霧
「いいか、敵を引き付けろ! それから撃て!」
神儀官の命令下、我々はある程度の秩序を以て、森林内での戦闘を行っていた。
明らかに、彼らの方が、この道具の扱いに慣れており、そして、それを前提として洗練された戦術を展開していた。
冷たい空気を吸う。身体が熱いのに、空気は冷たいから、痛みとしてそれは知覚された。
神儀官は杖を向け、適当な場所を攻撃魔法で爆破していたが、正直なところ、焼け石に水、といった感じだった。
こうするしか無かった。
故郷の村が飢え、散り散りにならざるを得なくなった中、拾って、飯をくれて、そして将来はエルフにもなれるかもしれない。
なれなくても良い、取り敢えず、パンを食えるだけでも有り難かった。
しかし、敵はどうだ?
毒が入っているかもしれないと、敵自身に食わせているアレは、我々の食べ物よりも遥かに瑞々しく見え、美味しそうだった。
敵を取り込むために、生け捕りにして帝都に帰還する。
その任務を終えようとして、後退の準備をしていたとき、彼らの小集団と接触し、それを包囲していたら、また別の集団が攻撃してきた。
翼竜も居ないのに、どうやって連携を取っているのか、見当もつかないと、神儀官は言っていた。
最初、敵の武器を鹵獲し、図式でその使い方を理解したとき、なんて便利なんだと思った。これがアレば、もしかしたら狩りで飢えを凌げたかもしれない。
そして、殆どの者が一瞬にして『戦士』になることができると理解して、慄然とした。故郷では、戦士とは、狩人とは、健康な男がやるもので、農民よりも明らかに上だった。
彼らは、農民と町人の軍隊である。だから、弱い。恐れることは無い。
そういう風に昨晩、神儀官は言っていたが、全くの逆じゃないか、そういう風に、とんでもない勢いで低木をなぎ倒していく烈火の下で小さく悪態をついたのを覚えている。
「待て!」
気付けば、敵の攻撃が止み、一瞬の静寂が訪れた。
「瘴気攻撃だ、こっちに寄れ! 鳥籠を!」
神儀官の側に慌てて寄る。
次の瞬間、敵は再び撃ち始めて、何人かがすっ転んで、微動だにしなくなった。血は流れていなかった。
神儀官が何やら喚き立てる。もう一度敵の方を見ると、敵が駆け寄ってくるのが見えた。構えて、引き金を引くと、がッ! と金属と金属が噛み合う音が鳴った。
見ると、黄金色のものが、本来あるべきように排出されず、噛み合い、引っかかっていた。突起を引こうとしたが、硬すぎて手では引けない。
急に怖くなった。
刹那、パラパッ! という音の後に、耳鳴りがあった。
何が起こったのかわからず、四つん這いになって這い回り、適当な木に抱きついて、息を吸おうとする。ひっ、ひっ、という自分の喉から出る音で、自分がまだ生きていることを知覚した。右手には、幸いにしてまだ「ジュウ」がある。
耳鳴りが止んで、恐る恐る、敵の方を見ると、そこにはある兵士が居た。鉄兜から漏れ見える耳を見て、同族なんだろうというのがわかった。そして、身長の割に小さい肩から、女なんだろうなとも直感した。
だが、その眼光は今まで見てきたどんなものよりも鋭く、短槍を持っていて、それをこちらに向けていた。
俺も銃を向けて引き金を引くが、弾は出ない。短剣だ。越しに手を伸ばす。
彼女が持っている短槍――今、それが自分が持っている銃と同じもので、先に短剣を装着したものだと気付いだ――から煙が吐き出され、自分の周りの土木が吹き飛ばされて顔に当たる。口に入る。剥ぎたてのそれが香る。
熱い。
立ち続ける力を喪ってへたり込む前に、彼女は私を押し倒した。
ローブと、彼女が身に着けている装具越しに、久々に、ほんの少しの、人の、女の柔らかさを感じた。
やめて。
そう告ごうとして動かした顎を打ち抜かれる。
手を伸ばした。慈悲か、女体を乞うために。
彼女は銃の先に着いた短剣を、深々と私の胸腔に突き刺す。
視界が暗くなり、もう痛みは無い。ただ、何回かの衝撃を感じた。
