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「俺が守りたいのは、お前だよ」

 次の日。リントヴルムは襲撃を起こさなかった。

 その次の日も、次の日も、次の日も。襲撃者は地球を訪れることなく、俺たちは穏やかな日々を享受していた。


「ナツメさん。なんだか怖いくらい平和ですねぇ」


 雨城大学E-204。灰色の男たちが根城にしている教室で、シロハは机に上体を預けていた。

 傍らに転がっているのは「現代民俗学入門」と題された本。暇そうなシロハに誰かが与えた珠玉の一冊だ。彼女はそれを熱心にめくっていたが、しばらくすると横に置いてオブジェとして使っていた。


「月が紅くなることも、襲撃者が来ることもないですし。森の中で野犬に襲われることも、海の底で一晩明かすことも、気がつけば雪の下に生き埋めになってることもないですし」

「最後の三つはおかしい」


 この元ホームレス、気合いが入りすぎである。なんで日常的にサバイバルしてるんだろう。楽しいのかな。

 シロハはやることもなく暇そうにしていたが、俺を含め灰色の男たちはフル稼働である。満月の夜は明日だ。決戦に備えて、俺たちは最終調整に入っていた。


「ナツメ、これで完璧だ。この計画なら、自衛隊基地だろうとなんだろうと絶対に入れる。無人ならな」

「計画も何も、ハンマーと産業用爆薬でドア吹っ飛ばすだけじゃねえか。ゴリ押しもいいとこだよ」

「作戦名はハンマーと産業用爆薬でドア吹っ飛ばすだけ大作戦だ」

「ハンマーと産業用爆薬でドア吹っ飛ばすだけじゃねえか」


 こいつのネーミングセンス、一周回って好きだった。彼にはいつまでもそのままで居て欲しい。そんな切なる願いすらもこの世界は叶えてくれないんだろう。ああ、無情かな。


「なあナツメー。お前が言った条件に合致する区間を探したんだけどよ、やっぱり駅が一番だわ。近くの踏切とかもあるっちゃあるが、位置関係が悪い」

「それでも使えないってほどじゃないんだろ? 念のためにそれも込みで考えておいてくれ」

「まあ用意はしておくけどよ……。でも、本当にこんなことすんのかぁ?」


 地図と時刻表を突き合わせてにらめっこしていたヤツが俺に言う。彼には、今回の作戦において重要な目標地点を割り出してもらっていた。


「そりゃ必要なければそれに越したことはないけどな。俺は必要になると思うぜ」

「んー……? 俺にはよく分からんが、これめっちゃ危なくね? 本当に大丈夫なのか?」

「危ないっちゃ危ないが。あれがあればどうとでもなる」


 俺はテーブルの上に積まれたお面を指さした。今回の作戦のために調達した、歴代プニキュアのお面だ。初代から最新作まで人気どころが満遍なく揃っている。

 このお面は俺たちのお守りだ。これさえあれば多少の困難は生き残れる。


「尚更わけわかんねえよ。あんなお面に命預けるとか、お前正気かよ」

「それについては昨日説明しただろ」

「あー。俺難しい話聞くと寝るから」


 聞いてなかったらしい。あほう。それでこそ大学生だ。

 ふと視線を向けると、周りの奴らもバツが悪そうな顔をしてこっちを見ていた。おいまさか、お前ら。どいつもこいつも聞いてなかったとか言うんじゃねえだろうな。


「しゃーねえなあ。もう一回説明してやるから、ちゃんと聞け。いいか、今回の作戦は――」

「ナツメさん」


 起き上がったシロハが俺の裾を引っ張る。


「そろそろ時間ですよ。行かないと」

「あーっと、そうだったな」


 時刻は日暮れが近い。ここ数日はリントヴルムの襲撃は無かったが、それでも万が一ということがある。念のため俺たちは人の居ない場所で彼を待つことにしていた。


「灰原ー。すまん、俺行くから。代わりに説明しといてもらっていいか?」

「あいよー、任された。シロハちゃん、外は冷えるから暖かくして行くんだよ」

「あはは。お気遣いありがとうございます」


 彼女ははにかんだ笑みを向ける。決戦前夜でも、シロハに緊張はなさそうだった。



 *****



 しばらく電車に揺られて、やってきたのは夜の埠頭だ。そこかしこに街灯が設置されているため結構明るいが、人気は全く無い。少しだけ欠けた月の青白い輝きが埠頭を照らす。今日も襲撃は無さそうだ。

