体躯
「おい、円匙をその向きに置くな!」
士官候補生見習制度。
市民高等過程相当の教育訓練を修了した士官候補生の内、定期訓練期間中、志願者を兵として一線部隊に配備するという取り組み。
これをやると定期訓練と教育期間中の訓練を免除される――つまり、何よりも尊い時間と休暇を増やすことができる――ということで、抽選になる程に希望者が殺到したが、平野外進出と、それに伴う有事態勢への転換によって、国防大の殆ど全員が一線部隊に配備されることになった。
その実、志願兵しか領域外侵攻させたく無いからという理由で行われたのでは無いかという噂が流れたが、部隊としては新兵を山程抱える羽目になる。しかも戦時に、勿論士官候補生だから、死なれたら困る。
結果、『将来士官となる者に、兵としての技能と経験を踏まえさせる』という机上の空論は、こうして穴掘や荷役を行う『働きアリ』として後方支援大隊に配当されるという事態を招いた。
「失礼しましたっ!」
そんな働きアリ一匹が、叱責を受け慌てて円匙の天地を逆にする。
「学生っ!」
工兵徽章が付いた二曹が、声を張り上げる度に顔を真っ赤にする。
ここでは『学生』が一番下だ。徴集兵たる二等兵は33MCTには居ないが、『学生』には階級が付いていないから、事実上三等兵扱いであった。
勿論これは制度の悪弊とか、設計ミスとかでは無く、意図的にそうなるように工夫された結果であった。
「この向きでエンピを置いてはならない理由は何かっ!」
円匙、エンピ、シャベル――今目の前にあるのは折りたたみ式の携帯円匙では無いので、一般にはシャベルと言われがちである――には、土側と使用者側の前後がある。
この道具は『工事』のために用いられ、何をするかというと土を掘るのである。
本来ならすぐ爪が剥がれ、肉が剥けて骨が露出する穴掘りという、大地への挑戦を、単なる重労働に貶めるこの便利な道具は、大体が巨大かつ鋭利な匙のような形をしているという表現が一番しっくり来る。
「忘れたのかっ!」
国家市民軍では呼吸法から土の掘り方、パレードのやり方から火力要求の方法まで、あらゆることが教範に載っている。
走る時には、二拍で吸って、二拍で吐くと過呼吸を起こしにくい。
土を掘る時には、腕では無く体重と梃子で掘ると比較的楽。
パレードをやる時、威張りたければ、水平の腕振りをする。
火力を要求する時は、友軍相撃に注意しつつ――――とか、そんな具合である。
で、今しがた私がやらかしたのも、当然教範に載っている。
「踏みつけてしまった際、背部を支点として持ち手が跳ね上がる為です!」
想像は容易い。
体重に勢いが載っただけの勢いで振り上げられる取っ手で、運が悪ければ『人体枢要部』をぶっ叩かれてのたうち回る羽目になる。
「分かっているのに何故この向きで残置したっ!」
だが、円匙とは当然、土を掬うような向きで使うものなのだ。当然、そのまま置いたら『そうしてはいけない』向きになる。
疲労は不注意を招き、不注意は戦場では死を招く。
頭では分かっているが、身体の性能が足りていないのだ。
その認識を工夫とか、逃避とかで避けるだけの余裕は、ココには無かった。
「失礼しましたっ! 自分の不注意です!」
「テメェ『失礼』で何でも片付けられるんじゃねぇんだぞ!」
ああクソ、自動車化部隊なら穴掘りなんて無いと思ったのに。
ロテールは、自分の不注意と無能とを呪いつつ、それを少しでも逸らすことができるように、『内心の自由』を発揮した。
そしてそれは、腕立て伏せをしている間もずっと継続した。
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「MG、撃ち方待て」
国家市民軍地上軍332中隊2小隊長は、中隊から配当を受けた重機関銃の射撃を抑止し、その間に声を張り上げて指示を発した。
「2小隊! 以後の前進は分隊ごと! 分隊長は再度人員を掌握せよ!」
「了解!」
瞬間、パっ、ヒューン。という銃弾の通過音がして、鉄帽の庇を地面に擦り付ける。柔らかい腐葉土が柔らかくそれを受け止め、そして湿り気が迷彩柄の鉄帽覆いを黒く汚す。
枯れ草をガサ、と揺らしたのが不味かったのか、或いは、つい先ほどまで重機関銃がバカスカ撃ちまくっていたからか、圧倒的かつ冷徹にして機械的な暴力はヒューン、ヒューンという、どこか間の抜けた――或いは的外れな――ものから、ヒュン! ピン! という、いよいよ切迫してその使用者の意志をこちらに発露していた。
ああクソ、何でアイツらが銃を使いこなしてやがるんだ!
