第111話:湖の貴婦人1
サテュロス大陸北東部、海沿いには不自然に連なる峻険な山脈があり、その麓に沿う様に小さな国に匹敵する大きさの広大な面積の水溜りが広がっている。
アスタリ湖、それがこの厄介な水溜りにつけられた名前である。
その名称と広大な面積に対して、どれだけ雨が降ろうとも水深は20cm程度しかなく、しかしどれだけ土を盛り埋め立てようともその水域が狭まることもない。
かつてはここを開拓しようとした国もあったが、数十年にもおよび開発のために資源を浪費した挙句国を傾け、長く権勢を誇ったヴェンシンに攻め滅ぼされる結果となった。
そのヴェンシンもここアスタリ湖には勢力を広げることができぬと東に勢力を伸ばし、結果として獣人の領域に手を伸ばし、未来、捲土重来した獣人たちに滅ぼされてしまったのも皮肉な話である。
とにかく、この大陸の歴史を語る上で、東と北を分断し重要な国境線としての役割を保ち続けたこの湖の存在は無視できないものだ。
極端に凶悪な魔物は少ないが、魔物が頻繁に出没する地域で、真冬には山が雪に閉ざされるため普段は山にいる巨大ヘラジカが越冬の為に凍結したアスタリ湖まで降りてくる。
このヘラジカは頭までの高さが3mほど、角が2mほどもあり、足元から角の高い位置までで4m20cmほどまで達することもある巨大な動物で、さらに群れる為、ほとんどの魔物を追い散らしてしまう。
結果一部の安全な地域を除いては、この追い散らされた魔物が冬場に殺到することになるため、周辺地域もほとんどの場所はかなり離れたところでないと人も住むことができないでいる。
とはいえ、この辺りの森は野生の果物や動物も多く、近隣の集落の者は豊かな森の恵みを求めて着かず離れず距離感を保って暮らしている。
農耕や牧畜だけでは事欠くので魔物のいる危険な森に狩猟や採取に入る人々の中には、稀に運悪く魔物や動物の餌食になるものも出るが、長年に渡り人々は自然との折り合いをつけて暮らしてきた。
------
(アイラ視点)
可愛い妹たちに見送られて、王都のホーリーウッド邸を発ち、ボク、ユーリ、神楽、エッラ、フィサリス、ナタリィの6人は初めは飛行盾で王都を飛び出したけれど、途中で一度地面に降りてから、龍の姿になったナタリィの背中に乗ってアスタリ湖まで移動した。
すでにドラグーンのことを知っている人間ばかりなので、持ちうる最大の移動手段であるナタリィの力を借りた。
フィサリスは龍王の御子たるナタリィの背に乗ることに恐縮していたが、竜態をとりエッラの膝に抱かれることで折り合いをつけた。
そんなわけでまだ王都を発ってから40分ほどだけれど、早くも目的のアスタリ湖についてしまった。
アスタリ湖ダンジョンはアスタリ湖沿岸から見るとかなり遠い位置にある島・・・アスタリ湖の水深からすればただの丘のほうが近いかも知れないが・・・にある洞窟からほぼずっとらせん状に降っていく構造になっている。
時々横穴はあるものの、基本的には一本道らしい。
上空から見ると、入り口のある島は小さく他に目印になりそうな岩や木も無さそうだ。
「裏道があるんだよね?」
とナタリィに訪ねると耳からではなく、直接心か頭の中に話しかけてくる様にナタリィの声が響く。
「(うん、そうだね、島の向こうそのまま山のある方、途中に真ん中に水溜りのある赤茶けた地面の島があるのは見える?)」
促されるままに視線をやり、広大な湖にいくつか点在する地面の見えている場所の中に赤茶けた土の見える島が確かにあることを確認する。
「うん、すごく小さいのがあるね。」
そう答えるボクにユーリたちもナタリィの声は聞こえているらしく、同じ様に島の方を見やりうなずく。
ほかの島と比べると、といっても島自体本当に数えるほどしかないが、それでも小さなその島は恐らくは、王都屋敷で使っていたボクの部屋と変わらないか、もう少し小さい位、ほとんど点にしか見えていない、それでもそれとわかるのは、ほかの島が白っぽい島なのに、その島だけがナタリィのいう通り赤茶けた色味をしているからだ。
「(その島のほぼ中央、水溜りの下に、地下への隠し通路があるの。)」
と、ナタリィは続ける。
じゃあその水をどうにかするのに、フィサリスの、水精霊の加護の力が必要になるということなのかな?
「(そろそろ、下降するね)」
そういってナタリィは高度を下げ、やがてボクたちは目的の島へと降り立った。
やっぱり小さい島だ。
ナタリィが翼を広げているとはみ出す程度の大きさしかなくて島の中央の水溜りも子ども用のゴムプールくらいしかない、でもその水深はアスタリ湖全域のおおよそ共通の水深である20cm程度とは比べ物にならないほど深く見えた。
「この水溜りが、その裏道の入り口なのかな?」
「えぇ、それじゃあフィー、お願いしていい?」
人形態に戻っているナタリィが同じく人形態に戻っているフィサリスにたずねる。
そもそもドラグーンは龍態が真の姿なのだから戻って・・・はおかしいか
ドラゴニュートはどっちが真の姿というべきなのだろうか?
などと取り留めのないことを考えているうちに、フィサリスはさっさと力を制御して作業を終えたらしく。
見る見る島の水溜りの水が減っていく。
どこかに流れているということだろうか?