 適当なベンチに腰掛けて空を見上げる。ちなみにスピは不参加だ。俺としては月光の話を聞きたかったが、ここ数日は上手いこと逃げ回られてしまっていた。


「念のため一時間くらい様子見るかー。帰りになんか食ってこうぜ。何食いたい?」


 潮風を浴びながら聞く。答えは帰ってこなかった。隣を見ると、シロハは黙ってじっと空を見上げていた。

 電車の中で、彼女はずっと何かを考え込んでいた。いや、正確には昨日からだ。昨日俺が作戦を説明した時から、彼女は何かを考えていた。


「どうした、シロハ」

「……ねえ、ナツメさん。あの作戦、本当にやるんですか」

「ああ、そのつもりだが」


 不満がありそうだった。そう言えば初めて会ったあの日も、彼女はこんな顔をしていた。困ったような顔をして、「逃げてください」と頑なに主張したあの日のことだ。


「ナツメさん。私はこの作戦、反対です」

「……。理由を聞かせてくれるか?」

「あまりにも危険すぎます。もっと安全なやり方があるはずです」

「んー……。すまんな。色々考えたんだけど、これが一番安全かつ確実なやり方なんだ。これ以上は現実的じゃない」

「私は、あなたたちの身の安全について言っています」


 シロハは立ち上がり、俺の前に立つ。彼女は静かに怒っていた。

 俺が考えた作戦はシロハにとって一番安全なやり方だ。だってそうだろう。俺たちにとっての最悪は、最後の魔法少女たるシロハが敗北することだ。何が何でもそれを避けるために、彼女のリスクを徹底的に排除した。

 極端な話、作戦が失敗してもシロハさえ生き延びれば世界は続く。それすらも見越した作戦だった。


「安全策だ。あらゆる意味でな」

「そんなことは分かってます……。でも! だからって、どうしてあなたたちが戦場に立たないといけないんですか!?」


 そう。だから、彼女のリスクを下げるために、俺たちが戦うことにしたわけだ。


「作戦上必要な役割だからだ。わかるだろ」

「そんな賢い言葉は聞いてません! 戦うってことがどういうことなのか、本当に分かっているんですか!?」

「何も戦うわけじゃない。ただ、戦場に立つだけだ。直接的な交戦は極力避ける」

「同じことですよ! あなたたちは安全な日常を捨てて、命をかけることになるんです! たとえ戦えようと、戦えまいと!」


 正論だ。彼女は正しいことを言っている。

 俺たちは戦えない。実は古武術道場の跡取りだとか、ボクシング部の元エースだとか、猟銃免許を保持しているだとか、そんな奴は誰一人としていない。どいつもこいつも一般人だ。

 それでも俺たちは戦場に出ることにした。捨て駒になるのも覚悟の上だ。


「怪我をするだとか、死ぬだとか、そんなことじゃないんです。あなたたちは多くのものを失います。たった一つを守り抜くために、それ以外の全てを失います。大切な友人も、かけがえのない仲間も、帰るべき日常も。大げさだと思いますか? でも、それが戦うってことなんですよ……!」


 シロハは押し殺すように叫ぶ。俺にはそれが悲鳴に聞こえた。

 彼女は戦いの中ですべてを失った。相棒を失い、仲間を失い、居場所も失って、それでも彼女は戦うことをやめなかった。やめられなかった。彼女が諦めてしまえば、守り続けてきた世界すらも失ってしまうから。


