「この人たち、適当に生きてるなー……」
そんなわけで、チーズダッカルビの店にやってきたのであった。
コンロに乗った鉄板の上でピリ辛の具材がじゅうじゅうと煮える。あとチーズ。大量のチーズ。滝のように流れる膨大なチーズが、鉄板の上で凄まじい存在感を放つ。これに鶏肉やナスなどの具材を絡めて食すのだ。この動物的本能を強力に揺さぶるチーズと肉が、果たして美味でないことがあろうか。いやない。
「飲み物もあるな。じゃ、乾杯すっか」
俺はレモンサワー、灰原はハイボール、魔法少女は烏龍茶だ。灰色の男たちは一杯目にビールを頼まない。別にビールが嫌いってわけじゃないんだけど、誰かが一杯目にビールを頼むとビール嫌いなやつも飲まなきゃいけない感じになるじゃん。あれが嫌。
カツンとグラスをぶつけて乾杯し、ぐっと一口。口の中で弾ける爽やかな雫が、乾いた体に潤いをもたらした。
「あの……。今更なんですけど……」
「? どうした?」
「二人とも、周囲の目線とか気にならないんですか?」
俺たちはまだプニキュアだった。
俺はピンクの仮装プニキュアだし、灰原はリラックモだ。そして、かくいう魔法少女は華やかな純白のバトルドレス。色物枠の俺たちと違い、彼女は容姿もあいまって正統派魔法少女だ。ここに来るまでも通行人にじろじろと見られて、時折恥ずかしそうにしていた。
できるだけ視線を遮るように、俺と灰原でさり気なくブロックしていたが、気になってしまったらしい。
「まあ、楽しんだもん勝ちだし」
「細かいこと気にしないんだよ、俺ら」
「この人たち、適当に生きてるなー……」
よくお分かりで。
魔法少女は烏龍茶のグラスを置いて、周りをちらりと確認した。心配せずともここは個室居酒屋だ。余計な視線は無い。
「ちょっと失礼しますね」
彼女は指をすいっと動かして、空中になにかの文字を刻んだ。瞬間、彼女の体が眩い光に包まれる。
光が消えたかと思えば、彼女の装いは一変していた。ふんわりした白のブラウスに、落ち着いた色のキュロットスカート。足元は紺の意匠が施されたパンプスだ。純白のバトルドレスはもはや跡形もなかった。
ちょっと肌寒かったのか、彼女はもう一度指を振って桜色のカーディガンを召喚する。それを羽織れば完成だ。ガーリーな服装は、率直に言って良く似合っていた。
「便利だな」
「そうでもないんですよ、これ魔法なので。今はもう慣れましたけど、ちょっと気を抜くと解けちゃったりします」
「わかるわ。俺も油断すると服脱いだりするし」
「あなたのそれと一緒にしないください。……へんたい」
彼女はジト目で俺を見ていた。にっこりと笑いかけてみる。彼女の視線の湿度が増した。
「それよりそろそろ自己紹介しようぜ。ねえ、なんて呼べばいい?」
灰原が魔法少女に話を振る。そう、それ。気になってた。ホワイトって呼ばれてたけど、それが名前でいいのか。
「そうでした。申し遅れましたが、シロハ・ホワイトと申します。魔法少女名はホワイトブランド。変身中はホワイトと呼んでください。平常時でしたら、お好きなように」
「あれ、外国の方?」
「日本人ですよ。シロハというのは偽名です。本名は……。まあ、ちょっと、内緒にさせてください」
魔法少女は――シロハは、少しだけ切なそうな顔をした。なんだか複雑な事情がありそうだった。
興味はあったが、質問はレモンサワーで飲み込んだ。話したくないことは、聞かない。灰色の男は紳士なのだ。
「それと、今は寝ていますが、この子が相棒のスピです。スピネルのような目をしているので、スピ。可愛いですよね」
そう言って彼女はにっこり笑う。はいはい、お前のほうが可愛いよ。
シロハの頭に乗っているスピも、今は物言わぬぬいぐるみに徹している。こうして見るとどこまでもぬいぐるみだ。先程まで動いて喋っていたのが嘘だったんじゃないかとすら思えた。
さて、じゃあ俺たちの自己紹介だ。
「俺の名はゆうたお兄ちゃん。で、こっちのリラックモはまさとお兄ちゃんだ」
「あの、ナツメさんと灰原さんですよね? さっきそう呼んでましたし」
