第100.3話:回想、嫌がらせ
日付変更にまったく間に合いませんでした。
会場に入る前にサークラお姉ちゃんにもう一度腰のリボンを調えて貰う、隣では同じ様にアイリスが母ハンナにリボンとスカートを調えて貰っている。
その穏やかな光景をどこか他人事の様に感じながらボクはまたここに至るまでのことを思い返していた。
これは花嫁修業にやってきたオルセーが我が家に慣れ始めた頃の話だ。
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(回想パート)
オルセーはもともと社交的で、屋敷の人間とも、関わりあう城の人間とも割りとすぐに気さくに話せる様になった。
そもそもが田舎育ちの大雑把な性格の為か、丁寧な言葉遣いはすぐに扱える様にはならなかったけれど、人懐っこい彼女がたどたどしいながらも丁寧な言葉を使おうとしているのは傍目にもよくわかったし、この時点では未成年の彼女が努力していることを笑いものにする様なものは城に出仕しているものの中にはいなかった。
そしてボクが義姉として認めていること、大切な幼馴染であることを伝えたこともあり、オルセーはすぐにボクの養母であるリアン様やサリィとも付き合いを持つ様になった。
これは即ち、王室が彼女をトーレスの嫁として認可したものと同義である。
リアン様やサリィもいままで付き合いのある中にはうちのメイドであるトリエラくらいしかいなかった純真でドジで親しみやすい子というレアな人材をすぐに気に入った。
お城には腹芸のまったくできない子は少ないので、裏表のない彼女は好ましく見えたのだろう。
からかうと楽しいというちょっと歪んだ気に入り方だけれど、そこにエミィの失恋を絡めたりして邪険に扱うことはしなかった。
エミィも、なかなかすっきりしたもので、トーレスから長年の想い人としてオルセーを紹介された時には涙を堪えて、その想いが実ったことを祝福し、その場でオルセーの友人となりたいことを宣言、やや強引にではあったけれど、その日の晩オルセーを王城に泊めるという偉業を成し遂げた。
おかげで、はじめは屋敷で勉強すると勘違いしていたオルセーが
「私みたいな田舎娘が、王都の、それもお城でお勉強なんてムリムリ!」
と萎縮していたのに、一足飛びにお姫様の部屋にお泊り、それもエミィ主催であったのに泊まった部屋はサリィの部屋だったそうで・・・
オルセーはウェリントンを出て親友の、もう病弱ではなくなったリルルと笑顔でお別れをしてきた直後で、友情を欲していたからか、それともいきなり王族の部屋にお泊りしたのが荒療治になったのか、登城しての貴族教育を楽しみにする様になった。
貴族教育とはいうけれど、生まれついてのそれでない、しかももう成人まで間もないオルセーに城で教えられるのは最低限の礼儀作法と、西系を中心に主要な貴族家の名前と顔を覚えることくらいだ。
あとは初代男爵夫人である母ハンナからウェリントン家の家風を教えていかなくてはならない。
また閨の作法や、非常時の領地の運営の知識などは期待されない。
閨関連で期待されるのは、平民にはそこまで多くはない側室をとることについての理解や、将来仮に出身身分が上の側室などができた場合にも、正室としてあるべき振る舞いくらいだ。
それにしても、オルセーも一人称がかつてのあたしから、私になっているし、熱くても人前でスカートをバサバサしなくなっていたりと、女の子らしく魅力的に成長している。
髪が短くなっているのは、貴族としては珍しいけれど、これから伸ばしてもトーレスの卒業まではあと10cmくらいは伸びるだろう。
貴族らしい髪型をするのには足りないけれど、ウェリントンとホーリーウッドから出ることは少ないだろうし、もし社交の必要がある時にはウィッグをつけてもいい。
いろいろと足りないこともあるけれどひとまず、一番重要である王室、寄親、現ウェリントン男爵からの許可と理解は獲得したので当面の問題はない様に思われたが・・・・。
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「オルセーさんが、昨日軽い嫌がらせを受けた可能性があります。」
その報せがもたらされたのは、西のサロンで帰る前のお茶を楽しんでいる時だった。
知らせてくれたのはサリィで、その内容はまだ嫌がらせといっていいのかも分からない程度の低いものだったけれど、以下の様なものだった。
オルセーがその日の勉強を終えて、帰り支度をしている時に2名の文官の娘が近づいていきオルセーとのすれ違い様に
『トーティス様はエミリー姫様が見初めて居られましたのに・・・』
『みっともない御髪ですこと、貴族家の正室にはとても見えませんわ』
とつぶやいていったらしい。
しかもそれを報告してきたのは・・・・。
