怒れる拳
「はあ……っ、はあ……っ」
夕刻が迫る校舎の中、まりあは脇目も振らず保健室へと走っていた。
何も言わずにしぐれがいなくなった。昼休みから見当たらず、放課後になって、約束の時間が過ぎても一向に姿を現さない。
早退したのかと楽観的に考えて担任の先生に確認を取れば、階段の踊り場で倒れているところを発見され、今は保健室で休ませているという。
貧血だろう、と担任は軽く言ったが、まりあは何か嫌な焦燥感に襲われた。
職員室を飛び出し、廊下を一気に駆け抜け、保健室の扉を弾き飛ばす勢いで開いた。
「しぐれ!」
「やあ、来たのかい、まりあ。随分と遅かったね」
保健医の姿はなく、代わりにかがみんが教員机の上で悠々と狐に似た尻尾を揺らしていた。
まりあは一瞬で状況を理解し、間髪入れずにかがみんへ掴みかかる。
「何があったのか言いなさい……!」
「まりあ。君、僕を見たら即拷問しようとするのが癖になってないかい?」
「……っ!」
「言う! 言うからまず首絞めるのをやめてくれないか……っ」
まりあは苦しげに呻くかがみんをひとまず解放し、それから事のすべてを余すことなく聞かせてもらった。
そして、むっつりと唇を引き結び、ベッドで眠るしぐれの傍らに寄り添う。
「心配することはないさ、身体の怪我は魔力で治っている。放っておいてもそのうち目を覚ますよ」
「……そう」
「魔力を分け与えたのは僕なんだから、本来感謝されるべきじゃないかい?」
「……」
かがみんの言うことなど無視して、まりあはしぐれの看病する。
温くなっていた洗面器の水を新しいものと交換し、額に乗せられていた濡れタオルで顔の汗を拭いた。
落ち着いた呼吸を繰り返す口元に人差し指を這わせ、それでも目を覚まさないしぐれを無言のまま見つめる。
「結論から言うと、しぐれは経験不足だったのさ」
何食わぬ顔でベッドの手すりに飛び乗ったかがみんは、同じようにしぐれを見やりながら、先の踊り場での決闘の戦況分析を語る。
「足の速さには目を見張るものがあったけれど、動きが直線的すぎた。鈴からの砲撃を避けるために、常に後ろを取ろうとしていたからね。あらかじめ罠を張って動きを止めるのは難しいことじゃない。戦い慣れた鈴なら余裕だ」
鈴は、自分の身を守るために使っていた障壁でしぐれを囲み、高速移動を阻害した。その一瞬が命取りだ。
魔術師に詠唱の時間を取らせてしまえばどうなるか。それは、まりあも身をもって知っていた。
「魔法少女としての経験の差が如実に表れてしまった結果と言えるだろう。とはいえ、実戦経験がほとんどないしぐれが、自分の得意分野に勝負をかけるのは間違っていない」
とどの詰まり、勝敗を分けたのは純粋な実力差だった。
「二人がかりでかかってくれば、あるいは勝てたかも知れないのに。惜しいことをしたね、まりあ」
「……」
「そう睨まないでおくれ。ここで僕を痛めつけたところで何も変わらない」
鈴に勝負を持ちかけたのはしぐれの方だ。恨まれる筋合いなどどこにもない。
かがみんはどこまでも正しいことのように言って、まりあの神経を逆撫でする。
「どうしてそんな無茶をしたかって? すべてはまりあ、君を守るためにだよ」
まりあの笑顔を守ること。それこそがしぐれの願いであり、魔法少女としての根源。
強者に虐げられ、状況に流されるばかりだったしぐれが、強い意志を持って出した彼女なりの答えだった。
「無策にも無謀すぎる決断だったけれど。まあ、心意気は嫌いじゃないよ。何とも美しい友情だ、友達として尊重してあげるべきじゃないかな? まりあ」
「……っ!」
直後、まりあはかがみんを掴み上げていた。
憎々しげにかがみんを睨み付け、知った風な口をきくな、とドスの利いた怒声を響かせる。
「そんなことを聞きたいんじゃない。私が十文字鈴に勝つ方法、あるんでしょ? 教えて」
「頼みごとの前に必ず痛めつける癖やめてもらっていいかな……っ」
かがみんは、じたばたと小さな身体を捩ってまりあの手から抜け出し、けほけほと咳き込んだ。
「というか、わざわざ僕に訊ねる必要はないだろう。最近の君の行動を見ていれば分かるよ。何か、思いついたことがあるんじゃないのかい?」
まりあの表情が、一層険しくなる。かがみんは図星を突いていた。
魔力の補給を極力削って、魔女退治に専念した本当の狙い。それは、まりあが胸に掲げる信念から大きくかけ離れた、反則技に近い方法。
「……」
まりあは、眠るしぐれの顔を見つめる。
無茶はしないと約束した。だが、このまま黙って大人しく引き下がれるほど、まりあは物わかりの良い子ではない。
「もしも考えあぐねているんだとしたら滑稽だね。まりあ、君は友達のこんな姿を見てもなお、鈴との勝負から逃げ続けるのか―――ごぼぼぼぼぼっ」
にやりと笑って挑発してやったが最後、かがみんは冷水が張られた洗面器に叩き込まれた。
水浸しになりながら這い上がると、既にまりあの姿はなく。廊下を走り行く足音だけが遠くから聞こえてきた。
「やれやれ、だ」
かがみんは細くため息をつき、直後、
「ふふふ……」
怪しく口端を吊り上げた。
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