「大げさなんかじゃねえよ。そんな風に戦うやつを、よく知ってるからな」

「だったら……!」

「だから戦うんだ」


 だってそんなの、あまりにも灰色じゃないか。

 戦うのがどういうことかなんて、正直俺にはよく分からん。失うことの痛みなんて俺たちはまだ知らない。でも、それは何もしない理由にはならない。

 そりゃそうだろうが。目の前の女の子がボロボロになりながら世界を守り続けてるってのに、なんで黙ってられんだよ。


「守りたいものがある。何もしないで黙って見ていることはできない。たとえ力が無かろうと」

「だったらそれは私が守ります! あなたたちが戦う必要なんてない!」

「俺が守りたいのは、お前だよ」


 彼女は言葉を詰まらせた。

 口を開いて、閉じて。何かを言おうとして、言えなくて。少し、顔が赤い。それは俺も同じだろう。

 シロハは力を抜いて俺の隣に座る。それから恥ずかしそうに横目で俺を見た。


「……私はそんなこと、望んでません」

「俺が望んでるんだ」

「どんな過酷があろうとも世界を守らないといけない戦いです。あなたたちを、巻き込みたくない」

「俺たちが巻き込まれたいんだ」

「同情ならやめてください」

「同情なんかじゃない」

「負けるかもしれません」

「負けねえよ」

「死ぬかもしれません」

「死なねえよ」

「私は……。あなたたちを、見捨てるかもしれません」

「見捨てさせねえよ」


 彼女は失うことを恐れていた。

 それが彼女の灰色だ。戦いの日常に慣れ親しみ、一度は空虚な日々を受け入れた彼女は、失うことの痛みだけは耐えることはできなかった。

 だから俺は。俺たちは。この灰色を焼き尽くすと決めたんだ。


「……本当に、バカですね」

「よく知ってるよ」


 確かに俺は何一つ取り柄のない一般人だ。だが、それは何もしない理由にはならない。そんな言い訳をしたくない。

 俺は電子タバコに火を入れる。煙を空に吐き出して、青白い月を見上げた。


「ナツメさん。それ、たまに吸ってますよね」

「……あ、悪い。うっかりしてた」


 シロハの前ではできるだけ吸わないようにしていたが、つい、無意識だった。


「そうではなくて……。それ、一口もらえませんか?」

「吸ったことあるのか?」

「そのままお返ししますよ。戦ったことあるんですか?」

「ない」

「じゃあください」


 俺は電子タバコを彼女に渡す。使い方を教えると、たどたどしい手付きでスイッチを入れた。

 それから勢いよく吸い込んで、強烈なメンソールにやられて盛大に咳き込んだ。あーあー。言わんこっちゃない。


「やめとけよ。未成年が吸うもんじゃない」

「けほっ……。そのまま、お返ししますよ……。一般人が、戦いなんてやるもんじゃないんです」


 もう一度ゆっくり吸って、ゆっくりと吐き出す。今度はむせなかった。

 仕返しのつもりなんだろう。一般人を戦いに巻き込んだ罪悪感と、未成年に喫煙させた罪悪感。これでお互い様、か。随分と優しい仕返しをする。


「ナツメさん。私はずっと死に場所を探してたんです。惰性のような使命感だけで、何を望むこともなく戦い続けて。いつかあの世でブラックに会ったら、『ごめんね、頑張ったけどダメだった』って言うつもりだったんです」

「そうか」

「でも、それはもうやめました」

「……そうか」


 意思が通る声だった。覚悟を決めた彼女の声は、透き通った純白の輝きに満ちている。汚れ一つ無い気高い輝きは、彼女の胸に秘めた挟持そのものだ。


「ナツメさん。私には、守りたいものがあります」

「ああ。俺もだ」


 シロハは俺に電子タバコを返す。それを受け取って、空に煙を吐き出した。

 たゆたう煙は陸風に乗って海へと消える。その先を追って、俺達は月を見上げた。


「こういう時ってキスでもしたらいいんですかね?」

「直球すぎる」

「アプローチの仕方なんて知りませんので」

「安心しろ、俺もだ」


 俺と彼女は互いに目を見て、それから笑ってしまった。二人揃ってこういうことには不器用だ。ムードなんてどこかに行ってしまった。


「せっかくですし、取っておきましょうか」

「そうだな。決戦が終わったら、続きをしよう」


 月明かりの下、照れたように笑う彼女は見惚れるほどに美しくて。

 そんなわけで、俺には負けられない理由がもう一つ増えたのだった。

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