ステージ3 ヒーローを操れ!
「年をとり、何かにつけて下の世代を攻撃するようになった老人達が口をそろえて言うことほど注意して聞いた方がいい。なぜなら、そういうものほど誤っている可能性が高いからだ。コンピューターゲームに関するものなど、その最たるものだ」
エコノミック・マガジン
相川さんのお兄さん救出作戦三日目の朝、僕は高梨が好きそうなマンガ全十巻を彼の机の上に置いておいてあげた。
高梨は、最初にそれを見た時こそビックリして不気味がったが、すぐに一巻だけ残して机の中にしまうと、当然のようにマンガを読み始めた。どうやら僕のプレゼントを気にいってくれたようだ。僕の心はとても晴れやかだった。高梨が僕のマンガを読んでいるのが微笑ましい。相川さんのおかげで、ついに僕はキリストの領域に足を踏み入れたのか。
「……おまえ、ここんとこなんだか活き活きしているな……」
放課後、控え目に一緒に帰ろうと言ってきた後藤の誘いを、恵比寿さんもビックリの満面の笑みで断ると、後藤は半ば放心しながら言った。
「そんなことないっすよー、じゃあねえ」
僕は振り向かずに歩いた。一歩たりとも動かず、取り残された幼子のようなつぶらな瞳で見つめる後藤を見ると笑っ…………泣きそうになってしまうからだ。あと二千九百十七年の辛抱だ、後藤よ!
「あ……こ、ここで…………え? あ、いや、ちょっと人と待ち合わせしてますので……はい…………す、すみません……」
僕がバス停のベンチに腰を下ろしたのを見届けると、そのおばあさんは去っていた。
僕は脇腹の恐ろしさを痛感し泣きそうになってしまった。昨日はこんな痛みは襲ってこなかったのに。あとほんの少し痛みが強かったなら、僕はおばあさんが救急車を呼ぶのを止めなかっただろう……。
「調子こいてすみませんでした……」
気づいたら、僕は脇腹に謝っていた。こうして、相川さんが来るまでの間に、僕と脇腹の主従関係はあっさりとひっくり返り、おそらく僕は、人類史上初の、脇腹をご主人様と仰ぐ人間となったのだった。
* * *
仮想世界に入ると、すぐに相川さんが声をかけてくれた。
――今日はどんな敵が出るんだろうね?
「さあ……でも、昨日はロボット物でまとまっていたから、ステージごとにテーマがあるのかもね」
学校では相変わらず話しかけることすらできないけれど、こうして二人きりになると、もうずいぶん普通に話せるようになっていた。
――ヒーロー物って、そんなに種類あるの?
相川さんが無邪気に尋ねる。相川さんはおそらく僕より早く、僕といることに慣れてくれたんじゃないかと思う。今まで雲の上……もとい、成層圏の上…………いやいや、北極星の上の存在だった相川さんが、僕の存在を、記憶に残るかも怪しい同級生から、同グループの友達にも匹敵する人物に認識してくれているのだ。これを奇跡と言わずして何を奇跡と言う? 年末ジャンボの一等プラス前後賞など、この状況に比べたら福引きのティッシュにも等しい存在だ。
――どうしたの?
黙考に夢中になりすぎたみたいだ。相川さんの不思議そうな声が空間を覆う。フィールドも変化し始めていた。
「あっ、ううん、えっと……いっぱいあるよ! 戦隊物、怪獣物、バトル物、時代物、超能力物………あ、スポーツ物も含まれるだろうし」
――へえ、田中君、全部分かるの?
「いや、全部はさすがに……昔の実写物なんかはなかなか見られないし。今までの物を全部見られたとしても、本当に数が多いからね、これまでの僕の人生をフルに使っても見きれるかどうか……」
――そ、そんなに……。じゃあ、ステージが進むにつれて、ものすごいマニアックな物が出てくるかもしれないね。
「うーん、そうかもしれないけど、僕はそんな気はあまりしないな。ステージ2のロボット物も、有名かつ歴史的な物だったし。テーマに別れているなら、有名どころが出てくるんじゃないかな?」
――そっか……うん、そうだといいね。
話しているうちに、すっかりステージが出来上がっていた。洞窟内のような岩場だ。少し先の岩は飛び石のようになっていて、そのさらに先は、エメラルドグリーンに淡く幻想的に光っている。ただ、このフィールドは……
――なんか、今までの絵とはだいぶ違うね。
そう、この、アニメのような二次元でなく、CG的三次元はおそらく……、
「ゲームじゃないかな?」
――ゲーム?
