強くなろう、一緒に
「体を鍛えるって言ったって、わたしそういうの苦手だしっ」
まりあの提案は的を射ている。確かにシンプルな解決方法だ。
が、荒唐無稽にもほどがある。
理不尽な暴力に力で対抗し、真っ正面から捩じ伏せる。どう考えてもそんなことができるわけがなかった。
引っ込み思案で運動音痴なしぐれには、とてもではないが体育会系特有の激烈な肉体改造なんてできるとは思えない。
「それにわたし、女の子だし……」
この提案はあまりに突拍子がない。的を射た勢いのまま、的板を貫いてとんでもないところまで飛んで行ってしまっている。
おずおずと並べ立てられた反論を、しかし「大丈夫!」のひと言で一蹴して、まりあは夜空のような瞳にお星さまを煌めかせた。
「正しいトレーニングを積み重ねれば、きっと女の子だって筋肉モリモリマッチョマンになれるわ!」
「いや、そういうことじゃなくてね?」
実現可能か不可能かはひとまず放り投げて、そんな変態に成り下がるのはごめんだ。
しぐれは素直にそう思ったが、口を挟むタイミングが見つからない。
「ふっふっふ。実はとっておきの魔法のアイテムがあるの」
「え、魔法?」
そのキーワードに、しぐれは敏感に反応する。
何が出るかと緊張の面持ちで見守る中、弁当入れの袋からまりあが取り出したのは、白色のスクイズボトルだった。
「じゃーん。中身はプロテインです!」
「どうしてそんな物を持ち歩いているの?」
「もうね、トレーニングの後に飲むと最っ高なんだよっ」
嬉々としてボトルを掲げるまりあに、疑問を抱いて小首を傾げるも、返ってくるのは答えにならないものばかり。
プロテインがどれほど素晴らしき飲み物なのか、その効果のほどは如何ほどか、しばしご高説を聞かされる。
「ささ、しぐれちゃんも飲んでみて飲んでみて」
「え、わ、んっぐ。……あ、おいしい」
不意打ち気味に優しい手つきで吸引口を押し入れられ、しぐれは困惑のままに、ごくりとひと口喉に流し込む。
抜けるような爽やかな甘さ。胸に広がる清涼感。
確かに意外と悪くない感じがする。
「ね、おいしいよね。これ飲んで身体動かすともうすごいんだから」
「へえ、そうなんだ……。あ、本当だ。身体がぽかぽかしてきたかも」
「ね? 運動したくなるでしょう?」
嬉しそうにはしゃぐまりあは、続いてトレーニング雑誌を取り出して広げてみせる。
「ほら見て、女性のボディービルダーだよ」
「なんか、勉学に必要ないものが次々と……。わ、でもすごい」
見開きの紙面に視線を落としたしぐれは、小さな驚きを顕わにする。
そこには、しぐれの知らない世界があった。
女に生まれ、筋肉に恵まれない身でありながら、女性モデルの肉体は美しく引き締まり、皮膚一枚下の筋肉は見事に隆起して、筋肉美を作り上げている。
何より、そのモデルが見せる笑顔は自信に満ち溢れていた。
「かっこいい……」
気づけば、思ったことがそのまま口から零れていた。
はっとして口元を押えるしぐれに、まりあはにやり、と笑いかけてくる。
「……」
まりあが見せる笑顔には、モデルと同じくらい見る者を惹き込む魅力があって……。
しぐれは気恥ずかしいのも忘れて、じっと魅入っていた。
「ね? 良いでしょ?」
「……え? ああ、うん。素敵だね……」
「うんうん、しぐれちゃんは話が分かるね。見て。この綺麗に割れた腹筋、惚れ惚れするよねえ……。私の理想なんだぁ」
「理想? これが?」
「そう! 私、絶対にこの人よりも強くて美しい身体を作り上げて見せるの!」
「……。女の子、なのに?」
「そんなの関係ないよ。やりたいからやるの」
「だって、そんな。周りから変な目で見られたりとか……」
「そうかな? かっこよくなあい? こうなりたいって思うでしょう? だから頑張るんだ、私」
「……」
しぐれはもう、反論の言葉を口にできないでいた。
不思議と、まりあの気持ちは分かる気がした。他ならぬしぐれ自身が、今その気持ちを体験している。
何物にも捕らわれず、ただただ自分が思い描くままに行動する。
周りを気にして、雁字搦めになって、少しも動けずにいるしぐれとは対極にいて……。どこまでも明るく、輝かしい存在。
こうなりたいと、確かな憧れを抱いた。
「だからさ、しぐれちゃん。一緒にトレーニングしない? きっと強くてかっこいい、新しい自分になれるよ」
「強くて、新しい自分に……?」
なれるわけがない。
頭の中はすぐに否定の言葉で埋め尽くされる。
けれどもし、そうなれたら、
まりあと一緒に強くなれたら、
「そうしたらもう、いじめられなくなるのかな……。また友達出来るかな……。もう一人で寂しい想いをしなくて済むのかな……」
例えようのない熱い想いが、しぐれの瞳を潤ませる。
頬を伝う涙を人差し指で優しく拭って、まりあは眩しい笑顔で応えてくれた。
「なれるよ。もう私がいるじゃない」
「まりあちゃん……っ!」
もう我慢することなんてできなかった。
しぐれはまりあの胸に飛び込み、昨日以上に泣きじゃくりながら、差し伸べられた手を強く握った。揺るぎない自分の意志で。
「強くなろう、しぐれ。一緒に」
「わたし、なんかじゃ、足手まといになるかも……っ」
「大丈夫。またいじめられそうになったら助けてみせるから」
「まりあちゃん……」
至極単純な話だ。
まりあはしぐれを馬鹿にしない。いじめない、裏切らない。だから、まりあの方がいい。一緒に居たい。
その気持ちは間違いなんかじゃないし、誰かに否定されるようなものでもないはずだ。
込み上がる想いに胸を熱くしながら、ふと最初の出会いをやり直したいと思った。
言ってもらって、やってもらって。もらってばかりでは、まりあの友愛に応えることはできないから。
「あの、まりあちゃん。わたしと友達に……」
返事は分かり切っている。
それでも全身が熱くなった。
ぎゅっと目を瞑り、なけなしの勇気を振り絞る。
しぐれが小さな一歩を踏み出そうとした、その時だった。
「そうはさせないよ」
二人の間に、白銀の小さな獣が割って入った。




