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第90話:反攻戦

 5月5日、イシュタルト王国オケアノス侯爵領と東の連邦ドライセンのダ・カール伯国の国境線から北東へ7km弱の地点。

 昨日まで多量の敗残兵で溢れていた砦には僅かに30人ほどの男たちが残り西の方角に目を凝らしていた。


------

双旋風ふたつかぜのカイム視点)

「この砦もずいぶんと寂しくなったものだ・・・といっても平時ならこれくらいが普通なのだが・・・、いかんな、誰も近くにいないのに独り言が増えている。私もやはり死ぬのは怖いのだな・・・。」

 周辺の敷地には簡易設営されたテントや小屋が残されていて、かまどにも火がくべられている。

 少しでも人の気配が残っている様に見せかけるためだ。

 一昨日撤兵を決めた参謀部は昨日一日かけてようやく撤収する兵士たちすべてを砦から引き上げることができた。

 気力を失っているものが多く、手間取りはしたが決死の覚悟で殿軍を勤める覚悟をしてくれた者たちを必要以上に困らせるわけには行かなかった。

 殿軍部隊の役目はこの砦を5月8日までか、全滅まで保持し、それから撤収すること・・・。

 彼らにあるいは我々にとって幸いなことに、昨日の撤収作業中にはオケアノスからの襲撃は発生しなかった。


 通常の殿軍ならばあとはこのままこちらの撤退に気付かないままでいて欲しいくらいだが、同時に我々はは死に場所を求めてもいた。

 国許に戻っても先は知れている。

 我々は無抵抗に近いいくつかの村を蹂躙し略奪を行ってきたのだから。

 口を封じるために、生まれたばかりの子を抱く母親を殺した。

 孫の命だけはと10歳くらいの子に覆いかぶさる老婆の頭を割りもした。

 それでも年端のいかない子供たちを直接手にかけるのは憚られるからと、村の教会にわずかな水と食料とともに押し込めて閉じ込めて放置してきた。

 あれから一週間経っている。

 この夏の季節、自力で教会から出られない子供たちはすでに干上がっているだろう

 それは国の軍としての、戦のための非道であったが、それはダ・カールの兵としての理屈、無辜の民を一方的に殺害したという事実があり、それは実際に手を下したかとか、本心では嫌だったとかは領民や家族を奪われた者たちには関係のないことだろう。

 オケアノスからの報復が始まれば従軍した者はすべて調べられて、おそらく死罪になる。


 イシュタルトの法律には明るくないが、ダ・カールの様に目の前で罪人の家族を同じ目に合わせ、それを見せ付ける刑罰や手と足の指を切断した上で専用の豚小屋の中に全裸で放置される刑罰、あとは貴族の娯楽である人殺遊戯と呼ばれる見世物・・・罪人や奴隷などのすでに人ではないものを、たくさんの障害物を設置した競技場の中に10人ほど、武器を持った一人の執行人と一緒に放し、物陰に隠れたり時には他の者を犠牲にしながら競技場の中に仕掛けられた7本の松明のうち5つに火をつけ、それを合図に脱出口が開かれるのでそこに逃げ込めば恩赦があるというものだが、観客は人が殺されるところを見るために来ているので、観客席がすべて敵の様な者だ。隠れても、走って逃げても場所をばらされてしまう・・・の様な刑罰もあるかもしれない、何せあちらも国を治めているのは王侯貴族なのだから。

 獣人たちのドライラントの様に部族の首長たちが合議で罪人の扱いを決める制度では、全体としてやや穏便な刑罰が科せられることが多いが、貴族統治下では貴族たちが感情的に、あるいはちょっとした余興程度に刑罰を決めるのだから、それはさぞ刺激的で血にまみれた刑罰が好まれるのだろう。


 斯くいう私も貴族の出身ではあるが、片田舎出身のため民衆との距離感が近かった。

 中央ダ・カール貴族の雰囲気に親しむことができずにいた。

 そうして今回は同じ様に本国の貴族の空気になじめずにいた仲間同士で集まって、さらに徴募の兵の中でもそれなりに今後が見えている人間を募って、最後の一花を咲かせようではないかと集まったのだ。

