第79話:東方事変1
東方オケアノスからもたらされた報せを聞き、重たい沈黙がその部屋の中を支配していた。
それは300年にわたり小規模な小競り合い以上の戦闘が発生しなかったサテュロス大陸の静寂を破る報せだった。
そして、あまりにもタイミングの良すぎる森に潜み街道を封鎖する山賊の群れ、使者が見た限り彼らは練度が高く、装備も整っていたという。
そしてその街道を通る筈だったオケアノス侯爵と新婚の侯爵代理夫妻の一行の消息不明・・・。
そちらのほうがその部屋の中にいる人間にとっては最悪を想起させる報せであった。
------
(アイラ視点)
一瞬何を言っているのかわからなかった。
東の連邦国家ドライセンが国境を侵犯してきたらしい。
それは判った。
でもその後の言葉はなんだ?
サークラたちがオケアノスに向かう馬車の予定進路を遡ったけれど、出会うことなくここまで来た?
道中陣を張り、街道を封鎖する賊徒がいた・・・?
使者の話を信じるならまず間違いなく街道を封鎖しているのはドライセン・・・というか旧ヴェンシン派の兵士だろう。
---
ドライセンは連邦国家だ。
かつてサテュロスに存在した。ヒト族の国家ヴェンシン王国が、国の方針からサテュロス大陸東部に存在した獣人たちの国や集落を、虚報やだまし討ちを駆使して侵略、不信感を植え付けられ連携も取れず抵抗らしい抵抗を許さぬままの獣人たちを大陸の外へ追い出した後、父祖伝来の地を取り戻さんと捲土重来した獣人たちに逆に壊滅させされて、父祖伝来の地を取り戻した獣人たちが主にシャ族、キス族、グ族からなる獣人たちの国家ドライラントの樹立を宣言した。
その際に壊滅を免れた旧ヴェンシン王国西部の貴族のうち大身のダ・カール伯爵、モスマン伯爵、タンキーニ子爵がそれぞれ中心となり対ドライラント包囲網を提唱したが、ドライラント側にはそもそも侵略の意図はなく父祖伝来の土地の回復を目指しただけであったことなどから協調路線を唱えるものが出た。
包囲派の者たちは彼らを弾圧、場合によっては貶めて殺害し土地を奪ったが、結局旧ヴェンシン最西部の土地持ち貴族らは戦乱と包囲派の横暴を嫌い旧ヴェンシンを離脱し、事態を静観していたイシュタルト王国へと所属を変えてしまった。
これにより対ドライラント戦をしようにも戦力が壊滅的に足りないという事態に陥り、対ドライラント包囲派は瓦解、その後包囲網推進派はダ・カール伯国、モスマン伯国、タンキーニ伯国と名前を改めてそれぞれ独立し残りの小物たちはそれぞれに属するか、イシュタルトやドライラントに流れていった。
三伯国は、自分たちがドライラントと第三国との陸路をふさぐことにより、戦争せずとも流通などでドライラントへの嫌がらせをすることを画策していたのだが、この際タンキーニ子爵が、併合した領地を得て、支持者たちの言葉を受けて伯爵を僭称したことがきっかけとなり、ダ・カール、モスマン両伯との関係が悪化、ドライラント建国から10年経った頃両伯は共謀して南北両側からタンキーニへの圧力を強め、「タンキーニ子爵国は旧ヴェンシン王国の序列に従い、われわれに従属するべきである。北部はダ・カール伯国、ならびに南部はモスマン伯国へ併合されるのが筋だ」との共同声明を発表。
確かに南北の両伯国には旧伯爵や子爵なども降っているため両国の言い分もわからないではなかったのだが、功を焦った(食料がほしかった)一部のものが早々にタンキーニ伯国へと侵略を開始し、一部部隊がドライラントの領域まで侵入したためドライラントの介入を誘った。
ドライラントはタンキーニ伯国へと支援を提案し、タンキーニはこれを受け入れてドライラントの庇護下に入り属国となった。
これに対して両伯国とタンキーニ伯国の国境近くから住民が、再びドライラントやイシュタルトへの流出を開始した。
もともとタンキーニとの協調がなくなってしまえばドライラントとも渡り合えなかった上、タンキーニがドライラント側に付き、多くの領民や貴族が他領に流れた上、開戦から3日で国境が20kmほども後退し、両伯国はドライラントに和平を申し入れた。
この際の両伯国の提案した条件は、賠償なし、ドライラントは建国時の国境線まで後退をなど恐ろしく自分たちに都合の良い内容であったが