「なぜか、いやがらせを行ったという当人たちが、エミィに『私たちが姫様のために言ってやりましたわ!』と自慢げに報告してきた様です。すでにエミィ自身がオルセーと仲良くしているのにも関わらず。エミィは怒って止める様にと言ったそうですが」
それはなんというか・・・、不思議なことだ。
「一応確認です・・・」
念のためチラリとサロン内でオルセーのことを知らない人たちが遠いこと、耳を傾けていないことを見回してから。
「オルセーが完全な平民であることを知っている人は、純王族の枠の人以外にはノイシュとエミィ姉様くらいですよね?」
ノイシュは教育係なので情報を開示しているけれど、それ以外の城の人たちには準王族のグレゴリオやオルガリオにすら詳細な身の上を明かしていない。
「いくらオルセーが貴族出身に見えないからって、まったく後ろ盾がないかとか、誰かの落胤じゃないかとかも定かではないのに、そういうこと言えるものかな?ましてや貴族の娘でもなくて、文官の娘なんでしょう?」
サリィも困った顔を浮かべている。
城の文官は王国が直接雇用している言わば直臣、とはいえその大半の身分は貴族ではなく平民である。
文官として職を得ている貴族家の者だっているが、わざわざ文官の娘と表現した以上貴族の娘で文官をやっているものではなく、城での学習制度を使っている平民文官の娘なのだろう。
平民が貴族を人前で明らかに侮辱冒涜するのは不敬罪になる場合がある。
それは武官や文官として職を得ていたとしても変わらない上、事は子どもの悪戯ではなく、家への処罰になる場合もあるのだ。
それを分からない様な娘をまともな神経の文官なら城には出せないだろう。
「それでお尋ねしたくて・・・、エミィには刺激するといけないのでオルセーさんには今日は会いに行かない様に言い聞かせてきているのですが、オルセーさんにその様な嫌がらせを気にしている様子はありませんでしたか?」
サリィは、トーレスに尋ねるけれどトーレスはただ首を横に振る。
その後サリィはボク、神楽、ナディア、エッラ、エイラ、シャーリーと順に顔を向けたけれどみんな覚えがないことだった。
なおアイリスたちはまだサロンにたどり着いていない。
「オルセーは、顔を作れる子じゃないですから、もしもそういうことに悩んでいるんだったらすぐに分かると思うんです。少なくとも僕とアイラ、エッラは気付けると思います。」
「皆さんが気付いていない以上、妄言か、オルセーさんも気付いていないかということなんでしょうが、何か実害があってからでは遅い以上、気付いていないという方向で調査しましょう、というかこちらで既に調査したのですが、彼女たちとオルセーさんにほぼ接点がないのですよね。」
トーレスの答えにサリィはため息を吐きながら情報を開示していく。
「そもそもオルセーさんは一般の方たちと違って、ノイシュが直接指導していて、文官たちの指導は受けていません、場所もハンナさんやアニスちゃんと同じ王族区画の近くを使って頂いてますから、私たちの他は、信用の置けると判断したメイドや衛兵以外はほとんど接触がないはずなのです。せいぜい共用部分ですれ違うくらいで、オルセーさんが共用部分を通る時はハンナさんやアニスちゃんピオニーちゃんと一緒に馬車乗り場に行き来する時くらいですから、そんな嫌がらせはできないでしょう?」
「それに、僕に婚約者ができたという情報は出ているにしても、他にはまだシリル先輩にマーガレット、ラフィネ、ロリエリカあたりのうちに来る子にしか直接は紹介していないし、まだ顔はそう割れていないはずなんだよね・・・。アイラもオルセーのことを義理の姉として挨拶して回ってくれたけれど、似顔絵や肖像画を持っていたわけでもないし、城に出入りしているだけの子女にまで顔や身分が売れている要素はまだ少ないはずなんだよね・・・。それこそ、母さんたちと歩いていた・・・くらいだけれど」
トーレスは自分の婚約者となったオルセーのことを、屋敷に頻繁に出入りする人たちには直接紹介した。
エリィ先輩は少しショックを受けた様子であったが、マガレ先輩とラフィネ先輩は数瞬何かに思考をめぐらせたあと、目を合わせて、それから・・・。
『正室が決まられたということは、私から家臣にしてくださいって名乗りを上げてもなんの問題もないですよね!』
とラフィネ先輩が今までにない積極さでトーレスの腕にしがみつきそのよく育ちつつあるものを押し付け。
『ヘンな意味ではなく、卒業後はオルセー様とトーレス様のお側で仕えさせてください』
と、マガレ先輩はオルセーの前に跪いた。
トーレスは焦っていたが、どうやら二人の恋心には気付いていたみたいでオルセーの紹介が婚約後になったことを謝っていた。
