「ヒーローはいつだって遅れてくるもんだ。だろ?」
魔法少女ホワイトブランドは、単身空の果てを目指していた。
大気圏の彼方、上空数千kmへの孤独な旅路。全魔力を飛翔につぎ込んで、重力を振り切りながら空を目指して真っ直ぐに飛び続ける。
全身にかかる凄まじいGにはもう慣れた。空気抵抗も薄くなり、今は滑るような飛翔を楽しむ余裕すらある。それでも気圧差で体の内側から泡立つような感覚はいただけない。お腹がちょっと、気持ち悪い。
(はー。やんなるくらい広いなー)
以前、転移能力を持つ魔法少女に連れられて、宇宙空間まで来たことがある。
連れられてというのは語弊があるかもしれない。あれはほとんど拉致だった。拉致の上に置き去りだった。「ちょっとさー。最果ての星を見に行こうよー」なんて軽いノリで手を取ってきたかと思えば、次の瞬間には宇宙に居たのだ。
結局彼女は勝手に満足して一人で帰っていった。置き去りにされたホワイトは、死にそうな思いをしながら自力で地上に戻ってきたことを覚えている。
(…………。あの時、宇宙の飛び方を知っておいて良かったと思おう)
ポジティブに考えることにした。そういうのは得意なのだ。
こうして一人で飛んでいると、色々なことを考える。昔のこと。今のこと。これからのこと。この数週間で目まぐるしく過ぎていったものは、ホワイトにとって何もかもを変えていった。
スピが近くに居ないのは久しぶりだ。ナツメさんと灰原さんは無理をしていないだろうか。灰色の男たちの誰かが大怪我をしていたらどうしよう。そんなことをとりとめもなく考える。
(あはは……。ポジティブに考えるのは得意なんだけど、あの人たちについては無理だね……)
自然と嫌な方に考えてしまい、少し反省する。あの人たちに背中を預けると決めたのだから、今は彼らを信じようとホワイトは思い直した。
それから。ナツメの前に姿を現したかつての相棒について、考えた。
(ブラック……。どこかで生きてるんだよね……)
今はどこで何をしているのか。目の前で消滅したのにどうやって生き残ったのか。どうしてナツメの前に姿を現したのか。どうして自分に会いに来てくれないのか。聞きたいことはいくらでもあった。
ホワイトはブラックのことをよく知っている。彼女の行動には一挙一動に無駄がない。彼女は必要であればナツメに接触するし、必要であれば自分との接触を避けるだろう。あれはホワイトとはまた違った意味で、戦士として完成した魔法少女だ。
だからホワイトは早計な行動には出なかった。ブラックさえいればこんな状況覆ると考えたことは一度や二度ではないが、当の本人がそれをしないのには必ず理由がある。だから今は、じっと待つことにした。
でも。そんな理屈通りに、感情は動いてくれない。
(会いたいよ……ブラック……)
思うところは色々ある。許されるのなら、すぐにでも飛び出して探しに行きたい。
(いや、行こう。これが終わったら探しに行こう)
ホワイトはそう決めた。ゲートを破壊して平穏を取り戻したら、次はブラックを取り戻す番だ。理屈なんかどうでもいい。自分がそうしたいから、そうすると今決めた。
ナツメや灰原としばらく過ごしているうちに、考え方までも彼らに似てきた気がする。なんだかんだ自分も毒されてしまったようだ。他人に影響されたことが、少しだけ面映ゆく感じた。
黙々と空を飛び続けるうちに、やがてゲートが見えてきた。目的地まであと少し。あれを破壊すれば、戦いの日々が終わりを告げる。
そんな時だった。足元から自身をめがけて、超音速で何かが突っ込んできたのは。
(ひあっ!?)
漏れた悲鳴は音にならなかった。ここには音を伝える空気すらない。
崩れた姿勢を制御し直して、高速で自分を追い抜いていったそれを見上げる。それからすぐに、背負い込んでいた刃を空に向けて構えた。
「があああああああああああああああああああッ!!」
気迫。闖入者が解き放った猛烈な気迫は、真空を貫いてシロハの体をビリビリと揺らす。
ホワイトはすぐさま状況を理解した。これはリントヴルムだ。なぜこいつがこの姿でここに居るのかはわからないが、それを考えるのは後で良い。
龍人種は、かつて存在した星龍の末裔とされる種族だ。今でも一部の個体は、体の中に眠る星龍の血を覚醒させることで先祖に近い形へと回帰できると言われている。
ホワイトは以前この姿のリントヴルムと交戦し、勝利したことがある。だがあの時は隣にブラックがいたし、ホワイト自身も万全だった。長距離飛行で魔力を消耗した状態で、勝てる見込みがあるかは分からない。
(でも、そんなことは言い訳にならない)
やるしかない。ホワイトはほんの一瞬も躊躇わなかった。再加速して飛翔し、リントヴルムへと肉薄する。
勢いを乗せた下段からの切り上げ。翻すように切り下ろし、一度相手の爪を剣でそらしてから蹴り飛ばす。少し距離が空いたところで魔力を集中させ、刃に込める。
(たあああああああああああッッ!)
