第91話:撤退戦2
5月5日、夏らしい暑い日の朝のことだった。
東の連邦ドライセンの所属国ダ・カール伯国とモスマン伯国がイシュタルト王国所属のオケアノス領への野心とともに国境を侵したことから始まった戦争は、この日新たな局面を迎えた。
奇襲を受けた側であるオケアノスが、そのすべての攻撃を退け、兵数を確保し終わり、またその実質ノトップであるジョージの無事が確認されたために攻勢に転じたのである。
奇襲の成功のため、動きを隠しながら、それでも初撃には圧倒的な兵数差で奇襲を仕掛けたダ・カールであったが、自分たちの5%にも満たない兵数からの反撃にほとんど一方的に敗走し、またこの逆撃に於いては、逆に圧倒的な兵数による反撃を受けることになったダ・カール兵たちが決死の撤退戦へと悲壮な覚悟を持って挑もうとしていた。
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(雷鳴のバルクス視点)
俺たちあいる砦は、実に静かだった。
昨日の朝までは750ほどの兵が犇めき合っていた小さな砦には、現在定員と同じ程度である26名の兵と3名の指揮官殿だけが残っている。
半ば騙された様な戦争参加であったが、それでも敵砦との人数差、敵指揮官ジョージ・フォン・オケアノスの不在、内通者の存在などを勝利の根拠として説明され参加した俺たちは、今は敗軍の殿を務めるべくこの砦に篭っている。
このまま数日敵が進軍してこなければ・・・普通ならそれを望むのだろうが、俺たちの上官殿たちはすでに死に場所こそを求めていた。
このまま国許に戻ろうとも先行きは無く。
あるのは、ただの奇襲ではなく、300年ぶりの戦争を宣戦布告なしの一撃からはじめ、なおかつ圧倒的兵数差を持っていたのにもかかわらずほとんど戦果を上げずに撤退するという不名誉。
敵国からは民間人を虐殺して回った悪逆な者として追われるだろう。
故郷からは戦禍を運び込んだと誹りを受けるだろう。
もはやここで、撤退する味方のために散るというくらいしか名誉が守られる方法が無い。
そしてその名誉ある死は、それに相応しい闘争に彩られるべきだ。
俺にはかの国の勇者の様な絶対的な力は無い・・・しかしそれでも双つ名持ちの戦士である。
相応の武技は身につけているつもりだ。
今はその最後の武を振るう時を待って何人かの腕利き同士で、どうやったらあの勇者を倒せるかを話し合っていた。
「やはり、あの鎧の勇者と戦ったものは誰も生き残っていないのだな。」
「何人かに聞いてみたが、逃げてった連中の中にも、近くにいたものはいても、誰も直接手を合わせていなかったよ、直接戦ったものはみな死ぬか捕虜になっているみたいだな。」
ダ・カールに名立たる腕利きが、揃いも揃って打つ手なしで敗北し残った者もかの鎧の勇者への恐怖を募らせていた。
「アレの戦いを間近で見たが、本当に恐ろしいぞ、重斧のアンドリューが戦っていたところを見たが、有名な彼の重斧ギロチンが最初の一振りで砕かれ、次の一撃で彼の体は二つに分かれていた。あの戦いに得るものがあるとすればそれは、およそダ・カールに存在する武具で、あの勇者の剣を砕ける物は存在しないという事実だけだ。」
重斧のアンドリューは下級貴族の出身の男で、常備兵の中でも随一の腕力自慢だった。
彼が持つギロチンは折れずのギロチンと称されるほど頑健な武器であり、折れる武器などダ・カールには存在しない・・・それは確かなことだ。
「アンドリュー様もアレにやられていたのか、道理で退却の後お姿を見かけなかったわけだ。」
「というかあんなのがほかにまだ30人ほどもいるっていうのか、イシュタルトには・・・。」
重たい沈黙が場を支配する。
言うべき言葉かどうかはわからないが、この空気はよくない。
「これから死に向かう俺たちが、イシュタルトの勇者の数を気にしたって仕方が無い、目の前の敵に当り、少しでも時間を稼いで死ぬだけだ。」
これは冷たい様であるが事実だ。
俺たちは時間を稼いで死ぬのだから、イシュタルトのあの化け物の様な勇者があと10人いようが100人居ようが関係が無い、どうせ一人だって倒せはしない。
「雷鳴の・・・」
その場に居た男たちの視線が俺に集まる。
しかしそれもほんの少しのことだった。
カンカンカンカン!