 そんな男たちの中でも一番腕が立つのが徴募組の槌使い「雷鳴のバルクス」だ。

 彼は、伯国でも有名な冒険者の男で、なんとウルフタイプの魔物5匹を単独で追い返したこともあるという猛者だ。

 使い手のほとんどいないとされる雷の魔法を使うので、生半可な鎧では彼の攻撃を防ぐことはできないし、その鉄槌の腕もそれだけで兵士5人を相手取って不足ないほどだ。


 そんな彼の槌の一撃であってもオケアノスが出してきたあの鎧を纏った勇者は討ち果たすことはできないだろう。

 毎年勇者の数を発表するわけだ・・・あれだけの圧倒的な戦力がイシュタルト王国には30人以上もいる。

 その意味が正しくわかる国ならばイシュタルトに対して戦争は仕掛けない、イシュタルト自体が国を広げてきた手段は、侵略戦争よりは降ってきた周囲の国や、仕掛けてきた国を吸収合併してきたという歴史的な事実からも、あの鎧を装備した兵が僅か2名だけ配備されていたことからみても、あの鎧は勇者にしか着こなすことのできない装備であることと、その威圧効果を期待しての勇者数の発表だったと考えることができる。


 300年戦争がなかったことで、そんな勇者に対する恐怖も失われていたということだろう。

 伯国にはヴェンシンから受け継ぐべき歴史の資料も引き継がれていないため、戦争の教訓も、貴族のあるべき立ち振る舞いも残っていない。

 そのことがこのたびの戦の開始から敗走そのすべての趨勢を決めた様に思う。


 いや、今は勇者の恐怖も、この戦の帰結だってどうでもいい、我々はここで国境付近に集まっているというオケアノスの兵たちを待ち受けるべく残っているのだから、その役目を果たすべく目を凝らし、一矢でも報いるべく爪を研いでおこう。

 大義名分もない正々堂々としたところもないイヤな戦争だったが、今我々が求めているのは我々に与えられる可能性のある唯一の栄誉・・・「仲間の撤退時間を稼ぐため」の殿軍としての「名誉の戦死」なのだから。


 そうした考え事をしていると私の視界のギリギリ、約7km先の国境線の辺りに動蠢く何者かの姿を捉えた。


------

(アイラ視点)

 今生でのはじめての侵略戦をすることになった。

 およそ考えうる最悪に近い開戦の仕方であったが、ジョージが選んだ新しいオケアノスの中枢は見事ジョージの代わりに戦場を差配し役目を果たした。

 サークラの結婚式を予定通りの日付に行うことはもう難しかろうが少しでも早くサークラの不安を解消させて、それから新しい日常に帰りたい。


 オケアノスに到着してから2度目の朝を迎え今は5月5日朝、戦線の様子は整った。

 遠見の魔法を使える斥候の報告では昨日ダ・カールの国境付近の砦が大半の兵を引き上げた。

 殿軍は残っている様だが、その数は30ほどでありおそらくは決死隊。

 オケアノス側としては今回の戦争の落しどころとして、なるべく兵や民に犠牲を出さず、首脳部を切り落とし、ドライラントと協議できる環境に持っていくつもりであるので、まずはダ・カール首脳部をつぶすことになった。

 こちらが目立つ位置に兵を置いたため敵はこちらの攻勢を警戒して、主力兵を前線で磨耗させずに都市部の守りに用いるつもりだと思われるが、こちらとしても追いすがって同時に逐次降伏させていくより、最後の地点ですべてを平らげるほうが楽だと考えた。


