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『この人達はどうして無言で戦い始めたんだ?』

 それはパスタの暴力であった。

 膨大な量のカルボナーラが凄まじい威圧感を放ってテーブルに鎮座していた。大ぶりのベーコンが豪快に転がり、絡みつくホワイトソースがさらなる重みを付け足す。脇にはブラックペッパーとパルメザンチーズの小瓶も控えている。好きなだけかけろと言うわけらしい。

 美味しそうではある。だが、俺とシロハの顔は盛大に引きつっていた。何せ、そのカルボナーラは鍋ごと供されたのだ。


「おい灰原。これ絶対三人で食べ切れる量じゃないだろ」

「大丈夫だって。この前五人で来た時は余裕だったし。三人でもいけるっしょ」

「どこから来るんだよその自信は」


 シロハに至っては完全に無言であった。知らない世界を目にしてしまったかのように、ただただ無言で天を仰いだ。おい待て、諦めるには早すぎるぞ魔法少女。


「本当に死ぬほどパスタ食いに来たよな、お前な」

「せやろ。テンション上がらん?」

「ぶっちゃけ結構上がってる」


 ひゃっほーう! カルボナーラだー! めっちゃあるぜー! いえーい!!

 俺たち脳みそ小学生。細かいことは気にしない。まあ、なんだ。頑張りゃいいんだろ。むしろ燃えるわ。


「ええ……? あの、正気ですか……?」

「シロハちゃん、怯んでる暇は無いぜ。カルボナーラは冷めると魔物になるからな」

「それを分かっていて、なぜカルボナーラをチョイスしたのか小一時間問い詰めたいです」


 分かる。俺には分かるぜ、灰原。分かっているからこそカルボナーラを選んだんだ、お前は。

 ここで無難にペペロンチーノなんて選ぼうものなら、それはカルボナーラから逃げたことを意味する。その時点で敗北しているのだ。そんなこと、我ら灰色の男たちにできるはずがない。


 そんなわけでパスタと格闘すること小一時間。鍋の三分の二ほどを平らげたところで、俺たちのペースは格段に落ちていた。


「くそ……まだこんなにありやがる……」

「やっべえな……これはちょっと、勝てないかも……」

「あの……。私、もう、これくらいで、ギブ……」


 弱気なことを言うシロハに、俺は無言でトングを手渡した。シロハは泣きそうな顔で俺を見た。ダメだ。撤退は断じて認めない。玉砕するまで突き進むのだ。


『あのね、君たち。どうしていつもいつもバカなことをしているんだ』


 シロハの頭上でもぞもぞとぬいぐるみが動き出す。死屍累々な俺たちを見て、彼は露骨に呆れていた。なんでい、バカなことしちゃ悪いんかい。それが大学生ってもんやろがい。


「スピぃ……。お願い、代わりに食べて……。私、もう、ほんとに無理なんだよぉ……」

『そんなこと言われましても』

「ちゃんと良い子にするからぁ……。お願い……一生のお願い……」

『無理なものは無理だよ。このぬいぐるみボディにどうしろと』


 スピはシロハの頭をぽすぽすと叩く。撤退は許されず、救援が送られることもない。ここが我らの死地と知れ。シロハは涙をのんで、鍋に渦巻く大量のパスタにトングを伸ばした。良いガッツだ。


竜人種ドラゴニアの彼には見せられないね。あの誇り高き戦士を手玉に取る君たちが、こんなところで悲鳴を上げてるだなんて』

「むしろリントくん来ねーかな。あいつにもパスタ食わせたいわ」

『お花畑か君は』


 いやだって、リントくんもパスタ食いたいと思うよ。食いたいか食いたくないかで言えば食いたいじゃん。敵とか味方とかそういうのいいから、とりあえず一緒に飯食おうや。な。そしたらもうダチっしょ。世界平和も叶って一石二鳥じゃん。


『もう平和ボケとかそういう次元越えてる……』

「スピ。ナツメさんを理屈で考えちゃダメだよ。この人は、こういう生き物」

「褒めるな褒めるな」

『褒めてない』「褒めてないです」


 褒めてないの!?

