『今は僕を信じて欲しい』
ひしゃげた電車の上に腰掛け、月を見上げた。
傍らに座るスピは物言わぬぬいぐるみとなっていた。俺はこいつに何を聞いていいか、まだ言葉を探しあぐねていた。
「……なあスピ、お前」
『悪いけど、今は君の質問に答えることはできない』
拒絶の言葉。思わず、喉が渇いた。
『その上で頼むけど、今は僕を信じて欲しい。この夜を越えないといけないのは、僕も同じだ』
「スピ……」
『お願いだ』
はあ、クソ。畜生。そんなこと言うのかよ。
わーったよ。お前がそう言うなら今日のところは何も聞かない。らしくねえな、俺。信じたきゃ信じるのが灰色の男だろうが。
俺は誤魔化すように電子タバコから煙を吐く。無人の街並みを駆け抜けていく風が、ただよう煙をさらっていった。
「よう、ナツメ。カッコつけてんな」
「なあなあ。ふと思ったんだけどよ、倒れた電車ってなんかエモくね?」
「わかる。テンション上がるよな。危ないけど」
俺の隣に灰原が座り、ごろんと寝転がった。おう、お疲れさん。
灰原率いる足止め部隊と、電車を動かした工作班も集まってきた。総勢17人の灰色の男たちがじっと俺を見る。期待に応えてかは知らんが、俺は手をひらひら振った。
「なんつーかさ。作戦がバシッと決まったら、スカしたセリフで顰蹙でも買う気だったんだよな。でもダメだ。今の俺が言っちまうと、本当にカッコよくなっちまう」
「そうでもないぞ」
「ったく、出来る男はつれえなぁ……」
「だからそうでもないっつの。安心しろ、お前は何をやっても俺たちのナツメだ」
灰原とバチンと手をたたくと、ほどよく気の抜けた歓声が上がった。ったく、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。
電車から飛び降りて、壊れた自販機から溢れ出した炭酸ジュースを拾う。縦に大きく四回振ってカシュッと開く。せっかくの無人空間だ。特に意味は無い無駄を愛する気分だった。
「シロハは上手くやってっかなー」
「心配なら連絡すりゃいいじゃん」
「邪魔するわけにもいかんよ。それに連絡手段もないし」
俺たちが出来ることはここまでだ。ここから先は、彼女自身で決着をつけるのを見守るしかできない。
とは言っても、最大の障害であるリントヴルムはご覧の有様だ。不安要素は既に無い。あとは消化試合のようなもんだった。
「ナツメー。あれがシロハちゃんじゃないかな」
「んーっと……。ああ、多分な。もうあんなとこまで行ってる。やっぱすげえわ、魔法少女」
空の彼方を見上げると、天に向かってゆっくりと昇っていく白い星が見えた。
あれがシロハだ。シロハは今、大気圏の彼方に浮かぶゲートを目指して孤独な旅をしている。
「シロハちゃんにはひたすら宇宙を目指してもらって、俺らでリントヴルムをどうにかする、か。聞いた時は無理だと思ったけど、よくこんな作戦実現にこぎつけたよ」
「しょうがないだろ。ゲートをぶっ壊すにはこれしかないんだから」
「シロハちゃん、寒くないかな。酸素とか大丈夫かな。気圧で頭痛くなってないかな。なあナツメ、知ってるか。真空に触れると体の水分って蒸発するんだぜ」
「大丈夫だ。言いたくはないが、あいつは魔法少女だ。そんなもん屁でもねえよ」
生命を超越した彼女が必要としているのは暖かさでも酸素でもない。魔力だ。絡みつく重力の鎖を振り切って、分厚い空気の層を突き抜けるために必要な、大量の魔力だ。
宇宙に行くことは不可能ではないとシロハは言っていた。その言葉を信じて、俺たちは彼女が全力で空を目指せる状況を整えた。それがこの作戦の概要だ。
だから。
「諦めろよリントヴルム。俺たちが居る限り、あいつには指一本触れさせねえ」
「うる……せえ……ッ!!」
車両の下からリントくんが手を伸ばす。恐ろしいことに、こいつはまだ生きていた。
電車の重量で押しつぶされても止まらない、恐ろしいまでの生命力。最近の侵略者ってやつは体が強くて困っちまう。
「テメエも……! あのメスガキも……! 俺が、この手で、必ずぶっ殺してやる!」
「どうしてそこまでする。答えろ。魔法少女とは何だ」
「決まってんだろ! 世界の敵だッ!!」
咆哮とともに電車が持ち上がる。全身がボロボロだろうと、リントヴルムはまだ折れていなかった。
見事だと思った。そうまでしても何かを貫こうとする意思は、たとえそれが何であろうと称賛に値する。だから俺は、彼に対して容赦はしない。
拳銃を構えて狙いをつける。引き金を二回。放たれた弾丸は、狙い過たずに両足の軸を撃ち抜いた。
