「――お別れは済みましたか?」
夜。ビルの屋上から紅い月を見上げ、電子タバコの煙を吐いた。
久々に摂取するメンソールの蒸気が脳の澱を奪い去る。シロハが家に居着いてからの数日は慌ただしく過ぎ去って、のんびり煙を吸うこともなかった。風に流れる煙を、なんとなしに見送る。
最近の彼女は、俺が大学に行っている時間でこまめに部屋の掃除をしてくれている。綺麗好きなのだろう。あの日大学から帰ると、室内の雰囲気がガラッと変わっていたのには心底肝が冷えた。野郎の一人暮らしには女子供に見せちゃいけない代物が山とある。幸いにも俺の秘蔵物に手がつけられた形跡はなかったが、見つかるのも時間の問題だろう。ほんと、どうしようね。
「……来たか」
バサリと翼の音がする。空を見ずともわかる。竜人種の男、リントヴルム。連日連夜襲撃を繰り返す彼が、今日もこの世界に降り立ったのだ。
「よう、リント。また遊びに来たのか。お前も懲りないな」
「それはこっちのセリフだ。またテメエかよ。俺が用あんのは魔法少女だけなんだっつの」
リントヴルムは二度強く羽ばたいてから地上に降り立つ。一度周りを見回してホワイトが居ないことを確認。舌打ちを一つ響かせた。
「なあリントヴルム。前から聞きたかったんだが、お前はどうしてそんなに魔法少女を狙うんだ」
「あ? そんなもん当たり前だろ。あいつは魔法少女だぜ。狙うしか無いだろ」
「大好きかよ」
「んなわけねえだろ。大っ嫌いだ」
リントくんはいーっと歯をむいて、中指を立てた。最近の彼はこんなフランクな感情表現も見せてくれる。俺たちはそれくらいには仲良しになっていたのだ。
「またまたー。本当は好きなくせに」
「だから違えっての。バカかお前は」
「躍起になって否定するほどそれっぽく見えるんだよなぁ」
「そもそも俺たちは敵同士だろうが。好きも嫌いもねえよ!」
完全に修学旅行のノリである。ここんとこ毎晩毎晩くっちゃべってたせいで、俺とリントくんの間には奇妙な友情が芽生えていた。なんなんだろう、この、なんなんだろうね本当に。
「じゃあ逆に聞くけど、誰なら好きなん?」
「お前本当に……。あー分かった、降参だ降参。どうせ答えるまで続くんだろ、これ」
「わはは。良くわかってるじゃないか」
「好きなやつってのはいないが……。魔法少女の中でも、気になるやつはいた」
彼は少し遠い目をしていた。回想モードに入ったようだ。どことなくセピア色の雰囲気を漂わせながら、リントは言った。
「気味の悪い女だったよ。飄々としていて、柳のようだった。俺がどんなに強く拳を放とうと、花びらが舞うように避けやがる。決して強くはないんだが、絶対に倒せない強さがあった」
「当然のように戦闘してるんだけど」
「そりゃそうだろ。魔法少女と会う機会なんて、戦場以外どこにあるんだ」
少し意外だった。リントくんは真っ向勝負を好むと思っていたけれど、そういう戦い方をする相手も覚えているらしい。
「最初は大嫌いだったよ。正面から戦わないくせに、俺の前に立ちはだかり続ける。時間稼ぎばかりでムカつく女だったが、何度も戦ってるうちに気づいちまったんだ」
「ふうん……?」
「あいつが俺と戦う時は、あいつの後ろに守るべきものがある時なんだ。絶対に顔には出さなかったけど、多分あいつも必死だった。俺はそう思ってる」
何かを守るために戦った魔法少女、か。
かつてはもっと多くの魔法少女が居て、今よりもっと大きな戦いが繰り返されていたらしい。シロハがそう言っていた。きっと彼が言っているのは、そんな戦いのワンシーンだったんだろう。
「その魔法少女はどうなったんだ」
「……さあな。俺の手で倒せなかったことだけは確かだ」
「そうか……」
自分の手で倒せなかったことを悔しがっているのか、それとも安堵しているのか。リントヴルムの心境は俺には測りかねる。
「なんつーかさ。感傷、みたいなもんなのかな。上手く言えねえけど」
「は? 感傷?」
「さっき聞いたじゃねえか。俺が魔法少女を狙う理由だよ」
リントくんはポリポリと頭をかいた。つい、話したくなってしまった。そんな様子だ。
