知った事ではないわ
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0時15分ごろに掲載しましたが、不備が見つかったため一度削除しました。再度掲載いたします。失礼しました。
横合いから美羽の拳を受け止め、振り払い、まりあは三つ編みを庇うようにして前に立った。
「なっ、何よ、いきなりっ。誰よっ!?」
突然の乱入者に美羽たちはぎょっとして顔を見合わせ、三者三様困惑を浮かべる。
「あんた、安部まりあだっけ?」
「……」
戸惑う美羽の問いかけに、まりあは応えてやらなかった。
間近で彼女の顔を見て、再確認した。
長谷川美羽。彼女は、まりあと同じクラスの娘だ。今日の午前中も教室で見かけていた。
まりあにとっては単なるクラスメイトで、言葉を交わしたこともない。
そんな相手に対し、まりあは堪えようのない怒りを感じていた。
「何よ、そんな睨んで……。文句でもあるっていうの?」
「文句しかないわ」
目元をきつくする美羽の威嚇を、真っ向から叩き伏せるつもりで言い返す。
いじめなんて、見ていて気持ちの良いものではない。徒党を組んで一人を囲み、人質ならぬ猫質まで取るだなんて、言語道断。
通りすがりに視界の隅に入れてしまっただけでも不愉快極まりない、下劣な行為。割って入らずにはいられなかった。
せっかくの爽やかな午後のひと時が、すべて台無しではないか。
まりあを突き動かしたのは、三つ編みへの憐みでも同情でもない。
非常に個人的な苛立ち。卑怯者が許せなかった。ただそれだけだ。
故に、彼女らの前に立ち塞がったことを躊躇う気持ちなど一切なく。
悪意を砕かんと猛る瞳は、瞋恚の炎に燃えていた。
「……ちょっと、何か勘違いしてない? あたし達は別に、そいつをいじめていたわけじゃ」
「いいえ、あなたたちは彼女をいじめていたわ」
「……ちっ。分かってないようだけど、そいつを助ける意味なんてない! 間違ってるのはそいつなの。いたずらに野良猫にエサをやると、いろんな人に迷惑がかかって、」
「だから?」
「だ、だから? だから保健所に連れて行かないとっ」
「それは彼女へ暴力振るう理由にはならない」
「……~~っ! ああもう、鬱陶しいなあ!」
美羽は決して気が長い方ではない。
淡々と理詰めされれば、あっさりと対話を放棄する。
若干気圧されていた状況から一転、犬歯を剥き出しにしてまりあに噛みついた。
「いい? そこの弱虫はやってはいけないことをしていたの! 言って理解しないような奴には殴るなり蹴るなり、体に分からせてやるしかないのよ!」
「捨てられた子猫を助けていただけよ。いけないことなんて何もないわ」
「そいつの身勝手で周りのみんなに迷惑がかかる。そういうのは優しさって言わないのよ!」
「いいえ。慈愛と救済はいつだって優しさから生まれるもの。勝手な価値観で捻じ曲げないで。子猫をいじめるのはあなたが残酷だから。彼女をいじめるのはあなたが残虐だから」
「でも、放っておいたらみんなに迷惑が……っ。どう責任取るつもりで……っ」
「知ったことではないわ」
つらつらと並べ立てられる言い分をただひと言で叩き伏せて、まりあは一歩間合いを詰めた。
「いつか、どこかで、誰かに降りかかる災難なんて、私の知ったことではないの。私は今、目の前で虐げられている友達を放っておけない。それだけ」
美羽の顔を逸らすことなく見据え、真っ向から凛とした声で言い放つ。
「あなたたち、見ていてとっても腹立たしい。これ以上私の友達を傷つけるつもりなら、私が相手になる」
「……このっ」
多対一。
圧倒的に不利な状況にも関わらず、凄みを利かせるまりあに畏れはない。
美羽は、彼女の気迫に若干怯みながらも、しかし負けじと睨み返した。
束の間、張り詰めたような静寂が訪れる。
取り巻き二人が成り行きを見守る中、美羽は「ふん」と強気に鼻を鳴らして、踵を返した。
「……しらけたわ、行くわよ」
あくまでも強情を張り、巻き毛を揺らして去っていく美羽を追って、小咲と姫香も慌てて駆けていく。
油断なく彼女らを見送ったまりあは、凝り固まった筋肉の緊張を解くため、ひとつ息をつく。
「しぐれちゃん」
それから、後ろでこそこそと、隠れるように動く背中に声をかけた。
「うえっ?」
突然名前を呼ばれ、ビクリと肩を揺らす三つ編みの少女。
振り返ったその腕の中に保護された子猫を見つけて、まりあはふっと口元を和らげた。
「雨宿しぐれちゃんだよね? 同じクラスの」
「う、うん。たぶん。そうだと思うけど……」
即座に身構えた三つ編みの少女―――しぐれは、視線を伏せながら曖昧に返事を返した。
戸惑いを隠せず、ちらちらと上目遣いでまりあの顔色を伺う。
優しくて頼もしげな笑みを向けられてようやく落ち着いてきたのか、躊躇いがちにも小さな笑みを返してくる。
「あの。その……たす、助けてくれて……」
「しぐれちゃん、その子飼うの?」
「えっ? そ、それは、その……っ」
しぐれは途端にドキリとした表情を見せ、咄嗟に何か言いかけて閉口し、沈黙。
やがて、俯き加減でぽつりと答える。
「いや、わたしは……。わたしは飼えないの……。家がマンションで、ペット禁止で、だから……」
呟かれる、消え入りそうな声。しぐれは、自分がひどく情けなかった。
結局は美羽に言われた通り。最後まで面倒見切れないのに、放っておけないと手を出した。すべては、かわいそうな子猫を見ていられなかった自己満足。
なんて無責任なんだろう。
しぐれは、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちになる。
「そ。じゃあ私の家で引き取るね」
「……え?」
「そうしたらいつでも遊びに来られるでしょう?」
しぐれは顔を跳ね上げ、今度こそまじまじとまりあを見つめた。
ひと言の非難もないことが信じられないと言いたげに、瞳を大きく見開いて、眦にうっすらと涙を浮かべる。
まりあの背中に、差し込む後光を幻視した。
「さ、行こうか。怪我の手当てしないとね」
「……うん」
しぐれは恥じ入る気持ちも忘れ、心の趣くままに差し伸べられたの手を握っていた。