オルセーも感覚がズレているとはいえ、一端の乙女なので、二人のトーレスへの恋愛感情に気付いて、その夜ボクに相談しにきて、ボクはユーリの正室として、側室にアイリスが決まっている状態であったので、ボクなりの助言というか、想いを伝えた。
ロリィ、エリィ両先輩についてはロリィ先輩のトーレスへの感情は恋心までは至っていなかったのでいいものの、エリィ先輩は完全に失恋状態であったので、少しお話をしてみたが、どうも珍しい事に現聖母教では許容されている一夫多妻や多夫一妻、多夫多妻について疑問を持っているみたいで、自分の恋心を封じ様としていた。
以前はそもそも結婚願望もないと言っていたのが、明確にトーレスへの恋心を自覚していたので、聖母が一度没したのが、愛のない生殖を繰り返したことで体力を落としたことが原因とする聖母教会の恋愛結婚至上主義の根源であることを語って聞かせ、今の恋を諦めるか、追い続けるかは決められないにせよ、自棄にだけはならない様にと言い聞かせた。
それで彼女は少し元気を取り戻したけれど、あとはトーレスの器の広さに期待したいところではある。
エリィ先輩の人柄をボクは好ましく思っているし、人材としてもウェリントンには有益だ。
初代がいくつかの系統を作って家の基礎を固めるのは大事なことなので、男爵家の家格では側室は2人程度までが相応だけれど、父がもう側室を取るつもりがない以上実質の初代であるトーレスに限ってはもう2~3人側室が増えても問題ないだろう。
と、そんなことを思い出していると、トーレスたちの話はもう少し詰まったところまで進んでいた。
「とりあえずその二人の女の子がどうやってオルセー顔を知ったかと、どこでオルセーにちょっかいをかけたかが問題かな、自供した様なものだから侮辱罪や不敬罪で取り締まるならもう十分な気もしないではないけれど、そうしてしまうとどうしても処罰することになってしまうし、オルセーもそれは望まないだろうから、なるべく穏便に済ませたい。」
トーレスが顎に手を当てて悩んでいる。
相手がまだ12歳と11歳の少女であるだけに、厳罰を与えることになれば、オルセーは気に病むだろう。
だからこそ普段ならできないのに『悩んでいる顔色を隠している可能性』だってあるのだから。
あれ・・・?と、少し引っかかる。
「サリィ姉様、その二人のフルネームをもう一度教えていただけますか?」
サリィは何か気付いたの?と言いたげにボクの方に視線を向けて、もう一度その二人の少女の名前を教えてくれた。
「キアラ・レッジェとシャンタル・グラニエです。どちらも3世代にわたって財務の下級官吏の家計の娘ですね。昨年から城の学習室を利用していますし、それ以前から友人同士の用です。」
その名前をの組み合わせを聞いて残念ながらピンときてしまった。
「フェベ・グラニエとコンスタンツァ・レッジェ・・・」
「あ・・・」
とサリィが小さくつぶやき
この名前はトーレスは分からないのでポカンとした顔で尋ねる。
「それは誰なんだい?」
サリィは自省する様につぶやく
「エミィと同じ年の女の子の今後に関わる話です・・・私の方も大事にしたくないと思っていたからか、彼女たち自身の動向以外をあまり調べさせていませんでしたが、なるほど・・・そういう繋がりがありましたか・・・情報の漏れた元としてはありえますね」
神楽とエッラ、エイラ、ソルも入学以降は機会が減ったとはいえお城にもよく一緒に顔を出していたのでピンときたみたいだ。
「兄さん、フェベとコンスタンツァは、シシィのお友達候補として引き合わされたシシィの同い年の子どものうちの二人です。現在シシィの部屋には乳姉妹以外に、3人のお友達候補が入れ替わりで遊びに行っていて、それとは別に、ピオニーは全日、アニスが午後毎日お邪魔してます。そして母さんやオルセーは日程が終わると二人を迎えに行ってからうちに帰ってきます。」
母とオルセーはシシィの部屋まで迎えに行くのでフェベとコンスタンツァとは接触する機会がある。
逆にフェベとコンスタンツァの家族は、王室の区画付近までは入って来られないため、メイドに連れられて出てくるフェベとコンスタンツァを学習室の方にある待合室で引き取るので直接接触する機会はない。
しかしながらもう3歳になろうというシシィやそのお友達候補たちは、既に簡単な言葉の意味は理解しているし、多少おぼつかないながらもおしゃべりできる。
その年頃の子どもに守秘義務もなにもあったものではないのでそこからオルセーの特徴が多少なり漏れた可能性はある。
「実際その二人と、キアラとシャンタルは姉妹なのかな?」
と成り行きを察したらしいトーレスは疑問を口にする。
すると、サリィはうなずいた。
「確かに二人の姉です。私もアイラに言われるまで気付きませんでしたが・・・。」
まじめモードだからかよくボクをちゃん付けで呼ぶサリィが、ボクをただ名前で呼ぶ。
