「あー、あれね。最近流行ってるよね」
路地裏から踏み出して、空を見上げる。血のように紅く染まった三日月と、それを背負って地上を睥睨するドラゴニア。
俺たちの姿を認めると、ドラゴニアは眉をひそめた。
「……あ? なんだ、テメエら。魔法少女には見えねえな」
魔法少女に見えないだと? 言ってくれるじゃねえか。お前プニキュアは魔法少女じゃない派閥ってのも存在するんだぞ。生半可な気持ちで戦争の火種を撒くんじゃねえよ、素人がよォ。
「なんだとはなんだ。どっからどう見ても魔法少女だろうが。さてはお前、プニキュア知らないな」
「ハァ? 何言ってんだお前」
「ったく、しゃーねーな。一度しかやらないから、よく見とけ」
俺と灰原は二人並んでポーズをとる。今日何度も繰り返してきたモーションだ。酔っ払いとは思えないほどの凄まじいキレは、今日だけでも数多の観客を阿鼻叫喚の渦に叩き込んできた。
「光の回し者・キュアゆうた!」
「光の回し者・キュアまさと!」
「「我らはプニキュア!」」
さあ、闇の力の奴隷たちよ。とっととおウチに帰ろうか!
「……なるほど。変態か」
「変態じゃない、プニキュアだ」
「特殊な趣味嗜好を有する成人男性か」
「お前もそれ言うのかよ」
さっきも聞いたぞそれ。流行ってんのかな。ただ俺たちはプニキュアになりたいと心から願っているだけで、何一つ特殊なことはしていないと思うんだが。
「おい、答えろ変態ども。あのメスガキはどこ行った」
「あの子なら帰ったぜ。お前の相手すんのは疲れるんだとよ。好きな子にちょっかいかけたくなる気持ちは分かるが、程々にしとかねえと嫌われるぜ」
「フーン。じゃあ、優しく殺してやるから出てこいって伝えとけよ、おっさん」
「おう考えといてやるよ。だから今日は帰ってお寝んねしな、クソガキ」
「おいおい、まだまだ遊びたりねえよ。代わりにお前らが遊んでくれんだろ?」
ドラゴニアは両翼を広げ、鋭い鉤爪を大きく開いた。極めて好戦的な光が瞳に宿る。
欲しがるねえ。いいぜ、躾けてやるよ。俺は角材を空に掲げ、ホームラン予告を突きつけた。
「名乗りを返すぜ。龍星軍の大尉、リントヴルム。それがお前らの命を刈り取る名だ」
リントヴルム、か。なるほど。俺たちに名乗るとは愚かなやつよ。
大学生に名前を知られることの意味を知らないらしい。灰原のやつがタバコを真横に動かし、紫煙で宙に線を引いた。ここは俺に任せろという意味だ。
「へー。んじゃリントくんだね。年いくつ?」
「……は? 年? お前らの暦で言うと出生からは16年になるが、それがどうした?」
「まだ未成年ね。彼女いる? もしくは好きな子でもいいよ」
「番の相手は居ないが……。おい、待て。これはどういう質問だ」
16歳彼女なし、と。基本情報は揃ったな。本当なら酒でも片手に話したいところだが、状況が状況だ。酒抜きでやるか。
自己紹介が終われば実質友達。それが俺たち、大学生の掟である。
「趣味とかある? 最近ハマってることとか」
「趣味ィ? 趣味ってほどでもないが、侵略活動はそれなりに嗜んでるぜ」
「あー、あれね。最近流行ってるよね」
「流行ってんのか!?」
「おう、俺らもよくやってるし。だよな、ナツメ」
「ああ。先週皆でやった時はクッソ盛り上がったよなぁ」
脊髄反射で話を繋げるのは大学生の必須スキルである。もはや染み付きすぎていて、口が勝手に動くのだ。
仲間内ならば「あーまたこいつ適当なこと言ってるわー」と、暗黙の了解が通じるのだが。リントヴルムにとっては、そうではなかったらしい。
「ひょっとしてお前ら、俺と同じか? さっきの名乗りも嘘じゃなかったってことか。プニキュアっつーのは聞いたこと無いが、どこの所属だ?」
「所属? 所属で言うなら……。あー、ナツメ」
「光の楽園」