脳裏に、まだ平和だった頃の故郷が過った。
****
「誰か!」
332Co左翼を担任する3小隊の立哨が、自分たちとは違う鉄帽を被り、自分が握っているのと概ねは同じだが、遙かに高度な照準器や、夜間視認具が据えられた小銃を持ち、こちらへ接近する二人組の散兵――彼我不明――を見つけて誰何する。
「止まれ!」
左手で被筒を掴み、床尾板を肩へ引き付けつつ、右掌を向けて停止を命令。
銃口こそ斜め左下に向いているが、薬室には実包が装填されており、安全装置を外して引き金を引けば、いつでも発砲できる。立哨の銃はそういう状態にあった。
02型小銃は、撃鉄が後退していなければ、安全装置を掛けることができない。逆説的に、弾倉が挿入されていて、安全装置が掛かっている02型小銃というのは、ほとんど確実に薬室に弾が装填されているということを、無言にして雄弁に語るよう設計されているのだ。
「ドーベック!」
合言葉を確認する。
「メウタウ」
正しい。
自分の鉄帽を叩き、手を二回左右に振る。
握把を叩いた後、鉄帽を叩けば『我』だ。
****
「おい、現在地どこだ?」
特殊部隊は、迂回運動の過程で遭遇した敵の小集団を殲滅した後、無線機が通じないことに気付いた。
332Coとの連絡が途絶したということは、最悪、彼らは全滅している可能性もあるということだ。左翼で交戦中の2小隊との通信・連絡も回復しない。
敵中孤立。
最悪の想定が頭を過る。
特殊部隊長は、イェンス化学攻撃を敢行した際には感じなかった不安と恐怖を隠すのに苦労した。
2小隊には一応、332Co長の掌握下に入れという命令は出して、『了解』という応答を受けていたが、もしかしたら332Coごと壊滅しているかもしれない。
ミイラ取りがミイラになるという諺は、当時のドーベックには存在しなかったが、二次災害とか、そういった具体的かつ専門的な用語は当然存在していた。
任務失敗。
そんな概念が頭を過る。
死んだか、死んだであろう部下達の顔がその後に続く。
そして、元帥は都市攻撃を成功させたのに、当初は簡単に見えた単純な散兵戦ですら、失敗と部隊殲滅の危機に瀕していることを理解して、その責任が自分にあるということもまた、理解する。
だが、指揮官の動揺は部下を動揺させる。
逆に、部下が動揺したとしても、指揮官が堂々と統率を保てば、部隊は『脳震盪』を起こさずに済む。
歴戦と栄光の国家市民軍地上軍特殊部隊。
第一次ドーベック平野防衛戦、第二次ドーベック平野防衛戦、イェンス爵領庁化学攻撃、走って、殺して回った我々。
こんなしょうもない戦いで死ぬのか。という悔しさがあった。
分かっていた。特殊部隊というのは、任務が特殊で、それに相応しいだけの能力も特殊であるから、特殊部隊だと言うのだと。
ぶつかり合いでは、ただの歩兵に過ぎないのだと。
それに今回は、砲迫の支援も無い。純粋な殴り合いだ。
国家市民軍が内務卿、ないし帝国軍に対して優越しているのは、通信、火力とその運用だ。
つまり、我々は、彼我混交し凄惨苛烈極まる近接戦闘に於いて『小手先』の優勢は取れても、師旅団が敵部隊に対して発揮するような、技術的優勢に任せた圧倒的かつ本質的な蹂躙をするのはできないのだ。
だが、やるしか無い。
小手先の技術を、軍は欲しているのだから。
地図を睨みながら、ドーランの油っぽく、苦い味が染みる唇を噛みながら、そんなことまで考えを巡らせる。
まだ第一段階だ。包囲下にある3捜小と接触してこれを収容し、そして人質に取られた国家市民軍将兵を奪還するところまで、任務は続く。
まだ、我々は作戦行動可能だ。
先任が、無線機から耳を離してこちらに怒鳴りかけてきた。
「隊長! 1小隊前衛が3捜小を確認!」
「誤射に注意、部隊前へ!」
飽くまで、やってやろうじゃ無いか。
被筒を握りしめ、特殊部隊隊長は立ち上がった。