第105話:こんにちは、可愛い貴方1
ホーリーウッド侯爵の嫡孫ユークリッドの正妻となったアイラが13歳で迎えた2月30日、アイラたちはホーリーウッド領南西部、ウェリントン男爵領のやや北の街道付近に降り立った。
いつぞやのトーレスの嫁取りのための里帰りと同様に、あくまで通常の手段でやってきた様に偽装するため、今回も動力付の馬車ならぬ熊車での陸路でウェリントンに侵入する。
今回の彼女たちの目的は、アイラの腹心のメイドの一人エレノア・ラベンダー・ノアに20にして弟ができたため、それを口実に彼女にまとまった休みを与えることだった。
そうでもなければ彼女は自ら主と定めたアイラの近くから離れることを嫌がり、1週間程度の休暇ですら泣いて拒む。
名目上はアイラが大切なメイドであるエッラの弟、そして幼少の頃世話になった近所の夫婦であるブリスとミッシェルの子でもある赤ちゃんを見に行くので、ついでに現地でエレノアに休暇を取らせるだけ、名目上もなにも実際そのままなのだが、本当にそうでもしないと彼女は週休以外の休暇をとってくれないのだ。
なにはともあれ、以前より小型化した熊の魔物ベアトリカが牽く熊車は別段にトラブルに見舞われることなく、ウェリントンへと到着したのだった。
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(アイラ視点)
それなりに早くホーリーウッドを出立して午前10時にはウェリントンに着いた。
ウェリントンから見れば領主のさらに寄り親に当たるホーリーウッド家のものであるボクたちが、ウェリントンを訪れたのに、領主であるウェリントン家に挨拶をしないわけにはいかない、しかしトーレスはもちろんマガレ先輩や、ロリエリカ両先輩も今日はホーリーウッドの方にいるので、ウェリントンにあるウェリントン男爵領本邸には、掃除のためにオルリールとアンナがたまに入るくらいで、普段は無人となっている。
そこでボクたちが挨拶をするべきなのは、領主不在の間ウェリントンの責任者となっている元村長、現在ウェリントンの名主となっているトーティスの家だ。
「・・・というわけで、ボクとユーリは先にトーティスたちのところに顔を出してくるから、エッラは先に家に帰ってるといいよ、ベアトリカも今回はエッラと一緒のほうがいいかな?」
ウェリントンに入ったボクたちは、その発展ぶりに舌を巻きながらも、相変わらず村の入り口に近い区画にあるノア家で先にエッラを自由にしようと思ったのだけれど
「いいえ、今日の正午までは私はホーリーウッド家のメイド業務に従事しているということになっておりますので、ギュスター家までご一緒させていただきます。」
と、エッラは頑なに譲らない構えをとった。
「うん、わかった。エッラが自分の考えを曲げてまで1週間は休んでくれることになったんだから、そこはボクも折れないとね、じゃあ昼までよろしくエッラ」
「はい、アイラ様」
ここまでに何度か調整をする間に、大体議論はし尽くしているので、もう何を言っても時間まではメイド業務から降りるつもりはないだろう。
ここで無理やり村娘・・・もうウェリントンは町になっているので町娘か?・・・のエレノアに戻してしまえば、きっとボクたちが手を出せないのをいいことに早めに切り上げてホーリーウッドに戻ってきてしまうに違いない。
それなら約束通り後1時間弱メイドをしてもらって、約束どおり来週の黒曜日の夜5時頃に屋敷に着く様に帰ってきてもらう方が、ボクの希望にも合っている。
今日ウェリントンに足を運んだのはエッラの弟の赤ん坊を見るためだけれど、2月22日に生まれたばかりだというその子は生まれて8日、まだ名前もない状態だからちょっとでも早くエッラには弟のところに行ってあげてほしいところだったけれど・・・。
まぁ仕方ない、あと1時間ほど名前のない不便には我慢してもらおう、当初の予定ならあと1週間はそのままだったわけだしね。
今日の里帰りには、ボクとエッラ以外には、ユーリ、神楽、アイリス、ユディ、アイビス、ソル、ベアトリカが参加している。
他のメイドたちには、今日はおとなしく休んでもらうことにした。
あまり大人数で押しかけるのも赤ちゃんを驚かせるかもしれないし、何より今日は黒曜日で城のメイドの半数は休みの日なのだ。