 会議の後から少し変わった方針としては主力部隊は追討する振りをして実際には後ろを追いかけていくだけ、戦闘は極力発生させない。

 道を整備し、通りがかる村々や町の者たちは慰撫し、必要ならば食料を配る。

 彼らは撤退するときに、そこそこの量の軍需物資を放棄して逃げ帰った。

 あの数の敵兵たちが自分たち領域の村から食料を挑発している可能性もゼロではない。

 もしもそうであるならばこちらが住民たちを手懐ける手間が大分減ることになる。

 元手は連中の忘れ物の食料とそれを輸送する手間だけで済むし、オケアノスにも空間魔法による収納が可能な認定勇者はいるので彼らが運べばたいした手間でもない。


 ナイト・ウルフは『アイラ姫』とその将来の良人であるユーリの護衛を兼ねて神楽の飛行盾でダ・カールの首都まで向かうこととなった。

 扱い上の戦力はナイト・ウルフとエッラだけであるが、実際にはこちらは全員戦力だ。

 ボクはナイト・ウルフとして威圧、また予定では数箇所の城壁を貫く予定である。

 エッラとユーリにはすでに専用にデザインしたセイバー装備が存在し、エッラのものはボクの収納に収まっている。

 そもそもセイバーを使う必要もないけれど、流れ矢に当たって怪我をしてもつまらないし、セイバーの威圧効果は大きい。


 神楽は魔導鎧装マギリンクフォルトの中型のものを使えばセイバーと同じ程度の大きさだし、大型のものを使えば圧倒的な威圧効果があるだろう。

 ベアトリカの威圧効果は言うまでもない。

 実際には戦う必要すらないかもしれない。


 フィーにもセイバー装備が用意されているが、これはむしろ生身で化け物じみた力を持つドラゴニュートの彼女の力を隠すためのモノとしての意味と、ドラゴニュートの力で特定の人間勢力に与みすることは制限されているため、セイバーさえあれば誰が与力しても同じである状況を作るためだ。

 それと別に、フィーは外見がエッラと同じく小柄でかわいらしいので侮られない様にという意味もあるけれど・・・。

 とにかく全員が戦力で、オケアノス側への案内としては制圧後にユーリとボクとが先行して連中との和議の取り決めをする予定になっている。

 実際彼らの身を守るための城壁が、ただ無差別攻撃を厭うボクたちに対しての目隠し程度にしかならず。

 それも1箇所穴を開けるのにものの数秒もかからないとなれば降伏も早かろうと思う。

 ボクは王族、ユーリはホーリーウッド侯爵家という大貴族の家柄であり、交渉役としては幼いが、イシュタルト王国側の最初の要求を伝える分には不足はないだろう。

 無論相手がこちらの言うことを聞く耳をもつならば、交渉自体進めることができるだろうが、たぶん十中八九舐められる。

 何せこちらは体格的に7歳前後の9歳女児と10歳の美少女男児だ。

 だからボクたちがやることは警告と破壊だ。


 それでも、敵の主力と思われる敗残兵たちがおそらく目的地であるところのダ・カールに戻る前に首脳部の心を折っておくことはそのまま戦争の早期終結に直結する。

 頭が考えなければ手足はとっさの防御くらいはできても、物を選び取ったり、物を投げたりはできないものだ。

 首脳部が一度降伏を決めれば兵士が到着したからといってすぐに手のひらを返す・・というのも難しいはずだ。

 国という大きな体は動きが鈍く、一度振るった腕はなかなか止まらないのだ。


 同じ様にこちらも止まれない、オケアノスの軍部から報告された国境線付近までのいくつか村の状況は非常に胸糞悪いものだった。

 やつらは大人や成人間近の子どもは皆殺し、幼い子どもたちはさすがに直接手をかけることがはばかられたのか教会などの場所に閉じ込め、扉は外から家の瓦礫などで塞ぎ、窓も塞がれていた。

 敵は教会に子どもたちと僅かな水、食料だけを放り込んでいた。

 どの村の現場も食料はすでに尽きていて、最初に与えられた水も尽きていた。

 いくつかの現場ですでに衰弱死している者も出ていて、中には閉ざされた教会の扉を素手で引っかき続けて、爪が剥げて、皮も肉も削れて、指の骨がむき出しになっている様な遺体もあった。

 わが国が100%を超える普及率を誇る結露の柄杓がなければ、この炎天下の室内で3日以上生きていられる者は一人もいなかっただろう。

 せめて敵が完全に砦まで撤退したという確証があればもう1日か2日早く助けに向かうことができたのだろうが・・・。

 僅かな手勢を村々の捜索に回せるほどの余力が前線砦にはなかった。

 それでも、幸いといっていいものか判らないが、若い女性や魅力的な少女がただの一人も乱暴を受けた形跡がなかったらしいことが、少しだけ救いの様に感じられた。

 彼らは軍の作戦の一環として村を襲っただけだ。

 それならば、兵士のすべてが悪ではなくこの度の無謀な侵攻計画を立てた上層部こそが責められる対象であるべきだろう。


 眼下には国境線からの進軍を開始したオケアノスの兵たちが見える。

 各砦の兵士は残した状態で、徴募した兵が昨日までに少し増えて合計約9000人、うち魔導篭手持ちが120名と砦に配置されていたセイバー持ちから3名が兵たちとともに侵攻することになった。