「おいおいナツメ、お前本当に初めてか。どこで習ったんだ」
「灰原、お前らも銃構えろ。こいつはまだ諦めてない」
崩れ落ちたリントは再び車両の下に潰れる。本当に凄まじい生命力だ。大人しくしてろっつの。
その後も電車を持ち上げようとしていたが、やがてピクリとも動かなくなる。ようやく力尽きたか。
「俺は……ッ! こんなところで……ッ!!」
その瞬間、俺は途方もない悪寒を感じた。
無意識が体を後ろに飛ばす。少しでもこれから離れろと本能が悲鳴をあげる。理解すら追いつかないままに、俺は叫んでいた。
「テメエら逃げろッ!」
「負けられねえんだよオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
俺とリントの叫びが交差する。次の一瞬、凄まじい勢いで車両が跳ね飛ばされた。
その下から姿を現したソレを、束の間理解できなかった。状況的にソレがリントくんであるということは間違いない。だがソレは、俺の知っている彼とはあまりにも異なる姿をしていた。
咆哮と共に四脚の獣が姿を現す。全身を刺々しい濃紺の鱗で覆い尽くし、刃のように鈍く輝く爪牙を持つ。背中から生えた二本の副腕は、まるで悪魔の翼のように見えた。
刺々しい尾をバシンと叩くと、傍らに転がる車両が轟音を立てて引きちぎれる。その姿はまさしく怪物だ。拳銃を向ける、なんてことすらおこがましかった。
「おいおい……! マジかよ……!」
『龍人種の血統覚醒……! まさか、この場所でそこまでやるとはね……!』
「そのなんとかってやつはやばいのか!?」
『そんなの見ればわかるだろ! 逃げろナツメ! もう君がどうにかできるレベルじゃない!』
スピは本気で警告していた。俺は変異したリントヴルムを見上げて、一歩後ずさった。
これはダメだ。こんな怪物を相手に、人間に一体何ができるって言うんだよ。すぐにだって逃げなきゃいけない。
頭の冷静な部分はそう判断した。冷静なつもりだった。でも、俺は、足を動かせなかった。
「ナツメッ! 何そんなとこで突っ立ってやがる! 早く逃げろ!」
『どうしたの!? ナツメ、早くっ!』
灰原とスピの声が聞こえる。でもダメだ。俺の体は、どれだけ頭で命令しても、一歩たりとも動こうとしなかった。
「……ハン。恐れるのも無理はねえよ。この姿の俺は、存在そのものが兵器に等しい」
リントヴルムは全身を使って大地を踏みしめる。線路が粉々に砕けるほどの強い力を溜め込んで、その力をバネにしてロケットのように跳躍した。
空中で副腕が四つに分かれ、翼膜を張った翼に変わる。荒々しい羽ばたきと共に地上に向けて爆風が放たれ、それが過ぎ去った頃には空の彼方へと消えていた。
俺はその様を、ただ突っ立って見送ることしかできなかった。
「ナツメテメエッ! どういうつもりだ! 自分は逃げろっつっといて、何いつまでもそんなとこで突っ立ってやがる!」
戻ってきた灰原が俺の胸ぐらを締め上げる。いつも飄々としている彼が、珍しく本気でキレていた。
「お前まさか自分が囮になるつもりだったんじゃねえだろうなッ! んなこと考えてやがったらぶっ飛ばすぞ!」
「……違う」
「じゃあなんだ!? どういうつもりだ今のはッ!」
俺は灰原の手を強く握る。胸の内では悔しさでいっぱいだった。
ああ、くそ、畜生が。ふざけんじゃねえぞ棗裕太。お前らしくもねえ。これだけは、絶対に、やっちゃいけなかっただろうが……!
「止められなかった……ッ!」
「……は?」
「あいつを行かせたらシロハがヤベエなんて見りゃわかんだろ! でもよ、止められなかったんだ! 俺は、あいつに銃口を向けることすらできなかった!」
吐き捨てる言葉すらバカらしい。上を見ると、ゆっくり昇っていく白い光に紺色の流星が高速で近づいていく。ダメだ、速度があまりにも違いすぎる。このままだとすぐに追いつかれちまう。
「お前……。踏みとどまってたのか……」
「んなことどうだっていい! おいスピ、何かないのか!? この状況をどうにかできる手段は!」
『そんなの僕だって無理だよ。こうなったらもう、ホワイトにかけるしかない』
クソッ……!
足元に転がる空き缶を蹴り飛ばす。それでも考えることだけはやめなかった。何か、何か一つでも、俺に力があれば……!
そんな時だった。頭の中に、直接声が聞こえたのは。
「よーっす。盛り上がってんね」
人をからかうようなシニカルな声。それから小さなリップ音。
それは、古森鏡子の声だった。