第100.8話:回想、家庭の問題
水晶谷の魔剣を回収したボクたちがクラウディア上空にたどり着いた時には、すでに夕刻といって差し支えない時刻になっていた。
ナタリィもマガレ先輩も、この頃は我らがホーリーウッド屋敷に寝泊りしていたし、お留守番していたラフィネ先輩も屋敷に待っている、そうでなくてもこんな時間から城に報告に行けば帰りは夜になる、愛しい妹のピオニーは眠ってしまうだろう。
昨日の朝だって、早くに発ったので寝顔しか見ていないのだ。
ボクたちがまず屋敷に帰ることを選択するのは、当然のことだった。
1日半ぶりに見る住み慣れた我が家は、昨日となんら変わることなくそこに佇み、庭で訓練がてらボクたちを待っていたらしいイサミとアルフィとが、ボクたちの到着に気付くとすぐさま駆け寄ってきた。
「アイラちゃん、お帰りなさい」
「若様!姫様!お早いお帰りで」
若い同い年の二人が、汗をかいているのも厭わず、夕日にその玉が反射している姿で出迎えてくれる。
「あ、アイラちゃん、大変なんです!ベアちゃんが!」
この二人ちょっと怪しいのでは?なんて考えていると、アルフィがやや慌てた様子でなにかベアトリカについて報告したいことがあるらしい。
「ん?ベアがどうかした?ま、まさかとは思うけど人を襲ったとか!?」
ベアトリカは、行きがけに一緒に行きたいと駄々をこねたため、かわいそうに思いながらも、軽く叱り付けてからボクたちは出発した。
そのストレスのせいで人を威嚇したり、襲ったりしたなら、ボクのせいだ。
おとなしいベアは、魔物の分類だけれども、すでに我が家の家族となっている。
今はジークだってうちで養うことを認めてくれているけれど、それはあくまで彼女がおとなしく言うことを聞いていることが前提だ。
もしも、指示なく人を襲ったとなれば、討伐を命じられるかもしれない・・・。
しかしボクの心配は方向性が違う様だった。
アルフィは小さく首を振ると
「説明するより、見たほうが早いです」
そういってボクにベアの様子を見ることを促した。
うなずいて、屋敷に入ると出会う家族皆にお帰りと、早くベアの様子を見る様に言われる。
これはただ事ではないぞ、と気を引き締めつつベアにあてがっている部屋に入るとそこにはアイリスとトリエラが寝床に横たわるベアトリカの手を握ってあぁでもないこうでもないと話し合っていた。
「アイリス、トリエラ、ベアの様子は!?」
ボクの姿を見てアイリスとトリエラは半泣きの情けない顔で告げる。
「アイラ、うぅ・・・ベアがね、なんか死んじゃいそうなの。」
「アイラさまぁ、申しわけございません、トリエラめも全力を尽くしているんですが、何でこんなことになってるのかわからないのです・・・。」
よってみるとベアトリカは目を瞑ってビクリとも動かない。
巨体が微動だにせず、まるですでに死んでしまったかの様だった。
「ベア!」
ベアトリカの面倒を一番よく見ているエッラが慌てた様子で駆け寄り、その体撫でるけれど、ベアトリカはうんともすんとも反応しなかった。
ボクもその体を撫でるけれど、いつももふもふして温かいその体がまるで石みたいに冷たくて、毛並みも心なしか硬く感じた。
「う、そ・・・ベア・・・ボクが叱りつけたから?一緒に暮らすのいやになっちゃったのかな・・・?ベア・・・・。」
もう2年も一緒に暮らした家族、それが昨日の今日でこんなことになってしまうだなんて誰が想像できる?
もしかして、こうなるのが判ってて昨日は一緒に行きたかったんじゃなくて、引きとめようとしたの?
でもそれならそうと、フィサリスやナタリィに話して伝えてくれれば・・・。
頬を涙が伝うのが判る。
「ベアちゃん・・・。」
神楽やマガレ先輩もベアとの思い出を思い返しているのか、鎮痛な気持ちが伝わる声で名前を呼ぶ。
しかし、ベアトリカはやはり微動だにせず、死にそうというより、すでに死にきっているかの様であった。
しかし、その様子を観察していたナタリィが言う。
「アイラ、皆さん、この子死んだわけじゃないみたいですよ?むしろこれは進化の準備に入っています。」
進化?魔物の進化?