「そう、そこだ」
このプニキュアにわかめ。設定くらい暗記しておけ。そんなことでプニキュア・グレイト・ブラスターの前口上が言えるのか。
リントヴルムはしばらく光の楽園について考えこんでいた。真面目なやつだなー、こいつ。適当に聞き流してくれないとこっちも困るよ。
「チッ、やっぱ聞き覚えねえわ。質問を変えるぜ。お前たちはどの派閥に属している?」
「派閥? なんだそれ」
「とぼけるなよ。介入と観測だ。お前たちの正義はどちらにあると聞いている」
介入? 観測? 何の話だ。さっぱりわかんねーぞ。
だがしかし、俺たちは動揺しなかった。「あーそれね、はいはい」みたいな感じで頷いていた。こういうとこだよなー、俺たち。
どうする、と灰原は視線をよこした。オーケー。灰原に変わって俺が答えることにした。
「介入も観測も興味はねえな。だが、強いて言うなら」
「強いて言うなら?」
「魔法少女の味方だ」
とりあえず良くわかんないからそう答えた。嘘は言っていない。
だがしかし、何らかの意味はあったようだ。リントヴルムは爬虫類のような金色の瞳を大きく見開いて、信じられないものを見る目で俺たちを見ていた。
「狂人め……!」
「そこまで言う? そんなに魔法少女嫌いか?」
「ハッ、テメエと交わす言葉なんてねえな! 貴様らは俺の敵だ! ぶち殺してやるよイカレ野郎どもォ!」
リントヴルムは月に吠える。雄叫びと共に解き放たれた殺気がビリビリと空を揺らす。
戦いの世界に身を置いたものが持つ、刃のように鋭い覇気。日常に生きる一般人が受ければ、身がすくんでしまっただろう。
だが。酔っぱらった大学生は、日常に生きる一般人の例に漏れたようだった。
「なるほど、リントくんは魔法少女よりもヒーロー派だったか。ヒーローは魔法少女と違って色々あるからなあ。戦隊か? 仮面バイカーか? それともウルトラ男か? もしくはロボット派だったりする?」
「……ハァ? おい、さっきから何の話してんだ?」
「何の話って、決まってんだろ。わかんないのか? あーもう、わかったわかった。ちゃんと説明してやるよ」
察しが悪いなー、こいつ。さっきからなんで俺たちがこんな話してるのか、ちっとも気づいてない。
まあいいや。ネタバラシにはいい頃合いだろう。俺はゆっくりと角材を空に掲げ、それを合図とした。
「ただの――」
「――時間稼ぎ、ですよっ!」
俺の言葉を、魔法少女が引き継いだ。
リントヴルムの真後ろで、魔法少女は純白の剣を振りかざす。俺たちに意識を向けていたヤツは、完全に虚を突かれていた。
「なっ……!?」
「シャイニング――! ジェノサイドスラスターっ!!」
白刃。白閃。白光。白華。
見惚れるほどに美しい斬撃がリントヴルムを斬り刻む。慣れた手付きで剣を操り、流れるように斬撃を繰り出す彼女は、まさしく月下に咲き誇る一輪の華であった。
「くそ……ッ! よくも……ッ! よくもやりやがったな……ッ!!」
斬り刻まれたリントヴルムは、傷を負ったわけではなかった。ただ、冗談のように姿が薄れていった。
まるで存在というものを欠如してしまったかのように。一瞬でも目を離せば見落としてしまいそうなほどに、急速に消えていった。
「テメエらの名前は覚えておいてやるよォ! 次に会った時は問答無用でぶっ殺してやらァ!」
そんな捨て台詞を吐きながらヤツは消えていく。憎悪をたっぷりと込めた瞳を俺たちに向けて、最後にこう言い残した。
「俺が殺しに行くその日を怯えて生きろ! また会おうぜ! キュアゆうたとキュアまさとォ! シャハハハハハハハッ!」
あー。そっかー。キュアゆうたとキュアまさとかー。
なんなんだろう。かっこいいこと言ってるんだけど、なんでこうなるんだろうね。なんつーかな。そういうとこだよね、リントくんは。