考えても詮無いことか・・・。
何はともあれ道はそこにあるのだから
5分もすると、そこにはなだらかな坂道になっていた。
「それでは参りましょうか、これまでの裏道と比べると多少歩きますが、魔物とあう確率は限りなく低いですから変にあせって転んだりしない様にゆっくり行きましょう」
と、ナタリィはイシュタルト製魔導篭手を装備しながら微笑む。
これまで龍の島製の装具をつけていたのだけれど、今回からはセイバー装備だけではなく篭手もイシュタルト製のものをつけることになったのは、今後に備えてのことでもあるが、イシュタルト製魔導篭手の性能がなかなかに高く、ナタリィも気に入ってくれたかららしい。
フィサリスも片腕に魔導篭手と逆の手に小さな杖を握る。
また普段は大きな槍を携えるエッラも今回は狭い通路ということで篭手を両腕に装備した。
ユーリも盾の剣ではなく、めったに使わない50cmほどの刀身しか持たないものでを装備している。
しかしながらユーリには戦法という遺伝能力があるので、どの様な武器でも、最も習熟している盾の剣と同程度に扱うことができるので問題はないだろう。
ボクも普段なら暁光と払暁の両方を持つことが多いけれど、今回は払暁だけを握り、暁光は収納の中に残す。
神楽はいつも通り『銀腕』の篭手だけを召喚して、準備を終えた。
狭いところなので、長い武器は使いにくい、そういう点ではほとんど武器を選ばずに戦えるこのメンバーはとても探索向きだと思う。
魔法もみんなかなりのものだし。
---
さて、30分ほどなだらかな坂道を下ったところで少し開けた場所にたどり着いた。
、ボクたちが持ち込んだ魔導篭手の魔導灯以外に光源はないけれど、魔物の気配もない。
「ナタリィここは?」
「こちらに」
ユーリがナタリィに尋ねると、ナタリィは向かって正面の突き当たりのほうへまっすぐ歩いていく。
「ここに彫り物があって、押すと下にいくための装置が稼動します。」
いいながらすでに彼女は壁にあったその彫り物とやらを押している。
見ればそれはちょうど▽の形をしていて、まるでエレベーターのボタンの様だった。
そして想像通りというべきか、今まで岩肌にしか見えなかった壁の一箇所が左右に割れ、「奥」が露になる。
「これは・・・。」
ナタリィに促されるままに中に入ってからユーリはきょろきょろと周りを見回した後ひとつの結論に達し、ボクに耳打ちしてくる。
「(アイラ、ここは前の時あの謎の女性の映像が浮かび上がった部屋と似ている。でもここにはあの女性が浮かび上がった装置がない)」
あぁ・・・と思い出す。
前周でユーリたちが確認した謎の女性のホログラフ、その女性が残した言葉は間違いなく日ノ本語と同じ言葉だった。
それがたまたま同じ様に聞こえる言語なのか、あり得ないことではあるが、この星が未来の地球なのかと悩んだ事もあった。
あのホログラフは是非とも確認しておきたいところだけれど・・・。
こちら側から入って、正規側のルートには侵入できるのだろうか?
いやすでにこのどう考えてもエレベーターの様な働きの部屋は動き出している。
いったん魔剣・・・・ここのものはシキヨクのカマという名前らしい槍系の形状をしたものだったはずだが・・・の前まで行ってみてそれからナタリィに正規の順路を尋ねてみてもいいか・・・・そう思ったところで部屋の動きが止まった。
「つきました。この向こうに鍵が安置されています。といっても普段私たちはここまでは確認しに来ないのですが」
とナタリィは気まずそうに言う。
ボクユーリやエッラもいるからか、少し口調が丁寧だ。
もしかすると先ほどまでの念話もボク以外には少し丁寧な口調で聞こえていたのだろうか?
いやそれよりも、少し気になったのでたずねてみる。
「それはどうして?」
するとナタリィは別段隠す様なことでもないらしく顔を上げて堂々と応える。
「ここは、鍵が失われればすぐにそれとわかる変化が現れるそうでせいぜい300年に一度くらいしか立ち入らないのです。私はお役目を頂いた最初の時に確認して回りましたが、ここをあけるととても大きい部屋に出ます。危険はないですが驚く様なしかけもありますので、心構えを・・・。本当に危険はないのでびっくりして攻撃したりしないでください」
最後は少し言い聞かせるみたいに、ナタリィはやさしく語る。
じきに扉が勝手に開き、その向こうに暗い部屋が見える。
ナタリィが先を行き、ボクは唾を飲み込む。
経験者のユーリは大丈夫そうなので、少し不安そうな顔の神楽と、「銀腕」越しに手を繋いで、扉から出るとそこは非常に巨大な部屋だった。
上に行くほど広くなる円錐台の形になっているだろうとは思うけれどこの底面もかなり広い、明らかに人工物でできている。
床は神楽とも通った学校の床がこんな材質だったと思い出される。
一方で壁は金属でも樹脂でも木材でもない不思議な感触。
冷たくはないし温かくもない
ただ言えることは、どうやらここは正規ルートの逆側にあるらしいこと、今時分たちが入ってきた扉は壁と一体化して目立たないけれど、なにやら正面の床が割れて台座の様なものがせり出してきている。
「あわてなくて大丈夫です、危険はありません」
ナタリィは繰り返す。
ユーリの顔を見ると「知らない」と首を振る。
ナタリィとフィサリスは落ち着いたものだけれど、ボクたちを護衛する立場にあるエッラは少し警戒心をあらわにして構え、迫り出してきた台座をみて、多少気を緩めた様だった。
そして台座が出てくるとユーリは再びボクにささやいた。
「(いつかの装置と同じものの様に見える。映像が出るかもしれない。)」
ボクはうなずいて、映像記録をとるために「暁天」の撮影記録機能をオンにしてその瞬間を待った。
昨日で仕事納めでした。
4日間のんびりとできるので、何とか早め早めに更新して区切りをつけたいと思います。




