「俺、チェスで負けたことないんだわ」
それからの数分間は、目まぐるしい攻防が続いた。
必死で走り続ける俺。猛追撃するリントヴルム。あの手この手で妨害を仕掛ける灰原と愉快な仲間たち。
ハリウッドばりのアクションを何度もこなし、無人の街並みを木っ端微塵に砕きながら駆け抜ける。熾烈な攻防の末、駅まであと数十メートルの踏切まで来たところで、灰原部隊は撤退した。何のことはない、弾切れだ。
「マジですまん……。代えのマガジン持ってくるの忘れちまった。くっそ、なんか忘れた気がしてたんだよなぁ」
そんなRINEを流し見て、俺は灰原に電話をかける。挨拶も抜きにして、即座に要件に入った。
「プランFだ。灰原、各方面への展開を頼む」
「了解。やー、マジですまんかった」
「いや、十分助かったぜ。そっちに被害は?」
「全員腕がしびれたってよ。明日の講義はノートが取れそうにない」
「普段から取ってないだろ」
負傷者がいないならそれで十分。電話を切って後ろを振り向く。踏切の向こう側で、腕組みをしたリントヴルムが待っていた。
「……話は終わったか?」
「お祈りがまだなんだ。もう少し時間をくれ」
「すまんが、それは無理だ。代わりといっちゃなんだが、神さんには俺から話をつけといてやる」
口笛を吹く。駅近くの踏切を挟んで、俺とリントヴルムは三度相対した。
余裕ありそうな口ぶりに反して、リントヴルムは凄まじいまでの殺気を放つ。これ以上は一歩たりとも逃さない。そんな気迫を感じていた。
……駅にはたどり着けなかったか。まあいい、この場所でもなんとかなるだろう。ただ、少し時間稼ぎが要る。
「なあ、キュアゆうた。俺とお前は何度となく話をしてきたな。その全ては意味のない戯言だったが、俺は結構あの時間が気に入ってたんだ」
「へえ。そう思ってもらえるなら何よりだ」
「ああ……。だから今残念で他ならないよ。お前と話をするのは、今夜が最後になっちまう」
残念なのは俺も同じ気持ちだ。俺とリントヴルム。魔法少女と侵略者。この夜を越えて立っていられるのは、どちらか片方しかいない。
泣いても笑っても、これが最後の瞬間だ。
「リントヴルム。決着をつける前に、一つだけ聞いておきたい」
「まだ喋り足りねえのか。ったく、お前ってやつは」
リントヴルムはニヤリと笑う。なんだかんだ付き合いが良いやつだ。俺はこいつのこういうところ、正直言って嫌いじゃない。
「介入か、観測か。どっちだ」
それは、最初にこいつ自身から投げられた問いだ。
俺はこの言葉の意味をずっと考えてきた。本当のところは取るに足らない意味なのかもしれない。だが、何かとても大切なことのような気がしてならなかった。
「何をいまさらわかりきったことを聞く。介入派閥だよ、見ての通りな」
これについては見当はついていた。介入と観測、それは彼ら侵略者の派閥を指す言葉だ。リントヴルムもどちらかに属していることは想定の内だ。
「派閥? 本当にか? お前のやっていることが、本当に派閥としての行動だって?」
「ハッ、何が言いたい」
「ハグレモノだろ、お前は」
リントヴルムの顔色が変わる。どうやら図星だったようだ。
違和感は最初からあったんだ。確かにこいつは侮れない強敵だが、こいつ一人で魔法少女を追い詰めたとは考えられなかった。魔法少女を追い詰めた相手はこいつとは別に居て、おそらくそちらが『本隊』なのだろう。
ならば、単独で魔法少女狩りを続けるリントヴルムの正体はと言えば、自ずと透けていた。
「チッ……。誰から聞いたかは知らんが、正解だよ。龍星軍第四上陸部隊の最後の一人、それが俺だ」
「最後の一人? 他の奴らはどうした?」
「あの腰抜けどもは決着を目前にして引き上げやがった。俺にも撤退命令は来てたが、それがどうした? 戦場も知らねえどっかの誰かの思いつきで、俺の戦いは終わらねえよ!」
そんな状況でも彼の戦いは終わらない。たとえ一人であろうとも、侵略者と魔法少女の戦いに終止符を打つことが彼の望みだ。だからと言って、俺はこいつにシロハを殺させるわけにはいかなかった。
「もうやめろよ。俺たちには別の道だってあったはずだろ!」
「そんなものはねえ! 元より魔法少女は殺すしかねえんだ! だったらそれは俺がやる! 他のやつに殺らせてたまるかッ!」
「意味わかんねえよ! 魔法少女がお前らに何をしたって言うんだ!」
リントヴルムは目を丸くした。何を言っているかわからない、とでも言いたげな表情だった。
「……おい、国の狗。まさかお前、こいつに何も教えてないのか」
『…………』
スピは無言で俺の肩から飛び降りる。彼は、何も答えなかった。
「ははァ……。与える情報を制限して、テメエの都合よく事態を転がしてたってわけだ。いかにもテメエらの好きそうなやり口だよ。そうだよなぁ、観測派の狗」
『黙れ。貴様にはなんの関係もないことだ、介入派の豚が』
スピが、観測派……?
