姉、襲来
飛び込んで来たのはまりあの姉、杏奈だ。
雑誌では見せない天真爛漫な表情で頬ずりかまして、一瞬にして灯夜を狼狽させてしまった。
「あれ、まりあ居たの?」
「お姉ちゃん……。居たよ……」
「あら? あらあら、何泣きそうな顔になっているの?」
杏奈は灯夜を放り出し、机を乗り越えてまりあを抱き寄せ、優しくなでなで。
「灯夜くんに何かされた? 駄目よ、灯夜くん。ソファの上でこんな小さい子を泣かせちゃあ。啼かせるのはベッドの上の私だけにしてっ!」
「小さい子の前で何をトチ狂ってんだ!」
魂からの叫びを返し、灯夜は雑誌を指差した。
「別にやましいことは何もない。まりあにこれを見せてもらっていたんだ」
「むむ。これは……。ま~り~あ~?」
頬を撫でる優しい手つきが、一転不穏なものに変わる。
「だ、だってソファの上にほったらかしにしてあったから―――うぎゅう~っ」
慌てて弁明を口にするも、思い切り頬を抓まれ、赤くなるまで揉みしだかれてしまった。
しかし確かに、杏奈の持ち物であることを承知の上で勝手に持ち出したのはまりあだ。
罰は甘んじて受け入れるしかない。
「もうっ、まりあのバカ。同じ物余分に買っちゃったじゃないの。雑誌の代金払ってもらうからね」
「ええーっ。今月のお小遣いもうないよ~……」
「もうないって。外に遊びに出かけていないのに、何にそんなに使ったのよ?」
「あのね、お姉ちゃん。有り余る暇を潰すためには、いろんな娯楽が必要なの」
長期休暇ということで普段より多めにもらったお小遣いは、部屋で散乱しているゲームや漫画等ですべて消えていった。
「外出禁止令を解除してもらえれば、すぐにでもストレス発散できて、余計なお金使わずに済むんだけどなぁ?」
「駄目」
「ちぃ……っ」
上目遣いに願い出るも、即座に却下されてしまった。
いつものまりあに甘々な杏奈なら、これで言うことを聞いてくれるというのに。
どうやらこの件に関しては、それほど本気ということらしい。
「そんなに退屈なら、父さんの書斎にある本でも読んでなさい。勉強になるわよ?」
「あんなの難し過ぎて読めないよ。つまんないし」
「写真が多い雑誌もたくさんあるわよ? ゴルフとか旅行とかカメラとか。父さん、飽き性だから」
「最近のトレンドは筋トレだっけ?」
「ほう、筋トレの本か……」
耳聡く反応した灯夜に、まりあは猫なで声ですり寄った。
「ん? なあに、灯夜さん。興味ある? 良かったら、この後私と一緒に―――ぶっ」
「だぁめ。灯夜くん、男の裸より女の裸に興味を持ちなさい」
運動部所属だからか、灯夜は筋肉というワードに敏感だ。
それを餌に出し抜こうとするも、そうはさせじと杏奈が妨害する。
顔に雑誌を叩き付けられたまりあは、大層な不満を顔に浮かべて、杏奈を睨みつける。
「ほら、それあげるからもう部屋に戻りなさい」
「何それ、まりあがここに居たら邪魔ってこと?」
「いや、そういうことじゃなくてね……。ああ、もうっ」
駄々を捏ねるまりあに、杏奈は一旦苛立ちを吐き出した。
思い直すように「しょうがないなあ」とひとつ嘆息し、ぎゅっとまりあを抱き寄せる。
「不貞腐れないの。あとでお話し聞いてあげるから。今だけはお姉ちゃんに時間を頂戴。ね?」
耳元で囁かれる声はどこまでも優しく、まりあの不満を取り払おうと、気を遣ってくれている。
けれど、杏奈は勘違いしている。
そうではない、退屈のあまり我がままを言いたいだとか、決してそういう話ではないのだ。
杏奈は、まりあのことを誤解している。
まりあのことを可愛い妹だとしか見ていない。
言わなければならない、そうではないのだと。
灯夜に対する想いを、はっきりと宣言しなくては。
まりあは、意を決して深く息を吸い込み、数秒時間を止め、
「……ごゆっくり」
盛大なため息とともに降伏を認め、大人しく身を引いた。
「ごめんね」と困り笑顔で謝罪する姉と灯夜に情けない笑みを返し、リビングから廊下へ出る。
戸を閉めたと見せかけて、わずかに開いた隙間からこっそりと中を覗き込んだ。
杏奈と灯夜。
邪魔者がいなくなった世界で、二人は顔を見合わせ、愛おしく微笑み合う。
初々しく顔を赤らめた二人は、お互いの気持ちを確かめるように手と手を握り、少しずつ顔を近づける。
「……」
唇が重なり合う瞬間を見届けて、まりあはそっと戸を閉めた。
心臓を奪われてしまったかのように、ぽっかりと風穴が空く。
幸福へと導いてくれるはずだった胸の高鳴りは、もうすっかり静まり返っていた。




