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「世界を救うことならできるぜ」

 鬼ごっこ。

 それは人類しょうがくせい叡智ものごころを獲得する以前より繰り広げられる、原初の闘争である。


 俺にもかつて灰色でなかった時期があった。世の中の全てが煌めいて見えていた日々があった。後先なんて考えずに、目的もなく走り回っていたあの頃があった。

 誰かを追いかけるのが楽しかった。何かから逃げるのが楽しかった。足を踏み出すことが楽しかった。がむしゃらに、何かをするのがどうしようもなく楽しかった。ただ楽しくて、楽しくて、いつだって前だけ見て走り続けていた。

 今の俺の背中を押すのは、そんなあの日々の残滓なのかもしれない。


『ナツメ、速度が落ちてるよ。ランニングフォームも乱れてる。呼吸のリズムを整えるんだ』

「げほっ……。あー、くっそ……! もっと運動しとけばよかった……!」


 ここ数年、ロクな運動もしてこなかったせいだ。少し走るだけでも喉の奥から酸っぱいものがこみ上げる。心臓は早鐘を打ち続け、足はとっくに悲鳴を上げている。肺が供給する酸素が足りない。目眩までしてきた。

 気分は最悪だ。だというのに、何故だろうか。こんな風に走っていると、かつて薔薇色だったあの頃を思い出す。


「ははっ……! そうだったな! あの頃の俺は、俺たちは、どこまでだって走れる気がしたんだ!」

『ナツメ? どうしたんだ?』

「ランナーズ・ハイってやつだよ! 舐めんじゃねえぞクソ野郎! ただの灰色じゃ終わらねえぞ!」


 地面を蹴るほどに、体の中から余分なものが削ぎ落とされていく。積み重ねてきた無駄を捨てて、あの日の俺に回帰していく。

 あの日俺が夢見た未来はなんだったか。問いかけることすら忘れてしまった将来が、走り続ける中でふと蘇った気がした。


『……! ナツメ、来るよ!』

「見えてる、ぜッ!」


 空から羽ばたく音が聞こえる。間髪入れずに体を左に弾くと、上空から勢いよくリントヴルムが着弾した。


「ヒャハッ! 限界は近いんじゃねえのか、キュアゆうたァ!」

「お前こそいつまでそんな寝ぼけた突貫かましてきやがる!」


 鼻先数センチの距離まで迫ったリントヴルムが爪を振るう。間髪入れず、俺は超能力もとい手品を発動した。

 一瞬の消失と、数秒後の再出現。リントヴルムから十数メートル離れたところに再出現した俺は、頭にかぶったプニキュアのお面を整えてから狭い路地へと走り出す。


「また消えやがった! クソッ、なんなんだよあいつは!」


 障害物の多い路地ならば、あいつは翼が邪魔になって簡単には追ってこられない。元より速度では負けているんだ。少しでも地の利を活かすことが、俺にとって唯一の勝機だった。


『ナツメ、次の曲がり角を右だ。大通りに出るから覚悟して』

「なんでこんなところに大通りがあるんだよ! 駅前だからって大通りばっか作りやがって、ふざけんじゃねえぞ!」

『君の陳情は後で市長に届けるといい。都市計画に殺されそうになったってね』


 俺たちは駅を目指している。何が何でもそこにたどり着くのが、この作戦の肝と言っても良い。

 最初は車を使って移動するつもりだったが、無人の車が道路を埋め尽くす世の中だ。ロクに乗ったこともないバイクで自動車の群れをすり抜ける勇気は無かった。消去法で自転車という手もあったが、それよりは路地を使ったほうが得策ということで徒歩移動になっている。


 風を切る音。続けて、狭い路地を砕きながら高速で突っ込んでくるリントヴルムが見えた。避けるようなスペースも無い。

 だったらもうこれしかない。俺は世界から消失し、少し離れたところに再出現した。


「……ハッ、大体読めてきたぜ。テメエの超能力って奴はよ」


 チッ、これだけ見せれば流石に気がつくか。リントくんならひょっとしたら気が付かないかもって思ったけど、そう上手くは行かなかった。


「お前のソレは瞬間移動なんてもんじゃねえ。ただ、現実世界とこの空間を行き来しているだけだ。そうだろ?」


 正解。この瞬間移動のタネは、異空間の仕様を悪用した抜け道だ。

 現在この人払いの結界――じゃなくて、わくわくワンダーランドに侵入する条件は「プニキュアのお面を被っていること」に設定してある。それを逆利用して、お面を外すことで現実世界に退避しているのだ。現実世界の少し離れた場所でお面をつけ直せば、その位置でわくわくワンダーランドに再侵入する。すると瞬間移動の出来上がりってわけだ。

 瞬間移動トリックの鍵は、世界を渡る条件となっているお面だ。これを奪われたり破損したりしてしまっては作戦自体がワヤになる。そのためにプニキュアのコスプレをして、カモフラージュしているのだった。


「で、そのお面がトリガーだ。それを着脱することで世界間を行き来している」

「何故わかった!?」

「そんだけ露骨に触ってたらわかるわ」


 カモフラージュは失敗した。今この瞬間、決死の作戦服は痛々しいコスプレに成り下がった。くそう……くそう……!


