憧れのお兄ちゃん
火照った身体に冷水を浴びせかければ、少しはすっきりするだろう。
いっそのこと童心に帰って、水遊びに興じるのも楽しそうだ。
溺れかけた手前少々考えが緩いと言わざるを得ないが、別段水に対する恐怖症を発症してしまったとか、そんなことはない。
足の着く場所であれば、何ら問題ないだろう。
さて、水着はどこへしまっただろうか。
そんなことを考えながら、まりあはバスルームへ続く戸を開ける。
と、
「ん?」
「……へ?」
そこに突っ立っていた全裸の少年と目が合って、まりあは呆けた声を漏らした。
温厚で人の良さそうな少年だ。
柔和な顔立ちとは裏腹に、スリムな印象さえ与えてくるほど引き締まった肉体は、一目見てはっきり分かるほどの筋肉質。
部活動の水泳で鍛え上げたであろう厚い胸板と、筋肉パックのように綺麗に割れた腹筋。
全身の肌は健康的に焼けて浅黒く、余計な脂肪など一切見られない。
特に、下腹部にかけての張り具合は大変素晴らしい。
いつか指を這わせてみたい。
「……えっと、まりあ? 戸を閉めてもらえるとありがたいんだけど?」
「は……っ。ご、ごめんなさいっ!」
垂涎ものの若々しい筋肉美に、思わず見惚れてしまっていた。
視姦に耐え切れなくなった少年からの情けない抗議を耳にして、まりあは叩き壊す勢いで戸を閉めた。
少年の名前は、秋月灯夜。年齢は十六歳。
ご近所の親しいお兄さんであり、まりあと杏奈の幼馴染だ。
幼い頃からの付き合いといえど、六つ年の離れた間柄。
灯夜の全裸をしっかりと見てしまったのは、何気にこれが初めてかも知れない。
まりあは、先程目に焼き付けた若い血潮が滾る肉体を、脳内ファイルに保存する。
胸を突き破らんばかりに高鳴る心臓。
夏日のせいではなく真っ赤に火照る頬。
興奮のあまりじんじんと疼く鼻頭を押え、まりあは扉越しに声を投げかける。
「どうして、お兄ちゃんが?」
「杏奈から聞いてないか? 今日遊びに来るって」
「そう、だったんだ……」
「で、来る途中汗かいたんでシャワー借りたんだ。悪いな、断りもなく勝手に」
「ううん! お兄ちゃんなら全然いいよ!」
父親を除けば、灯夜は一番身近な異性。
まりあにとって、本物の兄といっても過言ではない。
これくらいは許容範囲内だ。
「それにしても……。ふふっ」
口元がにやつくのを抑えられない。
時間を持て余している時に思いがけない幸運が舞い込んでくれたものだ。
会いたい人が向こうからこうして会いに来てくれるだなんて。
背後でガラリと音がして、戸がスライドする。
「お待たせ。風呂、使うんだろ」
「あ、うん」
「俺はリビングで杏奈を待たせてもらうから」
頭に乗せたタオルをわしわしと動かし、灯夜は慣れた様子でリビングへ向かう。
「うん、ゆっくりしてて」
気のない風を装いながら、まりあはこっそりと灯夜の背中を目で追った。
薄手の白いシャツから伸びる上腕二頭筋に目を奪われる。
動くたびに力こぶが形を変え、肩の筋肉が皮膚の下で躍動する。
人間の身体というのはなんて面白いのだろう。
何時間でも見ていられる。
リビングへ消えていく灯夜を名残惜しそうに見送って、まりあは風呂場へ。
「はあ……。いつみても素敵……」
大層眼福であった。
彼の全裸を目蓋に想い浮かべながら、余韻に浸る。
灯夜は、高校では水泳部、夏季休暇中は市民プールで監視員のアルバイトに従事る、生粋の水泳好き。
プールで溺れたまりあを助けたのは、他ならぬ彼だった。
本人は照れ隠しに「偶然だよ」などとごまかしていたが、有事の際あれほど迅速かつ的確に行動できたのは、心優しい性根と、日々トレーニングを積み重ねた美しい筋肉を持ち合わせていたからに違いない。
これはまたとないチャンスだ。
今日こそ助けてもらった感謝を告げ、ずっと胸の内に秘めてきた想いを伝えなければならない。
「よしっ」
小さな拳に決意を漲らせ、気合を入れる。
十歳の夏、まりあは激しく燃えていた。