「その格好でマスコットと言い張るか」
そんなわけで。
明日の課題から逃げ出した俺達は、プニキュアとなって世界を救うことにしたのであった。
「……なあ、ナツメ。お前なんで衣装持ってんだよ」
「姉のお下がり」
「姉のお下がり!?」
何を隠そう、俺が纏っているのは一シーズン前に放映されていたプニキュア衣装だ。ピンクだから多分主人公。実を言うと最近のプニキュアはよく知らない。
ひらひらのリボンを風になびかせ、威風堂々と街を征く。時折すれ違う人からは、「うわなんだこいつ」的な生暖かい視線を向けられていた。
「うちの姉貴がコスプレ趣味なんだよ。で、この前、もう着ないからと押し付けてきた」
「その姉にしてこの弟ありか」
「褒めるな褒めるな」
「謙遜すんなよ。お前がナンバーワンだ」
褒められた。わーい。
なお、さすがに灰原の分の衣装は無かった。なのでこいつは、大型雑貨店で買ってきたリラックモの着ぐるみを着ていた。ポケットに手を突っ込み、路上喫煙を颯爽とキメながら街を練り歩くリラックモ。うむうむ、これぞ大学生と言うものだ。
「すまんなー、ナツメ。俺もできればプニキュアになりたかったが、マスコットが限界だったわ」
「その格好でマスコットと言い張るか」
「ナツメ! 危機が迫ってるポヨ! 早くしないと、大変なことになるポヨ!」
灰原は想像を絶するアレな声を出した。あまりの想像を絶するアレさに、俺は不覚にも正気に戻った。
少しバツが悪そうに、灰原は言う。
「……悪い、忘れてくれ」
「いや……。俺も拾えなかった。許せ」
「ダメだな……。俺たち、こんな調子で世界救えんのかな」
「無理かもしれんな……」
無性に敗北感を覚え、肩を落としながら街を歩く。吹きこんだからっ風がスカートの内側に潜り込み、むき出しの太ももをぞろりと撫でていった。
小一時間も街を歩き、大学帰りの学友とキメポーズで自撮りを楽しんだ。そんなこんなで日も暮れてきたので、どこかで飯を食ってから帰ろうかと。灰原とそんな話をしていた時だった。
「ナツメー。俺混ぜそばがいいー」
「この服で汁物は勇気溢れすぎだろ」
「だって俺たちプニキュアだし」
「違いねえや」
俺と灰原はキャッキャと笑う。手元には、学友に押し付けられたマキシマムゼロの空き缶なんかも持っていた。彼らは飲酒するプニキュアの姿が見たかったらしい。まあようするに、俺たちは出来上がっていたわけだ。
だからソレが起きた時も、アルコールに浸った俺の脳は、正常な感情を呼び起こさなかった。
ドン、と大きな音が響く。へらへらと締まり無い笑みを浮かべながら、俺たちは振り返った。
そして、ソレを見た。
「あ? なんだあれ」
「いや……。なんだ? あれ、なんだ?」
衝撃、轟音。ベキバキと何かが倒壊する音。それから、小さな悲鳴。
突如あたりに立ち込めた霧の向こうで、二つの影が戦っている。
気がつけば、見慣れたはずの街並みは紅い月光に朱く照らされていた。それはさながら、常識では図りえない非日常の中に囚われたかのような。そんな異様な光景であった。
「灰原、悪い。俺ちょっと飲みすぎたみたいだ。月が赤く見える」
「奇遇だな、俺もそうなんだ」
「ひょっとして俺たちの物語始まった?」
「世界を救う大冒険始めちまうかー」
この時はまだ、そんな軽口を交わす余裕もあった。どうせアルコールが見せた幻覚だろう、と。
だが、霧の奥で戦っていた小さな影が俺たちの方に吹き飛ばされた時、そんな余裕も吹き飛んだ。
小さな影は空中でくるりと回転し、俺達に背を向けて着地した。
それは純白の少女だった。背丈は中学生くらい。銀糸のショートボブに燐光を纏い、白を基調としたひらひらのドレスに身を包む。全身は傷だらけだ。吐く息も荒い。抜けるように白い肌が、激しい運動のせいでほのかに紅潮していた。
魔法少女だ。俺と灰原は、どちらともなくつぶやいた。
「生き残りですか!? もしまだ戦えるようでしたら、申し訳ありませんが救援を――」
傷だらけの魔法少女は、純白の剣を片手に勢いよく振り返る。
そして、俺と灰原。仮装したプニキュアと、路上喫煙リラックモ。俺たちの姿をたっぷり二周は見回して。
「変態だー!?」
