結果
ラジオ越しでも、その熱気は伝わってきた。
『ただの人』が二人、居間の中で昨日あったソレを聞いている。
『国家市民軍、万歳!
自由主義独立国家、万歳!』
『『万歳! 万歳! 万歳!』』
「……私、もし選挙に勝ってたらアレやんなきゃいけなかったの?」
「それは君の裁量だね」
「やりたくないわね」
「まぁ……政治家の演説よか、軍の士気上げに近いよね、アレ」
端から見れば仲睦まじい夫婦にしか見えないが、実際には二人合わせてこの国の政治と武力を掌握『しようと思えばできた』連中である。(これは飽くまで歴史屋の評であるが)
戦後――と言って良いだろう。帝国の内務府軍が撤退し、旧イェンス家勢力圏内の対抗勢力を掃討した後、リアムは内閣に対して戦争状態の終結を勧告した。
出動部隊の一部が捕虜に取られたという問題に対して、自動車化部隊と特殊部隊を投入してこれを救出。
広大な面積の畑を確保・除染して逐次徴収兵を用いた耕作と治水を開始、新たな国境線を確保して警察と教育との施行、それに伴う市警察局の国営化、民主的統制を保つための地方公安委員会の設置、国家市民軍憲兵への平野外における行政警察権付与……
リアムが提言し、採用された占領政策は洗練されていた。
これは、リアムが対外侵攻に反対していたにも関わらず、実際にはそのための計画をしていたことの左証であると密かに理解されたが、実際にはただ、前世、彼が書いたマニュアルに乗っかっただけだというのは、この夫婦の間でしか知られていない。
妻の方の腹は、やや膨らんでいた。
この世に生を受けてから、既に万に達する命を葬っている男は、我が子の生涯が豊富と幸福に溢れ、そして平和に満ちたものになるように心から祈りつつ、頬擦りをした。
彼は短髪だ。よく整えられた芝生のように刈り上げられた後頭部を妊婦が撫で付ける度に、シャラ、シャラ、という心地よい感触と小さな音が鳴る。
「あなた、帝国から魔王って呼ばれてるそうじゃない」
「甘んじて受け入れるしか無いな」
「もうココまで来たら後戻りできないものね」
夫は、妻には見えない場所で唇を噛んだ。
大量破壊兵器をこの世界に持ち込み、使用したこと。それに伴って自分が背負った罪業。
自分一人で負えるモノでは無いが、是非とも自分一人が被りたかった。
「これは知り合いに聞いたのだけど」
「何?」
「サシャちゃん、イェンスに居たそうじゃない」
ラジオは丁度、戦勝記念パレードのためにガッシャン、ガッシャン、シャンシャンシャン。ベッケンと太鼓が打ち鳴らされ始めたところであった。
現実から逃避するためだろうか、リアムの脳裏にはクルクルとバチを回しながらよく統制されたステップを披露する鼓笛隊の映像が流れた。
本来ならその力強く軽快なリズムと、妻の愛情と暖かさに安らぐところだろうが、リアムは絶句して、息を吸うことすら意識的に行わなければない。
暫くしてバトンが振られて街頭行進曲が中断され、軽快な『鼓笛隊行進曲』が鳴る。
ドラムメジャーに導かれたそれのリズムは正確に120歩毎分であって、平常時心拍の丁度二倍――今のリアムの心拍そのもの――であった。鼓動と鼓笛が頭蓋に響き渡って、先程まで心地よく感じていた体温が急に暑苦しく、灼熱地獄に居るかのような錯覚に陥らせる。
軍楽隊が『導入行進曲』と共にステップを奏でたのに引き続いて『国家市民軍第一観閲行進曲』へのメドレーを見事に成功させた頃漸く、リアムは口を開いた。
「どこで聞いたの?」
逡巡。
日本語でその二字に表現される、この世界ではもう少し複雑な綴をする感情の波に揺られつつも、下手な芝居を打った。
自分がやらかした事、それを隠していること、一番知られたくない人に知られてしまったら、しかも今、この時期に。
まだ見ぬ我が子に顔向けできないことをしたという事実と、先程した真摯な願いが決して嘘では無いという経験との間に、一瞬にして押しつぶされた。
「ちょっとね、商会の方で小耳に挟んだの。宿屋の女将さんって」
「へぇ」
妻がギュム、と夫の耳を摘んだ。
「なんで黙ってたの?」
「何を?」
「耳、真っ赤になってる。昔からいつもそう。嘘を付くのが下手くそ。特に自分の中で整理できてないときは」
「……秘密保護法に触れる。爵領庁攻撃の詳細は」
「そっか」
暫しの沈黙があった。
「死んだの?」
「え?」
「いや、殺したの?」
「殺してない!」
叫んだ。
妻に、実妹までをも殺した人間だとは思われたくないし、何より、実際に殺してはいないからだ。
「……どこに居るの?」
「秘密だ。秘密」
「もう元帥じゃ無いじゃない」