「ナタリィそれって・・・」
「えぇ、通常魔物の進化は1時間以内に終わることが多いのですが・・・アイリスちゃん、ベアトリカがこの状態になってどれくらい経っていますか?」
ナタリィにたずねられたアイリスは指を折り数え
「30時間以上経ってる。最初からいきなりこんな冷たくなったわけじゃあないけれど、アイラたちが出発したあと寂しがってたからアニスとピオニーがお屋敷に残って遊んであげてたら急に気分悪そうにお部屋に引っ込んだんだって・・・、私が昨日学校から帰ったらもうこういう風に丸まってて、心臓も止まってないのに、ちょっとずつ冷たくなって・・・ふえ・・・」
そこまで言うとアイリスはグズグズと泣き出してしまう・・・。
「ふむ・・・、野生の魔物だと外敵がいるので悠長に進化ができませんが、ここは安全だと判断したのかもしれません、とにかく今は冷たくなりすぎない様にしてあげましょう。私はまだしばらくこちらに居られるので、明後日から学校にアイラたちが行かないと行けなくなってもこのままだったら私が面倒を見ましょう。」
そういって、ナタリィは小さな胸を張って言った。
その日はボクがアイリスと一緒にベアトリカに添い寝した。
はじめはひんやり冷たく感じたベアトリカもボクとアイリスの体温が移ったのか次第に温度を取り戻していった。
息遣いさえも聞こえないベアトリカが、僅かに心臓だけは動いているらしいことも、体温が体にいきわたっていくうちに信じることができた。
翌朝、物言わぬベアトリカを残し、ボクとユーリ、フィサリス、ナタリィが報告のために登城した。
神楽とマガレ先輩とエッラはベアの世話に残ってくれた。
城で回収した魔剣をジークにみせて、素材として母トンボと子トンボを一体ずつ渡した。
ベアトリカの容態についても報告し、彼女が心配なので今日はこれで失礼しますと挨拶したところでジークから待ったがかかった。
「あぁ、待ってくれ、魔剣関連ではなくて申し訳ないのだがな、話を聞いてやって欲しい者が一人居る。」
そういってジークがボクたちを呼び止めると、今まで聞き役に徹していたサリィが立ち上がり、部屋を出て行った。
そして2分ほど待っていると、サリィはエミィを連れて戻ってきた。
しかしそのエミィは・・・。
「エミィ姉様・・・?その髪は・・・?」
サリィに倣ってか丁寧に伸ばされていたはずのその髪は耳が隠れないほど短くパッツンと切られている。
最近は念入りに手入れされていたことと、髪の毛自体の重さで整っていた髪のクセがすごく出ていて、よく見える様になった頬と耳を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。
エミィは答えずサリィが、エミィを後ろから抱きしめながら語る。
「エミィは出家未遂をしました。」
そういって慈しむ様に抱きしめたエミィに頬ずりしつつサリィは切り出した。
たった一つの年の差しかない二人、だけれどもその姉と妹という力関係は大体どこも一緒だ。
多少気まずくても姉の成すことにはなかなか逆らうことができない。
「出家未遂?」
とユーリとナタリィが尋ね返すと尚もエミィを可愛がりながらサリィが続ける。
「この子は、トーレス君に告白するために、王家から出奔して行こうとしたんです。もしも振られたら二度とここには戻らないつもりで・・・。」
出家という穏やかではない言葉に少し驚いたけれど、どうやらそれくらいの覚悟でトーレスへの告白をするつもり・・・え?