「ナツメ? 誰だそいつ。知ってるか、まさとお兄ちゃん」
「さあ。灰原ってやつも知らねーな、ゆうたお兄ちゃん」
「正気ですか?」
シロハは信じられないものを見る目で俺たちを見ていた。かくして、年端もいかない少女にお兄ちゃんと呼ばれる俺たちの野望は潰えたのであった。
「魔法少女名はキュアゆうたとキュアまさと。普段は世界の平和を守ったり、大学の講義をサボったりしている」
「不真面目なんですね」
「大学生なんてそんなもんだぜ、シロハちゃん」
灰原の言う通りである。大学生の本分とは、限られた最後のモラトリアムをいかに輝くかにあるのだ。
自己紹介も終えたところでレモンサワーが空になった。店員を呼んで、次のお酒とツマミを注文する。からあげと卵巻きとトマトのアヒージョ。チーズダッカルビもまだあるが、みんなお腹空いているみたいだし、いけるだろう。
当たり障りのない質問をしながら食べたり飲んだりして。一息ついたタイミングで、ぽつりとシロハが切り出した。
「これから、どうしましょうね」
「どうするって?」
「あなたたちまで狙われちゃったじゃないですか。近い内に大変なことになりますよ」
近い内に大変なことになると言うが、それは不要な心配だ。何故ならとっくに大変なことになっている。そう、俺も灰原も努めて思い出さないようにしているが、俺たちには明日提出の課題があるのだ。俺たちは既に、取り返しがつかない領域に踏み込んでしまっていた。
「私は真面目に話をしているのです。ちゃんと聞いてください」
「おいおい、この俺が今まで真面目に話を聞かなかったことが一度でもあったか?」
「これまで何かひとつでも、真面目に聞いたことがありましたか?」
「ごめんなさい」
「よろしい」
シロハは早くも俺たちのノリに適応し始めていた。強かな子である。それでこそ世界を守る魔法少女というものだ。
「巻き込んでしまった以上、状況を説明しないといけませんね……。どこから話したものやら」
「差し支えなければ、最初から教えて欲しい」
「全部知ったら、もう戻れなくなりますよ?」
それこそ不要な心配であった。ハイボールのジョッキを揺らしながら、灰原が言う。
「とっくに巻き込まれ済みだって。というか、もっと巻き込んでよ。これでも俺ら結構頼りになるぜ?」
「確かに、今日は助けられてしまいましたけれど……。でも」
「何があったかは知らないけどなー。女の子がボロボロになって戦ってるのを忘れて、平然と日常生活に戻れるほど肝っ玉据わってねえんだ、俺ら。ちゃんとみんなが幸せに生きてくれなきゃ不安で夜も眠れないの。だろ? ナツメ」
「ああ」
酒に理性を溶かそうと、これだけは忘れない。
お前が幸せにならないと、不安で夜も眠れない。それは灰色の男たちの合い言葉である。寄る辺なき者どもが少しでも面白おかしく生きるために、俺たちは互いに手を差し伸べながら身を寄せ合った。
だから。彼女が助けを求めた最初の時に、俺たちの腹はとっくに据わっていたのである。
「もう……。どうなったって知らないですからね」
「どうなったっていいよ。どうにかするから」
「この根拠のない安心感、本当なんなんでしょうね」
だって俺たち、プニキュアだし。
シロハは困ったように微笑んだ。それから烏龍茶を舐めて、口を湿らせてから話し始めた。
「私たち魔法少女は、別世界からの侵略者と戦っていました。いつの頃からかはもう誰にもわかりませんが、歴史が始まった時には既にそうしていたと聞いています。これまでは各地の魔法少女の尽力により世界の平穏は守られていましたが、ここ数年で状況は大きく変わってしまいました」
なんたることか。衝撃の事実である。俺たちの世界は魔法少女に守られていたのだ。
かの第六天魔王・織田信長も、革命の風雲児ナポレオン・ボナパルトも、稀代の天才軍師・諸葛亮孔明も。全ての所業はもれなく魔法少女の尽力あってのことだったのだ。いや、ともすれば彼ら自体が魔法少女だったのかもしれない。だとすれば彼らが美少女になるのも説明がつく。おお、神よ。イラストを司る神々よ。つまりはそういうことなので、彼らを美少女に変えたまへ。僕はジョン・フォン・ノイマンちゃんがみたいです。