確かにキュアゆうたとキュアまさとだよ。俺たちはそう名乗ったよ。でもさ、普通分かるじゃん。分かって欲しいじゃん。伝わって欲しいんだよ俺たちは。なんで分かってくれないんかなー。
そんな俺たちの思いを知ってか知らずか、リントヴルムの姿は完全に消え去った。
「うむ。我々の勝利であるな、キュアまさとよ」
「いかにも。我が軍の大勝利でありますぞ、キュアゆうたよ」
「これで勝ったの、なんだかすっごく納得いかないんですけど……」
地上に降りてきた魔法少女は多分に複雑な顔をしていた。いいじゃんいいじゃん、勝ったんだから。
気がつけば、空に輝く月は平常の色を取り戻していた。どこからか街のざわめきも聞こえてくる。先程まで感じなかった人の気配が、俺たちの世界に戻ってきた。
『結界解いたよ。おつかれさまー』
「あ、うん。スピもおつかれさま。今日もありがとうね」
『ふわぁ……。ちょっと疲れたから、僕は寝るよ。何かあったら起こして……』
そう言うなり、ぬいぐるみは魔法少女の手の中で微動だにしなくなった。あれで眠ったらしい。見た目にはただのぬいぐるみにしか見えなかった。
「えっと、その。助けていただき、ありがとうございました」
魔法少女は改めて一礼する。ええってことよ。
「それと、結局巻き込んでしまいましたね……。本当にごめんなさい。謝って済むことではありませんが、それでも謝らせてください」
「あー、いいっていいって。気にしない気にしない。生きてりゃそういうこともあるっしょ」
「むしろ俺ら、自分から巻き込まれに行ったしな。あんまり悩んだって良いことないぜ。テイク・イット・イージーで行こうや」
俺と灰原はつとめて軽いノリで魔法少女の肩を叩く。いまいち何に巻き込まれたのかよく分かってないけど、まあなんとかなるっしょや。
「それより酔い覚めちまったわ。打ち上げ兼ねてどっかで飲み直そうぜ」
「いいねー、どこ行く? 居酒屋? 海鮮? それとも肉バル?」
「そうだなぁ。なあ、あんた。なんか食いたいもんあるか? 奢るぜ」
「え、ええ? 私ですか?」
そりゃそうでしょ。今日のMVPなんだから。
「ひょっとして飲み会苦手だったか?」
「いえ、その、そういうことではなくてですね」
「あー。ひょっとしなくとも、まだ未成年か。安心してよ。俺たち飲めない人に強要したりしないから。介抱役が必要になるくらい飲んだりもしないし」
「あのですね。率直に申しますと、あまりのマイペースさに戸惑っているのです」
困惑する魔法少女を、半ば引きずるようにして連れて行く。プニキュアとリラックモに挟まれた魔法少女は、やがて観念するようにしてついてきた。
「あー、うー。わかりましたわかりましたから、引きずらないでくださーいー!」
「おー、その調子だ。じゃあ行く店探すか。この辺色々あるぜ」
「ナツメー。俺混ぜそばが食えるとこがいいー」
「そんな飲み屋あったかなぁ……」
考えるフリをして、ちらりと魔法少女の横顔を伺う。もし本気で嫌そうな顔をしていたら、適当な飯屋に鞍替えするつもりだった。
けれど彼女はそこまで嫌そうな顔をしていなかったので、その心配は杞憂に終わった。そもそも酒を飲みたいというよりも、話をする場が欲しいというのが本音だ。何も飲み会である必要はない。
そんな心配をしていた俺を、灰原がニヤニヤと笑いながら見ていた。ふらっと距離を詰め、魔法少女に聞かれないように俺の耳元で小さくつぶやいた。
「なあ、ナツメ。本当はずっと前から酔いなんて覚めてただろ」
「そういうお前もな」
「俺、ナツメの何も考えてないように見せて本当はめちゃくちゃ考えてるとこ、結構好きだぜ」
「やめろい気色悪い」
灰原に肩パンを入れると、やつは大げさにリアクションを取る。そんな俺たちのコミュニケーションを、魔法少女は不思議そうに見ていた。