これに対してドライラントは条件付で承諾、条件は三伯国と大きく国境線を共有するイシュタルト王国の立会いの下で、ドライラントと三伯国との連邦国家の樹立をすることだった。
かくしてドライラントを盟主として、三伯国と小物の旧ヴェンシン領主たちは連邦国家ドライセンとなり、表向き領主毎にそれぞれ独立採算ではあるが困った時には助け合うことを前提とした国家として、本当のところは傘下国のいずれかが、連邦の理念を乱したときには、連邦樹立を認めたイシュタルト王国を蔑ろにしたことになり報復を受けることになる。
というバランスの悪い連邦国家が誕生した。
まさかドライラントではなくイシュタルトに直接ケンカを売ってくるとは誰も思っていなかっただろうが・・・
ドライラントは三伯国のことは、父祖伝来の土地を荒さなければどうだってよいと思っており、明らかに旧ヴェンシン派の人間がドライラント側の土地に入っていっても害をなさなければ取り締まらなかった。
タンキーニはどの国と争いになっても立場が弱く、ダ・カールとモスマンはお互いにライバル意識(自分たちが正統にヴェンシンを継承するべきだと思っている)を持ち、伯爵を僭称したとタンキーニを見下し、ドライラントの獣人たちを「我々の豊かな国土を奪ったケダモノ」だの「理性のない畜生」だの呼んで蔑み、イシュタルト王国のことは混乱に乗じて栄光あるヴェンシンの領土の1/3を奪った簒奪者であると国内には喧伝しているが、実際にはヴェンシン王国の15%程度の地域の領主が、包囲派の横暴や旧ヴェンシン東部や中央から流れてきた流民が抱えきれなくなり、さらに流れてきた貴族連中が民衆を扇動したので領地の安定化と治安維持を求めて降ってきたのでただの言いがかりだ。
しかしそんな状態でも三伯国を合わせた領土、国力、兵力よりもドライラントのそれのほうが大きく、イシュタルトどころかオケアノス侯爵領相手でも三伯国では太刀打ちできないために、これまで平穏が保たれてきた。
さらにいえば民衆からすれば、来るべき領土奪還(イシュタルトに降った地域を指すのか、ドライラントが取り返した領土を指すのかは不明)の日のための軍備増強にと重税と軍人優先(常備軍はほぼ貴族の子弟からなり、主に治安維持を目的とする自警団はドライラントの支援を受けて民衆が運営している。)を課す両伯国よりも、すでに獣人や隣国との協調路線に乗り換えて両伯国に対する自衛のための戦力のみ整えているタンキーニ伯国やドライラントのほうが豊かで、民衆の大半は両伯国への不満を募らせてはいても、ドライラントへの恨みはほとんどなかった。
それが結果的この連邦を平和にしていた。
民草の間では交流が行われ、狩の巧い獣人たちが魔物や動物の狩猟を格安で請け負ってくれるので、人々は農業や商売に集中できた。
貴族にはできない共存を、民衆とドライラントはとっくに成していたのだ。
しかしながら旧支配者階級、特に両伯国に組み込まれたあと徐々にダ・カール家やモスマン家に土地や権力を奪われていった者たちは、復権を目指して野心をくすぶらせていた。
これが高じたのが旧ヴェンシン復権を掲げる秘密結社「シンの火」の興りである。
そして彼らは年月をかけて三伯国や旧ヴェンシンからオケアノスに降った貴族家の中枢に徐々に浸透してきたのである。
今回の急な侵略についてありえそうなのは、今年に入ってからのオケアノス領内での「シンの火」所属者の摘発、粛清や、国境付近の領地の変更、入れ替え指示を原因にした焦りによる侵略だろう。
徐々に進めてきた浸潤が無駄になるのだから・・・しかしながらこれは完全に勇み足だ。
彼らが真に亡きヴェンシン王国を思うなら、今回のことで一度水泡に帰したとしてもまた最初から歩みだすべきだった。
結局は目の前に見えつつあった(帝国とミナカタ北部がすでにイシュタルトに属しつつあるため実際に事を起こせばたちどころに制圧されていただろうが)オケアノスの実効支配が目を眩ませたのだろう、なにせ現在のオケアノスと三伯の領土だけでも旧ヴェンシン王国の領土と同等以上の領土となるのだから。
そしておそらくは、ジョージの結婚式の日程が狙われたのだろう、ここしばらくジョージがオケアノスには不在であり、軍権を信頼できるものに預けたといってもやはり侯爵代理の不在は大きい。
