第178話:新しい名前
ミカドとの秘密の話を終えたアイラ達は、宮城の最深部からミカドやセントール大陸の有力者達と御前会議を行った広間へと戻ってきていた。
時間にしてしまえば僅か1時間程の事であったが、アイラたちにとってとても濃密な時間であった。
先ず古くから、少なくとも『中央』がミカドの居城として発展する前には存在したであろう地下の巨大構造物。
そして古代の魔法道具や軌道兵器の説明、2つのダイミョウ家の血を継ぐ存在の話、他にも保護した幼女につける乳母の話や、セントール大陸周辺に点在する島々の話、セントール大陸で不穏な行動をとっている注意するべき勢力の話や、アイラが聞きたかったダーテ家の話などを、ミカドは一つ一つ語った。
そして最後に話を区切ったミカドは、アイラ達に告げた。
「今宮城に残っている姫君達とその夫や従者らへは、供応の用意をしている。
あと1時間はかかるが、それまで別行動になっている従者たちや、エレノア嬢との合流もかねて宮城の中を見物していってくれ、道案内はカシュウのところで誰か付ける様に手を回しておこう。私はこれから日課の業務を行うので、一度ここで失礼させてもらう」
暗に退室を促されたと判断したアイラたちはミカドを残して地上まで戻ってきた。
途中幾つかの扉に興味を惹かれたアイラ達であったが、何か試されている様な気持ちがしたのでミカドとともに歩んだ通路をそのまま逆に辿ってきた。
そして、広間に戻った所で狐面と造り物めいた笑みを張り付けた狐獣人の男が3人を出迎えた。
隣にアイラ達の見知らぬまだ年若い娘が並んで佇んでいた。
「カシュウ殿、お待たせ致しました」
アイラが声をかけるとカシュウは仰々しい身振りを添えながら応える。
「いえいえ、待たせたと申されましてもこれも奏者としての務めの一つでございますので、また私はこれから皆さまの食事の手配の最終調整など致しますので、宮城内の案内はこの者が致します・・・ご挨拶を」
アイラ達が広間に入った時点からずっと頭を垂れていた娘は、カシュウに促されて漸く頭を上げる。
「お初にお目にかかります姫様方、奏者見習いのノア・ウェイターと申します。これから中央ご滞在の間の皆さま方のお手伝いをさせて頂くこととなりました。不調法者ではございますが、なにとぞご指導のほどよろしくお願いいたします」
ノアと名乗った少女は漸く頭を上げたというのに、すぐさまもう一度頭を下げた。
彼女は見習いの身分であり、本来客人の案内などという役目を負う様なことはないのに、幸か不幸か今回たまたまダイミョウとなることになった娘と名前の一部が同じであること、そして客人たちと年齢が近いことから突如案内役に選ばれたため緊張していた。
そしてそんな彼女の様子を察したアイラたちは努めて優しく接することにした。
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(アイラ視点)
ミカドと別れた後、ミカドから新たに伝えられた情報を頭の中で整理しながら元きた通路を戻る。
ミカドが秘密裏に伝えたがった箱等の使い方や、エコーの出自のこと、そしてボク達が聴きたかったダーテや他の危険な勢力のこと。
ダーテは、15年ほど前を境に好戦的な振る舞いをする様になり、周囲に残っていた血縁もあるシュゴ家を侵略、併合し、周囲に格上のダイミョウ家しかなくなると今度は大陸近海の島嶼群へ、そしておそらくミカドの眼のカバーしていない大陸外へも手を伸ばしていると言う。
ただ事前の情報に合わない部分もある。