これで情報が漏れたルートは一応想定ができたけれど、まだ問題はある。
「それであとはどうやってオルセーが一人の時に接触したかですよね。」
今はまだ、オルセーの教育が始まったばかりなので、大々的な婚約発表はしておらず。
トーレスが婚約し正室候補を迎えたことが、一部に流れているに過ぎない。
オルセーがよく分からない者に絡まれてもいけないので、今は一人にしない様になっている。
一人になる場所があるとすればトイレの個室くらいだけれど、そんなにピンポイントで接触できるとは思えない。
「そういえば、キアラとシャンタルはどこでエミィ姉様に話しかけたのですか?」
もうひとつ重要なファクターがあった。
件の二人とエミィの接触頻度というか関係性が分からないや。
「あぁ、エミィは自習用の教材を探したり、シシィたちに読み聞かせる本を探しによく資料室に出入りするので、前々からよく顔は合わせていたみたいです。といっても普段は挨拶するくらいで今まで名前も知らなかったみたいですが・・・。」
共用部分で時々接触できる機会があったということだ。
しかもそれは、彼女たちが城の学習室を使える立場にあるが故に起こりえる、ちょっとした特別感のあるものだろう。
なんとなく分かってきた気がする。
「サリィ姉様、エミィ姉様はいつも何時頃資料室に行くのでしょうか?」
最後に時間を尋ねる。
「そうですね、私が帰り着く頃にちょうど離宮のほうへ戻っているところに出会うことがあるので、ちょうど今くらいから資料室に行っていると思います。」
ふむ・・・ちょうどならちょっと様子を見に行こうかな?
「ならボクはちょっとお城に顔を出してくるから、みんなは先に帰ってて、ボクも用事が終わったら直接邸に帰るよ。」
そういって家族に伝えるとトーレスエイラが少し考えたものの全員がうなずいてくれた。
サリィを除いて・・・。
「アイラ、もしかして例の?」
とサリィは興味津々な瞳でボクを見つめる。
そういえばこの姉は前々から、ボクの「跳躍」を体験したがっていたっけか・・・。
特にジョージに経験させてからは・・・。
なかなか跳躍を使う機会というのもなくて、そのままになっていた。
そしてサリィは無言のボクにどうやら跳躍を使いそうだという気配を敏感に感じとってニコリと、見惚れてしまいそうな笑顔を浮かべた。
「ちょっとフローネ!あなた帰る時に、私の馬車に、今日は必要ないって伝えておいてくれる?アイラと帰るからって」
「良いですけれど、それだけでサーリア様の馬車は納得されますか?」
サリィは、フローネ先輩に言伝を頼むと再度かばんを取るためにテーブルに戻り、それからボクの手を引いた。
「それでは、ユーリくん、この妹はちょっと借りていきますね?」
と、ユーリに断るとボク引っ張ってサロンを出た。
「さぁアイラちゃん、短いですが、お姉様とデートですよ?人目につかないところがいいですよね・・・?」
と、サリィは、人目がなくなったとたんだだ甘い姉の顔を見せる。
思えば彼女と二人きりというのもずいぶんと久方振りのことの様に思えるけれど相変わらず、ボクのことを好いてくれているみたいだ。
「はい、跳躍は多数の人目に触れさせるには危険な能力なので・・・そうですね、今の時間なら適当に無人の教室を探したらよさそうですね。」
「それじゃあ、3階の教室にでも行きましょうか?」
とサリィは比較的狭い教室のある階を提示した。
異論はないので頷くとそのまま手を引かれ、人に見られていないことを確認して教室に入ったボクたちはそのままお城のボクの部屋へと跳躍した。
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その後サリィも付いてくると主張したため、そのまま資料室に向かうことにした。
ボク一人のときであれば隠形の能力も使えるので目立たずに移動できるのだけれど、サリィと一緒でとても目立ってしまった。
黒霞の娼婦の魔導鎧衣に「変身」すれば二人でも忍んでいけるけれど、城の衛兵には手練も多い、もしもあんな格好していて誰かに気付かれでもしたら目も当てられないし、サリィにあぁいう特殊なフェチっぽい格好を見せてしまえばこの姉はハマってしまいそうで怖い。
主にボクの羞恥心が殺される事態になりそうだ。
何人ものメイドや衛兵に頭を下げられたりしつつ、一人の時の2倍ほどの時間をかけて資料室まで移動すると、入って左手側の低年齢向け書籍のコーナーにエミィの姿があった。
こちらに気付いた様子はなく、こちらも今はまだ話しかけるつもりはないので気付かない振りをする。
今探すべきはキアラ・レッジェとシャンタル・グラニエの二人・・・ボクの見立てが正しければ彼女たちは今エミィのことを観察しているはずだ・・・。
エミィの周りから順に、少しずつ遠くへと視線を移していくと・・・いた。
