第87話:ゲーネ村の後始末
アイラ9歳の年の5月3日。
オケアノス東側の国境侵犯と、姉サークラたちがオケアノスに到達していない見込みである報せを聞いたアイラは前世の暁から引き継いでいる異能『跳躍』の力を使い、愛しい家族の下へ駆けつけることができた。
跳躍した先のゲーネ村で姉と妹と両親そして義兄の無事を確認したアイラは、さし当たって問題となっていた賊徒たちをナイト・ウルフの姿で威圧し、その後合流することに成功したオケアノス中部ネレース市の兵たちに賊徒の一部の対応を任せ、自分はジョージをオケアノス市へ移動させるため会議をどう誘導したものかと悩んでいた。
また王室の養女である自分とその護衛者たるナイト・ウルフとが同一人物であることを悟らせまいと、注意深く動いているつもりであったが、そもそもアイラのもつ能力の異常性を知っている者たちからは、早々に正体に気づかれていた。
しかし、やはり姉や妹たちの無事に安堵したとはいえ、開戦の報せに昂ぶっていたアイラは見せた能力の片鱗からエドガーとジョージに見抜かれていたこと、ハンナのお母さんの勘、サークラのお姉ちゃんセンサーなどで正体を看破されたことに気づいてはいなかった。
そして、気づいた側も娘、あるいは妹が隠していて、国王陛下であるところのジークハルトが自らその影の護衛の存在を認めている以上、アイラかジークハルトから明かされない限りはその正体は胸に秘めておこうと口を噤むのだった。
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(アイラ視点)
臨時の会議室となっている村長宅に入っていった父や義兄、それに隊長格の兵士たちの後を追って村長宅に歩き出そうとすると、例のクマが後ろからボクに擦り寄ってきた。
動物と同じだとすれば恐ろしく鼻の良い彼女にはバレているのだろうが、ボクはすでにナイト・ウルフの鎧を脱いでいて、アイラ・イシュタルトとこのクマとは初対面ということになる。
で、あればひとつ驚いたほうがいいだろう。
本当はこの様な特殊な環境の中、母や姉、それに村人たちの前でうろたえる姿を見せるのは、軍官学校に入ったばかりで自尊心や自己効力感にあふれる、頼られたい年頃の姫君であるボクの現状を思ってみても、養女で少女とはいえ為政者の娘である立場を鑑みても憚られることではあるけれど、さすがに3m級のクマ魔物を見て驚かないのは、たとえ前提の条件があろうとも不自然なのでここ驚いておくべきだろう。
そう考えたボクは次にこの9歳の小柄な自分が巨大なクマ相手にどの様に驚くべきかを考える。
村の中にいるクマ、周囲の村人は怖がってはいない様子、上空から様子を見ていたことになっていたボクはナイト・ウルフがこのクマに餌をやっていたことも見ていてしかるべきだろう。
その上でアイラという娘のプライド、立場を勘案して・・・。
「ひゃん!?」
擦り寄ってくるどころか、鼻先を首筋につけられて素で驚いた声を出してしまった。
なんと形容するべきか冷たいけど暖かい、少し湿った鼻先が首筋にあたり思いのほか驚いてしまったのだ。
そしてもうここまで驚いてしまったのだから、ある程度恥をかいてもいいだろうと判断した。
なにせボクは9歳、普段は立場をわきまえてすました態度をとっていても人生経験が浅いので、想定外のことには打たれ弱いのだ。
「ク、クマさん!?ご飯はあっちにあるでしょ・・・た、食べないで・・・」
クマのほうを振り返って、そのまま尻持ちをつき両手を前に突き出し足で地面を蹴って少し後ずさりながらガタガタと震えて見せる。
クマは鼻をヒクヒクとさせながら後ずさるボクの股座、スカートの中に鼻先を突っ込んできた。
「ひぅっ!?」