小隊長は悪態をつく。
今まで魔法使いや騎人相手には殆ど無意味であるかのように思えた部隊の分散や、離隔距離、損耗下で指揮統制を維持するための工夫やらが脳内にパッ、パッ、パッ、と浮かんでは消える。
それは生命の根源的欲求である遺伝子の継承と繁栄とを担保するために仕組まれた知恵と、生命への渇望との共同作業によって行われたが、自分が小隊指揮官であって、部下の生命と任務達成に責任を持つ者であるという使命感が、遺伝子を超越して周辺を観察させ、そして声を張り上げさせる。
「MG移動用意!」
尤も、射点が暴露したなら速やかに移動しなければ、敵の大火力を指向される可能性があるとか、そんな風に教わった記憶が彼を突き動かしていたから、完全に遺伝子の欲求を克服できた訳では無いのだが。
「2中隊が接敵、現在交戦中」
「了解、3捜小の状況は?」
「詳細ありません」
任務部隊はまず、最後の推定位置に向かって進軍していた。
行進順序は、332中隊の後ろに、ミミズクである。
何故特殊部隊を先行させないかというと、本格的な待ち伏せを完全に感知することは不可能な上、温存する必要があるからだ。それともう一つ、
「了解、2小隊左へ、3小隊右へ、1、4小隊は現在位置」
発せられた命令の下、部下達が山道――正確に言えば、道というよりも『隊員が駆け上れると判断した地面』――を駆け上がって行く。まるでそこに何も無いかのように、より具体的に表現すれば、そこが整地されたグラウンドであるかのように、小銃を片手に、ヒョイ、ヒョイ、ヒョイといった風にして、特殊部隊員は機動を開始した。
高練度なミミズクを、精鋭とはいえ一般歩兵の後ろに配備したのは、何より置いてけぼりにしない為であったのだ。
構想はこうだ。
332中隊が接敵、正面攻撃をして敵を拘束している間、特殊部隊はこれを迂回、或いは敵の一部部隊を突破して、3捜小と接触。状況を掌握して爾後、332中隊は特殊部隊の援護下、3捜小を収容。第一段階を終了する。
決して、332中隊を捨て駒として使っているのでは無い。
歩兵の仕事には、正面攻撃も含まれるのだ。
正面攻撃は、敵の全正面に渡る持続的圧迫によって敵を捕捉・撃破するために行われる攻撃要領の一であり、特別の場合に用いられる。(地上軍作戦教範第六章『攻撃』より)
実はこの作戦教範は作戦基本部隊の作戦について述べているから、適当な教範は『歩兵中隊』中の『小銃小隊 攻撃』が適当なのだが、これは飽くまで作戦教範のそういった要求を前提とし、そして、歩兵部隊が直面する戦闘というのは究極的には突撃になるという本質を踏まえたものであるから、一応これを紹介する。
作戦教範中には、正面攻撃が当然、味方の被害が徒に大きくなるばかりか、攻撃衝力を喪い、当初の目的を達成できず、かつ、敵に与える損害は軽微になる可能性があるとも明記されている。
だが、やらなければならない時は往々にしてある。
それが、今なのだ。
武力闘争という究極の闘争が要求する合理は、時に冷酷に見える。
だが、必ず理由があって、その理由は致し方無い。そういうことがあるというだけなのだ。