ならばボクのメイドたちだって休ませるべきだろう。
ボクやユーリ、アイリスに仕えているメイドたちはみな本当ならメイドをやるよりも別の仕事についたほうがずっと実入りの良い仕事に就ける子ばかりだ。
エッラは言わずもがなだが、エイラ、ナディア、ソルも得意不得意はあるもののすでに近衛兵になれるだけの能力を有しているし、うっかりなところが目立ってしまうトリエラでも、治癒術使いとしては中堅以上の実力を有している上に、ちょっぴり地と水の属性も扱えるため不整地での拠点構築や戦場での排泄物や廃棄物の埋設に役立てるなど、支援向きの能力を複数有しているため軍部には好待遇で迎えられる人材だ。
なので普通の近衛メイドの給金よりも、能力を生かした専門職に就いたほうが給料は上がるはずだ。
そう説明しても彼女たちはボクやユーリのそばで仕えることを選んでくれた。
そこでまぁボクの方でも色をつけて給金を嵩増ししているけれど、よくよく考えれば彼女たち、週一のお休みにも出かけることがほとんどないのでお金を使う機会があまりないはずなのだ。
エッラは王都にすんでいた頃からフィサリスと休みが合うとよく出かけていたけれど、大体10時に出かけて14~5時には帰ってきているし、ベアトリカと休みが合うとその世話で休みの日の大半を使う、今回は一昨日のお茶会の日にウェリントン行きが決まったため、昨日急遽ボクとアイリスがホーリーウッド土産を買いに行った際に、エッラにも1時間の休憩を取ってもらって、お土産を買いに行かせたくらいだ。
まぁそういうわけなので、ホーリーウッドにたどりついたわれらが熊車はまずは真っ先に南側にあるギュスター家の方へ向かった。
ギュスター家はもともとボクたちウェリントン家が村長時代に住んでいた家を実家から独立したトーティスと、それまで教会の一室に住んでいたアンナとが村長夫婦となる際にそのまま受け渡したものだ。
ほとんどが平屋か、隠し地下室があるくらいの旧ウェリントン村の内では貴重な2階建て+地下室という目立つ家であったけれど、今のウェリントンには2階建ての家も増えているためそう目立たなくなってきている。
しかしいざギュスター家にたどりついてみると、その風情はかつてのまま残しておりながら、裏にあった森が後退して、その代わりに離れ・・・というか以前トイレがあった辺りの廊下の突き当りから伸びる様に廊下と部屋が延伸されているのが外からでもわかる。
将来的に2世帯で暮らしたりするためなのかな?
馬車は収納し、全員でギュスター家にお邪魔した。
黒曜日だというのにトーティスは新しく開拓する予定の区画に樵小屋を建てるために、男手として借り出されているそうだ。
「もう、昨日になって突然、明日ウェリントンに行きますね、って連絡が来るものだからなんの準備もできてないわよ?でも顔が見られて嬉しいわ、お帰りなさいアイラ、アイリス、エッラ、それに皆さんもようこそいらしてくださいました。」
アンナはまだ小さい二人の子ども、4歳のエドウィンと3歳のエアーリス、そして生後3ヶ月程度(100日前後)の次女オーレリアとを世話するために家で留守番していて、3人のちびっ子の相手は一人では辛かろうと、オルセーの母オルリールが一緒に、ギュスター家でお留守番をしていた。
ボクたちが今日来るという先触れは昨日の夕方届いたらしく、アンナは少しぷんぷんしているが、エドウィンとエアーリスはベアトリカに興味津々で、でも怖くて、アンナの服にしがみついているので、全体を見るとほほえましい。
そして、領主であるウェリントン家の寄り親に当たるホーリーウッド侯爵家の夫人となっても、身内だけの前ならばアンナはボクのことを姪のアイラのままで扱ってくれるのが、嬉しいと思う。
「ごめんねアンナ、ノア家のことで急に決めたものだから」
ボクが謝ると、アンナは足元に絡みつく2人のおちびちゃんたちの頭をなでながら
「あぁミルズのことね、エッラが名前付けるんだって?あまり長いとミドルネームを覚えちゃうから急いで来てくれたのね、相変わらずエッラは優しい子、ウェリントンに居た時もちっちゃい子たちのお姉ちゃんやっててくれたものね」
と、エッラをほめた。
どうやらエッラの弟にはミルズというミドルネームがついているらしい。
エッラはラベンダーという祖母の名前をもらっているので、もしかすると祖父の名前なのかな?
