第115話:角笛にて
サテュロス大陸内陸部中央やや南西よりの上空を飛行するものがあった。
この世界で空を飛ぶものといえば、鳥や鳥型魔物、珍しいところで劣化竜の類くらいであり、例外としてごく一部の勇者が飛行魔法と呼ばれる空を飛ぶ魔法を使えるものの、ただでさえ少ない勇者の中でもさらに希少な一部の者だけであった。
実際には勇者以外にもエル族やトレント族の一部が飛行魔法以外の魔法や手段で空を飛ぶこともあるのだが、それらは常人の常識にはない。
その日上空を行く飛行物体・・・龍の上には6人の人物が乗っており、やや緊張した面持ちで眼下にある巨大な山脈と連峰を見下ろしていた。
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(アイラ視点)
約100年ぶりとなるこの風景は相変わらず圧巻の一言に尽きる。
南東に見える4つの山の連なった連峰も、雑に言えば北から南西に向かって弧を描いている悪魔の角笛もとても峻険な山で、もしも整備された道以外を縦走していれば、比較的短い東側の山脈でもきっと10日以上はかかるだろう。
さらにこの山地にはヤギ、ヒツジ、シカ、イノシシ型などの魔物がごまんといる。
山脈の真っ只中を突き抜ける角笛の山道の方には、魔石回路利用の結界が張られているため基本的に魔物は山道のほうへ行くことはできず。
また連峰より東側も街道があり、結界が張られているためこのあたりで発生した魔物は、巨大な山脈である角笛の東側の稜線より東側の斜面から、連峰の東側の斜面の中ほどまでに溜まっている。
たまに逸脱したものが街道に出てきたり、近隣の村を襲撃し被害が出るものの、峻険な地形と魔物の数があまりに膨大な為すべて討伐することはできないでいる。
複数の稜線を持つ大山脈悪魔の角笛は、その比較的緩やかな場所を選び設けた山道でさえ馬車で数日かかるのだが、空を飛んでいくと多少あっけなく感じてしまう。
それでも遠くまでいくつもの稜線が連なるのを見下ろすとその雄大な姿に圧倒されそうになる。
魔剣を回収するとその山脈の1/3がかなりなだらかな丘陵地と平野になり、残りの山脈も多少まばらものになるのだが、こうやって見下ろしていると、前周で見た光景が信じられない。
「ナタリィ、降りるのはあの辺りでいいのかな?」
赤く発光する光弾を放って場所を示すと、ナタリィは幾分か砕けた口調で心に直接語りかけて答えた。
「(うん、合ってる)」
前周でオルセーが教えてくれた付近がやはり正解だと彼女は教えてくれた。
やはり裏道のほうだった様だ。
「逆に正規のダンジョンはどこから入るの?」
少し気になったので尋ねてみるとナタリィはかなり遠い場所、悪魔の角笛を構成する山脈の中では北北西の方角を指差した。
「(あっちの方に概ね750kmほど向かったところに7つの稜線に囲まれた盆地があるの、そこが最初の地点になるらしいけれど・・・そもそもここの地形は一度抜かれていた鍵を無理やり台座に刺しなおした物が、暴走した結果なだから、正規ルートというのはないの)」
750kmというとマハ港から一番近い大陸外の島嶼国家マイヒャンまでの距離とほとんど変わらない、遠い様で意外と近い距離。
そういえばここはバフォメットより前の時代に一度は町になってたんだったか、本来魔剣の安置されていた台座は、周りの地形が崩れて見えなくなってしまうのだけれど、かつてのサテュロス族はどうにかしてそれを回避して城を建てていた。
そしてそれを再度同じ台座に刺したので数日で山脈が再構築されたのだったか?