 衝撃の真実に俺は愕然とする。なんてこった。褒められてなかったのか。ほんまかー。つらたん。

 打ちひしがれる俺の肩を灰原がそっと撫でる。ありがとう。お前は本当に良いやつだな。お礼にカルボナーラやるよ。遠慮するな。俺がトングを獰猛に構えると、灰原は自分の皿を守った。


「む……」

「く……」

『ねえホワイト。この人達はどうして無言で戦い始めたんだ?』

「お願いだから私に聞かないで……」


 俺はトングをカチカチ鳴らして威嚇する。灰原は歯茎をむき出しにしてそれに応えた。膠着状態が続くことしばし。終わりの見えない戦いに、俺は静かに切り出した。


「……灰色協定グレイ・パクトを発動する。食べ物で遊ぶこと、我らこれを放棄する」

「そんな協定あったっけか?」

「ない。だから今結ぶ」

「オーケー。受諾した」


 俺はトングを置き、灰原は皿を置いた。それから固く握手をする。なお、この間シロハとスピは徹底的に他人のふりをしていた。

 あーだこーだとやりつつも、なんとかかんとかカルボナーラの山を削る。ようやく鍋の底も見えてきた頃、俺はふと気になっていたことを思い出した。


「シロハー。そういや一個聞きたかったんだけどさ」

「はいはい、なんですか?」

「リントくんって、なんで毎晩復活するんだ? カルボナーラみたいに」

「カルボナーラみたいに!?」


 倒しても倒しても、翌日になると奴は元気いっぱいで魔法少女を襲撃する。最近は適当にいなしているが、やっていることは終わりのない戦いだ。そう、まるで食べても減らないカルボナーラのように。あまりにも自然な話運びに、俺は我ながら惚れ惚れした。


「カルボナーラというのはよくわかりませんが……。ええと、言われてみると不思議ですね。なんででしょう?」

「知らないのか?」

「特に気にせず戦ってました」


 まじかー。

 気にしなかったのかー。そっかそっか。じゃあしょうがないよね。


『これでホワイト、気にしないことは全く気にしないからね』

「目の前のことに一生懸命って言ってほしいです」

『あと、無限にポジティブ。そういうところ君たちとよく似てるよ』


 それを聞いて俺は笑みをこぼす。内心覚えた戦慄を、おくびにも出さないように。

 余計な疑問を抱くこと無く、どんな状況でも心折れること無く行動を続けられる。本当に、シロハという少女は、兵士として怖いくらいに完成していた。


「じゃあスピは? 知っているのか?」

『まあね。大境界ハイパー・ブルーは知ってるかい?』

「ああ、空のことだろ。シロハから聞いた」


 だったら話は早いね、とスピは言う。


『実のところ、ホワイトはリントヴルム本体を倒しているわけじゃないんだ。存在を世界に繋ぎ止めているクサビのようなものがあって、それを斬ってるの』

「クサビ? そんなもの見たことはないが」

『クサビってのは存在自体に付与する属性だから、目に見えるものじゃないよ。よっぽど巨大な存在なら外に持つこともあるけど』


 …………。

 クサビがあるから、存在が世界に繋ぎ止められる。クサビとは存在に付与する目に見えない属性である。うんうん、なるほどね。

 わからん。抽象的な話をするな。俺は大学生だぞ。


『大境界を通るために必要な入館証みたいなものだと思って欲しい。で、個人レベルなら顔パスオーケー。大荷物を持ち込むには専用の申請書がいる。そんな感じ』

「ふうん……。じゃあシロハは、その入館証をぶった斬って追い出してるんだ」

『そういうこと』


 つまりは、倒してるわけではなくただ追い出しているだけってことか。だから何度戦っても、あいつはまたこの世界に侵入してくる。そういうことだ。


「クサビがあっても入ってこれないようにすることはできないのか?」

『現実的じゃないね。大境界を強化できるほどの魔力はないし、仮にやったとしても新しい侵入手段が生み出されるだけだ』


 んー……。そうか。少なくとも今の俺達じゃ、根本的な対処は難しいか。いたちごっこに付き合ってたら、こっちが先にバテちまう。

 となると、侵入してきたところを返り討ちにする水際作戦を続けるしかないんだけど。


「灰原。どう思う」

「……やべえな。カルボナーラの匂いがぷんぷんしやがる」

「カルボナーラの匂い!?」


 同感だ。俺は灰原と顔を見合わせて、しかと頷いた。一方シロハはなぜだか驚いていた。

 何度敵を撃退しても、次の日には新しいクサビを手に奴は襲撃を繰り返す。敵を倒しても得られるのは一日分の休息だけ。どれほど戦おうと状況は一切好転しない。そう、まるでカルボナーラのように。