場合によっては道中の彼を人質にするか殺害するためにその賊に扮した兵隊を派遣した可能性もある
---
頭の中を推測が駆け巡る。
でも今はそんな背景はどうだっていいのだ。
先日送り出したばかりの姉を、そしてその祝いのために同道していった両親と妹の顔を思い浮かべる・・・。
見送ってからもう2週間ほど経つ、明々後日の早朝には再会する予定だった・・・。
「おじい様、ボクはサークラたちの捜索に行きます」
「判った。許可しよう」
ジークもボクの跳躍のことは知っているので、人を探すだけなら一人のほうが早いとわかっているのだろう。
捜索のためにボクたちを呼び出したのだろうとも思える。
「カグラ、飛行盾は使えるよね?」
「は、はい!」
心が焦るけれど、恐怖で足が竦むけれど、今はまだ最悪を思い浮かべる時ではない。
言葉にしてしまえば、最悪は現実になってしまう様な気がして、ボクはそれ以外の言葉を紡いでごまかす。
「ユーリとエッラ、それにフィーも合流して、空から東に向かって。ボクは跳躍でこのままアニスとサークラの保護に向かう。デネボラでボクのギョウテンの場所はわかるでしょ?見つけたら連絡は入れるから」
ただそれだけを告げると、ボクは跳躍の挙動をとる。
同じ大陸の中ならできるはずだ。
血のつながるアニスやサークラをたどって跳躍できるはずなのだ。
するとジークが急いで何かをしたためていた。
「アイラよ賊徒の討伐や、必要に応じて敵兵士の討伐、オケアノス兵の指揮を『ナイト・ウルフ』に命じて良い、オケアノスの軍部は前回のことでソナタの顔も知っておろう。王領からもすぐに出せるだけの兵を出すあと30分もしないうちにジェリドが先発隊を率いて出る予定だ。しかしジョージたちのことは足の速いそなたが頼りだ。みなの無事を確認してからで良いので、この書状をオケアノスの軍権を掌握しているものに渡してくれ、」
ジークが差し出した書状と今名前を入れていた許可証を受け取り、収納する。
「ありがとう、おじい様」
ボクが一人で自由に動ける様に裁量権の様なものを書面にしてくださったのだ。
そしてジョージではなく軍権を掌握した者に・・・というのはそういう可能性もあるからだろう。
「ユーリ、カグラ、エッラ・・・先に行ってくるね!」
「すぐに僕たちも行くから、気をつけて」
「はいアイラさん」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
ボクが一人で跳躍するのは、魔法力を消耗しすぎないためだ。
人一人増やすとそれだけで跳躍に費やす魔法力の消費が倍化する。
場合によっては跳躍した先から多数の人間を短距離でも跳躍させないといけない可能性がある以上、消耗を抑えれる部分は抑えておくべきだ。
(捕まえた・・・!!)
アイリスやピオニーではない、もっと遠くにいる家族の存在を掴んだボクの視界は跳躍の暗転に落ちた。
------
(ユーリ視点)
突然王城に呼び出されて、僕たちは危機的状況を知った。
ただ国家の大事というだけではない、一人の人間として、愛する者を失う恐怖を、奪われる痛みを知るものとして、看過できない痛みを僕とその家族に強いる可能性がある状況。
その危機感の中でアイラは僕やカグラのことさえおいて跳躍で城を後にした。
前周での経緯を思い浮かべればこの状況はドライセン全体ではなく、ドライセンの旧ヴェンシン三伯国か、タンキーニを除いたダ・カール、モスマンの主導だろう。
そして、おそらくはオケアノスでの粛清からもれていた、貴族や有力者以外の、小物の「シンの火」の構成員たちが、オケアノス家の婚姻の情報をあちらに漏らしている。
オケアノス侯爵代理ジョージのオケアノス市での結婚式の予定が5月6日なのは先んじて発表していた。
なにせ実質領主様の婚姻なのだから当然だろう、お祭り騒ぎさ。
加えてその身が領地に不在であることも分かっていただろう
先ごろからのオケアノス内の「シンの火」の粛清と排除、それに今年の夏分の種まきを待って国境線を抱える領主を差し換えるための指示をだしていたことが裏目に出たのだろう。
完全に不利になる前に仕掛けてきたって言うことだろうけれど、元の状況でもどっちにしろイシュタルトに対して勝ち目はないとわかりそうなものだろうけれど、そんなに滅ぼされたかったのかな?