このクマは賢いとわかっていても本当に危害を加えられるかと思って身構える、肉食動物は無抵抗になった獲物を齧るときには、柔らかい部分から食べるものだ。
生理的な恐怖、生存本能と言いかえても良い、お腹の辺りがキュッと緊張してちょっと漏らしそうになるけれど、すでに食べていた最中の食事と大事に持っていた石斧をほっぽりだしてこちらを襲う理由もないだろうと自分に言い聞かせ、一応加速状態は維持してクマの動向に注意する。
クマはやがて顔を上げると、ボクのほほをペロリとなめた。
犬がお尻や陰部の辺りのにおいを嗅ぐのと同じ挨拶だったみたいだ。
一気に弛緩する・・・といけないいけない、こんな公衆の面前でやらかすわけにはいけませんとも。
我に返り、状況を把握する。
クマは食事中だったためか、微妙に醤油くさいにおいの生暖かい舌でペロリとされて、このクマ自体はかわいげがあるように思えてきていて、恐らくはなついてくれているのだろうけれど、不快な感触。
しかし、せっかく上機嫌になついてくれている彼女を無碍に扱うのもかわいそうなのでそのまま受け入れると、クマは二本足で立ち上がると前肢をボクの脇の下に腕を入れてボクを立ち上がらせた。
その手のひらの形はやはり地球やこの世界の動物、魔物のクマ一般と異なり人間の様に親指がほかの指に向かって動かせる構造になっていてやはりこのクマは魔物の、それも特異な個体だとわかる。
「あ、ありがとう?」
助け起こしてくれたことに礼を告げると、クマはこちらの言葉がわかっているかの様にキューンと高い声で一声ないた。
その上、クマはボクのスカートについた土をその手で器用に払うと、邪魔して申し訳ないとばかりにボクの肩と背中の間に鼻先を当てて村長宅のほうへ向き直らせた。
それならば、と気を取り直して村長宅のほうへ歩いてみると、クマは再びボクの後頭部や首の辺りに鼻先を近づけてはいるものの、密着はせずに後ろからついてくるみたいだ。
ボクの悲鳴に一度は駆け寄ろうとしていた母や姉もほっとした様子でボクを見送った。
村長宅に入ると室内にいた者たちがぎょっとした表情をするけれど、少女がクマを連れて入ったことに驚いたのだろうと思う。
しかしそれはボクの恥ずかしい勘違いだった。
「あぁそなたらにも紹介させてもらおう、こちらの姫君はヴェルガ皇太子殿下と正妃フローリアン妃殿下の養女であらせられるアイラ・イシュタルト姫殿下だ。殿下の実の姉を私が娶ったので、恐れ多くも義兄妹という関係になるが、齢9歳にして認定勇者でもあるので陛下の命で直々に我々へご助力いただけることとなった。」
そういてジョージがボクを紹介すると、兵士たちの表情が驚きから納得のものへと変わった。
どうもクマと少女とかではなくて、少女が臨時とはいえ会議室に勝手に入ってきたことへの驚きだった様だ。
それはそうだよね、王都と一部の貴族以外にボクの顔が売れているわけがないのだから地方都市の中隊長格にそうそう貴族の名代クラス(つまり時期貴族家当主など)の者がいるとも思えない。
とにかく挨拶くらいはしよう。
「どうもはじめまして、ご紹介に預かりました私はアイラ・イシュタルト、王妹の皆様がすでに降嫁なさっているので、現在は王室の第三王女ということになっております。今回は陛下の命令書を義兄にお渡しするため参りましたのでこちらの会議の内容については陛下に報告することはあっても私は何も決定権を持ちませんので・・・求められれば意見は申し上げますが、基本的にはいないものと思ってください」
そういってペコリと頭を下げるといつの間にかボクの横に立っていたクマもペコリと頭を下げた。
おぉ・・・と小さな歓声が上がる。
これひょっとしてクマがボクの連れだと勘違いされてないかな?
なつかれたけれどこのクマ野良ですよ?
