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歩兵

 1分隊が射撃位置に就いて『火力』を大体敵方へぶっ放し始めた間を縫うようにして、リコは歩兵の一人として、着剣小銃の被筒部後端を握りしめつつ走る。

 さっきまで大体100mの距離で撃ち合っていたから、疾走すれば30秒足らずの間に近迫する。遠くで1分隊長が『撃ち方増せ』と命じたのを、本能が生存を求めて活発に活動させる脳活動が、なんとか底に残している理性で感じ取る。そんな号令は習ってないが、左後方から聞こえる射撃音が増したことを頼もしいとも思った。


「2ぶんたーい(分隊)! その場に伏せっ!」

だいよーん(第四匍匐)! 分隊長の線まで前へー!」


 幸いにして、自分らの班は分隊長が掌握していたから、冷たい腐葉土の上を長い距離這いずり回らなくても済んだ。


 身体が熱い。偽装網に差した草がチクチクする。

 泥で塗れた革手袋越しに、地面の冷たさを感じる。

 本当に弾は薬室に装填されているのか、閉鎖不良は起こしていないか、規制子は付いているか、リコは小銃のあちこちを触って点検する。これは気を散らしているのでは無く、小銃に命を預けている歩兵としての本能的行動であった。


「目標、正面の敵散兵! 準備でき次第撃て!」


 幸いにして、『点検』をする機会が訪れ、相棒が快調に弾を吐き出し始める。

 チロチロと視界内に敵が現出しては消え、現出しては消え、たまに爆発があり、中々適切な射撃機会は無かったが、適当に低木や物陰を撃つ。

 気付けば、1分隊も同様に前進してきたらしく、頭を左に振れば、チロチロと蠢く草の塊(味方歩兵)を認めることができた。


「撃ち方やめ! MGは分隊長の位置、左から――


 我らが2分隊は、1分隊が射撃位置に就いたことを以て一旦射撃戦を中断し、掩蔽を取りつつ突入隊形を整える。

 機関銃(MG)手が弾帯を新しいものに変えて機関銃の細部を点検し、負い紐の長さを調整している。OD色の負い紐には、黒インクで目印がつけられていた。


 突入が近いのか。分隊長の方を見ると、肩で息をしつつも、突撃間という困難な状況下でも部隊の統制を保つため、活発に周囲を観察して適宜指示を出している。


「2分隊長! てき弾の爆発に合わせて突入!」


 小隊長が送ってきた伝令が、2分隊長の耳元で怒鳴り散らす。

 2分隊長は大きく頷いた後、伝令の背中を叩いて送り返した。伝令のドーランは半分ぐらい汗で落ちていた。


「1ぶんたーい……!」


 息を飲む。

 直後、よく統制された銃声――MGの援護下、小銃てき弾を発射したために、ややぐぐもった空包射撃音――が林内に一瞬響いた。分隊長が機関銃組の直後で立ち上がる。


「2分隊! その場に立て! 目標、赤色発煙弾近くの死体がある大木!」


 撃たれないか、という心配は、命令者が立ち上がって敵方を睨みつけているという事実によって多少治癒された。発煙弾を見ていると、やり手の男が処女を抱く時のように、できるだけ(・・・・・)の気遣いがされているという変な安心感があった。


 でも、痛いものは痛い。弾が当たったら当然身体に穴が空いて激痛が走るだろうし、そこから血が流れる。魔法で吹き飛ばされたら全身ズタボロになって、そこ全部が激痛の信号を送るだろう。或いは、神経が切れて呼吸ができないまま、苦しさだけを感知しつつ死ぬかもしれない。


「安全装置外せ!」


 親指で切り替え軸部を回し『連発』設定にする。

 機関銃手が腰だめに機関銃を持ち、用心金に沿って人差し指を伸ばしているのがよく見える。


 突入点の近くで、パラパッ! という音と、ホコリまみれの布団を叩いたときのような穢らわしい、鈍った色の煙が上がった。


「2ぶんたーい! 突撃にぃ!」


 息を目一杯吸い込む。喉が痛いほど冷たい。


「進めっ!」


 地面を蹴る。柔らかい腐葉土が踏みしめられて固くなり、半長靴越しに十分な反発力を与えてくれる。身体が浮く。空気が動く。

 機関銃手は、全力疾走しつつ、いつもよりは緩い発射速度(600発毎分)で、弾着(土ぼこり)と曳光弾を頼りに、鈍い緑色のローブを着た、ヘルメットは付けていない、小銃と宝石付きの杖で武装した彼ら()の頭を下げさせている。

