「諸君。――共に、プニキュアにならないか」
とかく、大学とはきらびやかな場所であった。
学問の道を志したはずの新入生も、サークル勧誘の毒牙に潰えて幾星霜。今や我が同胞は、酒に遊びにの日々に耽溺し、未来を削る自覚もなく快楽を貪る餓鬼と化した。
本来ならば未成年のアルコール摂取は許されない。されど大学生とは獣である。獣に道理は通じぬ。彼らはただ欲望のままに酒を喰らう。肉を食らう。そして性をも喰らうのだ。
なんと惨憺たる光景か。かような輩共が未来の国府を担うというのか。
そんな狂気渦巻く最高学府に危機感を覚え、集まった男たちがいた。
「諸君。聞いて欲しい」
東館2階の空き教室、E-204号室。学徒の授業料を吸い上げて、いたずらに繰り返された増改築が生み出した万年空き教室に、我らは集まっていた。
総勢18人を誇る、雨城大学の最精鋭。
名を、灰色の男たちと言う。
何もさる名作児童文学がごとく、人々から時間を奪っているわけではない。むしろ俺たちは時間を持て余している。灰色とはそのもの、薔薇色のキャンパスライフに対極を取る色彩だ。
つまるところ、きらびやかな大学生活に乗りそびれた連中であった。
「目を閉じてくれ。そうだ、目を閉じるんだ。警戒するな、目を閉じている間に金を奪ったりはしない。タバコもだ。だから安心しろ。いいから目を閉じろって言ってんだろ。……ああもう、わかった、俺が悪かった。目は開けたままでいいから聞いてくれ」
誰一人として目を閉じようとしなかったので、渋々俺が折れた。
この協力しようという気概の一切ない連中である。何故俺が斯様な奴らの先頭に立っているのだろうか。それは誰も先頭に立つ気がなかったからだ。気概もなければやる気もない。不甲斐ない連中であった。
「灰色にくすぶる男たちよ。諸君らは深海魚である。海の底に沈み込んだ日々を持ち上げようともせず、海底に散らばる餌を拾い集めるみすぼらしい深海魚である。麻雀と酒に日々を費やし、何一つ生産性のない日々に埋没する深海の死骸漁りである」
ブーイングが上がった。やる気のない連中も、こき下ろされれば反応の一つもするらしい。
その反応に俺は満足した。なけなしながらも、彼らはまだプライドを捨てていない。結構なことだ。
「されど安心されたし。夢と希望を失って久しい諸君らに、この俺が夢と希望を与えよう。夢と希望だ。英語にしてドリーム・アンド……。なんだったか?」
「ホープ」
「そう、ホープ。ドリームとホープ。なんか英語にすると安っぽいな……。ええい、夢と希望だ。夢と希望をくれてやる!」
わっ、と歓声が上がる。なにせ夢と希望だ。誰だって欲しいだろう。彼らは基本的に何も考えていないので、何かをやると言えばとりあえず喜ぶ。つい先日、レタス太郎を二袋与えたら狂喜乱舞の宴が始まったことは記憶に新しい。
「これは一種の宣誓だ。そして同時に、我らの未来を大きく左右する決断でもある。この棗裕太に賛同するものよ、その拳を高く掲げることを望む。良いか、よく聞け」
いいからはやくしろー、と野次が上がる。男たちのボルテージは最高潮に達していた。高々と雄叫びを上げ、オリンピックのテーマソングを歌いだした。無駄にビブラートを効かせた野太い歌声が耳孔を汚したが、誰も気にしなかった。
それに気を良くし、俺は口元をにやりと歪ませる。さあ、始めようか。
「諸君。――共に、プニキュアにならないか」
その一瞬。
教室からは物音一つ消え失せ、男たちの表情は抜け落ちた。
空白に染み入るように浮かぶ表情の色は、失望。諦観。何言ってんだこいつ的なアレ。とたん教室を埋め尽くす灰色の感情に、俺は慌てて言葉を継いだ。