淡い茶髪と、濃い青の髪の品の良い質素な服を着た2人の女の子が、図鑑類を置いてある棚の影からエミィの方を伺っている。
年の頃もエミィと同じくらいに見えるのでおそらくあたりだろう。
「サリィ姉様、あそこの二人、あれがキアラとシャンタルでしょうか?」
妹らしくサリィの手を引っ張って、適当に剣術や槍術など武芸に関する書物が並んでいるコーナーへ移動しながら小声で尋ねるとサリィは少し困った顔を浮かべた。
「ごめんなさいアイラちゃん、私も会ったことのない子たちなので、顔まではわからないです。」
あぁ、それもそうか、昨日エミィから状況を聞いて、彼女たちの動向や、行動範囲を調べさせ、エミィには口止めをしただけでもサリィの手腕は見事で適当であったというほかない。
「では、本人たちに聞いてみましょう。」
そういって今度は彼女たちの背後から近づいていく、2人は妙におどおどとした様子でエミィの様子を観察していて、エミィは二人に気付くことなく本を選んでいるけれど、その表情は微妙に暗い。
2人もボクたちに気付くことはなく、ボクたちは2人のすぐ3mほど後ろまで接近した。
2人はぼそぼそと小声で会話していて、その内容はほとんど聞こえてはこないけれど、断片的に聞こえてきた内容は、ボクの想定が正しかったことを裏づけるのに十分なものだった。
ボクもそしてたぶん、人の感情の機微に敏い姉もホっと胸を撫で下ろした。
ボクは一度息を整えてから、2人に話しかけた。
「エミィ姉様になにか御用ですか?」
できるだけ子どもらしい声で、でも堂々とした振る舞いで、思いつく限りの無邪気さと、飾らない簡素な言葉で、ボクは2人の背中に問いかけた。
ビクリと2人は大きく震えて、ヒィだかヒャアだかの小さな悲鳴を上げながら振り向いた。
「な、な・・・?」
「ひ、姫様方!?」
うめくばかりの茶髪娘に対して、濃い青髪の娘はすぐにボクたちの正体に行き当たった様だ。
どちらも驚いた様子なのは後ろめたさよりは、純粋にこんな場所でボクやサリィとであったことへの驚嘆だろう。
そして2人はすぐにエミィのほうを気にした様子を見せる。
2人はエミィがこちらに気付いていないのを確認すると安心した様にこちらに向き直った。
「えっと、ひ、姫様方も資料探しですか・・・?何か、お探しならお手伝いさせていただきますが・・・っと申し送れました。私はキアラ、こちらはシャンタルと申します。」
とどうやら2人のうち青い子キアラのほうが、主導権を握ることが多いらしく、シャンタルのほうはおどおどとしたまま若干青い子に隠れた状態になってしまった。
「いいえ、資料はもう大丈夫なので・・・それより、うちのエミィになにか御用ですか?何かいいたいことでもありそうでしたが・・・?」
サリィが可能な限り優しい声色で尋ねると、二人は少し暗い顔で
「いいえ、姫様がいらっしゃるなって、思いまして」
と、用があることを否定した。
顔を曇らせたのは良心の呵責からだと思いたい。
2人が言ったことがきっかけで、今エミィは浮かない表情をしているのだから・・・。
しかし二人は及び腰で、今にも立ち去ってしまいそうな雰囲気になっている。
今この二人を逃してしまえば、今後二人はボクやサリィからも姿を隠そうとするだろうし、エミィへの接触も試みなくなるかも知れない。
それはこの二人にとっても、エミィにとっても不幸なことだ。
ならばボクが整えてやろうではないか。
「キアラさんとシャンタルさんは資料室はよくご利用になるのですか?」
と声をかけながらボクは目の前のキアラの手を握った。
言いながらに隠形で不可視にした光弾を飛ばす、威力はきわめて低くゆっくりとエミィの近くへ・・・。
「アイラ様!?」
ボクに手を握られたキアラは顔を真っ赤にして、握ったボクの手をニギニギと握り返した。
相変わらずボクの『カリスマ』は年上の女性に対して特に効果が大きいらしい。
そのうちに到達した光弾を破裂させる。
破裂といっても小さくパンと空気を含ませた紙袋を潰す様な音がして、わずかに押し出された風がエミィの頬をなでる程度のものだ。
ボク一人ならば目の前の二人の影に隠れてしまっただろう、しかし今ボクの隣には、王国でも一位二位を争うほど目立つ姫君、サーリア・イシュタルト、その人が立っている。
その美貌は明るくはない資料室の中でもけして曇ることなく、燦然と輝いている。
音と風に振り返ったエミィはすぐにこちらに気付くはずだ。
案の定というべきか、エミィはこちらに気付いた。
その表情をわずかに綻ばせ右手を挙げて、一瞬声を出そうとして、しかしここが資料室であることを思い出したのか口を押さえるとちょこちょことこちらにむかって歩いてくる。
そして・・・
「アイラちゃん!」
ボクたちの近くまできたエミィは小さく叫んで、ボクに抱きついた。