 視線はこちらを向いていない。


 いける。


「突っ込めーっ!」


 突入時は横と線を合わせろとか、そういったことを一応覚えてはいたが、喉から出る咆哮(喚声)がそれをかき消した。大体2歩分ぐらい、組長より前に出てしまう。


 敵が、いつもの的(200m人的)よりも遥かに大きく見える。


 引き金を引く。


 銃声はおかしい程に小さく聞こえる。いつも口うるさく意識しろと言われる反動は、思ったよりも小さいことに気付く。手の中でプルプルと震えるソレ(小銃)は、実際には機関銃と全く同じだけの威力を以て、木を抉り、苔を吹き飛ばし、土を巻き上げた。太鼓を打つように、小気味よいリズムで引き金を引いたり離したりする。


 視界の中には、一人しか居なかった。ローブから覗く白い顔が、異常に大きく見えた。

 敵は鈍い緑色のローブを深く被り、震える手で小銃を握りしめていて、引き金を何度も引いていたが、その小銃は弾を吐き出さなかったし、仮に吐き出していたとしても、構えの甘さから当たることは無い。彼は腰に下げた短剣を抜こうとした。その前に、複数の7mm普通弾が命中して、ローブが布団たたきで叩かれたように波打つ。


「やぁあっぁああっ!」


 リコは、右手を握把から銃床に持ち替え、被筒を握りしめ、銃主部(アッパーレシーバー)を鼻面にぶつけて『相手』を押し倒した。何故刺突しなかったかは分からない。考えていなかった。それより、あんなに複数の小銃弾を撃ち込んだのにまだ立っていることの方に注意が向いていた。

 敵がまだ生きているのが、荒く震える呼吸でわかる。何か呻こうとして、手を伸ばしてきた。急に胸が冷たいもので締め付けられたが、握把で相手の顎を打ち上げた後、小銃を翻して銃剣を突き刺すと、藁とは違う柔らかい感覚の中に、硬く触れるものがあった。それを折る。


 身体を起こし、銃剣を相手から引き抜き、相手の頭を半長靴で蹴り上げる。

 そこには、見慣れた灰色の髪の毛と、獣耳があった。


 リコは、狼女である。だから、それと同じものを持っていた。



****



 332中隊は、突撃に成功した。

 所在の敵を蹂躙し、我の損害は極めて軽微。突撃が『刺さった』という歩兵科将校の慣用表現には、その裏に、良い性能の刃物は、深々と刺さった後でも連用に耐えるという常識が隠れている。


 地上()軍を一人の人間として見たとき、小銃と手榴弾(てき弾)とは砲兵である。背嚢とは輜重である。防毒面とは化学である。脳とは指揮官と幕僚である。延髄とは通信である。


 では歩兵とは何か?


 歩兵とは銃剣であり、足であり、隠れている敵を見つけ出す五感(目耳鼻)であり、そして勝利を高らかに宣言する口であり、なにより、骨格であって、骨格が帯びる筋肉そのもの――体躯そのものでもあるのだ。


 歩兵とは地上()軍であり、地上()軍とは歩兵である。

 地上()軍と歩兵の使命は同一である。地域の占領だ。


 歩兵とは、銃剣なのだ。


 刃物(近接戦闘職種)である以上、次使うためには、脂と血を拭き、或いは研いで、手入れをしてやらなければならない。当然、ここは戦場なので研ぐ(後退して休養・再編成)ことはできないが、汚れを拭き取るぐらいのことはしなければならない。


 陣地奪取後に一番怖いのは、敵の反撃である。こっちは全力疾走と死闘とを繰り広げて疲労困憊なのに、今度は元気な敵が向こうから突っ込んでくる。


 だから332中隊は、迅速に周辺を占領し、所要の防御態勢を整えた後、負傷者や捕虜の後始末、人員武器装備弾薬の掌握、情報資料の収集、特殊部隊との連絡回復といった、様々を試みた。無線機は山間だからか、なにか言ってる程度にしか通じなかった。出力が足りないのだ。


 そして、332中隊は、突撃後に、自分たちが単独で突撃を敢行したことに気付いたのだ。だがどうしようも無い。やっちゃったモンはしょうがないのだ。取り敢えず、兵を休ませなければならない。背嚢を回収し、興奮を落ち着かせ、水を飲み、冷静沈着に行動できなければ、銃を持った暴徒と大差無くなってしまう。


 その過程で、332中隊長(少佐)は、もう一つ重大なことに気付いた。


「敵に獣人が居る?」

「はい、間違いありません」


 2小隊長からの申告だった。2分隊の兵士が『味方を殺した』と酷く狼狽していたので、分隊長に詳細を聞いた所発覚したとのことだった。そういえば、女性狼人兵士が居たことを思い出す。

 中隊は、家族だ。大体全員の顔と名前と声とを、中隊長は覚えている。

 少しの哀れみを感じるが、今は寄り添ってやれるだけの余裕は無い。


「とすると……内務卿隷下の傭兵か? こいつら」


 詳細を検討するだけの余裕は無いが、戦闘詳報に乗せるべき情報ではある。

 だが、運幹(運用訓練基幹将校)2科曹(情報軍曹)に状況を掌握させる方が先だ。防水メモに走り書く。


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