砦に備え付けられた警鐘が叩かれている。
誰かが近づく敵を発見したのだろう。
「聞こえたな・・・」
「あぁ、そうだな」
「いよいよこの時が来たか・・・長いようで短い待機時間だったな!」
今まで後ろ向きな話をしていたのが信じられないほどすがすがしい表情で男たちは近くに置いていた自分の得物を掴んで部屋を出た。
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砦の屋上部分に出ると、すぐに見張りをしていた常備兵連中を探す。
彼らも敵を発見後すぐに集まっていた様で、今は双旋風の監視していたはずの方向へ集まっていた。
俺たちも全員でそちらに向かう。
そして・・・
「おいおい、うそだろ?」
「でか鎧が増えてるじゃねぇか・・・」
戦友の言うとおり、そこには先日の二人から1人増えた3人の勇者の姿があった。
それだけでなく兵士の数も圧倒的な数だ。
「たった一人でも勝てるかどうか怪しいのに、ダ・カール軍への追撃に3人も勇者を投入したのかよ!?」
状況は絶望的だ。
あの大きな鎧を着た勇者が3人・・・、今回の戦争に対するイシュタルトの怒りが透けて見える様だ。
「うろたえるなお前たち、やることは変わらん・・・ただの1秒でも長く、時間を稼ぐ、それだけだ。」
「隊長殿・・・」
いつの間にかあがっていらっしゃっていた殿軍部隊長殿が、そのあごひげを撫でつけながら俺たちに語りかける。
けだしその通りであろう、我々はすでに生きることは諦めているのだ。
命を惜しまずここに残り、味方のための時間を作っている。
しかしそれだって自分たちの名を惜しむものだ。
一度心の折れたオレに必要だったのは友とともに残るという覚悟だった。
ほかの連中に必要なのは、民草を手にかけた悪辣な侵略者としての死ではなく、撤退する仲間を守るために身を挺して時間を稼ごうとした武人の鑑という死に姿。
その覚悟、その志の前に敵が想定よりも大戦力であるということは、その事実以上の価値を持たない。
「よし、迎撃準備だ。最初は前もって設置していた落とし穴と投石機を使う。全員配置に就け!!」
こちらの戦力は少ない、一昨日から綿密に話し合った戦力配置に従い、俺は双旋風とともに南側の投石機につく、弾は石ではなく仲間が置いていった剣や篭手やらだが、単に目くらましや、相手が少しひるむ程度でかまわないので、軽い分かえってやりやすい。
「全員準備はできたか?合図をする・・・放てぇぇぇ!!」
敵が砦まで200mほどのところまで近づいて、ようやく投石機を動かす。
都市防衛用の城壁ならば、虎の子の固定大型魔導砲もあるがこんな僻地の砦にはそんなものは無い。
恐ろしく原始的な攻撃手段だが、突然始まった剣や鉄板の雨あられに敵も少しは混乱するはずだった。
しかしだ。
「む、すべて打ち落とされただと!?」
部隊長殿の声の通り、我々が放った剣や篭手、鎧などの鉄板、鉄くずはすべて敵の対空砲撃によって打ち落とされた。
敵兵はこちらより装備も圧倒的に優れている様だ。
敵兵の中衛がどうも持ち運び式の魔導砲を携えているらしく、彼らによってこちらの攻撃は撃墜されてしまった様だ。
ダ・カールには俺が知る限り、人が一人で運搬できる様な魔導砲は実戦配備されていない。
ゆえに友軍は此度の戦争においても僅かな数の馬匹を使った牽引砲を携行するにとどまり、この砦の上まで運ぶこともできなかった。
「投石機では時間稼ぎにもならん・・・か。よし総員得物を構えて敵の接近を待て!」
部隊長は一時待機の命を出した。
おそらく時間稼ぎに交渉なども行うのだろう、
部隊長は屋上の端に立つと下を見下ろした。
砦の屋上といっても、もともと国境と魔物の発生を警戒するだけのもので、せいぜい高さ5mほどの壁が30mに渡っているだけだ。
彼我の距離は近い。
