だからこれは、私だけの問題
「それは違うよ、しぐれ」
「……っ」
発せられたのは、揺らぐことのない真っ直ぐに芯の通った意志。喉を震わせ必死に抗議したしぐれとは裏腹に、まりあは微笑んでいた。
いつものように強く優しげな笑顔でしぐれを見つめて、ゆっくりと首を横に振る。
「勘違いしてる。私はそんなこと言ってないし、しぐれもそんなことはしてないよ」
「えっ。でも、わたしは美羽ちゃんの時に……」
しぐれは、かつての親友と決別を決めた過去がある。
相手が悪いと言ってしまえばそれまでだ。しぐれにも何かきっと、取り返しがつかなくなる前にもっと、できることがあったはずだ。
そんなやるせない想いが抜けない楔となって、しぐれの心に突き刺さっていた。
しぐれは美羽を裏切った。
どうにもならないことを避けて通る術を学んだ。だから今回の件も、そうするべきだと思った。
なのに、まりあはしぐれの想いを否定する。他ならぬ、しぐれを救ってくれたまりあが。
「誰にでもなりたい自分があって、そのために本当に譲れないものがあると思う。意地でも何でもいいの。張り続けなけていなれば、妥協してしまったが最後、目指す場所には辿り着けない。そういうものが誰の心の中にもある」
「でも……」
「確かにしぐれは、親友だった美羽じゃなくて、出会ったばかりの私を選んだ。美羽を諦めて私を受け入れた。そう見えるかも知れない。そうしてしまったのは、しぐれがそれだけ困っていたからだったし、しぐれがそうしたかったから」
そうでしょう? と真意を問うてくる瞳に、しぐれは返事を返せなかった。
どうしてあの時、美羽に手を伸ばすのをやめて、まりあの助けを望んだのか。
「それは、だって、あの時わたしは……」
「諦めて、妥協して、私を選んだんじゃない。そんなつもりで私と一緒に居てくれたわけじゃない。大丈夫、ちゃんと伝わってるよ?」
「……っ!」
しぐれは、瞠目して言葉を詰まらせた。
いつの間にか、まりあへの心配よりも己の保身に走っていた。まりあが勝利を諦めてくれることを、心のどこかで望んでしまった。
醜い下心を見抜かれて、胸の奥が赤熱する。
羞恥心のあまり真っ赤になって唇を噛むしぐれの手を取り、握り返し、まりあは言う。すべてを包み込むような、穏やかな微笑みで。
「だから私はそれを誇りたいんだ。取り戻したい、しぐれが好きになってくれた強い私を。何よりも誰よりも、私がそうありたいから」
「まりあちゃん……」
しぐれの眦に浮かぶ涙をそっと掬い取ると、まりあはがらりと声調を変えて、
「けど、しぐれの言うことももっともだね。ちゃんと自分の実力で戦って勝たなくちゃ意味がない。……だから明日の放課後、決着をつけてくる」
付け加えられた決意の宣言。迷いなど吹っ切れたと言いたげな明るさで、まりあは破顔する。
「怖がる必要なんてなかった。別に負けたからって町が破壊されるとか、みんなが傷ついてしまうとか、地球がドッカンしてしまうとか。そんなことにはならないし」
まりあは右手の小指を立てて、しぐれに差し出した。
「約束する。無茶なことはしない」
「……本当、だよ?」
「うん、見てて。絶対勝つから!」
途方もない重圧を背負っているわけではない。まりあが背負うは己が身ひとつ。
裸一貫であり、そこに余計な不純物など混じらない。
「だからこれは、私だけの問題……」
自分から目を逸らし、何ひとつ身動きできないことほど、恐ろしいものはない。
すべては敗北と向き合い、受け入れて前へと進むため。だから無茶なことはしない。
そう約束を交わして、まりあとしぐれは指切りをした。
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