きっかけは
「わたしとはおしゃべりしちゃいけないってルールができて。みんなでわたしから離れていって。まるで、透明人間になった気分だったな……」
学年で一番大きいグループに属していたせいか、そこを追い出されてしまった彼女を受け入れてくれる先がなかった。
誰も彼もが顔を伏せ、視線を合わせず、しぐれをいないものとして扱った。
そういう風に仕向けた人物こそが例の三人組であり、リーダーの長谷川美羽だ。
陰で皆を先導していた黒幕の正体にしぐれが気付いた時、美羽は直接的な行動に出始めた。
「美羽ちゃんとは幼馴染なの。去年まで一緒に登下校するくらい仲が良かったんだけど……」
「今やいじめグループのリーダーか」
美羽は、明るくて強気で可愛らしいクラスの人気者。交友関係は広く、表向きは優等生でもあるため、先生からの信頼も厚い。
故に、クラスにおいては誰も逆らうことのできない絶対的な支配者だ。彼女が気に入らないものは、そのままクラスの総意になる。
しぐれはこれまでラッキーだったのだ。美羽という光の影に隠れて、平穏無事に学校生活を送れてきたのだから。
事情を聞いたまりあは「ふうむ……」と難しい顔で天井を仰いだ。聞けば聞くほど不愉快だった。
「経緯は何となく分かったけれど。直接のきっかけはなあに?」
「それは……」
核心をつく問いかけに、しぐれは一瞬言いよどみ、重い口を開く。
「……よく、分からないの」
「しぐれちゃん。話したくないことはなおさら吐き出しちゃった方が楽になるよ?」
「……そう、かなあ?」
「そうだよ。だって、誰にも言えないで抱え込んじゃったから、しぐれちゃんはそんなに苦しんでいるんじゃない」
ずっと俯いていたしぐれは、恐る恐る顔を上げて、まりあを見つめた。
不安でいっぱいの眼差しを、まりあは優しく受け止める。
「私で良かったら話聞いてあげるから。ね?」
「……っ」
ぎゅっと握りこんでいた拳がかすかに震え、何かを恐れて強張っていた顔が、再び泣き出しそうに崩れる。
しばし涙を堪えていたしぐれは、訥々と小さく話し始めた。
「たぶん、なんだけど。隣のクラスの男子から告白されて、それが美羽ちゃんの好きな人で……。だからかな……」
「嫉妬?」
「そうだと思う。それくらいしか思いつかない……」
春先のことだ。
しぐれはとある男子生徒に呼び出され、ずっと前から好きだったと告白を受けた。
美羽がその男子生徒に好意を持っていたことを知っていたしぐれは、とっさの判断に任せて男子生徒の告白を断った。
親友に悲しい想いをさせたくない一心だった。
「でもそれがショックで、その男子は学校を休みがちになっちゃって。そうしたらいつの間にか、わたしがひどいことを言ったせいだっていう噂が広まってて」
「噂の元凶はその男の子ね」
「そうだと思う」
しぐれは暗い顔で同意する。証拠はない、しかしそうとしか考えられない。
「その噂を鵜呑みにした美羽ちゃんが、わたしを目の敵にして……。それがずっと続いている感じかな」
「なるほどね……」
まりあは相槌を返すと、少し考えてみる。
痴情の縺れによる親友への嫉妬、と言い切ってしまうのは少々違う気がした。
諸悪の根源はその男子生徒だ。見方によれば、美羽を擁護する声も出てくるだろう。
「それにしても長い……。長過ぎる気がする」
告白されたのが春先で、今は夏季休暇明けだ。そうなると美羽は、もう半年近くしぐれに八つ当たりし続けてきたことになる。
そんなにも長々と続く類の怒りだろうか。聞く限り、美羽に実害はないというのに。
「美羽ちゃん、もう怒っているわけじゃないと思う。その男子も、もう普通に登校してきてサッカーしてたし。引っ込みがつかなくなっちゃただけなんだよ、きっと。見栄っ張りなところあるから。小さい頃からずっとそうで。でも、最後にはきちんと謝ってくれるの。そういう性格なの。だから、今回ももう少しすればきっと……」
そこまで聞いて、まりあはつい訊ねていた。
「しぐれちゃんは本気でそう思う? 前のような仲良しに戻れるって」
「わたしは……、そう信じてる。……信じたい」
「でも、心からは望んでないよね?」
しぐれは驚いたようにまりあを見て、恥じるように瞳を揺らした。
「そんな、ことは……」
「無理だよね。理不尽な理由で酷いことされているんだもんね。どれだけ仲良しだったかは分からないけれど、もう一度手を繋いで隣を歩きたいかって言われたら、」
「やめて! そんなことないの、そんなこと……っ」
肩を微かに震わせて、しぐれはまりあの言葉を強く否定する。
「わたしは、もう一度、美羽ちゃんと仲良く……。だって、わたしたちは幼馴染で、親友で……っ。こんなくだらないことで絶交なんてするわけ……っ」
そう、実にくだらないことだ。原因である男子生徒は、後顧の憂いなく楽しい日常を送っているのに。
どうして美羽はしぐれを目の敵にしているのか。
どうしてしぐれは、こんなにも辛い思いをしなければいけないのか。
何ひとつ理解できないし、許容できない。
ただただ悔しかった。
あまりに理不尽だ。
握り締められる拳を、まりあはそっと包み込み、優しく解した。
「しぐれちゃん、そんな風に自分を責めなくてもいいんだよ?」
「……っ。わたし、わたし……っ、う、うう……っ」
まりあはしぐれの隣に寄り添い、体を抱き寄せて、ぽんぽんと背中を撫でる。
そのまましばらく、咽び泣くしぐれに胸を貸してあげた。