「ようこそイシュタルト兵の皆さん、私はこの砦を任されている、ラフィンドン・ノーウェル・マークデンだ。急に接近してきたのでつい撃ってしまったが、わが国に何か御用ですかな?」
部隊長は城壁まで100mほどに迫った敵軍に笑顔を浮かべてあくまで友好的な、先日までならそれで通じたかも知れない挨拶をする。
遠見の魔法でも使えない限り笑顔までは見えないだろうが、声というものには表情が存外出るものだ。
時間稼ぎのための一手段、誰しも友好的な態度で接されれば少しは躊躇するだろう。
そう考えて、初撃はあまり通らなかった時には交渉を始めるというのは、事前に話し合っていたことだ。
しかし、相手の返答はこちらの予想とは少し異なるものだった。
「こちらはダ・カール追討本隊を預かっている。ベルナルド・フォン・オクトパー中佐だ。手短にいこう、こちらはそちらの時間稼ぎに付き合ってやれるほど温い感情で進軍してきたわけではない、しかし二つの道をあなたたち殿軍に示す様に、我らが侯爵代理閣下と、敬愛するべき姫殿下から仰せつかっている。」
第一声は、こちらの時間稼ぎしたい意図も殿軍であることもわかった上で二つの道を示すというものだった。
まぁあれだけ派手に奇襲を仕掛け、道中では口封じをしたのだから、こちらへの怒りは相当なものだろう。
「ほぅ、何をお怒りかはわからないが他国とは姫君直々の仰せとあれば耳を傾けぬわけにはいきますまいな」
それでも隊長は時間稼ぎのための詭弁のために、なんで進軍してきたのかわからないという体で言葉を返す。
「それでは、畏れおおいことではあるが、姫殿下のお言葉を代読させていただく」
そういってオクトバー中佐は胸元から取り出した書状を仰々しく掲げると開き、朗々と読み始めた。
「『卑劣なるダ・カール伯国に属する勇敢なる殿軍に告げます。貴方たちは時間稼ぎのために悲壮な覚悟で殿軍を引き受け、仲間を逃がそうとしていることでしょう、しかし貴方方程度では時間稼ぎをすることなどできはしません、時間稼ぎをしようと思うならば、即時降伏を申し出ることこそを勧めます、そうであるならば、こちらは貴方方の捕縛のために時間を割き、また残りの敗残兵に対しても降伏勧告をすることになり、ダ・カール制圧までは大変に時間をかけることになるでしょう、しかし殿軍の皆様が抵抗をするというのであれば即時突破し殲滅することができるのでこちらとしては時間が短くすんで大変良いです、皆殺しにして砦を制圧するだけですみますから、ですがもっともこちらにとって手早く済むのは、殿軍の皆さんが降伏する振りをして、それからこちらを騙し討ちすることです。少しはけが人が出るかも知れませんが、これから先の対ダ・カール、モスマン戦では、開戦から騙し討ちをするヴェンシン人は降伏を申し出てこちらがそれを赦しても、嬉々として騙し討ちをしてくるので、信じてはいけないという教訓とともにヴェンシン人がこの地上から消え去るまで討ち滅ぼすことができます、それならば簡単です、街ごと消し飛ばせばいいのですから。その場合は同じヴェンシン人のタンキーニも滅ぼさなくてはなりませんが、あちらはタンキーニ市に貴族が集中していますからそう手間ではないでしょう、頭を刈り取ればあとは身動きできない混乱した民衆を狩るだけです。いいえ、私たちもそんな非道はしたくはありませんが、ヴェンシン人が騙し討ちや、おとなしい振りをして刃物を潜ませているのでは安心できませんから仕方ないですよね?』とのことだ。」
怒りと絶望に眩暈がしそうになった。
こちらの戦力など端から考える必要もないというわけだ。
ダ・カール、モスマン、ついでにタンキーニまで相手にしてもまったく歯牙にもかけずに討ち果たすことが可能で、なおかつ砦に篭城するわれわれを討ち果たすよりも、武器を捨てたわれわれを捕縛するほうが時間がかかるというわけだ。
