しぐれは私が守る!
屋上を囲むフェンスの上から颯爽と登場を決めたのは、白銀の毛並みの小動物―――かがみんだ。
感情の乗らない蒼い瞳と目が合って、しぐれははっとする。
「あ、昨日の……?」
「む。出たな、魔獣め!」
すぐ隣で威嚇の声を放ったまりあに驚き、再度顔を振り向かせる。
「えっ、まりあちゃんもかがみんのこと知っているの?」
「うえっ? それじゃあしぐれも?」
困惑気味に訊ねれば、まったく同じ反応が返ってきた。次には、がっ、と勢いよく両肩を掴まれる。
「しぐれも魔法少女になっちゃったの?」
「魔法、少女……? ううん、昨日の帰り道に声を掛けられて、それで。……あれ、わたしもってことはまりあちゃんは……。えっと?」
真剣な眼差しに問い詰められ、しぐれの混乱は深まる一方だ。
一旦頭の整理をつけるため、昨日かがみんと遭遇した時のことをまりあに話した。
魔法少女。夕暮れの中で遭遇したかがみんは、そう言った。その力を使って、しぐれのことを助けてくれると。
結論から言えば、しぐれは魔法少女にならなかった。考えさせて欲しいと保留にして、足早にその場を立ち去った。
実質、逃げ遂せたのだ。
少し話をしていて思った。かがみんは、何を考えているのかまったく読み取ることができない。向けられる表情一つとっても、本心を話しているとは到底思えなかった。
まったくの能面顔というわけではないが、変化がある分余計に不気味だ。
出会いはあんなにも愛らしかったのに、人の言葉を操った途端、得体の知れない何者かに変じた気がした。
そんな猜疑心を簡単に受け入れることなどできない。臆病なほどの危機察知能力は、果たして正しかった。
「気を付けて、しぐれ。あれは人心を惑わし、騙して陥れる詐欺師なの。私も甘言に乗せられて酷い目に遭ったわ」
「そんなっ」
油断なく構えを取り、しぐれを庇うように前に立つまりあ。
その背中越しに、しぐれはかがみんを糾弾する。
「それじゃあ、わたしを助けてくれるっていうのは嘘だったの?」
「嘘はないさ。僕は君を助けるつもりだったよ、しぐれ」
かがみんはしれっと答えると、今度はまりあへ向けて、若干うんざりしたように声調を落とした。
「まったく、適当なことを吹き込んでもらっては困るよ、まりあ。どうして君がここに居るんだ?」
「決まっているでしょう。邪悪な魔獣からしぐれを守るためよ!」
人差し指を真っ直ぐ伸ばし、かっこ良く決めポーズを取るまりあ。
かがみんはふん、と鼻で笑う。
「正義の味方ごっこかい? 事はそう単純な話でもないんだ、正義や悪だなんておざなりな言葉で言い表して欲しくないな」
「単純にして明快よ。私の代わりにしぐれを隠れ蓑にしようって魂胆でしょう? 紛うことなき絶対悪!」
「人聞きが悪いな……。今は魔女に追われていないから、囮にするつもりはないよ。実は最近、この辺りで魔女を見かけることがなくてね。おかげで魔法を発現できそうな少女を存分に探し回れる。魔法少女が増えることは僕らにとっての切望だ」
言って、かがみんは「それにしても」と不服そうに眼差しを細めた。深い蒼の瞳は、疑惑を孕んだ好奇の色を宿す。
「君がまだ生きているとは思わなかったよ、まりあ。とっくに魔女に餌にされたものかと」
「そうなったのは一体誰のせいだと思っているの?」
まりあは低い声で唸りを上げ、憤りを秘めたぐっと拳を握り込んだ。
「言ったはずよ、もう私に関わらないでと。前は見逃してあげたけれど、こうなった以上容赦はしない。しぐれは私の友達なの。魔女の餌なんかにさせないから!」
「運良く魔女に見つからなかったといって、調子づかれても困るな。まりあ、君は失敗作なんだ、大人しくしていて欲しい」
まりあから激しい怒気をぶつけられても、かがみんは余裕ある態度を崩さない。あくまでも上から目線で肩を竦ませ、含みを持たせた警告を発する。
「何にせよ、事あるごとに首を突っ込まれては面倒だ。この辺りでひとつ、痛い目に遭わせておこうか」
不穏な空気を纏わせ、かがみんが一歩前に出る―――。
その次にはもう既に、まりあに頭部を鷲掴みにされていた。小さな体が宙に浮く。
「やれるものなら……」
「うえ? ちょっと、待っ―――、」
「やってみなさーいっ」
「ああー……っ」
かがみんは空高く放り投げられ、間の抜けた悲鳴とともに、屋上のフェンスを越えて落ちていった。見事な遠投だ。
まりあは自身の力を鼓舞するように、渾身のガッツポーズを取る。
「見たか。これぞ日々のトレーニングの成果!」