セントール大陸では公式なサテュロス大陸との交流は3000年以上途絶えているということになっていて、ミカドもそれが事実であると認めた。
これは当時他大陸との取引を独占していた家がその蓄えた財を狙われて侵略され、当主家が囲い込んでいた航海術や遠洋を行く船の造船技術が喪われたためだと言う。
でもこちらの、サテュロス大陸側の認識では三百年以上に渡りペイロードが大陸外と貿易を行っていて、その取引相手の中にはセントール大陸も含まれていたはずなのだ。
それにかつてサテュロス大陸を追われ、後にドライラントを建国した獣人たちの祖先がたどり着いたのもセントール大陸だったと思うのだけれど、どちらもミカドに尋ねた所そうした事実はないか、ミカドが認識していないとのことだった。
ただしミカドはあくまでも可能性の話として、前述の侵略された領主一族の一部の人々がセントール大陸の南洋に向けて脱出したかもしれない形跡があるとも教えてくれた。
もしかすると未知の、それなり以上の大きさの島がセントールよりも南の海域に存在して、彼ら脱出した者たちがたどり着いていたかもしれない。
そんなことを考えていたらあっという間に地上に戻ってきた。
元の部屋に戻ってきたところでボクたちを迎えたのは予定通り奏者のカシュウであった。
変わり様もないのだけれど相変わらず高い身長、斜めに着けた狐面に、作り物めいた笑みを浮かべて、つかみどころがないというか何となく胡散臭さを感じるけれど、ミカド曰く態度はともかく実直な性質で姉のオルテア・デバスティターとは比べ物にならないほど真面目な人物だそうだ。
そうなんとこのカシュウ、ウナの代官オルテア女史の実の弟だと言う。
そしてオルテア女史は優秀ではあるものの若い男にどんどん手を出してしまう悪癖があるため、宮城ではなくウナに封じられているのだとか。
「(リベルとスティア両氏はどうやら・・・)」
道理であの夜、二人が妙にやつれて気まずそうで、オルテア女史は艶々してたわけだね。
そしてノア・ウェイターと名乗った少女、年は13歳とボクと同じかひとつ下、姿を認めた時、一瞬ミカドが乳母としてつけてくれると言っていたメグ・ミルヒカーフかとも思ったけれど、よく見れば角も生えていないし、胸も別段大きくはない。
種族はヒト族ではなく・・・なんだろうこれ?
『リコン』獣人という意味あいの種族名、獣人であることを表す様に丸っこい獣耳が頭頂部にピコんと立っており、お尻にはふさふさとして丸っこい、そして先端の黒いしっぽがある。
髪や毛の大部分は少し茶色がかったグレー。
リコンと読めるその文字列が、何の動物を指しているのかは現状わからないけれど、その耳からはタヌキかアナグマ、イタチ系獣人にしては体格がヒト族に近く、しっぽの先が丸いので、タヌキ獣人だと仮定する。
おそらくセントール大陸では【タヌキ】のことをリコンと呼ぶのだろう・・・と
カシュウと簡単な挨拶を交わし、それから彼女、ノアは促されて漸く下げ続けていた頭を上げた。
と、思ったらもう一度下げる。
「お初にお目にかかります姫様方、奏者見習いのノア・ウェイターと申します。これから中央ご滞在の間の皆さま方のお手伝いをさせて頂くこととなりました。不調法者ではございますが、なにとぞご指導のほどよろしくお願いいたします」
ほんの一瞬垣間見えた彼女の表情は真剣そのもの、だと言うのにその瞳を見た瞬間伝わってくる人懐こさと愛嬌。
緊張しているのも伝わってくるけれどね。
「イシュタルト王国のアイラ・イシュタルト・フォン・ホーリーウッドです。よろしくノア、彼女はボクの親友のカグラ」
