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「麺物屋の味は煮玉子に宿るんだ」

 とはいえ、さすがに2日連続で飲み屋はきつい。

 俺たち貧困大学生。限られた仕送りとバイトの給料で、かろうじて遊ぶ金を捻出している。さすがに連日飲み歩くような財力は無かった。


「いやー、やっぱりこれだよねー。マイソウルだよね」


 そんなわけで、俺たちは灰原待望のまぜそば屋に来ていた。四人掛けのテーブルに陣取り、灰原は喜々として箸を割った。

 大きなどんぶりに収まったまぜそばが、温かな湯気を立てる。どんぶりの底にはもちもちの縮れ麺、その上にピリ辛のミンチがででんと乗っていた。左右のフロントには刻み海苔とニラのみじん切りが構え、ゴロッとした角煮がバックを守る。サイドに陣取る水菜は食感を支え、アクセントのニンニクがこれまたいい味を出すのだ。それらの頂点に座す卵黄が、太陽のような輝きを放っていた。


「シロハちゃん、初めてだよね? 食べ方わかる? まずね、よく混ぜるの。卵黄が全体になじむくらいまで」

「あ、はい」


 まぜそばの食べ方には結構癖がある。重く絡みつく麺をかき混ぜるのはちょっとしたコツがいるのだ。かと言って時間をかければ麺が冷めてしまう。まぜそばとは、パワーとスピードの両方が求められる食べ物なのである。

 シロハは器用に箸を操って、そつなく麺を混ぜていた。ほどよい塩梅になったところで、一口。初めてとは思えないほどに慣れた手付きであった。


「……あの。見られていると、食べづらいのですが」

「ああ、気にしないで。ちょっと見てるだけだから」

「俺たちは気にしないから、そのまま食べてくれ」

「私が気にしているのです」


 怒られてしまった。失礼。

 昨日もそうだったが、彼女は普通に食べていた。特別おかしな様子は無い。杞憂だったかな、と俺は考え直す。

 気にかかっていたのは、食堂でスピが漏らした言葉だ。『何も食べてないよ。だって生きてないし』。俺はその言葉が忘れられなかった。


「シロハー。美味いかー」

「なんですかその、親戚のおじさんみたいな。美味しいですよ」

「こういうもん食ったことないだろー」

「はい、初めて食べました」

「普段ちゃんと飯食ってるかー」

「ええと……。そうですね、はい。ちゃんと食べてますよ?」


 露骨にごまかしていた。嘘下手か。

 突っ込むべきか、突っ込まざるべきか、しばし悩む。灰色の男は紳士ジェントルだ。人が隠したがっていることを掘り返すのはマナー違反である。

 でも、気になる。気になってしまった。


「東京の食いもんはうまいだろー」

「まぜそばって名古屋めしじゃなかったですっけ」

「煮玉子食うかー」

「もう十分ごちそうになってますので」

「遠慮せんといっぱい食べろよー」

「あの、ナツメさん。ご自分の麺が冷めますよ?」


 あー、もう。何をやっているんだ俺は。聞くなら聞けよ。親戚のおじさんモードに入っている場合じゃないんだ。

 このままだと、親戚の寄り合い鉄板ネタの「ちん毛生えたかー」をやってしまうかもしれない。それはダメだ。おっさんは「おもろいこと言ったったわ」くらいのノリだが、水を向けられた繊細な少年は地味に傷つくのだ。ましてやシロハは少女だ。少年ですらない。ただのセクハラである。


「シロハ……。聞きたいことがある」

「? なんですか?」


 ゆっくりと覚悟を決める。ぐだぐだと逃げていても仕方ない。これはシロハに関わる大切なことなんだ。

 ここまで関わっておいて、いまさら他人事だなんて都合のいい言い訳をしたくない。彼女が抱える全てのことを俺は分かち合いたい。だから。

 意を決して、俺は聞いた。


「ちん毛生えたか」

「ぶち殺しますよ」


 聞けなかった。灰原は爆笑した。

 シロハからものすごい視線を向けられていた。「正気ですか?」と瞳が問うていた。やめろ、そんな目で俺を見るな。ああそうだよ、日和ったんだよ。俺には聞けなかったんだよ。うるせえぞ灰原、笑ってんじゃねえ。男の散り様やろがい。