シャイニング・ジェノサイド・スラスター。魔力を込めた白刃で敵を切り刻む、これまで何度もリントヴルムを撃退した大技だ。
初撃は右腕に。二撃目は肩口。左脚、胴体、首筋。それから最後に唐竹割り。神速で六刃を叩き込み、それからすぐに体の前で刃を構える。間髪入れず、大爪の一撃が刃と衝突した。
(効いてない……ッ!)
ホワイトを睨む瞳には、苛烈な炎が宿っている。感触は良かったが、ダメだ。今のリントヴルムはこの程度では倒せない。
(くうっ……! どうしよう……どうする……!?)
リントヴルムと満足に戦うだけの魔力は無い。仮に倒せたとしても、それで魔力を使い切ってしまえばそれは作戦の失敗に等しい。
逃げるというのも難しい。相手はホワイトよりも遥かに速い。小回りなら多少の分はあるが、それだけで逃げきるのは不可能だろう。
(でも……っ! やるしかない……っ!)
ホワイトはゲートを目指して飛翔した。追撃を受けるのは覚悟の上。今はゲートの破壊が優先だ。
すぐにリントヴルムが追い越して行く手を阻む。それでもホワイトは加速をやめなかった。刃を構えて、貫くような勢いで突進する。
交差は一瞬だ。刃と爪が重なり、重々しい金属音が響く。力負けしたのはホワイトだった。剣を弾かれて姿勢を崩し、がら空きになった腹に尾の一撃が叩き込まれる。
(け、ほっ……!)
肺の空気が絞り出されるような感覚を覚えた。それでも歯を噛み、体勢を立て直す。
諦めるわけにはいかなかった。こんな窮地は何度だって越えてきた。何度だって、ブラックと共に。
(ブラック、どうすれば――)
振り向く。そこに、ブラックはいなかった。
どんな状況だったとしても、皮肉交じりに打開策を提示してくれるブラックはもういない。ここに居るのは、一人残された自分だけだ。
(…………。そうだよね。私が、やるしかないんだ)
逃げることも、誰かを頼ることも許されない。相棒を失ってからの二年間、嫌というほど思い知ったはずだ。
雑念を捨て、刃に意思を添える。何が何でも押し通る。空に構えるリントヴルムへ向けて、ホワイトは一直線に突撃した。
肉薄は一瞬だった。リントヴルムは行く手を阻むように大爪を開き、ホワイトは刹那の見切りですり抜ける。続く連撃を器用に受け流し、相手の勢いを利用して滑らかに反らす。踊るように美しい動きだった。
(……っ! あと少しが……っ! 抜けられない……っ!!)
奏で合う剣戟は互角だったが、追い詰められているのはホワイトだった。ここでこうして斬り合う時間はない。手間取れば手間取るほどに、残り少ない魔力は枯れていく。
焦りが剣筋に伝わって、わずかに歪んだ。爪牙の一撃を受けきれずに剣が弾かれる。体勢が崩れたのは一瞬だけ。しかし、その一瞬はあまりにも致命的だった。
(しまっ……!?)
死を覚悟した。
ホワイトは目を閉じなかった。目を閉じれば可能性はゼロになる。たとえ迫りくる顎が自らの命を摘み取るものだとしても、万に一つの可能性を諦めなかった。
ゆえに彼女は、心の底から驚くことになった。目の前で紡がれたひとひらの魔法は、何度も目にしてきたものだったからだ。
「黒百合盾式」
クロユリの花びらが攻撃を阻む。可憐に咲き誇る一輪の華は、柔らかに牙を受け止めた。
脳裏に直接響く友の声に、ホワイトは目を見開いた。聞き間違いなどあるはずがない。それはずっと探し求めた、誰よりも大切な相棒の声だ。
「行けよ、相棒。ここは私が引き受ける」
ホワイトは少しだけ迷い、振り切るように空へと飛んだ。
振り向きたかった。顔を見たかった。できることならば、抱きしめて再会を喜びたかった。でも、目的を見失うわけにはいかない。
ホワイトを撃ち落とさんと迫る数多の追撃を、幾重にも咲き誇るクロユリの花びらが受け止める。漆黒の夜空よりもなお黒々と魔法は瞬き、その間にホワイトは空の彼方へ消えていった。
「やー、悪いね。すっかり寝坊しちゃってさぁ。でもまあ、間に合ったんだから許してくれよ」
舞い散る花びらの狭間から、ゆらりと少女が現れる。
黒い日傘を片手に携え、純黒のドレスをひらめかせて。漆黒のストローハットの下で金色のボブが揺れ、ぱっちりと開かれたアイスブルーの瞳はいたずらっぽく輝いた。
「ヒーローはいつだって遅れてくるもんだ。だろ?」
古森鏡子。またの名を、魔法少女ブラックシルト。
飄々とした言葉に皮肉げな笑みを添えて、黒の少女は戦場に降り立った。





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