「うん、プロヒテとかWeみたいなさ。んで、このフィールドの構造はRPGかな。それも、最新のと比べるとだいぶ粗いから、かなり前の物だと思う」
――さすがだね。でもWeは知ってる。RPGっていうのはやったことないけど、なんとかカートっていうのはやったことあるよ。
相川さんの意外な経歴に、僕のテンションが上がった。
「へえ! 相川さんがゲームやるなんて意外!」
――友達の家でだけどね……しかも全然できなかった。
僕には、あのコントローラーを持って四苦八苦する相川さんの姿が想像できた。なんと萌える姿であることか。
僕が、頭の中で相川さんの後ろから手をとって操作をレクチャーしていると、相川さんがその夢想を破った。
――敵、現れないね?
僕は、どさくさにまぎれて相川さんの谷間をのぞき込もうとしたところで、泣く泣く現実に戻ってきた。
「あ……RPGは、キャラクターが移動して敵の所まで行くんだ。あの先の淡く光っている所にいると思うよ」
そう言って僕は移動を開始した。てくてくと歩き、無駄に大きいアクションで飛び石を一つずつ渡り、ポッカリと開いたエメラルドグリーンの穴の中に浮かぶ岩を、これまた無駄に大きいアクションで一つずつ跳び下っていく。そして銀色のコアのような物が見えた時、僕はボスを発見し、思わず叫んだ。
「アディオスだ!」
――アディオス?
「うん! 『最終幻想』っていう、今も続編が出る日本を代表するRPGの一つ! しかもこの作品は、九十七年に出たプロヒテ版初のシリーズ『最終幻想ヘヴン』だよ! シリーズ屈指の名作で、全世界で約一千万本の出荷はシリーズ最多。スピンオフゲームだけに留まらず、映像作品まで出るくらいにすごい人気なんだ! そして、あのアディオスっていうのは、この作品の中だけでなくて、全シリーズの中でも最も人気のあるキャラなんだ!」
――敵キャラなのに?
「うん、敵キャラが主人公より人気あるという例は多々あるけれど、あれはその最たるものかもしれない。元々超優秀な兵士で、長身、長髪、整った顔立ちで知的で冷静沈着。これでもかってくらいかっこいい要素が盛り込まれているんだよ。それが、自分が作られた人間だと知って、人間界にアディオスして敵になる時、これがまた恐かっこいい敵になるんだよね。僕も主人公よりアディオスの方が好きかも」
――……好きなキャラクター相手だけど、平気?。
相川さんの不安げな声が響く。僕はフッと笑った。
「大丈夫。好きなキャラだろうと、僕は相川さんのために倒すから! それに、すんごい強い敵だけど、必勝法もあるし!」
――……うん、よかった! では、お願いします! キャラクターは?
「主人公の、クラウド・ニューテクノロジーをお願い!」
――ニューテクノロジー?
「九十七年時点ですでに、この主人公はただ一人だけ、ネットのクラウドを活用して、写真やポエムを旅先でも見ていたんだ。クラウド発明者、そして世界初の使用者として、近年ごく一部で再評価されているよ」
――……その設定って、ゲームで何か重要になるの?
「まあ、それなりには……」
――そう……。
相川さんが言葉に詰まっている間にも、僕の体は変化を遂げていた。ほぼ二頭身のカクカクとんがり頭。まぎれもなくポリゴンゲーム黎明期のフルスペックだ。
――田中君、頑張ってね!
「ああ、言われなくてもやるさ」
俺はゆっくりと巨大な刀を肩に担いだ。
――……今度はそういう性格なんだ。
ミスズが何故か寂しそうに呟いた時、突然エメラルドグリーンの光が俺を包み込んだ。
「な……う、うわあああああああっ」
――田中君、どうしたの!?
様々なモノが俺の中に流れ込み、急速に正気を奪い去ろうとする。
(生命の流れかっ)
俺は必死に抗った。そして、廃人寸前までに追いつめられた時、心の奥底に封印されていた記憶が甦った。俺は思い出したのだ。
「クラウドは、俺が組み上げたシステムじゃなかった……」
――え?
「あの時も……あの時も、俺は……クラウドのデータを見ていたんじゃない。……実際に日記帳を読み、写真の入ったアルバムを見ていたんだ……」
――な、なに? どうしたの?