『まったく……。君は一体何をしているんだ』


 シロハの頭からスピが飛び降りる。突如なめらかに動き出したぬいぐるみは、机の上で大きく伸びをした。おい勝手に動くなぬいぐるみ、SNSに投稿されても知らんぞ。


「スピ、もう起きたの? 早かったね」

『今回はあんまり戦わなかったからね。それよりも』


 スピは一瞬だけ俺の方をちらっと見る。『貸しひとつね』と、アイコンタクトを飛ばしてきた。


『今日はご飯食べるの?』

「うん、たまにはね」

『前から言ってるけど、ちゃんと毎日食べてよ。一食でもいいから』

「うー……。でも、ほら、ご飯食べる余裕なんてないじゃん」

『ホワイト。あのね、そういうことじゃなくて』

「わかってますよー。もう、お説教は後で聞くから」


 シロハはちょっとむくれていた。スピはため息をついて、ただのぬいぐるみに戻った。『あとは自分で聞け』ということらしい。灰原はまだ爆笑していた。やかましいわ。


「あー……。シロハ、聞いてもいいか」

「さっきの質問以外でしたら、どうぞ」

「それはすまんかった」


 頭を下げる。いやまじでごめん。あんなこと聞く気じゃなかったんだよ。だから灰原、お前いつまで笑ってんだ。そろそろ落ち着け。


「聞きたいのは私のことですよね。ナツメさん、そんなに私が気になりますか?」


 からかうような笑みでシロハは聞く。仕返しのつもりか。そんな彼女の手を両手で握って、俺は真っ直ぐに目を見て言った。


「ああ、気になる」

「え、ちょっと、ナツメさん」

「良ければ教えてくれないか」

「手! 手! この手はなんですか!?」

「頼む。シロハのことをもっと知りたいんだ」

「わかりましたから! 離してくださいってば!」


 手を離すと、シロハは露骨に俺から距離を取った。ふっ、小娘が。灰色の男をからかおうなど百年早いのだ。

 シロハは警戒するような上目遣いで、こほんと咳払いする。仕切り直して、それから話し始めた。


「あのですね。魔法少女って、厳密には生きてないんですよ」

「生きてない? どういうことだ?」

「それには魔法少女の成り立ちを話さねばなりませんね。まず、ここに夢を抱いた女の子が居るとしましょうか」


 シロハは魔法で女の子の人形を生み出した。ちょこまかと動く人形の姿は、どことなくシロハに似ている。リトルシロハと呼ぶことにした。


「で、彼女は死にました」


 リトルシロハはトラックに轢かれた。

 猛スピードで突っ込んできたトラックのミニチュアが、リトルシロハに突き刺さる。激しく吹き飛んだ彼女は美しい宙返りを決めて、頭からテーブルに落下した。

 うつ伏せにぐちゃった人形は、ピクリとも動かない。妙に生々しい事故現場であった。


「死の淵にいる女の子は、黄泉へと旅立つ寸前にスピと出会います。そこでスピと取り引きをするのです。このまま死ぬか、魔法少女として生きるか。魔法少女として生きることを選ぶと、晴れて魔法少女が誕生します」


 潰れた人形の側にリトルスピが現れる。ミニマムサイズのぬいぐるみが小さな角でちょんと小突くと、傷だらけの人形が復活した。衣装はバトルドレスに様変わりし、くるんと回ってポーズを決める。魔法少女化したリトルシロハは、実に生き生きと動きだした。


「それが魔法少女の誕生です。ご理解いただけましたか?」

「あ、ああ……」


 シロハがぱしんと手をたたくと、人形たちが手を降って消えていく。魔法少女劇場は閉幕らしい。微笑ましい光景である。だが俺は、コミカルな人形劇では誤魔化しきれない寒気を感じていた。

 夢と、ぬいぐるみと、魔法少女。ファンシー溢れる言葉の並びに重々しい死が絡みつく。

 不吉の香りが漂った。無視なんてできなかった。どうしてだよ。どうしてこんなにも、彼女には不吉がつきまとう。


「正確には、蘇るというよりも魔法少女に作り変えられると言うべきでしょう。魔法少女には生前の記憶はありません。生命活動もしていません。死んだ少女を素材として、魔法少女という活動体が作られるというのが実際のところです」

