もない。ただ、彼女としても、もう冷たく湿った腐葉土の中を這いずるのは嫌だし、転職先を探すだけの蓄えも無い、そういうことを踏まえた上で、街頭で交通整理とか、酔っ払った兵卒をしばき回すとかのイメージがある憲兵になるのは悪くない選択肢に思えた。
「よくこのクソ道路で寝れるな!」
「流石叙勲者は違う!」
彼女は、三等兵曹に昇進している。だが、憲兵としては下っ端もいいとこでもあるのだが、警察官出身者とか、新教出身者とかからすれば、実戦経験者、しかも叙勲者ということで一目置かれていたのも事実だった。
軍隊でそういう人間がすることとは何か。
爆睡である。
「寝れるうちに寝とかなきゃ倒れちゃうじゃん」
他の憲兵らが、車台の後ろという、幌だけで疾風とエンジン音から区切られた区画内で同僚らとコミュニケーションするために怒鳴り合う中、リコは寝起きだからか、自分に言い聞かせるためであったか、ただ、呟いた。