 篭手装備の兵はともかくとしてセイバー装備の兵はどこにいるのかわかりやすい。

 おそらく砦からこちらの国境を確認しているはずの敵殿軍からも発見されやすいだろう。


 少しでも本格的な戦いは発生しないほうがいい、セイバーの威容に恐れをなして逃げてくれればいい。

 こちらの兵も敵の兵もこれ以上の死者が出て欲しくない。

 こんな戦争は必要なかった。

 犠牲者なんて必要なかった。

 これは独善的に過ぎる考え方なのだろうか?

 こちらはジョージがジェファーソンを、そして「シンの火」らヴェンシン復興派を排除し、一部は処刑していて、それを全面的に歓迎していた。

オケアノスの住民も、イシュタルト王領の人間も、「正常化」を歓迎していた。

 視点を変えればそれは、ダ・カールやモスマンの連中にとっては長年にわたりイシュタルトに潜入し切り取りを成しつつあった献身的な同胞を一気に粛清したことになる。

 それが許せなくて、怒りが今回の無謀で、慣例を無視した侵略行為につながったというのならば、村人たちの虐殺につながったというのなら、それを責める権利はボクにあるのだろうか?

 ボクだって怒りに任せて人を殺したことがあっただろうに・・・。


 それはボクの感覚ではもう100年以上も前のこと・・・。

 ボクがアイラとして迎えた初めての6歳直前の出来事。

 今のボクの幸せから見れば、あまりにも現実離れしたあの景色。

 もしもあの頃のボクが、今のボクの幸せを夢想していたら、いやもっと確信めいて、予見していたのならば、あの賊たちに家族を奪われて、ピオニーにいたっては生まれることすら許されなくなって・・・失ったボクはその母国である帝国を・・・フィル小父さんやクレアを憎まなかったと、殺さなかったと言い切れるだろうか?


 考え込むボクの表情に何か思うところがあったのか、ユーリはただずっとボクの肩を抱いているだけで何も言ってこなかった。

 神楽は飛行盾に魔力を供給しながら、フィーと何か話している。

 エッラはベアトリカのために昨日買ってきた櫛でベアトリカの毛並みを整えてやっていて、ベアトリカも気持ちよさそうに目を瞑っている。

 大きさこそエッラと縦も横も倍以上ある様に見えるが、その関係性はすでに姉と妹の様で実にほほえましいものだ。


 ナタリィは言っていた。

 今あの日々を思い出せるのだからアレはすでに終わったことだと、今も・・・と言っていいか判らないが、あの想い出の未来ではアレからもずっとボクの子孫たちの世界は続いているはずなのだ。

 だったらボクも今目の前にある事象に一生懸命にぶつかっていくしかないだろう、本来人生にやり直しは効かないものだ。


 今目の前にある戦争を終わらせるために、ボク自身が、そして眼下のオケアノス兵たちが、ダ・カールへと歩みを進め始める。

 内訳は対ダ・カール攻略組が5802名(うち魔導篭手80とセイバー3)そしてモスマン攻略組が3389名(うち魔導篭手40)、モスマン側にはセイバーはないが、代わりにジョージが自ら指揮を執り、さらに東所属の勇者が同伴するそうだ。おそらくダ・カール側が先に終わるので、その後はボクたちもジョージの支援に回る予定となった。


 かくして、オケアノスは主にダ・カール、モスマンからの侵入を完全に退け、以後反攻に転じることになる。

 この戦争後大陸の地図がどうなるのかは今はまだわからないけれどボクの幸せのために、ヴェンシンという国の息吹を完全に途絶えさせよう・・・たとえそれがボクにとってのウェリントン襲撃に匹敵する悲劇だと感じる人がいるのだとしても、ボクはボクの目的のために力を奮い、恐怖を、絶望を、首脳部あたまに叩き込んでやる。

ペースが落ちていて申し訳ありません、もうすぐペースも戻るはずですので今しばらくご容赦いただければと思います。

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