「俺は、ただかっこつけていただけなんだ……。ビデオの予約すらできない自分が受け入れられなくて、何かすごい発明をした気になって、自分をごまかしていたんだ!」
――なんか、かわいそう……。
「ごめん、ミスズ! 俺はちっぽけな人間だったんだ!」
――え、あ……う、うん……。
「もう惑わないっ! みんなでアディオスを倒すんだっ! よし、行こう!」
コンプレックスを乗り越えた俺は、元気良く核の中に飛び込んで、アディオスにエンカウントした。
――…………すごい変わりよう。
多くの少年をわくわくさせた音楽とともに、フィールドがバトルステージへと変わり、目の前にコマンドと体力ゲージと精神ゲージが現れた。
対峙するアディオスがしゃべりだした。
『フッ、できそこないのクセに、よくここまで来られたものだ。そのことは褒めてやろう。だがきさまごときでは、いや、この世の何人たりとも、この俺に傷一つつけることはできん』
俺も負けずに応えてやった。
「俺は以前までの俺とは違う! アディオス! この星のためにおまえを必ず倒す!」
――そうだ! やっちゃえ、田中君!
『たわごとを。いいだろう、最後の仕上げに、おまえを生け贄としよう』
アディオスがその身長以上の長大な刀を、よどみない動きで高く構えた。
「そうはさせるか!」
俺はすぐさま目の前のコマンドをタッチし、「たたかう」を選択した。
しかし、こっちの攻撃が発動する前に、アディオスの刀が俺を襲った。
――きゃあっ!
ド派手な斬撃に、思わずミスズの悲鳴が上がる。9998のダメージ。HPが残り1になってしまう。
――田中君っ! メーターが!
ミスズが泣きそうな声を上げた。俺は瀕死になり、片膝をつきながらも、小さく笑った。
(心配してくれて嬉しいよ。でも……)
「安心して。もう勝ったから」
――えっ……
俺のターンだ。四つのレア装備、源氏の剣、平氏の篭手、北条氏の台頭、藤原氏の衰亡による特殊効果で繰り出される二十連撃。パラメーターマックスにより毎回9999のダメージをアディオスに与えていく。
『ぐ……ま、まさか、できそこないごときが、お、俺の体に傷をつけるとは……』
アディオスが膝をついた。
――やった!
「まだだっ」
――え……?
『ふ……だが、おまえの敗北は変わらない……』アディオスがふらふらと立ち上がる。『もはやこの身体に用はないっ! 俺はこの星と一体になるぞっ!』
その瞬間、真っ白な光がステージを覆った。何も見えない空間にミスズの声だけが響く。
――な、何が起きたの!?
視覚を奪い去る光が消えた時、ステージは漆黒の闇へと変わっていた。そしてそれまでアディオスがいた場所には、中心にアディオスの上半身を据えた、この世の物とは思えない巨大な食虫植物のようなモンスターがいた。正真正銘のラスボスだ。
――た、田中君……体力が……。
体力数値の赤く点滅する1という数字を見たミスズのつばを飲み込む音が聞こえた。確かに一発でも食らえば即死だ。だが相手は、攻撃力が上がっている分素早さは落ちている。ファーストアクションは俺ができるんだ。ただ、その貴重な行動機会を回復に回したところで、向こうの攻撃は単体即死技。パーティを配してくれていないこの状況では、即ゲームオーバーだ。かといって、二十連撃では、HP約四十万のアディオスを倒しきれない。
普通なら絶体絶命。
しかし、この主人公は奥の手をしっかりと入手していた。
俺は素早くコマンドを操作し、召喚魔法を唱えた。
時を置かずして、空間に、このゲームで最も強力な、チート御免の召喚獣の名前が表示された。
〝赤穂義士〟
――赤穂浪士?
「そう、シリーズ史上屈指の召喚獸! くらえっ! FORTY―SEVEN―RONIN!」
討ち入りの太鼓とともに、いつの間にか出現していた吉良邸に、四十七人の侍が突入していく。
――この屋敷はっ!?
「ただの演出さ!」
その間にも、浪人達は使用人を斬り倒していき、ついに炭小屋の中に隠れていたアディオスを発見した。
「エアネスの仇だっ!」
俺は叫んだ。四十七人がそれぞれ99999という数字とともにアディオスを斬っていく。ラスボスとて、このダメージには耐えられまい!
――な、なんか……すごい残酷な画……。
血の飛ぶ凄惨な斬撃にミスズが思わず漏らした。
『な、な、な……なんだとおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ………………』
四十七人目、大石内蔵助の一刀両断を受けたアディオスの身体が激しく揺れながら消えていった。完全勝利だ。
ステージが再び白い光に包まれ、やがてのどかな草原に俺はいた。
「エアネス、きみの愛した星は守ったよ。だから安心して眠ってくれ」
アディオスに殺された大切な人を思い、俺はつぶやいた。