「いいえ、すべてアイラ様のご厚意で、お休みまでいただいてその上送って頂きましたから」
エッラは恐縮気味に、さっき抱いてみて?と渡されたオーレリアちゃんを抱きながら謙遜する。
オーレリアは初めて見る知らない女性の、(たぶん)見たことないほどの大きな胸部に惹かれてか夢中で鷲づかもうとしているけれど、ちっちゃな手には荷が勝つ様で下側に当てた手を伸ばしたり縮めたりすると、わずかにエッラの胸が持ち上がり、また下がるだけに留まっている。
そんなオーレリアからのスキンシップを気にした様子もなく、エッラはにこやかにアンナとの久しぶりの会話を楽しんでいる。
一方アイリスとアイビスはちびっ子二人に狙いを定めている。
そしてユディは状況はよくわからないが当初の予定の『弟を見に行く』を思い出したのか、オーレリアを抱っこしたくて堪らないオーラを出して、でも人前だからか我慢している。
それを察したエッラは、少しアンナとアイコンタクトを取り、さらに察したアンナは自然な動きで
「あら、オーレリアはそろそろ、お昼寝かなぁ?ちょうど寝かせようと思ったらアイラたちが着たから、お胸トントンしてあげないと・・・でもエッラたちとお話もしたいし・・・」
別におしゃべりしながらでもトントンは出来るだろうに、わざとらしくアンナはオーレリアの顔を覗き込み、ちらりちらりとユディのほうを見ながら告げる。
普段ならハイハイ!と自分が名乗りを上げるアイリスとアイビスも、空気を呼んでユディが名乗りを上げるのを待っている。
「あ、あの、オーレリアちゃんのお母様、もしよかったら、ユディがオーレリアちゃんのお胸トントンしましょうか?」
ユディは気を使われたことには気付かずにおずおずと名乗りを上げた。
「まぁ!ユーディット様がうちの子を寝かしつけてくださるのですか!?それはとても光栄なことでございます。では、ユーディット様こちらに来ていただいてもよろしいでしょうか?」
と、アンナはエッラとユーディットとを伴って懐かしき子供部屋へと歩き始める。
自然と、アンナにひっついたままのちびっ子が、そしてその二人を狙っているアイリスとアイビスがついていく、ボクたちも寂しいアンド、部屋が見てみたいのでついていく
かつてボクとアイリス、アニスが寝室にした広い子供部屋、そこは今も子供部屋として扱われていて、懐かしいダブルサイズのベッドには、真新しいシーツがかかっていた。
自分たちのホームベースである寝室に着たからか少し強気になったらしいエドウィンが小柄なアイビスの手を引っ張り始めた。
「あのねー、あのねー、ここエドのおへやなのー、よるのくらいくらいなったら、アリシュとねるの!」
と、やや舌足らずに主張しながら両手でアイビスの左手をつかんで、全身の力で引っ張っている。
アイビスは少し前に実家に帰った弟のことを思い出したのか緩みきった表情で引っ張られている。
念のためなのか、ソルがアイビスの後ろについていく
一方もう一人のちびっ子は
「あーぬぇ!うん、そーねぇ!」
と、どこかで聞いて覚えたのか、それとも少し離れたところで聞こえるエドの声に反応してなのか、なぞの相槌をしながら、首を上下にコクコクと動かしてから、トテトテと歩いていきベッド近くにあるクマのぬいぐるみを拾い上げると、もう一度戻ってきて、今度はアイリスの手をぬいぐるみとは逆の手でつかむと、今度はボクたちの後ろに居るベアトリカのところまで歩いていく。
それから
「ふん!うん!」
となぞの足踏みをしながら手と首を縦に振る。
すると何か察したのか、ベアトリカはその場に胡坐をかく様にペタンと座り込んだ。
するとエアーリスは満足げにベアトリカの足の上にそのオムツで膨らんだお尻を乗せる。
座り方は不恰好で普通のイスだったならば転んでしまっていたかもしれないが、そこはホーリーウッド家が誇る賢いベアメイドのベアトリカがフォローしてくれている。
わずかにひざを上げて自然にエアーリスがベアトリカのおなかを背もたれにする。
引っ張られていたアイリスはその微笑ましさにか頬を緩ませて対面のカーペットの上に腰を下ろした。