『それは違うよ。魔法少女は活動体なんかじゃない。れっきとした生きた人間だ。僕は、君たちを、そんなものだと思ったことはない』

「本当のことでしょ」


 スピは辛そうな声を漏らす。シロハは平然としていた。自分自身をそういうものだと、とっくに受け止めしまったかのような。あまりにも淡白な反応に、俺は言葉が出なかった。


「魔法少女は魔力を糧に活動します。魔力というのも不思議なもので、中々説明しづらいのですけれど……。まあ、マジカルパワーです。マジカルパワーがある限り、私たちは不死の存在です」

「不死……」

「ですので、食事は存在の維持においては不要です。そもそも食欲もありません。睡眠欲も、せい……ええと、その、はい。三大欲求自体が存在しないのです」


 なるほど。性欲か。

 魔法少女には性欲が存在しない。これは極めて重要な情報だ。その事実を俺は脳裏に深く刻み込み、重々しく頷いた。そっかー。じゃあシロハちゃんはえっちなこと考えたことないんだー。なるほどねー。


「サイレントにセクハラされてる気がする……」

「気にするな」

「否定しなさい」


 シロハさんはご機嫌をお損ねになられた。ごめんて。


「まったく……。ともかく、そんなわけで魔法少女は生命を超越しています。成長もしないのでいつまでもこの姿のままずっと生きられます。といっても、魔力は無限のリソースではないので、永遠に生きられるわけでもないんですけどね」

「え、じゃあ、シロハちゃん。ひょっとして俺たちより年上だったりする?」


 灰原が口を挟む。レディに年を聞くとはマナー違反なやつめ。でも、今日の俺は人のことを言えないだろう。それに俺も気になっていた。

 シロハは少しだけ恥ずかしそうな顔で答えた。


「私はまだまだ新米なので……。生きていた頃の年は覚えていませんが、魔法少女としてはまだ5年です。たぶん、合わせても18か19くらいではないでしょうか?」


 っしゃあッ! ベストバウトォ!

 あっぶねー。これで俺たちより年上だったらシロハさんと呼ばなければならなかった。灰色の男たちは年齢をあまり気にしないが、微妙な気持ちにはなるのだ。ましてや35歳くらいの生々しい年齢だったらもはやどんな顔すればいいのか分からない。俺たちは机の下でガッツポーズを取った。


『でもね。生命を超越しているのは体だけなんだよ。確かに飲まず食わずでも、不眠不休でも生きられるかもしれない。だけど心はあの時のままなんだ。人としての理を忘れて生きた魔法少女は、いつか心が壊れてしまう。そうなったら終わりだよ』

「わかってますってー。私はまだ大丈夫でしょー?」

『いいや。僕は何人もの魔法少女を見てきたけど、戦いのために全てを割り切った子は長続きしなかった。君はギリギリのところだったよ』

「…………うるさいな」


 シロハは拗ねたように、ぷいっとそっぽを向いた。そんな彼女を見てスピはため息をつく。それから俺たちの方を向いた。


『ナツメ、灰原。これだけは忘れないで欲しい。ホワイトは人間なんだ。痛みを感じて、辛さに涙する人間なんだよ。だから』


 俺と灰原はスピの額を指でつついた。皆まで言うなやい、ちゃんと分かってらぁ。今日の俺らは確かに野暮だが、お前さんまで野暮なこと言うんじゃない。


「シロハちゃん。追い飯食べる? まぜそばの追い飯は美味しいぞー」

「煮玉子も食っとけ。麺物屋の味は煮玉子に宿るんだ」

「あの、そもそもそんなに食べられないですってば」


 いいからいいから。俺たちは勝手にシロハの分までオーダーする。

 どんぶりに入れられた追い飯と煮玉子に、シロハは顔をひきつらせる。そんな彼女をにこやかに眺める俺たちは、もはや言い訳のしようもなく親戚のおじさんであった。

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i316778.
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