それにしてもと、ちらりと隣にいる人物を見る。
今ナタリィの背には6人の人影がある。
ボク、ユーリ、神楽、エッラ、クリスそしてエッラの膝の上に竜態となったフィサリスが抱えられて、さらにもう一人・・・。
話は今朝にさかのぼる。
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「今日もママの料理おいしかった。昨日お話した通り、お姉ちゃんからベアを貸りられたからちょっと出かけてこようと思うんだけれど・・・」
朝食を早々と平らげたアニスは早速とばかりにお出かけを宣言する。
王都の内外数箇所にある訓練場のうち、南東側にある森を有する訓練状に行ってみたいのだと言っていた彼女は、夕べベアトリカを見事説得して今日のベアの角笛行きをあきらめさせた。
よほど軍官学校の訓練が楽しいのか、うずうずが伝わってきそうだ。
「いいけどちょっと待ちなさい・・・はい、これジャムサンド、ベアはハチミツと練乳とパンでいいのよね?」
と母ハンナは貴族が持つには寂しいお弁当をアニスとベアに持たせる。
量が多いのと、ハチミツがある分ベアのお弁当のほうが値段は高いくらいだろうか?
アニスは学生らしく学生服に学生用の胸部鎧とをつけて、小さな背嚢にジャムサンドと簡単な応急処置の道具と水筒、それに水筒に水を足すための結露の柄杓を放り込んだものを身につけている。
一方でベアトリカは、普段王都の中を移動するときは危険がないことを示すために身分をあらわす装束をつけている。
以前は全身を覆う様な服が多かったが、ボクのベアメイドとして周知が進んでいくにつれて次第に軽装でも驚かれなくなり、現在はホーリーウッド家の家紋が刺繍されたメイド用エプロンのみを着て、服は着ていないことが多い。
エプロンは肩と腰をリボン状にしているためちょっとかわいい。
首には首輪と、以前から愛用しているアニスとピオニーの合作の名札。
背中には魔物革製の背嚢と、斧、槌、シャベルの機能を持った特殊な専用重量長柄武器「ベアームズ」を背負っている。
まず直立二足歩行のクマの時点で違和感がひどいはずなのだけれど、ボクたちの感覚はすでに麻痺していて、頭飾りが寂しいからと普段使いのヘッドドレスにはリボンまで追加している。
今日はお出かけなのでヘッドドレスの代わりにつばのある帽子をエッラが被せる。
もちろん女の子用なのでリボンもついている。
いつもと違う格好をして、心なし嬉しそうだ。
「アニス、ちょっとでも苦戦したなって思ったら、怪我してなくても早めに切り上げて帰ってくること、ベアがいるから多少怪我しても帰ってこられると思うけれど、過信はしないこと」
ボクも前周の学生の頃は何度か自主的な訓練にも出かけたからね、君ががんばるのを止めさせようとは思わないけれど、それでも妹が危ないことをするのは心配、その意味ではベアトリカという護衛の存在はとても大きい。
何せほとんどの魔物が寄ってこなくなるし・・・あれ?訓練になるのかな?
まぁ訓練といっても魔物との戦闘ばかりじゃなくて、森の歩き方とか、縦列で歩く時の枝の打ち方とか、実地で学ぶことはいくらでもある。
「もう、お姉ちゃんってば心配性だなぁ、でもそんな風に心配してくれる優しいお姉ちゃんが好きよ?」
とアニスはハグで応える。
続け様にアイリスやピオニー、母ハンナにもハグ、それどころかそのまま父やユーリ、神楽、アイビス、メイドたちに、ナタリィとクリスにも順にハグを仕掛けていく。
アニスにしては妙に芝居がかった行動だけれど、それだけテンションが揚がっているのかもしれない。
そんなことをしているとノックの音が食堂に響いた。
確認すると門番からの伝言で、城から使者が来ておりボクとユーリに登城を促すものだった。
「なんだろう?こんな朝から」
今から?
