「今日は俺たち、プニキュアだから」
霧の向こうで、二つの影がせめぎ合う。
いや、せめぎ合うと言うのは少し違う。戦局は一方的であった。少しでも距離を取ろうと逃げる影を、もう一つの影が追い立てる。
更に近づけば霧は晴れ、状況が見えてきた。防戦に回っているのは魔法少女の方だ。猛攻を仕掛けているのは、肌に鱗を纏った男だった。
男の得物は拳だ。より正しくは、ゴツゴツと節くれだった巨大な鉤爪だ。背には翼竜のような翼が羽ばたき、腰の後ろでワニのように鋭い尾が盛んに揺れ動いていた。
「あれは? 人間なのか?」
『竜人種。戦いを生業とする誇り高き種族だよ』
なるほどドラゴニアね。ふーん。ファンタジーじゃん。
何か他に思うこともあった気がしたが、アルコールに浸った俺の脳は爆速の理解力を発揮した。隣の灰原も「初めてみたなー」くらいのリアクションだった。きっとそういうものなんだろう。
のんきに眺める俺達の目の前で、ドラゴニアと魔法少女は一層激しく打ち合っていた。
「ハッハア! どうしたメスガキィ! 今日はまた一段と動きが悪いなァ!」
「……っ! いい加減、あなたもしつこいですよ……っ!」
「良い女には目がねえンだ! 今日こそこの空に散ってもらうぜ、最後の魔法少女ちゃんよォ!」
空を舞う魔法少女の軌道がふらつく。ドラゴニアの男はその一瞬を逃さなかった。至近距離から振るわれた鉤爪が魔法少女の体を裂く。直撃だ。
飛行能力を喪失し、彼女は俺達の目の前に落下した。今度は着地はしなかった。背中から、強かに地面に打ち付けられた。
「くっ……。痛うっ……!」
痛みを堪えて、彼女は体を丸める。全身傷だらけだ。見るに痛ましい姿であった。
「おい、あんた。大丈夫か」
「あなたたち……。どうして来たんですか!? 早く逃げ――痛っ」
「無理すんな。灰原、手を貸せ」
「ほい来た」
灰原と共に魔法少女の体を支える。この場所は危険だ。一度彼女を連れて、どこかに身を隠すべきだろう。
『こっち。ついてきて』
ぬいぐるみがぴょんと跳ねる。その後を追って、俺たちは路地裏に身を隠した。
周りの安全を十分に確認してから、エアコンの室外機に彼女を座らせる。綺麗ではないが、座れるだけマシだろう。
「何がなんだかわからんが……。随分本格的な魔法少女ごっこだな」
「最近のおもちゃってすげえんだな。本物にしか見えねえや」
「ごっこ遊びじゃないですよ……!」
わかってるよ。遊びにしては度が過ぎる。彼女の体に刻まれた傷は、間違いなく本物だ。
せめて手当でもとハンカチを差し出すと、彼女はそれを拒んだ。指先に白い光を灯し、傷口に当ててさっと撫でる。たったそれだけで、傷は魔法のように消えていった。
「私のことはいいので、早く逃げてください。あれに顔を覚えられたら本当に手遅れになります。そうなる前に、早く」
真摯な言葉だった。彼女は正しいことを言っている。だからこそ、心に響く。
「逃げろ? バカ言っちゃいけねえな。仲間を置いて逃げるわけないだろ」
「……へ?」
ほんの一瞬、魔法少女はフリーズする。そんな彼女に俺は優しく微笑んだ。
「そうだろ、灰原。俺たちはいつだって支え合ってきたじゃないか」
「え、あの。私たち初対面ですよね?」
「本当に色々あったよな。でも、どんな困難だってこの四人で乗り越えてきたんだっけか」
「私はあなた方の事を寡聞にして存じないのですが」
『ホワイト、僕を信じて欲しい。たとえ何があろうとも、僕たちは絶対にホワイトの側に居るから』
「スピも!? スピもそっち側なの!?」
困惑する魔法少女を置いて、俺と灰原とぬいぐるみはアイコンタクトを交わした。特に意味はないが、俺たちは無駄に通じ合っていた。このメンツなら実に美味い酒が飲めそうだ。
『あのね、ホワイト。僕は怒ってるんだよ』
ぬいぐるみはひょいんと飛び上がり、魔法少女の膝に乗る。彼女の顔を見上げる瞳は相変わらずの無機質であったが、声音は心配そうな色をしていた。
『僕を置いていったってことはさ。君、ここで死ぬつもりだったろ』
「…………だって」
『だってはナシだ。最後まで諦めないって約束したよね』
「私は、スピに生きてほしいんだよ……。私はもう無理かもしれないけれど、スピさえいれば、世界の希望は繋がるから……」
『世界なんてどうでもいい。僕はホワイトの話をしている』
魔法少女とぬいぐるみは何か込みいった話をしていた。俺と灰原は、それを「さもありなん」という顔で聞いていた。ぶっちゃけ話の内容はよくわからないが、こういうのはとりあえず雰囲気に合わせておくのだ。
しかし。空から降り注ぐ怒声が、彼女たちの話をさえぎった。
「どこ行きやがったァ! 出てこいよメスガキィ! 今日こそぶち殺してやるからよォ!」
ドラゴニアの男が猛り狂う。日常では縁のない全力の殺気が、ビリビリと空気を揺らした。
魔法少女は空を見上げて、それから俺たちを見た。覚悟を決めた顔をしていた。
「これが最後の警告です。今すぐ、ここから逃げてください。あれの狙いは私です。あなたたちだけなら、まだ逃げられる」
真剣で、意思が灯った、良い言葉だ。だがそれは俺たち好みの言葉じゃない。
少し考えてから俺は灰原を横目で見た。灰原は次のタバコに火をつけていた。
「なあ、灰原。どうするよ」
「いやー、どうすっかな。これはちょっとばかし骨が折れそうだ」
「だよな。なんかあいつ飛んでるし、全身鱗だらけだし。簡単には行かなさそうだ」
「せめてバットの一本もあれば話は違うんだけど。どっかに転がってないかな」
俺たちの会話に魔法少女が疑問符を浮かべた。
「えっと……? 何のお話ですか?」
「世界を救うお話だ」
「今日は俺たち、プニキュアだから。世界救うことにしてんの」
ま、そういうこと。そういうノリなんだよ。だって俺たちプニキュアだし。
灰原がそのへんに転がっていた角材を投げよこした。オーケー、これが俺のマジカルロッドだな。ムーンでプリズムなパワーは感じないしメイクアップもできなさそうだが、人を殴るには事足りる。
「行くぞ、灰原。こっから先はプニキュアの時間だ」
「やろうぜ、ナツメ。明日の課題よか楽勝っしょ」
「ええ……? この人たち、正気なのかな……?」
『酔っぱらいってやつだね。ホワイト、大きくなってもああはなっちゃダメだよ』
「う、うん……」
案ずるでない。正気はないが、負ける気もない。ついでに言えば考えもない。
つまり、あれだ。無敵モードなのだった。