今の身分は退役軍人だ。
年金と福利厚生の他、何の権限も有しない。国家議会議員でも無い。
ロイスは妊娠が分かってから暫くして、議員を辞職して『灯台派』の比例落選候補にその席を譲った。
だから、我々夫婦は共に『ただの人』なのだ。
「職務上知り得た秘密は、その職を辞した後も漏らしたらいけないんだよ」
「――私にも?」
「そうだ。」
「そこまで、軍病院のこと私に知られたくないのね」
夫婦は同時にため息を付いた。
一方は、秘密保護官は何をしているんだという呻きに近いもので、もう一方は、自分が未だに無力な存在だと思われていることと、相手方がそう認識していることに対する呆れに近いものだったが、兎に角、二酸化炭素を大気より多めに含んだ、湿った息が部屋の中へと同時に放たれた。
「君も政治家か」
「私も政治屋よ。将来どうにかなるアテはあるの?」
「無い」
ここに至って漸く、夫は観念したように再び妻の太腿に頭を預けた。
なんだ、こんなモンか。という安堵があった。
「私の耳に入ってるということは、いつまでも隠し通せないわよ」
「分かってる。だが君が気にすることじゃ無い」
「私が唆して、この世界にもたらしたモノよ。気にするわよ」
「でも、私の決断だ」
「経緯は聞き出さないけど、わざとでは無いのは分かるわ。わざとなら、あなたは『こう』はならないから」
ああ、とか、うん、とかも言わず、頷きもしなかった。
「でも、知ってたとしても、あなたならやったでしょ」
頷く。
「私は――公開した方が良いと思う。法律を変えて、軍を説得して」
やっちゃったモンはしょうがない。そういうことが言端から覗いている。
「アンソンが同意しないだろう。彼女は内務卿と皇帝ごと帝都を潰す気だ。それにさっきの演説聞いただろ。軍は今や最大政治勢力だ。我々は『完敗』したんだよ」
「でも、いつか漏洩するなら、制御下で公開した方が良いってのは『コレ』でご納得頂けたでしょ?」
「……こいつめ」
彼女の胸越しに妻の様子を伺うと、涙が乾いた跡があった。
私と同じような葛藤に苛まれたのだろう。私がキセノンと教範の中でしたのとは違って、闇の中、俯瞰無しに。
「実はね、こんな話を聞いたの」
「軍病院関係で?」
彼女は頷いた。
「『帝国』なら恐らくなんとか出来るだろうって」
「サシャはエルフじゃ無い」
「……帝国には『コンダクタ』って名前の神が今もいるそうなの。巨人も、それが作ったって。ソレなら……」
「――――ちょっと待って」
まさか、しかし。
「もしかしたら、もっと昔に私と同じ世界から『来た』人間が居たのかもしれない」
「どうしてそう思うの?」
「おかしいんだ。獣人も、ケンタウロスも、そしてこの平野も。本来存在し得ない、誰かが『デザイン』したとしか考えられない――遺伝子を弄って、無理やり別種の生き物をくっつけるような、おぞましい所業をした者が居て、我々はその残渣の断面を見ているのかもしれない。何より、コンダクタは、前の世界でじゃ『指揮者』という意味の単語なんだ」
奇しくも、ラジオのスピーカーはパレードが終了し、ドラムメジャーが敬礼をしながら見事な隊列変換と『ドーベック軍楽団行進曲』を指揮する場面を振動を以て空気中に表現していた。
リアムの脳内にはその映像では無く、ケンタウロスを解剖した時の鮮烈な違和感が再生されていた。
人の見た目をしているが、『人』の部分は殆ど呼吸器官。
巨人が魔法の産物というより、寧ろ高度な生物学的知見に立脚したナニカだということは理解していたが、もしかしたら、
ケンタウロスも、元々は生物兵器だったのでは?
それどころか、獣人や、もしかしたら我々も。
エルフにとって都合の良い、益虫となるべく『デザイン』されたのでは?
証拠は無い。だが、脳内で急速に様々が結合して結論を提示してくる。
半ば陰謀論的なソレは、この世界の人々があまりにも『賢い』という事実を以て補強された。
私は、特別では無く、ごく普遍的な事象なのかもしれない――そして、大昔に、とんでもないことをしでかした『先輩』が、同輩中の首席が、居るのかもしれない――――
或いは、自らの子孫に栄えあれと、真摯に願った結果の産物なのかもしれない。
それは分からないが、もしこの妄想が事実ならば『やっていい』ことでは無い。
だが、だが、だが。
もし、私ですら得体の知れない先進的な生物学の残渣がこの世界にあって、その成果がまだ残っているというならば。
やらかしを無かったことにはできなくても、治癒することはできるかもしれない。
この時から、リアムは完全に冷静を喪っていた。