「ともかく姫殿下を入り口に立たせているわけにもいきません、どうぞこちらへ」
とジョージが自身と父エドガーとの間にボクを呼び誘う。
会議の責任者であるジョージが、オブザーバーのボクに上座を譲ることはできないが、下座付近にはいさせられないのだろう。
そちらに向かうとイスが一脚用意されていたが、少し高かった。
軽くジャンプすれば座れるけれど室内でそういった振る舞いは少しはしたない気がして少しだけ迷っていると、クマがまたボクの後ろから脇の下に手を差し込むと軽々と持ち上げてイスの上にそっとおろしてくれた。
「ありがとう?」
と声をかけるとクマは機嫌よさそうに「ワフ」と犬の様な声を上げると自分はそのまま床にペタンと座り込んだ。
少しばかり大きすぎるけれど、挙動はおもちゃみたいでかわいい。
今度は父やジョージも驚いた様子でこちらを見ているけれど、注目されて少し気恥ずかしくなったボクがコホンと咳払いすると、視線を卓上に戻し気を取り直して会議を再開した。
会議といっても基本方針としてボクがジョージをオケアノスに連れて行くことは決定している為、会議で決めることは、ジョージ以外のメンバーの移動についての方針と村の東側に残った一桁の残党の処理についてくらいだ。
後はこの村と隣の村に対する救済措置・・・今回のダ・カール兵による封鎖と、ここ数日の夜襲によって食料庫が3つ焼けているそうなので、残りの2つ(なんと村長さんの方針で村の食料庫を5つにも分けているそうだ)で村人だけなら3週間は持つ様だ。
これも予定外の滞在となったオケアノス一行のために数日分の穀物を供出してくれたことで足りなくなっての結果だという。
また村にそれなりの数の死者と建物の被害が出たことについても、失った者の命は返らないが、戦の早期決着を約束を誓い、村の設備については、ネレース市から工兵を出すこととなった。
オケアノス側から出せるかどうかは現在情報がないため即決できなかったためだ。
さて会議は紛糾する様なこともなく、恙無く進行した。
ボクも2、3度は意見を求められたけれど、内容としては村での葬儀に姫様からも哀悼のお言葉をいただきたいといった内容であったため、即座に了承した。
ボクと年の近い子どもも犠牲になっている。
そのことは何よりも残念に思っていることだった。
この村は国境沿いですらない、戦争による犠牲者がでることなんて、今の時点では想像していなかっただろう。
ボクが、どうしてか姫という立場を持ったボクの言葉が少しでも慰めになるというならば、いくらだって紡ぐとも。
父エドガーが臨時にオケアノスの部隊を指揮し、全員オケアノス市に向かうことが決まり、食料の補填する量、見舞金の額、工兵が来る日程を決め、この後ダ・カールの双槍使いの中隊長さんを連れてネレースの部隊が敵残党を説得しにいくこととなったた。
また、敵兵のほとんどが死亡か捕縛されたことによりこれ以上村に犠牲者は出ないだろうと、今日の夕方に合同葬を行うことになり夜になってからジョージをオケアノス市に送り出すことを決めた。
そうして最後にクマのことになった。
「村人から、このクマが村人の利になる行いをすることがわかる様になったのはここ数年のことで、実際クマが居着いてから、森での事故は多少減ったそうだが、大きさ以外ではほかのクマ魔物やクマと区別がつきにくい上今後もし戦線がこの辺り間で上がってくる様なことがあれば敵側、あるいはイシュタルト側に駆除されてしまうこともありうる、それは少しかわいそうなので何とかできないかと相談されました。姫殿下に懐いている様ですし、姫殿下も嫌っては居ないとお見受けいたしますが、引き取ることは可能そうでしょうか?」
そういってジョージは萎縮している村長さんの代わりにボクに尋ねた。
どうやらこのクマをつれてかえって欲しいらしい。
今のところお利口さんだし、王都に帰れば動物とも心を通わせることができるクレアも居る。
彼女を介してこのクマとお互いのことを確認しあうことができれば、今後も良好な関係を築ける可能性は高い。
問題はどうやって連れて帰るか位だけれど・・・
とりあえずこのクマを連れ帰ることに否やはない、そう返事をしようとしたところ俄に外が騒がしく成った。
お墓参りの休憩中の投稿なので短いです。
前話とナンバーが繋がっていないですが、また続きます。