ジョージがいるし、アイラ謹製のセイバー装備持ちも一人含んでいる馬車隊だ。
よほどのことがない限り、賊に扮して浸透している様な少数の部隊にそうそう負けるとは思わないけれど、国境を攻めた軍勢がどの程度突破してきているかによってはまずいかもしれない。
情報が足りないのだ。
しかしながら希望もないではない、国境付近で戦仕度をしていたのを見逃す程度の軍勢、せいぜい魔物討伐用の派兵と見間違える様な規模だと考えられる。
もしそうでないならば、オケアノス東部の国境沿い貴族はすべて敵だということになる。
たとえ一部の領主が旧ヴェンシン派とつながっているにしても、近隣の領主すべてがそうでない限り、大規模な軍勢を見逃すなんてありえない。
商人や密偵だって入り込んでいるはずなのだ。
すべての目をふさぐことなんてできやしないだろう。
ただそれでも、複数箇所の国境から同時に小、中規模の軍勢を送り込んできたのだとしたらそれなりに厄介だし、まさかオケアノスが数日で陥ちるとは思わないけれど、オケアノス市周辺の道を封鎖されていればジョージたちはオケアノスに入れないし、市民は不安にもなるだろう。
そしてイシュタルトが戦に負けることはないにしても、終結までには血が流れる。
本当に侵攻してきたのならば今も国境沿いで多くの血が流れているだろう。
せめて国境へのセイバー装備の配備が終わっていればもう少し違ったかもしれないけれど、昨年までジェファーソンが牛耳っていたオケアノス-ドライセン国境にはセイバー装備が配備されなかった。
今年度の卒業生から少しずつ正式にセイバー装備を配備させる様になり、サークラの護衛についてくれたエイプリルは昨年の卒業生だが、サークラの近衛メイドとなる際にセイバーを拝領させた。
現在東の国境線沿いのセイバーの配備数は4領にとどまっており、もう少し数があれば国境侵犯も防げたかもしれないと思うと、悔しい限りだ。
しかし今は悔やんでばかりもいられない、アイラに頼まれたのだ。
カグラ、エッラ、フィーとともに東進しなくては・・・・。
跳躍して消えたアイラが先ほどまで座っていたソファに手を置くと、まだ少し温度が残っている。
それにアイラの甘い匂いと、耳に残る乞い願う声・・・。
それから物資の話や、僕たち学生が軍に協力する際に問題になることなどを少しだけ話した。
「ではハルト様、僕たちもこれで・・・西が扱う兵が出る様な場合にはいったんトーレスに指揮を任せてもらえますか?」
今回は東側が戦場となるので、本来であれば父ギリアムがヴェルガ皇太子とともにか、単独で王領の一部の兵を預けられて後詰に出陣するのが習いだ。
しかしながら現在父はホーリーウッドへの帰路にありいつ連絡が取れるか判らないし、本当に大規模な出兵があるかもわからない、それに現在は僕がクラウディアに滞在しているため代理として僕が出撃する場合もある。
しかしながら今から僕はカグラたちとともに小規模な捜索活動に従事するので、一時的に西の代理人を立てる必要があった。
「判った。ユーリよ、アイラの意見の通り、カグラ、エレノア、それにフィサリス殿とともに独立行動と裁量を許可する。そなたらの忠心にしたがって行動せよ。」
勇者になっている僕や、勇者と遜色ないエッラ、それに独自の戦闘力を持っているカグラとフィサリスには、特定の任務への従事ではなく独自の行動をとっても良いと認可状を手渡して下さった。
「拝命いたしました!」
書状を受け取った僕の返事だけが、室内に響く。
「あの、少しお待ちいただけますか?」
さぁ行こうと、踵を返そうとした瞬間カグラが待ったをかけた。
気勢を殺ぐことになったが、彼女は無駄なことをする類の娘ではない、何か理由があって呼び止めたはずだ。
視線を集めたカグラはおずおずと手を上げて発言の許可を待った。
暑さに負けております。
更新ペースが不定期で申し訳ありません。
何とか3日以内になる様に心がけます。