とりあえずちびっ子の相手はそれぞれ妹分とメイドとに任せて大丈夫そうだ。
ボクとユーリ、そして神楽は、先にベッドのほうへ歩いていったアンナたちについていく。
ベッドの上に、オーレリアを乗せる様にアンナはエッラに指示をして、ユディはベッドに横たえられたオーレリアを興味津々に見つめていたが、やがて不思議そうな顔をして、アンナに尋ねる。
「ねーねー、なんかヘンなにおいする。」
近寄ってみると確かに嗅ぎなれない匂いがするけれど、ユディ以外はすぐに思い当たる。
「ユーディット様、教えていただいてありがとうございます。寝る前でよかったわ、リーリャ、おむつ替えようねぇ」
言われて匂いをかいだアンナもすぐに理解して、エッラにジェスチャーでベッドの隣のイスの代わりにもなる背の低い棚を示した。
エッラも聡いので、すぐにオーレリアをその棚の上に動かす。
アンナはアンナで別の棚から替えの布おむつを取り出すとすぐにオーレリアの元に行く。
さすがは三児の母というべきか、アンナは実に手なれた様子でオーレリアの服を脱がしていく。
エッラはエッラで察しがよいので、オーレリアを載せた棚の中にあった桶に一緒においてあった結露の柄杓で水を溜め、さらに一緒においてあった専用のアイロンバーで水を温める。
なぜ専用とわかるかといえば、赤ちゃんのお尻拭き用のアイロンバーは取っ手に桃尻の形の柄頭がついているからだ。
用途によって温度帯が異なるアイロンバーは、それぞれ専用のものが多い
洗濯やお風呂に使うものは大体同じ温度なので、出力調整で使い分けれる様になっているものが多いけれど、たとえば紅茶用と緑茶用、最近だと甘茶(玉露風お茶のこと)用なんかも温度が違うので専用のものが出ている。
かつて形状が同じだと間違い易かったので、柄頭の飾りで用途を示すことが多いのだけれど、これは赤ちゃんのお尻拭き用というわけだ。
実際には体拭きにも使えるけれど、沐浴には使えない、沐浴用と比べると多少温度が高いのだ。
それはまぁいい、とにかく迅速にお尻の不快感が取り除かれたオーレリアは機嫌を悪くした様子もなくニコニコで足をばたつかせている。
それを見ていたユディは次々と質問をぶつけていく。
「これウンチなの?ウンチの匂いしないよ?色も変だし」
「ウンチゆるいけどだいじょうぶ?」
「ねぇ、おちんちんは?エッラの弟なんだよね?」
と次々に質問をしていく・・・っていうか、ユディここがエッラのおうちだと勘違いしてたらしい。
「ユディ、アンナはボクのお母さんの妹さん、エッラのお母さんとは別の人だよ」
最後の質問にはボクが、ユディの頭に後ろから手を載せながら説明すると
「ほー、へぇ、そっかぁ」
と、たぶん納得してくれている。
「ユディ、目的の、エッラの弟じゃないけれど、赤ちゃんはどう?」
と、ユーリがやさしい声色でたずねると、ユディは満面の笑顔で、かわいい!と応え、すぐにまたオーレリアの顔を覗き込む。
ベッドに戻されたオーレリアはしばらくは楽しげにきょろきょろしながら体をゆすっていたが、突然電池が切れた様に動かなくなった。
それから、お昼ご飯を用意するというアンナの変わりに子供部屋でオーレリアや2人のおチビちゃんの様子を見ておくことになり、昼餐の準備を手伝うといってソルはアンナと一緒に部屋を出て行った。
お昼はここでいただくことになりそうだ。
ちょうどいいよね、ノア家にこの人数は納まらないだろうし
先ほどまで寝ているオーレリアをトントンして見つめていたユディはいつの間にかエアーリスちゃんと一緒にベアトリカの足に座ってエアーリスちゃんとベアに絵本を読み聞かせてあげている。
アイリスの方は逆にエドウィン君のところでアイビスと二人で遊び相手になっている。
みんな子どもは好きらしい、あれならいつママになっても安心だね。
ボクたち3人は眠っているオーレリアの隣に座って、ほかの子たちに目をやりながら昼餐を待った。
本番のエッラの弟の前に、もうちょっと先に生まれていたギュスター家次女に骨抜きにされたユーディットの話でした。




