第166話:中央・朝
(アイラ視点)
朝、懐かしいほどの視線の低さ、ベッドではなく床に直接敷かれた布団での目覚めは、日ノ本人の血がそうさせるのか、懐かしいと感じる。
シーマでも何度か床に布団で寝たけれどサテュロスの物と比べれば粗末で、シュゴ家の備品であるのに、まるでせんべい布団の様であった。
未だにむしろの様なものを寝具にしている者も多いと聴けばあれでも贅沢品だったのだろうとは思うけれどね。
それに比べてこのミカドの所有する施設の布団はサテュロスのモノに匹敵するほど柔らかで、寝心地はよかった。
懐かしい感覚のお陰でとてもリラックスできて、ユーリがトイレに行って戻るのを待っている間に寝てしまった位だ。
そのためか結婚後はユーリと同衾した翌朝、大体起きるのが少し遅いのに、今朝は随分と早い。
お陰で隣の布団で穏やかに寝息を立てるユーリの寝顔が見られた。
起こさない様に気配を消して、身体を起こすと隣の居間の雨戸を開けて空を見る。
多分5時半くらいか?
まだメイドも来ないだろうし、自分で着替えよう。
もう、女としての暮らしも115年ほど、暁の15年足らずより100年も長くアイラをやっているのだから、着替えにも初めての頃の様な照れはない。
はずなのに、今朝は強く日ノ本の暮らしを思い出す目覚めだったからか妙に暁としての自我が強くて、用を足すのも、夜用のズロースから昼用のドロワーズに穿き替えるのにも気恥ずかしさがあって、何となく下を見ない様にした。
今日はミカドとの初接触の予定だからサテュロス色強めでいく。
夕べこの施設にミカドからの使者がやって来た。
使者はミカドへの謁見の人員を指定してきた。
イセイからはトリシア姫、リベル氏の2名。
シーマからはマナ姫。
イシュタルトからはボク、ユーリ、神楽。
名目上はデンドロビウムからナタリィが、そして、侍女は一人に一人ずつつけても良いと言われたので、マナ姫の後ろにエッラを、ボクたちの後ろにナディア、エイラ、ユナ先輩を、ナタリィの後ろにフィサリスを付けることにした。
とはいえ、どうしてミカドが神楽を指定してきたかが読めない。
ボクにとっては重要でも、外交的、あるいは政治的に見て、神楽にはほとんど価値がない。
無論実際には様々な技術の開発に、飛行盾での移動等、役立ってくれているけれど、それはセントールには伝わっていないはずだ。
ならばどうして神楽を呼ぶのか。
ミカドという得体の知れない存在が何かを神楽に感じ取っているのかも知れない。
まぁ、行ってみればわかることか。
イシュタルト王国式のドレスを着るにはまだ早いので、簡素な水色のロングワンピース姿に着替えたボクは、朝の散歩に興じることにした。
ユーリが寝てるしね?
廊下に出ると誰もいないけれど、風の流れを感じた。
どこか窓か戸が開いている。
少し歩くと、昨日エコー達と遊んだ縁側が小さく開いていた。
そしてその向こうにいくつかの気配を感じる。
まだ6時前だと言うのに・・・あぁでもこの気配は神楽もいるね?
「おはよう」
小さく開かれた戸から顔を出して挨拶すると、やはりそこにはまず神楽がいて、他には4頭のクマ達、そしてエコーとナディアだった。
「おはようございますアイラさん、お早いですね」
「おはようございますアイラ様」
「ぉぁよー」
三者三様のご挨拶、ク魔物たちは割愛。
ぐぅ・・・
どうやらエコーはお腹が空いているらしいけれど、神楽のデネボラの収納やナディアの魔導籠手の収納機能では、勇者のそれと違って時間経過が止まらないので、水気のある食べ物が入っていない。
自然非常用の保存食が中心になるので、与えていないのだとして。
朝食には早すぎるけれどもう、11時間程も食べてない訳で、ボクだってお腹は少し空いている。
胃が小さく、体は大きいエコーに我慢させるのはかわいそうだろう。
「エコー、朝食前だから少しだけね」
と声をかけ、収納から以前に、学食メニューの開発時に神楽が作ってくれた野菜たっぷりのなんかタルトみたいなモノを取り出す。
景気よくイセイの人たちにも分けた為に、実はそろそろ温かい料理の在庫が半分を切っている。
材料はまだ結構入っているし、リトルプリンセスを収納するときに容積を節約するのにリトルプリンセス級の空き部屋の中に結構な量の穀物を放り出しているので、またそのうちみんなでお料理大会もしないと。
「あ、私が作ったキッシュですね、不思議です。作ったの学生の時なのに、痛んでないなんて」
と、神楽が少し物欲しそうにキッシュを見つめる。
「カグラ、ボクたちは朝食まで我慢できるでしょ?」
と、たしなめると「はぁい」と残念そうにする。
エコーは見慣れないキッシュを素手で掴むと、少し匂いを嗅いでから、ボクの方を見つめた。
それからボクが「どうぞ」と合図すると大きな口を開けてかぶりついた。
そして口一杯に頬張ったそれを噛みながら、神楽の方に差し出す。
「たーたー?」
あんなにも大きく口を開けて、大胆にかぶりついたのに、キッシュはその先端が小さく齧られただけで、口の回りをクリームで汚したエコーは神楽に、ひと口要りますか?と尋ねている。
「あ、大丈夫だよー、エコちゃんがしっかりお食べー」
と、神楽はエコーのことをエコちゃんと呼び言い聞かせる。
エコーは不思議そうにしながらも、その後ひと口ごとボクやナディア、ク魔物達にキッシュを勧めたが、誰もが皆エコーに一人でどうぞと勧める。
ちょっとお腹が空いたからって、ちびっ子の食べ物なんて取らないよ?