『なあナツメ。だからもっと隠匿性の高い条件にしたほうが良いって言ったじゃないか。ポケットの中にスイッチを隠し持っておくとかなら、そんな服を着る必要もなかった』

「うるせえ! やりたかったんだよ! 文句あっか!」

『いよいよ開き直ったね……』


 あの日の俺たちはプニキュアで世界救ったんだよ。だから今日だって、これを着れば強くなれる気がしたんだ。平穏な世界で生きてきた大学生が目の前の脅威に立ち向かうには、こんな子供だましの勇気だって必要だ。

 いよいよ俺は大通りに足を踏み入れた。最悪の場所だ。往来の多いこの場所では、おいそれと瞬間移動は使えない。路上で瞬間移動しようものなら、現実世界に移動した直後に車に轢かれるだろう。もちろん歩道だからって危険なことに変わりはない。

 俺の進路を阻むように、上空からリントヴルムが着弾する。着地点にある車を踏み砕いて、烈火の殺意を俺に叩きつけた。


「チェックメイトだ。ここから先には一歩たりとも行かせねえよ!」

「上等。しからば押しとおるまでよ!」


 クソ、こうなったらもうやるしかない。可能な限り避けるつもりだったが、リントくんとの直接対決することだって想定の内だ。

 この状況は特に念入りにシミュレートしてきた。何度も見てきたリントヴルムの運動能力と、俺の能力を比較。少しでも勝算を高く持てるように、こいつの弱点は徹底的に洗い出してある。

 そこから導き出される結論は一つ。


「……あ? どうした、避けないのか?」


 絶対に勝てない、だ。

 瞬き一つの間に俺は吹き飛ばされていた。痛みを覚えてからようやく、自分が何を食らったかを知覚する。みぞおちに一発、挨拶代わりの掌底。その一撃で肺の空気がすべて絞り出され、肋骨がきしみを上げる。ビルの壁に背中からたたきつけられ、崩れ落ちて激しくむせた。


「何考えてるか知らねえが、随分と余裕じゃねえか。おら、立てよ。まさかこれで終わりじゃねえだろ、キュアゆうた」

「……っ。ああ……。こんなんじゃ、まだ、終われねえなァ……!」


 ふらふらと立ち上がるのを待ってくれただけでも御の字だろう。直後にリントが接近し、俺は全力で体を横に投げ出した。受け身を取ることすら考えていない緊急回避。しかし地面に激突するよりも早く、方向を切り替えたリントヴルムのつま先が俺の頬を捉える。

 バチンと瞳の奥で星が散る。一瞬で意識が遠くなる。無我夢中で歯を噛んで、意識だけはなんとか保った。


「お前……」


 なぜか、俺を蹴り飛ばしたリントくんの方が戸惑っていた。


「まさか、本当に弱かったのか……?」


 戸惑いを通り越して、悲しそうな声がした。俺はそれに答えることはできなかった。地面に転がりながら、無様に痛みをこらえることで精一杯だった。


「おい、冗談だろ。本当にただの民間人だったのかよ。俺はこれまで、こんな口だけの野郎に負けてたっていうのかよ!」


 リントヴルムの内から戦いへの喜びが消えていく。代わりに現れた失望は、すぐさま怒りへと変わっていった。


「つまんねえ! クッソつまんねえ! ああ、クソ、畜生! お前は俺の敵だろうがッ! こんな簡単に無様晒してんじゃねえぞ!」

「無茶……言うんじゃねえよ……!」

「俺はこれでもお前のことを買ってたんだよ! 姑息な手こそ使いやがるが、お前らがこの俺を何度も退けてみせたことには違いねえ! それがどうした!? なんだよこのザマは! これがお前の底か!? 立てよ俺の敵! 魔法でも超能力でもとっとと使え! 俺をもっと楽しませろ!」


 ボロボロになって立ち上がる。これが底か、ね。何をわかりきったこと言ってんだ。俺たちはいつだって底辺を這いつくばる生き物だよ。

 俺は世界を守る魔法少女じゃない。使命に目覚めたプニキュアですらない。力を与えられたヒーローなんて、最も程遠い存在だ。

 いつだって俺たちはただの人間。きらびやかな薔薇色を横目で眺める、居ても居なくても変わらない無力なモブだ。何が出来るわけでもない、賑やかしの一般人に過ぎなかった。


「あいにくと魔法も超能力も持ち合わせて無くってね。悪いな、結局のところ俺はただの大学生だ。酒飲んで、ゲームして、単位を落とすくらいしか能がねえ」


 だから俺たちは。

 そんな灰色に中指を立てた。


「だがな、世界を救うことならできるぜ」


 俺はRINEで合図を送った。これは一種の宣誓だ。夢と希望を失って久しい俺たちが直面した、未来を大きく左右する決断だ。

 俺はプニキュアになりたかった。プニキュアじゃなくてもいい。特別な自分になりたかったんだ。人とは違う力を得たり、人とは違う使命を与えられたり、人とは違う生き方をしたかった。

 でも俺は、俺たちは、そんな風には生きられない。灰色の中をくすぶるように生きている。だから。

 ここから全てを変えてやろうって、いつだって薔薇色を目指し続けた。


「ナツメ。それは始めるってことでいいんだな?」

「おーおー、派手にやられたなぁ。あんまりシロハちゃん泣かせんじゃねえぞ」

「大変な状況に巻き込んでくれるよな。あんなバケモノと戦えって言うのかよ、冗談キツイぜ」


 灰色の男たちが空間に出現する。全員きっちりとお面を被り、色とりどりのプニキュアは並び立つように布陣した。

 薔薇色を目指してがむしゃらに走り続けた末に行き着いたこの場所で。未来を夢見て伸ばし続けた手が輝くなにかに初めて触れた。それを掴み取るためならば、どこまでだって行ってみせる。

 さあ、第二ラウンドと行こうぜリントヴルム。安心しろ、退屈なんかさせねえよ。

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