「待てよ、お前らだってプニキュアになりたいだろ!? この前そう言ってたじゃないか! だがどれほど希おうと、俺たちはプニキュアにはなれなかった! それは何故か! 踏み出さなかったからだ! ならばこの俺が諸君らに立ちはだかる壁を打ち破ろう! さあ、プニキュアを始めるぞ! 灰色の男たちよ、深海の日々はもう終わりだ! 共にプニキュアとなり、世界を救おうではないか!」
一人、また一人と、教室を後にする。バイトがあるから、ゲームしたいから、と理由を置いてそそくさと。
彼らの中では今日の集会はお開きになったようだ。いつもこうだった。俺が何かをしようと持ちかけては、結局何もせずに解散する。ゆえに彼らは灰色の男たちであり、同じく何もできない俺もまた灰色の男であった。
無力感に打ちひしがれながら帰り支度を進める。もうあんな奴らのことなど知るか。このササクレた感情は、トリトリラーメンに卵を二つ落とすまで決して収まらない。ネギもだ。今日のラーメンにはネギをたんまりと乗っけてやるのだ。
「なあ、ナツメ」
呼びかけられる。誰も居なくなったと思っていたが、まだ一人残っていたようだ。
鋭い眼光を放つ灰色の男。名は確か、灰原雅人だったか。
「あいつらのことは放っとけよ。奴らの灰色は上辺だけだ。無聊を慰めに集いこそするが、戦力になる気など露ほどもねえ。いつだって世界を変えるのは俺とお前だった。そうだろ?」
そうだろ? と言われても正直困った。だって俺、この人と絡んだことあんまりないし。
灰原雅人という男は、外見だけならば極めてパリピであった。派手なアロハシャツと膝下まであるハーフパンツ。とどめにクロックスだ。やる気の無さを絶妙に偽装した装いであったが、無造作に見えてきっちりセットされた金髪が添えられると話は変わる。野良猫のように雑な雰囲気と、何を考えているかいまいち分からない表情。そこから時折繰り出される鋭い寸鉄により、女子からの人気を博していた。
薔薇色のキャンパスライフを征くには十分すぎる素質を持っていたが、なぜだか彼は灰色の男となることを選んだ。曰く、こっちの方が楽しそうだから。上辺だけの灰色と言うなら、こいつの灰色はまさしくそれだった。
「なあ、ナツメ。聞かせてくれよ。どうしてプニキュアなんだ」
「おいおい、言わせるつもりか? むしろどうしてプニキュアじゃないんだ?」
「念の為だ。俺たちが目的を同じにする士ならば、協力するのもやぶさかではない」
灰原は挑発的な目で俺を見る。ほとんど話したこともない相手だが、なぜだか十年来の戦友のような雰囲気を醸し出していた。いつものことだ。この大学内では、ノリと勢いだけで交友関係が築かれることなど山とある。
ふう、と俺は息を吐いた。
「明日提出の課題を忘れられるなら何でも良かった」
「わかる」
がっしりと握手が交わされる。そういえば、灰原も俺と同じ講義を取っていたか。つまりこいつも現実逃避がしたいのだろう。
「とは言え正気の沙汰じゃねえな。いい年した野郎がプニキュアなんて筆舌に尽くしがたいアホだ。何故ならお前はプニプニでもキュアキュアでもないし、プニプニでもキュアキュアでもないからだ」
「二度言うか」
「プニプニでもキュアキュアでもないからだ」
三度目は閉口した。分かっているさ。俺がプニプニでもキュアキュアでもないことは。でも、やらなきゃいけないんだよ。
棗裕太、20歳。雨城大学の二回生。ジーパンとパーカーを無二の友とし、適当に寝癖を跳ねただけの黒髪を持つ。典型的なやる気のない大学生、それが俺だ。
「安心しろ、止めやしねえよ。遠目に笑うなんて小狡い真似もナシだ。ナツメ。お前がやると言うならば、俺も一緒に踊ってやる」
「灰原……。お前、課題あと何ページ残ってるんだ」
「全部」
「行こう」
「行こうか」
そういうことになった。