やがて食べ終わったエコーの為に、神楽は結露のの柄杓で水を出してやり、手と口を洗わせる。(ナディアはユーリに近侍するために部屋に向かった)
それから神楽が布切れでグシグシと口を拭うと、エコーは満足した様子でケプと、げっぷをした。
それからエコーはまたクマ達の方にポテポテと歩いていく。
そこで前周でも子どもの遊びによく使っていた毬球をひとつ取り出して転がしてやると、目の前を転がってゆく球にエコーは目を奪われて立ち止まった。
それからエコーは球を追いかけていく。
外用の毬球は毛糸の毬に動物の皮を張ったもので、少し重たいけれど、その分遠くまでは転がりにくいので、エコーの運動にはちょうど良いだろう。
ボクから7mほどのところで球に追い付いたエコーは球を両手で掴むと、それを不思議そうに眺めながらこちらに戻ってくる。
そして球をボクに差し出した。
「てって?」
「もう一回するの?」
球を受け取りながら聴いてみるけれどエコーは首を傾げるだけだ。
少し考えて、クマ達にエコーの相手をしてもらうことにする。
「リュウ」
名前を呼びながらゆっくり球を転がすと、エコーの視線は球を追いかけて、そしてリュウの方に歩いていく。
先程より少しだけ強く転がしたので、エコーは球に追い付くことができず。
球はリュウのもとにたどり着く。
するとリュウはひと声
「パゥ!」
と哭いて。
するとベア、スノウ、ポーラがエコーを囲む様に移動する。
エコーは球を気にしているものの、周りのク魔物達が離れていったので、少し不思議そう。
4頭はやがて1辺が5メートル位の四角を作ると、リュウがベアに向かって球を転がした。
それを見たエコーは球を追いかけ始めた。
そして少しすると
「ヒャー♪ヒャアァー♪」
満面の笑顔でボールを追いかけるエコーの姿が見られる様になった。
横で見ていたところ、4頭の間でホールを転がし、エコーが途中で取ると、投げたク魔物の方へ持って戻って行き手渡し、ハグしてもらう。
その繰り返しみたい。
ベアハグだけどふんわり優しい。
「おはよう、アイラ、カグラ」
と、そこにユーリもナディアを伴ってやって来た。
「おはようユーリ」
「おはようございますユーリさん」
挨拶を返すボクたちに小さく手を振ったユーリは神楽とボクを挟む様にして座る。
「二人とも昨日会ったばかりなのに、もうエコーのこと可愛くて堪らないって感じだね」
と、ユーリは言う。
確かにエコーは出会ったばかりだ。
だけど、不幸にあって、生存が絶望視されて、奇跡的に、それでいて人為・・・と言うか熊為的に生きていて、それでも天涯孤独であるため、これから生きていくことが困難な2歳にもならない子ども、なんとか助けになりたい愛してやりたいと思うのは、善良な者であれば当然のことだろう。
その上エコーは外見的にも可愛らしく、その所作も生前のご両親の躾が透いて見えるほどだ。
無論当時の年齢の割に、との文言は付くが、ボクたちは可愛い盛りのピオニーや、甘やかしたくなる美少女に育ったユディを故郷に残して来ているのもあって、そんなお利口さんなエコーに、すでにずいぶんと入れ込んでいる。
「ユーリも同じじゃないの?エコーのこと、可愛いでしょ?」
ボクの問いかけに、ユーリは小声で答える。
「(うん、そうだね、外見はそうでもないんだけどさ、控えめなところとか、お行儀が良いところとか、サクヤに似ているなって思ってしまって、そう思うとどうしても可愛がりたくなっちゃう)」
その表情は失った過去を思い返す郷愁の様な寂しい笑顔。
「あぁ、確かに、サクヤに似てるかも、懐かしいね・・・」
言われてみれば、お行儀が良くて、どこか日ノ本人ぽい風貌で、ふにゃふにゃ笑う女の子というのは、サクヤに似ている。
サクヤは前周てボクが腹を痛めて産んだ双子の片方で、対外的には神楽の娘として扱われたダークブラウンの髪の女のコだった。
サクヤは神楽に似て、控えめでお行儀のよい子に育ち、コノエ家の令嬢は代々清楚で貞淑で、夫を立てる良妻でありながら、夫の不在には領主の代行や城を守る指揮さえ執ることのできる才媛揃いと有名になったほどだったけれど、エコーも神楽に養育を任せればそうなるのだろうか?
それにしても・・・。
「あーい」
と、スノウに球を手渡しているエコーの勝ち誇った顔のなんて可愛らしいこと。
結局何人起きてきても、そのまま朝食の時間まで、エコーの勇姿を見守り続けた。
セントール族は馬っぽいだけで馬ではないので肉もお召し上がりになれます。
お行儀の良い子どもって、小さいうちは可愛いのに小学校低学年位だと、妙に生意気に見えてしまうことがありますよね。(個人の感想です)