なんとなく慣れない外向けのフルネームを名乗り、親しみやすさを強調する様にノアと呼び捨てる。
ついでに神楽が自己紹介しやすい様に「姫の親友」という立場を付与する。
ミカドが保証したとは言え、神楽の身分は姫君と呼ばれるには少々不自然なものなので、ボクが前置きしておくことで身分の紹介を省略する狙いがある。
「カグラ・キリウです」
「私はナタリィ・デンドロビウムです。案内役ご苦労様」
簡単に挨拶を済ませるとカシュウと別れ移動を開始した。
初めは入浴を済ませているはずのナディア達との合流。
大きな古い鎧の数々に怯えて粗相してしまった幼女の体を洗うために先に地上に戻った彼女達、ゆっくり休んでいたとしても、幼い子を長湯させることはないだろうしもう着替えも終わった頃だろう。
入浴後は朝通された支度部屋に戻ることになっているということで、ノアに先導されて居ると、長い廊下の正面の突き当たりに見知ったシルエットが現れた。
見紛うことなき我が家の黒と白のメイドだ。
それにもちろん先輩と件の幼女、それに見知らぬセントール服の少女、角も生えているし年頃も合っている。
あれがミカドから伝えられたメグで間違いないだろう。
ほぼ同時にあちらもこちらを視認したのだろう、ナディアが幼女に何か声をかけているのが見えた。
幼女がこちらを向いたのを確認すると、神楽は手を振って、娘となったばかりの幼女に合図するけれど・・・。
「あれ?隠れてしまいましたね?」
とノアが言う通り、幼女はエイラの背後に隠れてしまった。
エイラのスカートに体を隠している。
馬体部分が全然隠れて居ないので丸見えだけれど、どうやらこれは覚えたばかりのアレだろう。
「ふふ、これは驚いてあげないといけませんね」
「うん、そうだね」
「む・・・上手くできるでしょうか?」
ナタリィは少し自信が無さそうだけれど、こういう時は少し大袈裟なくらいに驚いて見せると喜んでくれると伝えると、小さく頷いた。
そしてボクたちはお互いにごく近い所まで接近する。
「やぁ、こちらは終わったよ」
「はい、こちらもつつがなく終わりました。ユークリッド様達はご一緒ではないのですか?」
ボクが幼女に視線を向けない様に声をかけると、ユナ先輩が報告をしてくれる。
そういえば彼女達はユーリ達と別れたことは知らないのだ。
「うん、エレノア達と鎧のことで先に工房に向かってるから、これから迎えに行くところな・・・」
「バァー!」
「きゃ!?あーびっくりした」
「イタズラっこですね、お返しです!」
ボクの言葉を遮る様に幼女が飛び出して、神楽の腰に飛び付いた。
驚いて見せた神楽に対して、ニヤリと笑みを浮かべる幼女に、ナタリィは横から軽く脇を捕まえてワシャワシャとすると、幼女は声を上げて笑った。
とはいえナタリィは加減が上手いのか大笑いというほどではなく、幼女は少しはしゃぐ様にキャッキャッと声をあげる程度。
「もーう、ヒビキちゃんてば、イタズラばっかりして」
自然に、さりげなく、神楽は幼女のことをヒビキと呼んだ。
訳あって改名することはすでにメグから伝えられて居るのだろう少しだけメイド達がピクリとする。
これは神楽が決めたエコーの新しい名前。
エコーという名前が英語のechoと発音が近いからと選んだ名前だ。
暁と神楽の養女と言うことで、日ノ本語で言えば響、暁の名前から太陽を表す日の字を取り、さらに神楽の名前は神に奉納する舞楽を表すことから、あつらえた様な名前だ。
ひとまずこの名前で呼んでみて、気に入る様であればこの名前が彼女の新しい名前となる。
そのためボクたちも今後エコーという名前では呼ばずに、ヒビキと呼ぶ予定だけれど・・・?