「トーレスはホーリーウッドに居ます、ここからエミィ姉様一人で出奔しようとしたんですか!?」
あまりに無謀だ。
皆エミィがトーレスのことを好きなことは知っているのだから、言ってくれれば皆応援するというのに・・・。
しかしエミィの覚悟は安直に決めたものではなかった様だ。
「だって、私は、トーレス様に呼ばれた訳ではありませんもの・・・。押しかけていくのに、城の者を伴えばそれは王家からの命令ということになってしまいますわ、私は正妻を持った方を一方的にお慕いして追いかけていくんですの・・・。ですから私は私人として、一人の乙女として全てを賭けてトーレス様の側室にしていただきに参るのです、断られればどこかの教会にでも入って余生を過ごしますわ、そう思って城を出る支度をしていたのですけれど、サリィ姉様にバレまして・・・。」
そういって徐々に声が小さくなるエミィ。
そんな寂しい未来を想像してボクも泣きそうになる。
「それはボクだって止めるよ、だってそれって、エミィ姉さまに二度と会えなかったかもってことでしょ?そんなのヒドイよ。なんの相談もなしに勝手に決めて」
実際サリィが見つけていなければ、もう出発していた可能性だってある。
「あぁ!泣かないで、私ももう反省してます。勝手に居なくなったりしませんから!」
そういってエミィはサリィを振りほどきボクを正面から抱きすくめる。
言われて気付いたが、泣きそうどころか、もう涙が溢れていたみたいだ。
「ほら、これで判りましたね、エミィの覚悟はわかりますけれど、あなたが居なくなったらあなたのことを大好きな私や妹たちが泣くのですから、姫としてのあなたじゃない、エミィのことが大好きな人がたくさん居るんですから」
追いついたサリィがエミィを後ろからさらに抱いてやる。
「ということでだな、ホーリーウッドに向かうウェリントン家に仕える予定のものが二人居るだろう?その二人にエミィを同道させてもらえんだろうか?城から護衛を出すといってもが頑として受け入れんでな、理由が理由、成り行きも成り行き故、好きにさせてやりたいのはやまやまだがまったくの護衛なしというのも憚られてな、なにせ、ほれこのとおりワシの孫は皆なかなかの美人だからな」
そういって今度はいつの間にか椅子から立ち上がっていたジークがボクやサリィごとエミィを抱きしめた。
どうもエミィの強硬な説得により、王室側が折れたらしい。
ご希望通り城から護衛はつけないが、ある程度信頼できる者とともに行きトーレスに告白してきて、フられても帰ってこいということ言っている。
「せっかくおそろいに伸ばしていた髪を、斬ってしまう前に見付けられなかったのが悔やまれます。いっそ私も切ってしまおうかしら?」
とサリィがさらりと恐ろしいことを言い、エミィが慌てて宥める。
「お姉様お止めください、また伸ばしますから・・・、お母様に遺す遺品のつもりで切ってしまいましたから、その・・・・今は反省しておりますの・・・。」
顔を真っ赤にしながらつぶやくエミィ、これ以上いじめるのもだめかなと思う。
「それじゃあこのままエミィ姉様はうちに連れて行けばいいのですか?まだ先輩たちが出発するまで数日ありますが、もううちで寝泊りしますか?」
言いながらエミィのいい感じに育ちつつあるちょっとむちむちとしたお腹、そのヘソの横辺りをいじいじする。
「うぇぁっ!?ひぅっ・・・。」
悩ましい声を上げるエミィだが、いまだジークに羽交い絞めされているため逃げ出せない。
その上、よく見ればサリィも露になっているエミィの耳を玩弄している。
「いや、出発の前日になったら教えてくれ、それまではヴェルガがかわいがるそうだ。」
嫁入り前の娘と・・・というやつか、王族のヴェル様でもセンチメンタルになるらしい。
「もう一昨日の発覚からずっとお父様ってば見ているこちらが妬けるくらい、ちょっとエミィを見るだけで泣き始めるんですよ?昨日の夕べの食事会であのグリゼルダさんが、ドン引きしてましたよ?」
グリゼルダはグレゴリオの母で、幼少より蝶よ花よと愛で育てられてきたせいか、大変に世間知らずで我侭なお姫様的性質のヴェル様の側室の女性だ。
大変お若く見える上、側室に選ばれるだけあって美人だ。
基本的に自分が最良でその他は凡庸と見るけれど、そもそも王家に取り入るために育てられてきたため王家に対して妄信的なまでの憧れを持っている女性だ。
そのためヴェル様のことを大変に慕っていて、かつてはその『自分に向けられるはずの愛』を『奪っている』フローリアン様のことを大変に敵視していたが、甥であるブリミールの死亡とガルガンチュア家への仕置き、そしてオケアノスの正常化に伴うイース家の零落によって一時放心状態となっていた彼女は、すでに更生していたグレゴリオとの対話により徐々に正常な感覚に近づき、今は多少高飛車なところがあるものの、王家に嫁に出すためもともとヴェンシン派的思想に染められていなかったことや、ヴェル様への慕情が造られたものとはいえ本物だったことが幸いしてか、随分と態度が軟化した。