片手をキアラの捕獲に使っていたためガードが甘くなり、ちょっと乙女らしくない声を漏らしそうになる。
「エ、エミィ姉様、こんにちわ」
「エミィ、ただいま、ちょっとはしたないわ、もう少し淑やかにね」
どうしてエミィがサリィより先にボクの存在のほうに飛びついたかはわからないが、エミィはボクの体を抱きしめ、頬ずりしている。
とても世間様にはお見せできない姿だ。
「うぇぁ・・・もうしわけありませんの、でもアイラちゃんが悪いんですのよ?めったにお城に帰ってこないから・・・。」
そういってボクの腰の上辺りで両手を合わせて、ボクの頬にキスをしてくる。
そして・・・キアラとシャンタルは呆然とそれを見つめていた。
特にキアラはボクに手を握られたままであったため、至近距離で妹に耽溺するエミィの痴態を見ることになった。
それに耐えかねたのか、キアラは目を瞑りながら
「ひ、姫様方、人前でこんな・・・うぅ・・・。」
とたまらずうめき声を上げた。
どうも人前でハグやキスといったことをするのも見るのも苦手な様だ。
顔を真っ赤にしていて、やはりとてもではないけれど、オルセーに嫌がらせをしたとは到底思えない。
しかし、二人の存在に気付いたエミィはとたんに冷め切った目をした。
というか、今まで二人の存在に気付いていなかったらしいことの方に驚きを隠せないけれど・・・。
「あら、あなたたち昨日の・・・、まさか私のかわいいアイラちゃんとサリィ姉様にも・・・・。」
明らかに警戒というか軽蔑の眼差しを向け、二人をねめつける。
二人はたじろぎ、何かを言おうとしたけれど、怯えた目をして、そのまま逃げて行きたそうにしているけれど、ボクがキアラを人質にしているので逃げられない。
ここで逃がしては面白くない・・・もとい、せっかくのチャンスがもったいない、エミィのいないところで解決してから持って行くのも手ではあったけれど、せっかく本人がいるのだから、当事者同士で解決させるのが良いだろう。
「そうだせっかくエミィ姉様に偶然会えたので、ここにいる五人でお茶でもしましょう。こういうのもめぐり合わせですよね?」
そういってサリィと一緒にニコリと笑って見せる。
「それはいいですね・・・誰か!」
サリィが声を出すと、資料室で資料の管理と持ち出しの手続きなどを対応している司書役の一人がほとんど音もなく近づいてきてサリィから喫茶室の用意を依頼されるとすぐに資料室を出て行った。
何も司書さんがお茶の用意をしに行ったわけではなく、単に近くのメイドを探して用意してもらうのだけれど・・・。
その間エミィとキアラとシャンタルはなにやら気まずそうな、言いたげな表情をしていたけれど、エミィはサリィからの緘口令を、二人は後ろめたさを感じてか終始無言であった。
ご飯前なので紅茶をメインに、お茶菓子にはオレンジピールが用意された。
さすがは王城のメイド、成長期の子どもが、おやつを食べ過ぎて夕食が食べれなくならない様にと配慮が行き届いている。
「さて、それではキアラとシャンタルはあと30分ほどでお迎えが来るそうなのであまり長い時間は無理ですが、偶然の出会いを感謝してお茶とお話を楽しみましょうか、キアラとシャンタルは今うちのシシィのお友達になってくれているフェベとコンスタンツァのお姉ちゃんなのですよね?」
年長者で、もっとも立場も上のサリィがお茶会の開始を宣言すると、キアラとシャンタルはますます顔色を悪くしながらも、お茶を口に運んだ。
最近はずいぶんと手に入り易くなったとはいえ紅茶は高級品で、しかも王城に納入されているお茶の中でも、王族であるサリィがお茶会を申請した以上使われているのは・・・。
「うん、やっぱりアイラちゃんの家から届けられるお茶は素晴らしいですね」
サリィはわざとらしくうちの家をアピールする。
キアラとシャンタルは本当に素晴らしい香りですわね、とうなずくことしかできないでいる。
今王城に納入されている紅茶はそのすべてがホーリーウッド産で産地はいくつか別れているもののウェリントン産というものは存在しない、なのでこのサリィの言うボクの家というのは嫁入り先のホーリーウッド家のことだけれど、二人にはそれを判断する情報はないだろう。
二人からすれば、側室腹の姫であるエミィにお近づきにと思って接触した翌日に、一足飛びに王位継承権2位のサリィに声をかけられたということになる。
二人は緊張と、昨日やらかしたことに対する後ろめたさとにか、顔を青くしたままで、エミィは二人に対しては不機嫌そうに、そしてボクに対してはダダ甘い声を出しながらしばらくお茶を続け、ボクとサリィだけが表向き機嫌よさそうにしばし談笑を続けた。
しかし、時間は有限だ。
キアラとシャンタルにはお迎えの時間があるし、ボクだって早く安心させてもらいたい。
少しきっかけがあれば話は進むだろうか・・・?