今日は角笛の攻略に行くというのに・・・。
と思いながらユーリと首を傾げあっていると
「お姉ちゃんたちと一緒の頃に出かけようかなって思ってたけど、待ってたら遅くなりそうだから私先に出かけるね?」
とアニスが言うので、ボクたちがアニスとベアを見送ることになった。
アニスたちを見送ったあとそのまま使者殿の馬車に同乗して城に上がると、すぐにジークと謁見することになった。
「陛下、ホーリーウッド侯爵エドワードが嫡孫ユークリッド参上いたしました」
「同じく、ユークリッドの妻、アイラ参上いたしました」
頭を下げるボクとユーリに、ジークは皺の目立ってきた顔にますます皺を寄せて笑った。
「よく着てくれた。急に呼び出してすまないな、例の件なのだが・・・うん・・・少し耳が多い様だな、ユーリ、アイラを除いて退出せよ」
ジークがそう宣言すると、大臣たちが謁見の間を出て行く。
彼らが出て行った後、入れ替わる様にしてジークの左手側からヴェル様とサリィが謁見の間に入ってきた。
「私だけは久しぶり・・・かな?」
といいながらヴェル様はボクのほうにそのまま降りてくる。
ジークとサリィはほんの二日前に顔を合わせている。
ヴェル様は公務で会えなかった為、ホーリーウッドに帰郷して以来だ。
ヴェル様はそのままボク目の間まで来ると頭を一撫でしてから微笑みかけてくる。
一度は父と呼び慕った方で、その人柄も能力も尊敬できる方である、
拒む気持ちはなかったのだけれど・・・。
「お父様、もうアイラはユーリ君の妻なのですから、いつまでも父親気取りで勝手に触ってはおじい様と同じ様に揶揄されますよ?」
とサリィが実の父に、実の祖父の浮名のことを引き合いに出して牽制すると、ヴェル様は嫌そうな顔をして手を引っ込める。
「サリィ・・・」
とジークもちょっと嫌そうな顔をするけれど、サリィはどこ吹く風とばかり涼やかな表情でボクの方へ歩いてくる。
「アイラ二日ぶりです。たった二日見てないだけなのに、こんなに思いつめた顔になって、いったい何があなたを悩ませているというのか・・・。あなたはお嫁に行ったとはいえ、私の妹なのですから、何でも相談してくれて良いのですからね?」
とサリィは心配そうな顔をして、ボクの頬をそのすべすべした手で挟んだ。
驚いたことに、ほんの数秒でサリィにはボクが昨日の出来事で思い悩んでいたことがわかってしまうらしい、姉というのはすごいね?
とはいえ、日ノ本語のことは相談できる様なことではないし、もう妹とのふれあいで大分癒されたのでひとまずは棚上げすることにしているのだ。
「大丈夫ですサリィ姉様、ボクにはユーリも、妹たちもいてくれますから」
「そう、いつでも頼ってね?きっとサークラお姉様もエミィも同じ気持ちだからそのとき近い姉に頼るのよ?」
と、サリィは相変わらず輝くばかりの美貌に慈母のごとき微笑を浮かべてボクを撫で擦る。
もう13歳なのにいまだにシシィと近い小さい子扱い、サリィとは3つしか離れていないというのにね
「そ、それはそうとして、どうして呼び出されたのでしょうか?角笛の魔剣の回収は今日行うと昨日人をやって伝えさせたはずですが?」
サリィとのスキンシップは気持ちがいいけれど、いつまでもこれでは話が進まないので言葉を挟むと、ジークは気を取り直す様に咳払いをしてから用件を告げた。
「今日の角笛行きに、サリィを同行させて貰いたい。昨日の午前までは公務が入っていたが、今日は黒曜日で、サリィが参加する必要のある公務は無く、また角笛はイシュタルト王国にとってゆかりのある土地だ。その大事を見届けることが、サリィが将来王となるときには何かためになることもあるかも知れぬ。」
そういって、ジークはサリィの同行を申し出た。
サリィはすでにナタリィが龍で、フィサリスが竜であることを知らせた相手ではあるので、いったんナタリィたちに確認した後に正式な返事をすると返事をして、ホーリーウッド屋敷に連れ帰った。