聞く人が聞けば通報しそうな悲鳴を上げたのであった。
*****
正直、俺たちには状況がいまいち飲み込めていなかった。
どうするよこれ、と灰原と顔を見合わせる。灰原も困った顔をしていた。
だが、きっとこの時誰よりも困っていたのは、当の魔法少女本人だろう。
「ちょっとスピ! どういうこと!? なんでへんた……特殊な趣味嗜好を有する成人男性が結界に入ってるの!?」
『ホワイト、今の言葉よく噛まずに言えたね。ちょっともう一回言ってよ』
「特殊な趣味嗜好を有する成人男性! が! なんで入ってきてるのかって聞いてるの!」
ホワイトと呼ばれた魔法少女の頭上に、どこからか現れた小さなぬいぐるみが飛び乗った。
真っ白でふわふわな馬のぬいぐるみだ。いや、額に小さな角がある。馬ではなくユニコーンか。ともかくそのぬいぐるみは、俺の認識が正しければ人語を解し、スピと呼ばれていた。李徴ではない。
『質問に答えようか。確かに、魔法で形成されたこの結界は一般人の立ち入りを拒絶する。でもね、僕たちが使う魔法ってやつはそんなにシステマチックじゃないんだ』
「理論はいいから、結論!」
『なんか魔法少女っぽいから、入れちゃった』
「ばかー!」
魔法少女は頭上のぬいぐるみをべりっと剥がし、勢いよく放り投げる。と見せかけて、ふんわりした軌道を描いたぬいぐるみは、俺の手にすっぽりと収まった。
ぬいぐるみは手足をじたばたさせながら、不思議な声で『あーうー』と鳴いた。声帯を介していない、頭に直接響くような不思議な声だった。
「あの……。巻き込んでしまってごめんなさい。そのまま引き返せばここからは出られます。それと、不躾なお願いですが、その子を安全な場所まで連れて行ってほしいです」
「あ、ああ……」
「ありがとうございます。では、お元気で」
最後にぺこりと一礼し、魔法少女は飛び上がった。
軽やかに宙を踏み、空を舞いながら霧の向こうへと消えていく。その姿を見送った後、俺と灰原はもう一度顔を見合わせた。
「なあ、灰原。どうする?」
「状況はよくわからんが……。どうしたもんかね」
引き返せと言われたが、大人しくそうするには抵抗があった。
理由はいくつかある。それはとりあえず突っ込んどけとかいう大学生マインドであったり、俺たちから正常な判断を奪っているアルコールであったりしたが、中でも最たるものは。
「あの子、助けを求めてたよな」
「……だよなあ」
ふう、と俺は息を吐く。灰原は紫煙を吐いて、タバコを握りつぶした。
「困ってる人は?」
「見ないふり」
「助けを求められたら?」
「誰かがやるっしょ」
「いつからそんな人間になったんだっけか」
「さあな。これからのことなんて知らねえよ」
俺が聞いて、灰原が答える。それから互いの手の甲をガツッとぶつけた。オーケー。結論とするには十分だ。
『君たち、行くのかい?』
小脇に抱えたぬいぐるみが、無機質な目で俺たちを見上げた。
『行ったら死ぬよ。比喩じゃない。本当に死ぬ。ここから先にあるのは、君たちの日常からは遠く離れた戦いの世界だ。君たちが行ったところで、何も出来ずにただ殺されるだけだ』
「おいおい、舐めたこと言ってくれんじゃないかぬいぐるみ。俺たちを誰だと思ってるんだ」
『特殊な趣味嗜好を有する成人男性』
「でもあるが、それ以前に俺たちは大学生だ」
俺も灰原も迷わなかった。余裕の笑みを浮かべながら、深い霧の中に軽々と一歩を踏み出す。
「知ってるか。大学生とは獣だ。酒を喰らい、肉を喰らい、性をも喰らう獣なのだ」
『……?』
「大学生に道理は通じない。俺たちは、世界で最もタチの悪い衝動で出来ている。だろ、灰原」
「ああ、そうともさ。今の俺たちを止められるのは、実家に置いてきたかーちゃんの涙だけだ」
ノリと、勢い。それだけあれば俺たちには十分過ぎる。
大きく息を吸って、存在を主張するように。俺たちは高らかに叫んだ。
「俺たちのー! ちょっといいとこ見てみたいー!」
「はい飲ーんで飲んで飲んで! 飲ーんで飲んで飲んで! 飲ーんで飲んで飲んで!」
「飲んで!!」
「ウェーイ!!」
教えてやるよ、ぬいぐるみ。よく覚えとけ。
酔っぱらった大学生は、世界で最も恐れを知らない存在なのである。