「そういえば、先ほどキアラとシャンタルはエミィ姉様に何か言いたげでしたよね・・・?もともとお知り合いだったのですか・・・?」
ボクが放った一言でキアラとシャンタルはビクリとして、動作を止める。
逆にエミィは不愉快そうな表情を浮かべて口の中でオレンジピールを転がしている。
前周よりも美少女度3割増しのエミィの不愉快顔はなかなかの圧力を感じさせ、二人は尚更その表情を固くしてしまう。
お茶の用意が終わった後サリィが下がらせたので、この場にはボクたち5人しかいない。
ボクの言葉を最後に気まずい沈黙が場を支配しつつある。
その沈黙を破ったのはキアラだった。
「あの、エミリー姫殿下に謝罪させていただきたいことがございます。」
その表情は、青ざめたままだけれど、その瞳はエミィのほうをまっすぐに見ている。
「私のほうにはありませんの、それに謝罪は私より先になさる相手がいらっしゃるのではなくて?」
カチャリと、音を立てて茶器を置いたエミィはジロリと睨み返すとあっさりとした口調で返す。
うん、美少女度が増すとにらみつけや皮肉の攻撃力がその分増すね、キアラは青い顔で耐えているけれど、シャンタルのほうはすでにほとんど気をやってしまっている様に見える。
気弱な娘らしい、であるからにはやはり・・・
「その、エミリー姫殿下以外に謝罪をするべき相手は存在しません、昨日お話したことは全て妄言でございました。私たちは、オルセー様のお名前と髪が短いことしか存じ上げません・・・グスッ・・・ごめんなざい・・・。」
キアラは謝罪の言葉を口にしながら次第に涙があふれ、最後には完全に泣きながら謝罪の言葉を述べた。
「はぁ!?」
ガタリと音を立てて立ち上がったエミィは、しかしそれが恥ずかしくなったのか顔を赤らめながら座りなおす。
どうやら一度興奮したことで少しスッキリして話を聞くつもりになった様だけれど・・・キアラとシャンタルの方が気を疲弊させていて、そんな余裕はない様だ。
仕方がないので、ボクが・・・だと威厳が少し足りないので、すでにボクと同じ推測をしているサリィが助け舟を出した。
「キアラとシャンタルがオルセーさんのことを知ったのは、フェベとコンスタンツァから聞いた内容だけということですね?」
小さく頷くキアラにサリィは満足そうに頷き返して続ける。
「そして、実際にはオルセーさんへの嫌がらせはしておらず。エミィに近づくための方便だったということですね・・・?」
サリィの言葉に再度体を震わせて、頷くキアラ、シャンタルもキアラだけに対応させることはできなかったのか小さくコクコクと頷く。
「ですが、わからないのはあなたたちの目的です。エミィに近づいてどうするつもりだったのですか?私が言うのもなんですが、側室の娘で権力を持っているわけではありません、ただ嫁にとることができれば、父ヴェルガが王になったとき王の義理の息子の一人になれるという程度しか価値を持ちません、そしてあなたたちの家にはその目はないはずです」
サリィの言葉は正しい、何せ、現在二人の家は女の子しかいないのだから。
しかし二人は小さく首を振り答えた。
「も、目的なんて・・そんな大それたことをするつもりなくて・・・」
「いつも、姫様、御本を探されていて、私たちも物語とか、好きなので・・・その・・・」
二人の動機はボクの予想通りだった・・・単にお知り合いになりたかっただけ、というより友達になりたかっただけだ。
女の子が仲良くなりたい相手の嫌いそうな、女の子の悪口をいって気を引こうとするのは偶にあることだ。
しかしサリィもエミィも予想していなかった回答らしくて困った様に質問を返す。
「ちょっと待ってください、それでは私と知り合いたいがために、あんな酷い嘘を・・・?私のためにオルセーさんを傷つけたなんていうたちの悪い嘘を!?」
「ごめんなさい!」
「ごめん!!・・・なさい」
激昂するエミィに二人は頭を下げる。
ただそれしかできない。
しかしエミィはそれだけですぐに頭を切り替えた様だった。
「それでは、傷ついたオルセーさんはいらっしゃいませんのね?」
「はい」
腕を組みながらため息を吐くエミィに、暗い声で返事をする二人。