「あの、ナツメさん。なにか変なこと考えてませんか?」
「連綿と受け継がれる歴史と文化に思いを馳せていた」
「……?」
失礼。続けてください。
「二年前、かつてないほど大規模の侵攻がありました。世界中の魔法少女が力を合わせて、かろうじて敵軍の撃退には成功しましたが……。私たちはその時に戦力の大部分を喪失しました。それ以降も侵攻は続き、一人また一人と魔法少女たちは奴らの手に落ちて、今はもう、私だけになってしまいました」
「……シロハ、頑張ったんだな」
「はい。でも、それもそろそろ終わりみたいですけどね」
自虐的にシロハは微笑む。
彼女にそんな顔をしてほしくなくて、俺は言葉を重ねた。
「なあ。今の話を聞くと、侵略者はまるで魔法少女をピンポイントで狙っているように聞こえるが」
「実際そのとおりですよ。この世界を守る大結界がありまして、それを維持しているのが魔法少女なのです。だから敵は少数で結界をすり抜けて、結界の守り人たる私たちを狙います」
「大結界か。そんなものがあったんだな」
「あなたたちも日々、目にしているものですよ」
指を唇に当て、シロハは片目を閉じる。茶目っ気たっぷりな仕草は、妙に堂に入っていた。
「名を、大境界。もしくは単に『空』と呼びます」
「空って、あの空か?」
「はい、この空です。実はこれ、かつての魔法少女たちが編み上げた巨大な魔法なんですよ」
シロハは少しだけ得意そうな顔をしていた。魔法少女の鉄板ネタなのかもしれない。
なるほど状況はわかった。つまり魔法少女が全滅したら世界が終わるけど、その魔法少女はもうシロハしか生き残っていないわけだ。
状況を理解した灰原が、ごくりと喉を鳴らす。
「……あれ? じゃあ、この世界ってもうヤバい? ひょっとして今日、俺たちがプニキュアしてなかったら世界終わってた?」
シロハはきゅっと口を結んで険しい顔をする。それを見た灰原が、「あっやべ」と小さくつぶやいた。
「そうですね……。ごめんなさい。私たちはもう、とっくに負けてしまっているのです」
彼女は深々と頭を下げた。あーもー、灰原、お前のせいだぞ。余計なこと言いやがって。普段なら粗相コールでも挟むところだが、さすがにこの状況で茶々は入れられなかった。
「だから……。あなたたちは、私に関わるべきではなかった。打つ手なんてもうどこにもないんですよ。今日を生き延びたところで、明日どうなるかは分からない。明後日はもっと分からないですが、来週のことはわかります。来週にはもう、私は生きてはいないでしょう」
「…………」
「お願いがあります。スピを連れてどこかへ逃げてください。スピは新たな魔法少女を生み出すことができます。逃げた先で新しい魔法少女を増やせば、あるいは」
「君は、どうするんだ」
俺の問いに、シロハは微笑みだけを返した。
覚悟を秘めた笑みだった。高潔で、清廉な、純白の決意。彼女の瞳があまりにも綺麗だったから、俺は手を伸ばすことをためらった。
ためらってしまった。
「私はそろそろ行きます。今日は本当にありがとうございました」
「あ、ああ……」
「最期に、あなたたちのような方に出会えて良かったです。スピのこと、よろしくお願いしますね」
さようなら。
シロハは微笑んだまま去っていった。その時の彼女の心情は、俺には分からなかった。
たった一人で世界を守り、たった一人で全てを抱えて。自らの終わりを知ろうとも、決して逃げ出さず過酷な現実に立ち向かい続ける魔法少女。その微笑みの裏で、彼女はどれほどの感情を押し殺しているのか。
シロハが置いていったスピを拾う。白くふんわりしたぬいぐるみは、彼女が去った後も眠り続けていた。
――なあ、教えてくれよ。俺はあの子の希望になれるのか。
問いかけを投げようとスピは黙して語らない。無機質な瞳は、ただ宝石のように澄んだ輝きを湛えていた。