リントヴルムは今、確かにそう言った。その意味を飲み込もうとして失敗した。スピが隠し事をしていたのは、今更疑いようもない事実だったからだ。
「スピ。今の話、本当か」
『嘘に決まってるだろう。あいつは敵だよ。あんな奴の言うことを信じるな』
「そうか。そうだよな。お前が侵略者だなんて、そんなの嘘だよな」
言葉とは裏腹に、俺は意識して自分を冷ました。
俺が求めているのは口先だけの弁明じゃない。スピが俺たちの味方だという証拠だ。信じたいか、信じたくないか。それに則るなら、今はそんな薄っぺらい言葉を言葉を信じたいとは思えなかった。
『ふふ……。まるで信じていないくせに、よく言うよ。君は本当に、怖い人間だ』
「そりゃどうも」
『そうだよ。僕は観測派の侵略者だ。その事実は認めようか』
スピはあっさりと認めた。ああ、クソ。やっぱりそうなのかよ、畜生。
『おい、竜人種。君の言葉を一つ訂正させてもらおうか。確かに僕は与える情報を制限したよ。でもね、都合よく事態を転がすのはできなかった』
「はあん、情でも移ったか?」
『違う。できなかったんだよ。僕はただ、僕の正体を隠すだけで精一杯だった。それもたった今無駄になったけどね』
スピは恨めしそうに俺を見上げた。
スピは自分の正体を隠すだけで精一杯だったと言うが、俺だって一番知りたいことはつかめていない。結局月光の正体も聞けずじまいだ。
聞きたいことはまだまだある。だが、ポケットの中で小さく震えたスマホがそれを許さなかった。
「……ったく。いつもこうだ。あと少しのところで時間切れになっちまう」
「あ? 何の話だ?」
「こっちの話だよ」
もう少し話をしたかったが、作戦時間になっちまった。悠長にしている暇はもう無い。
俺はスピに合図を飛ばす。スピは一瞬だけ躊躇してから、俺の肩に飛び乗った。
「ゲームセットだ。ほれ、やるよ」
俺はスマホを放り投げる。レザーケースに包まれた型落ちのスマホは、線路に当たって敷石の間に落下した。
リントヴルムの狙いはあくまでそれだ。それさえ奪えば、こいつと俺の鬼ごっこは終わる。
「……どういうつもりだ?」
「見ての通りだよ。お前の勝ちだ。そいつはくれてやる」
「チッ……。今更になって怖じ気づきやがったか。つまんねえ決着だが、まあいい。降参する相手を仕留めるのは戦士のやることじゃねえからな」
リントくんはぼやきながら、線路の間に落ちたスマホを探す。俺は彼に背を向けて、踏切から外に出た。
「ああ、そうそう。リントくんさ。多分だけど、チェスのルール勘違いしてるぜ」
「はあ? チェスがどうしたって?」
その時だ。警笛も鳴らさずに、最高加速の電車が突っ込んできたのは。
「チェックってのは、こうやってやるもんだ」
「んなッ……!」
時速100キロをオーバーして突っ込む巨大な鉄の龍が、リントヴルムに突き刺さった。
プランF、灰色電車特攻。線路上に誘導したリントヴルムに、最高加速の電車を叩きつけて息の根を止める作戦だ。
準備はとても簡単で、電車のコントローラーを最高速に固定してからすぐに降りる。それだけだ。オプションで踏切の警報を壊しておけば成功率は更に高まる。なお車両に爆薬を詰めるというプランも提案されたが、「それは巨大で不明な生物戦まで取っておこう」との理由で却下された。
「クソがあああああああああああああッ!! こんなもんで、俺を、殺せるかああああああああああああああああッッ!!」
爪と翼を大きく広げて、リントヴルムは正面から電車を受け止めた。線路と足の間で火花が激しく散る。
正直俺は目を疑った。いくらこいつが人外だといえ、最高速で突っ込んでくる電車を正面から受け止めるだなんて。まさか本当にやってみせるとは思わなかったんだ。
念のため予備を用意しておいて良かったとつくづく思う。リントヴルムの背中側から突っ込んでくるもう一本の電車を眺めながら、俺はそう思った。
「で、これがチェックメイト」
「は――!?」
電車と電車の間で、リントヴルムはサンドイッチの具になった。
大質量同士が激突する轟音を上げて、電車の先頭部分が激しくつぶれる。脱輪した二本の電車はがろんごろんと転がった。危ないから瞬間移動を使ってちょっと離れたところに再出現する。一通りの大事故が終わると、あたり一帯は壊されたもので溢れかえっていた。
「悪いな。俺、チェスで負けたことないんだわ」
空に向けて三回発砲する。それをもって、作戦終了の合図とした。