「ですが、あなた方が王族に嘘を吐いて関心を惹こうとした罪、そしてエミィを傷つけた罪は確実に存在します。」
サリィはわざと少し怖い声で告げる。
「準とは言え王族を騙そうとした罪ですから、反逆罪に相当しますね。」
反逆罪は拷問して背後関係を調べた上、恩赦がなければ毒杯を呷ることになる。
そのことくらいはすでに学習しているのか、二人は小さく悲鳴を上げて震えあがった。
「しかしです。エミィも同い年くらいの女の子たちの命を背負って生きられるほど強い子ではありませんし、私としても妹と齢の近いあなたたちが、屍に変わるのを見たいと葉思いません、幸い貴族への侮辱罪は発生していないので、これ以上調べるべきことも存在しませんし、この内容を知っているのは、ここにいるわれわれのほかには数名しかいませんし信頼の置ける者たちです。故に、エミィの一存で彼女たちの罪の代償を決めることができます。どうしますか?エミィ」
サリィの言葉に涙を流しながら頷いている二人に、しばらく目を瞑って聞いていたエミィ
エミィは落ち着いた様子でつぶやく。
「あなた方がついた嘘で私はとても傷つきましたわ、私の為を思ってなさったという行動で、私がすでに好ましく思っていたオルセーさんのことを傷つけたというのですから・・・そのことを許すつもりはありません・・・」
そういってジロリと睨むと二人は、大粒の涙を流しながらうつむく、そして・・・
「私たちが罰を受ければ、フェベとコナには何もないでしょうか?」
と聞き取りにくい涙声で尋ねてきた。
「そうですね、犯罪者の妹ということになれば命は奪われないですけれど、今後ずっとそのレッテルは付きまといますし、シシィのお友達からも外れることになるでしょうね」
と、サリィが所見を述べる。
その内容に二人はすすり泣いてしまうけれど・・・、なおもエミィは続ける。
「ですが・・・傷ついたオルセーさんはいらっしゃらないということですし、私も今幸いにして、妹であるアイラちゃんとのお茶会という役得を得ておりますから、二人には王国法による処罰ではなく、私からの私刑を与えたいと思いますの。この刑罰を受ければ、二人の妹には咎が波及しないことをお約束いたしますわ。」
それを聞いていくばくかの希望を感じたらしい二人はしかし私刑という言葉の恐ろしさに顔は青ざめたままだ。
そんな二人の様子を気に留めることもなくエミィは続けた。
「お二人には明日から平日は毎日、私がシシィに読みきかせする本の選別を手伝っていただきます。」
それを聞いて二人は、わけがわからないという顔をした。
「は・・・?」
「ぇ?」
ボクとサリィはなんとなくそういう感じのものになるのではないかと、考えていたので少し安心する。
「なんですの?やはりこんな重たい刑罰は受けられないと、おっしゃいますの?それでしたら別に王国法に照らし合わせた処罰でも私は一向に困りませんの。」
「いえ、そんなことはありません!」
「ぜ、ぜひその罰でお願いいたします。」
冷たく言い放つエミィに、二人はあわててハキハキと返事する。
そして・・・。
「そう・・・では明日からですのよ?私は毎日4時前には資料室に顔を出しますから、そちらから声をかけてくる様に、今度嘘を吐いたらそのときは絶対に許しませんわ。」
エミィは冷たく言い放ったあとで最後に小さく微笑んだ。
そして二人の少女はエミィの友人となった。
その後、長い間離宮中心に生活してきたためあまり家族以外の人間と付き合うことのなかったエミィに新しく2人の友人が増えた。
二人はその後エミィの側仕えとなりエミィが降嫁した後も付き従うことになる。
二人は絶対にエミィに嘘を吐かず、エミィもまた二人は嘘を吐くことはないと絶大な信頼を寄せる。
そんな2人と主人、そしてもう一人の主人とも言うべき女性との出会いが、2人が吐いた嘘から始まったことを知るものはあまりいない。
二つに分けようかとも思いましたが、そんなでもないか、と続けたら更新に遅れてしまいました。
計画性のなさがにじみ出てしまっています。
最近帰りが少し遅かったので夕飯にパスタばかり食べていたところ肥えてしまいました。
でも明日の夕飯もパスタの予定でミンチなどソースの材料とラザニア(パスタの一種)を買ってきてしまいました・・・・。