「お前は知らんだろうけど、俺たちと魔法少女は長い間戦い続けてきた。そこにはいくつもの誇りがあった。いくつもの信念が砕けていった。そうした長い戦いの果てに、今この場所があるんだ。だから、ちゃんと全部終わらせたいじゃねえか」
視線は既に俺を見ていない。風に流すように、リントヴルムはつぶやいた。
「この戦いに決着をつけねえと、散っていった英霊たちに申し訳が立たねえ。俺たちも、魔法少女も、全ての戦いが終わるまでは安心して眠れないだろ」
それは戦士としての言葉だ。
戦いの中に身を置くからこそ、戦いに幕を引くことに救いを見出す。彼は彼なりの考えで、この戦いに決着をつけようとしていた。
「……リントヴルム、お前の考えは理解した。だが、その上で俺はお前を否定する」
「だろうよ。お前はそれでいい。俺とお前はあくまで敵同士だ。その関係に変わりはない」
紅月の下で相対する。俺は彼に歩み寄り、右手を差し出した。彼は一度鼻で笑った後、俺の手を取る。鱗に包まれた鉤爪と薄皮に包まれた人の手は、不器用な握手をかわした。
「なあ、キュアゆうた。もし出会い方が違えば、俺とお前は友達になれたのかもしれねえな」
「そんな仮定に意味は無いさ。過去は固定され、現在は今しかない。でもよ、未来だったら変えていけるんじゃねえか」
「はっ……。下らねえこと言ってんじゃねえよ。分かってんだ。そろそろ時間だろ」
「そうだな。また会おうぜ、リント」
リントヴルムはニヤリと笑う。そんな彼の肩を、後ろからぽんぽんと叩く手が一つ。
魔法少女ホワイトブランドである。
「――お別れは済みましたか?」
彼女が剣を振るうと、リントヴルムは瞬く間にバラバラになった。切り刻まれる彼はどこか満足そうな顔をして、俺と握手したまま消えていった。
さらばだ、友よ。また会おうぜ。俺は月を見上げて、弔うように電子タバコの煙を吐いた。
「ちょっとナツメさん、なんで仲良くなってるんですか!? 後味めっちゃ悪いんですけど!?」
「……戦場で芽生える友情があったって、いいだろ」
「やりづらい……! めっちゃやりづらいですよう……!」
ホワイトは剣を抱えてぷるぷる震えていた。この子、罪悪感ってのに結構弱かったりする。悪役に向かない少女であった。
しばらく月を見上げて残心とした後、ホワイトは変身を解除してシロハに戻った。
今日の彼女はふんわりしたオフホワイトのチュニックだ。ボトムスは無難にレギンス。シンプルながらも上品な装いは、銀の髪に真っ白なストローハットが添わるとなお映える。まるでええとこのお嬢さんのようだ。そんな彼女が元ホームレスだとは、誰も信じないだろう。
「気にすんなって。シロハちゃんは悪くないから」
灰原もひょっこり顔を出す。最近はリントくんの撃退にも手慣れてきて、俺か灰原のどちらかが居れば片付くようになっていた。そんなわけで今日は俺がリントくんと遊んで、灰原は打ち上げの店を探していた。素晴らしいコンビネーションプレイだと自負している。
「わかってる……。シロハは正しいことをしただけだ……。それでも、俺は……っ」
「だからそういうこと言わないでくださいよ! 私が悪いんですよね!? ごめんなさい! 泣きますよ!?」
「落ち着けシロハちゃん。こいつからかってるだけだから」
そのとおりである。ただちょっとシロハの泣き顔が見たかっただけで、悪気はある。
『お疲れ、ホワイト。怪我はしてない? 痛いとこある?』
「心が痛い……」
『無傷ならそれでいいよ』
スピはひょいんとシロハの頭に飛び乗った。ストローハットにしがみついて目を閉じる。寝るつもりらしい。いつもの調子なら数時間もすれば起きるだろう。
「よーし、打ち上げだー。灰原、今日はどこいくんだ?」
「イタリアンにした。喜べシロハちゃん、死ぬほどパスタ食えるぞー」
「灰原さん、本当に麺類お好きですね」
「ばれたか」
見上げた月はいつもの色で輝いている。次第に月も太ってきた。来週には満月が見られるだろう。
俺たちが魔法少女と出会ったあの日から一週間とちょっと。シロハが見せる笑顔は、少しずつ無理のないものになっていた。





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