『まったく無意味ってわけじゃないんだよ。毎晩侵入するために相応のコストを支払っているはずだ。侵入するにはクサビだけじゃなくて大境界の中和も必要だからね』

「その大境界の中和ってのは、どれくらいコストがかかるんだ」

『ラストエリクシル使うくらい』

「急に俗っぽいたとえするじゃん」


 ラストエリクシルって言っても、あれその気になれば量産できるからなあ。

 敵の補給線がどれくらいの規模なのかは知らんが、持久戦に望みを持つのはあんまりやりたくない。それは実質無策に等しい。


『でも毎夜毎夜大変だと思うよ。月が紅くなるまで大境界を中和するなんてさ、よくやるよね』

「……? 大境界を中和すると、月が赤くなるのか?」

『そりゃそうでしょ――』


 そこでスピは一度言葉を切る。それから少しの間、何かを考えた。


『ええっと。大境界について、ホワイトからはどこまで聞いたの?』

「魔法少女が維持している、外からの侵略者を阻む巨大な結界ってとこまで」

『なるほどね、そっか。だったら……』


 スピはしばらくの間言葉を選ぶ。その様子を俺は黙って見ていた。


『大境界と月光には密接な関係がある。維持しているのは魔法少女なんだけど、動力源は月光そのものなんだ。大境界の魔力補充は月光照射によって行われているの』

「当然のように月光が魔力を宿してるんだけど」

『昔から月の魔力は人を狂わすってよく言うだろう?』


 相変わらずファンタジーだった。まあいいや。そういうもんだと思っておこう。


「なあ。その月光照射ってのは、日中でも問題ないのか?」

『そうだよ。月が昇っている時間帯ならば、たとえ日中だとしても問題はない』

「……となると、ヤバいのは満月か」

『正解。君は本当に察しが良いね』


 襲撃が発生するのは夜の始め。そして満月の日は、夜から月が昇り始める。つまりその日その時間は、大境界が最も薄くなる時間でもあった。


『満月の夜には気をつけるといい。それは襲撃が最も激しくなる夜であり、月光が最も強大になる夜でもある』

「そうなるとこの状況は僥倖だな。満月の夜の前に、ここでカルボナーラを討てるのは大きい」

「それだけじゃないぜナツメ。パルメザンチーズも始末しちまおう」

「ナツメさん、灰原さん。真面目な話をするか遊ぶか、どっちかにしてください」


 何言ってんだシロハ。俺たちはいつだって真剣だ。真剣に、どうやってカルボナーラを倒すかを考えている。

 だが、話の中でキーワードは見えた。俺は気になっていたことをスピにぶつけた。


「なあ、スピ。月光ってのはなんなんだ」

『莫大な魔力を含む光。今はそうとだけ認識しておいてくれ』


 スピはそれ以上説明するつもりは無いようだった。月光が赤くなる理由も分からずじまいだ。気にはなったが、深追いすることもない。話したくないことは聞かない。灰色の男は紳士なのだ。

 それにしても、満月の夜か。魔法少女にとっても、襲撃者にとっても、特別な夜。次の満月は来週だ。


「問題は、満月の夜に敵が何をしてくるかってとこだな……。何事もなきゃそれに越したことはないんだけど」

「ナツメ。敵を甘く見るべきじゃないと思うぜ、俺は」

「同感だ。楽観視は命取りになる。何せ奴らは、大境界という魔法少女に圧倒的有利な状況下でここまで追い詰めたんだ。並大抵の手腕じゃない。それこそ軍隊を相手にしているって思ったほうがいい」

「実力と物量を兼ね備えた敵ってわけか。おいおい、これじゃあまるで」

「「カルボナーラじゃないか」」


 俺と灰原はピタリと声を合わせる。シロハは一人頭を抱えた。


「ねえスピ……。カルボナーラってなんなの……?」

『答えなら目の前にあるけど』

「こわい……カルボナーラこわい……こわいよぉ……」


 シロハはカルボナーラに怯え、身を震わせる。カルボナーラに敗北する魔法少女。ものすごくレアな生き物がここにいた。

 俺は優しくシロハの肩を叩く。シロハは助けを求めるように俺を見た。そんな彼女に、俺は笑顔でトングを手渡した。

 さあ、休憩は終わりだ。そう宣告すると、彼女はいよいよ泣き出した。

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i316778.
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