その後ナタリィ、フィサリスとも相談しサリィの同道が決まった。
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そういうわけで、出発は数時間遅れることになったが、同行者にサリィを加えてボクたちは角笛の上空に到達した。
表向きには、サーリア姫は週に一度の休日を、たまたま帰省?していた妹のボクと過ごすことにし、通常なら護衛が付くが、ユーリもボクも軍官学校での成績が非常に高いため護衛は不要ということにした。
ということになっている。
「角笛の南までこんなに短い時間で来られてしまうのですね。・・・いえ、おかげさまで怖くはなかったですよ?・・・えぇ、ぜひまたご一緒させていただきたいほどです」
とどうやらサリィもナタリィと心の中で会話をしているみたいだ。
「それにしても、やっぱり山の中だけあって、魔物が多いですね。どうやってあそこに行きましょうか?」
と、サリィは今度は全員に質問するけれど、その問いに答えたのもナタリィだった。
「(龍の姿のまま降りれば、魔物は寄ってきません、勝てないのがわかりますから)」
とナタリィは全員に対して語りかける。
そしてその言葉を実践する様にナタリィはその高度をゆっくりと下げ始めた。
その場所はやはり前周と同様のなんの変哲もない岩場で岩が折り重なっているだけの場所、それの一箇所に何かの仕掛けがあり、地精霊などの加護のあるものであれば開けることができるという。
前周でここを開けてくれたオルセーも地精霊の加護かそれに類するものを持っていたということだろう。
ここでようやくクリスの出番だ。
今朝はピオニーからクリスを引き離すのに苦労した。
1日半でいったいどれだけ懐いたのか、気位の高いピオニーは口にこそ出さないけれど、クリスをつれていかれることを心底嫌がっていた。
すでにベアトリカもアニスと出かけてしまったので、いっそう寂しかったみたいだったけれど、アニスとアイビスとが、モリオンに見せるための服を買いに行こうと誘うと少し機嫌を直してくれた。
結局ピオニーをなだめるために、明日の昼すぎまで王都に滞在することと、約2週間後に船出の前にもクラウディアに寄ることを約束したほどだ。
「それではクリスお願いします。」
人間態となったナタリィが言うと、クリスは小さくうなずき岩の隙間に手を入れると、そのまま無造作に引っ張る様な動きをした。
ナタリィがやらずにクリスがやったのは、きっとそこに仕掛けがあるからだろう。
たいした力をこめた様には見えなかったが、巨岩が動いてその奥に見たことのある扉がその姿を現した。
そこで、アレ?と少し引っかかる。
ここはもともとの台座に魔剣を差しなおして再度ダンジョン化した場所だったはずだ。
すると一度はこの地表に出ている構造は無かった時期があったはず、なのにどうして地精霊の加護を持つものが開けられる仕掛けが復活しているのだろうか?
「ねぇナタリィ・・・」
と呼び掛けてみるけれど、すでにナタリィは扉の方へと歩みを進めていた。
そしてナタリィは扉を開け放つと、振り向いて首をかしげた。
「おかしい、ですね・・・」
その視線はボクたちの足元を見ている?
それからもう一度扉の中に視線を戻す。
やはり見ているのは足元だ。
「ナタリィどうかしたの?なにか・・・・」
ユーリも彼女の様子に並々ならぬものを感じたのか、問いかける。
問いかけている途中でボクとユーリは彼女の視線を追い、気付く。
上に上がる階段や、本来なら様々な部屋に続くはずの扉が岩壁の貫入で阻まれているものの数千年の時を経ている割りに今も人が住んでいる様に汚損のない玄関、は前周と変わらないが、その視線の先には少量の砂と土が落ちていた。
ようやく前周のほぼ同じところまで来ました。
前回の様なハッピーエンドと言い切れないものではなく、ハッピーエンドっぽいところを目指して生きたいと思います。