「・・・ぅ?」
眉をしかめて、不思議そうな表情を浮かべるエコー改めヒビキ
これまで呼ばれなれた名前で呼ばれなかったことに困惑しているのか、それともそもそもヒビキと言うのが自分のことを呼んだと思っていないのか。
ボクも覚悟を決めないとね、初めにエコーという名前を復活させてしまったのはボクで、名前を呼んだから懐いてくれただろう彼女に嫌われてしまうかも知れないけれど、これは避けて通れない儀式だ。
「ヒビキ、お風呂は気持ち良かった?」
と問いかけながらに、くしゃくしゃと頭を撫でる。
「?」
怪訝そうに見える表情を浮かべ、ヒビキはボクを見上げて、それでも気持ち良かったかという問いかけにはウンウンと頷いた。
そしてやっぱり賢い子なんだろう、彼女は疑問に思ったことを口にした。
「ひーき?」
多分『ヒビキってなぁに?』とかそういう意味の呟き。
「ヒビキちゃん抱っこしようか?」
と畳み掛ける様に神楽が腕を開きながら呼び掛けると、ヒビキは不思議そうな顔をしながらも、両腕をあげて応える。
納得はいっていないけれど、どうやら自分に問いかけているらしいことは理解してくれた様だ。
神楽が常の様に一度高い高いしてから横抱きにすると機嫌良さそうに微笑みを浮かべ、舌を巻きながら口から半分出して、唾液が泡立ったものがプチプチと音を立てる。
「ヒビキちゃーん」
と呼びながら神楽が頬ずりすると、漸く自分を呼んでいる名前なのだと理解した様で
「ひーきちゃー?」
といいながら神楽の顔を見ながら手をあげて首をこてんと倒した。
「どうやら、嫌がっては居ないみたいだね、では皆もこれから元の名ではなくヒビキと呼ぶ様に」
と、指示を出すと皆頷いた。
「それでは予定より早く合流出来た事ですし、このまま工房の方へご案内致しましょうか?」
「そうですね・・・その前に、君がメグでいいのかな」
と、まだ挨拶もしていないチチウシ族の娘に話しかける。
鑑定の結果メグ・ミルヒカーフだというのはわかっているけれどね。
「はい、ご挨拶が遅れました。ヒビキ様の乳母候補のメグと申します。姫様の許可が頂ければ、誠心誠意お仕えさせて頂きたいと思っております」
と、メグは頭を下げる。
柔らかな部位がポヨンと聞こえそうな縦揺れを見せる。
まだ11歳だと言うのに、大変に敗北感を覚えさせてくれるね。
でも彼女は悪くないし、ミカドからの募集とはいえ彼女はヒビキのために自らの人生を捧げてくれようとしているのだ。
となればボクたちも彼女をソルたちの様に受け入れるべきであろう。
そして、主人である立場のボクがそれを示すには、最初から他の者たちの様に使役して見せる事が大事だと判断した。
「ミカドから伺っていますヒビキのためにありがとう。早速で悪いのだけれどメグは工房の場所はわかるのかな?」
「はい、工房の場所は必要になるからと先ほど教えて頂きました」
先読みをする方が居る様だ。
予想された通りに動くというのも少しだけ気持ち悪いけれど、必要な事でだからそのまま命じる。
「それじゃエイラと二人で先に工房に向かってもらえるかな?」
と、指示を出すと
「かしこまりました。ヒビキ様のことを先に伝えて参れば宜しいのですね?」
と、察しの良さを見せてくれる。
エイラが察してユーリ達にヒビキの名前を伝えてくれることを期待していたけれど、メグも頭の回転は早い様だ。
優秀なメイドになりそうで何よりだね。
顔立ちも可愛らしく、頭も良い、献身的な気立ての良さを持ち、まだ未成年なので種族的特徴の話ではあるものの体つきはほどほどの身長にふくよかな胸に育つ予定。
将来的にセントール大陸に戻るにせよ、サテュロス大陸に留まるにせよ、嫁の貰い手には困らないだろう。
「そう、お願いできる?」
と、尋ね返すと、メグは頷いた。
エイラに視線を向けると彼女も『畏まりました』と小さく礼をして、メグに先導されながら先行していった。
こちらはヒビキを抱えた神楽が一緒にいるので少しだけゆっくりと歩いていこう。
常態的に投稿が遅くなってしまい申し訳ありません。