そして彼女が常々思っていた週に1度しかヴェル様が自分の離宮に泊まっていかないことが、別にヴェル様の愛情がないわけではなく、1週間が6日しかないのに3人いる側室のところに2日いては正室との序列に矛盾が生じることや、そもそも正室のフローリアン様との寝室に寝泊りするのも週2回であることなんかをほかの側室たちから聞き、いろいろ納得した結果、現状ではちょっと棘があるだけのポンコツ気味な女性になってしまった。
以前なら自分の持ち物の様に扱っていたグレゴリオに常識的に諭されているのがほほえましいくらいである。
ほかの王族や側室たちも、精神的に幼いグリゼルダのことを割りとかわいく思っているらしく、最近はよくお茶会などしているところを目撃するし、ボクも何度か同席した。
口調はあまり直らなかったものの、今まで信じてきた常識があまりにもイース家に都合の良い解釈であったため、最初こそ再教育に難航したが、今となってはグレゴリオがかなり良識をもっており、その彼の言うことならおとなしく信じるため、ボクが言うのもなんではあるのだが、ある意味で純粋な女性だと思う。
とまぁ、少しそれたけれどその、ヴェル様大好きな彼女が一日でドン引きするレベルでエミィに構っているということなので、それはさぞすさまじいのだろう。
「それなら、4日後の予定なので・・・ただマガレ先輩とラフィネ先輩は一度故郷の村と町にそれぞれ寄り道をする予定になっていますから、直接ホーリーウッドにはいかないですよ?」
「あぁそれで構わんよ」
ボクの告げた事柄にジークは問題ないと答えそれどころか・・・。
「むしろ望むところですの、マーガレットもラフィネも、トーレス様を慕う乙女同士・・・もっとお互いを良く知り合うチャンスですわ!」
とようやくジークが腕を広げたので自由になりつつ、エミィは嬉しそうに笑った。
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エミィと悲しい別れをせずにすんだことに少し明るい気持ちを感じながら、ボクたちは屋敷に帰った。
それからまたボクたちが学校に通い始めてもベアトリカの容態はなかなか好転せず、ボクたちは不安な日々を送る。
ナタリィも宣言どおりクラウディアに逗留し、ボクたちが学校で不在の間フィサリスとともにベアトリカに寄り添ってくれた。
やがて期日になり、マガレ先輩とラフィネ先輩、そしてエミィが旅立つ日がやってきても、ベアトリカはまだ動かないままで、マガレ先輩たちもベアの様子を見るまでは離れがたいと日程の変更をほのめかしたが、何か動きがあったらホーリーウッドに伝えるからと、送り出した。
このときは3人で旅立つはずだったのに、当日朝ホーリーウッド屋敷の玄関に軽装に背嚢ひとつだけ背負ったキアラとシャンタルが待ち構えており、旅立つためにやってきたエミィとお互いを慮っての口論を繰り広げ、最終的にエミィが折れ、2人が同道することになり、5人で旅立っていった。
さてそれからさらに数日たち、ボクたちが出発前にあの駄々をこねたベアトリカを見てから2週間以上経った黒曜日のことだ。
ボクは夢をみた。
前世で抱いたアマリリスでもプリムローズでもない、見たこともない赤ちゃん、それを慈しむ夢だ。
赤ちゃんはボクの子どもではなかったけれど、最初まだ首も据わっていない様子でぐんぐんと体を伸ばし屈めしていた。
しかしすくすくと大きくなっていつの間にかはいはい、続けてよちよちと歩く様になるとボクの足元にすがり付いてきた。
それからボクの体をよじ登ると甘えてきて、いつの間にかはだけていたボクの乳房をぐいぐいとその体の割りに大きな掌で押した。
まるで動物の赤ちゃんみたいで、ボクはくすくすと笑いながらその子に話しかけたのだ。
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もぞもぞとする何かの気配にボクは目を覚ました。
夕べはエッラと一緒にベアトリカの部屋で添い寝したはずだ。
さすがに床で寝るのはつらかったので3日目からはベアトリカの部屋に大き目のベッドを持ち込み、ベアトリカもそこに乗せて、毎日誰かがベアトリカと一緒に寝ることにしていた。
今日は学校も休みだから、ボクとエッラが一緒にベアをはさんで寝たのだ・・・。
然るにこの感覚はたぶんエッラが起きた後うっかりボクに触れてしまったか、ボクを起こすために体を揉み解してくれているかのどちらかだろう。
後者なら問題ない、どのタイミングでもボクが起きればそれでいいのだ。
前者なら、今起きてしまうとエッラが失態を恥じてしまうだろう。
だから正解はこのままいったん寝ておくことだ。
そう思って目を瞑るけれど、もぞもぞとした感覚はそのまま胸まで上がってきた。
何かが、まだ11歳のボクの大して成長していない胸をぐいぐいと押して揺すっている。
どうやらエッラが起こそうとしているらしいけれど、彼女はこんな雑な起こし方をすることはあまりないのに、いったいどうしたことだろうか?
そう思って目を開けると、そこには・・・見知らぬクマがいた。