そして最後の言葉はより衝撃的だった。
今までのダ・カール、モスマンの態度は、非常にガラの悪いものだった。
もしもダ・カールやモスマンを倒してもヴェンシン人自体がこの様に悪辣な行為を平然とできる人種であるというのならば、足元に置いておきたいものではないだろう。
姫君の言葉というのはイシュタルトの本音だろう。
民草の一人ひとりまでというわけではないだろうが、貴族連中はその性質の善悪にかかわらず皆殺しになるだろう。
そしてそんな言葉を何歳かわからないが姫殿下というからには、未婚の娘ということだろう。
そんな彼女が書いたままの言葉を目の前のいかにも軍人といった風情の壮年の男が読み上げて、口調も一部その姫君の癖と思しき語調で再現しているのだ。
泣く、絶望するといった段階を超えて、ちょっと笑えてくるくらいだ。
我らが隊長殿は・・・言葉にならないというのが本音だろう。
俺以外の殿に志願した男たちはそれは悲壮な覚悟で志願したはずだ。
だというのに、抗戦しないことが一番時間が稼げると宣言されている。
挑発とも取れる言葉だが、彼らには勇者がいる以上、その強気も頷けるというものだ。
「回答はいかに?」
そういってオクトバー中佐はこちらに回答を促すが隊長殿は応えることができなかった。
「ふむ、回答がない場合には『セイバー』での威圧を行うことを許可されている。アーキス少尉よろしく頼む」
オクトバー中佐は数秒待ち、こちらの隊長が応えないことを確認すると隣にいた鎧を着た勇者に声をかけたが・・・
「はっ中佐殿、どちらの壁を狙いましょうか?」
セイバーという聞きなれない単語、そして鎧の中から聞こえた声は少年か少女のものであると確信できるほどに、くぐもっていても若々しさを感じさせる声であった。
そして
「南側だ。兵に一撃目は当てぬ様にな・・・」
オクトバー中佐の声は、短くしかしその指揮杖は確実に俺と双旋風の足元を示した。
「了解しました。ゼェヤァァァァァァァ!」
次の瞬間、世界を揺さぶる様な衝撃が、アーキス少尉と呼ばれた者の裂帛の掛け声とともに俺たちを襲った。
ギャァァァァァン!!
「うわぁぁ!?」
「な、なんだこれは!?」
その鎧が構え繰り出した剣は一瞬で砦の壁をぶち抜き、俺と双旋風の足元を揺らした。
40cmほどに渡って砦の壁が砕け、割れ、衝撃で俺と双旋風はバランスを崩し投石機に手をついて何とか耐える。
そしてさらに、アーキス少尉はそのままの姿勢で呪文を詠唱し始める。
「~風は吹き荒れて、彼の軍勢をひれ伏せさせよ、天より来るは~タービュランス!!」
それは風の魔法、それを構えた剣から砦の内部へ放ったのだろう。
その威力は狭い個室である俺たちの足元の部屋の中で暴れ周り、やがてそのまま逆方向の壁を突き破って貫通していった。
目に見えて暴威を伴った竜巻が砦の壁財もろとも俺たちの後方へと弾け飛んでいく、その石の弾はこちらが投石機を使って行う対城攻撃をはるかに上回る勢いであった。
そしてオクトバー中佐の声は我々に抵抗しようという気持ちを消させるための欺瞞ではないかと疑うほどのものだった。
「よくやった、アーキス少尉、さすがはセイバー装備を与えられるだけはある、とても卒業したての新卒生
とは思えない見事なタービュランスであった。」
さすがに俺も知っている、卒業というのはイシュタルトが誇る、主に軍人を育てる教育機関、王都軍官学校を卒業するということだ。
つまり、彼、ないしは彼女、アーキス少尉は学生を卒業したばかりの新米兵士ということだ。
そしてセイバーというのは装備・・・あの鎧は勇者ではなく、あくまで優秀者にだけ与えられる装備であるということだ。
それがわかると、俺は再び戦う覚悟も死に見出した己の存在意義も、名誉もすべて見失ってしまった。
サブタイに偽りありですね、この人たち撤退していませんでした。




