第99.4話:幼馴染と学友と
夏真っ盛り、つい先日まで戦時下だったというのに、王都軍官学校では例年通り一大イベント、大水練大会が実施されていた。
現在本戦第二試合の真っ最中であり、なみなみと水を注がれたフィールドでは二人の若き学生がその得物をもって対峙していた。
方や現在14歳、赤髪が多いサテュロス大陸の中でも目立つ真紅の長髪は半分以上水に浸かっている。
大体いつも目を半分閉じている様なぼんやりした表情でいることが多いかわいいもの好き、その両手には火精の石弓と呼ばれる魔法道具を手にしている。
それは魔力を流し込むことでフレイムバレットという初級火魔法を放つことができる道具だが、魔石回路の都合上一度放つと約1秒間の待機時間が発生するため、通常メイン武器とする人間は存在しない。
あくまで補助火器としてや、火属性を持たない人間が火の気を使うために用意する道具である。
それを武器として選択している以上、彼女はその制約を受けない、通常の範囲にないということの証左なのだろうか?
もう一方は16歳の青年だ。
整った人のよさそうな顔立ちにサラサラの金髪、初見の者に彼が貴族であると伝え容貌だけ見せれば、彼が少し前まで農民だったといっても信じる人間は少ないのではないだろうか?
半ばまで水に使っているために見えないが、右手には長さ80cm幅9cmの両刃剣、左手には重厚な篭手を装備している。
二人が親しくしていることは学校の2年生以上なら皆知っていることであり、なり上がりの新興貴族である彼が目立つところのない学生で、そんな彼に1年時から付き従っている彼女が近接魔砲使いとしてかなりの高水準にあることはすでに知れ渡り、すでに『銃姫』という二つ名があることも有名だった。
ほとんどの人間が銃姫による瞬殺か接待試合によって青年が勝つことを予想していたが・・・
------
(トーレス視点)
水上試合で選びうる道は4つある。
完全に水の中に入るか、水底に足を着けたままか、水上歩行や、足場を整えるタイプの魔法で水の上に出るか、空を飛ぶか・・・。
空を飛ぶというのはごくごく一部のものにしかできない、飛行魔法を扱える人間というのは勇者の中でも一握りだというし、それ以外の魔法、たとえば風の魔法で体を飛ばすのは、普通の人間なら魔法力が1分と持たず枯渇してしまうだろう。
そして剣士としての技法が一切無意味なものになるため完全に水中の中に入るというのも選べるものは少ない。
完全に水に浸かるのであれば、学んできた歩法も身につけた剣術も、ほとんど役に立たないからだ。
それでも水中戦をするのは、相手に水中戦を得意とするものが居らず、なおかつ多勢に無勢で、逃げざるを得ないときに、逃走路として水中を選ぶ場合だろうか。
つまり、僕の様に水中特化の特殊な技能を持たない剣士であれば、足の届くところで戦うか、水上歩行系のスキルを身につけて水面に立って戦うことになる。
一回戦で戦った1年生のアイヴィも僕と同様の剣士であったけれど、彼女はまだ経験は浅かったものの、水の抵抗を軽減するスキルでも持っていたのだろう。
水の中でもそこそこ自由に動いて攻撃してきた。
それでもやはり水の抵抗を受ける分、速さを活かした戦術を取りたかったらしい彼女と、防御に重点を置いた僕の剣とでの水上戦は僕に有利だった。
おかげでここまで奥の手を見せることなく戦ってくることができた。
だというのに・・・。
「まさか2回戦でマーガレットと当たるだなんて・・・せっかく奥の手を隠してこれたっていうのに・・・。」
「私も、驚きました。でも相手がトーレス様でも、手加減なんてしません。」
マーガレットは僕が奥の手の練習をしていたことを知っている。
昨年はできなかった水上歩行を、昨年末シャーリーと一緒にアイラに教わりながらホーリーウッド屋敷の浴場でやっていたところを見られている。
「それはもちろん、むしろこういった実力を示す場で手心を加えられたら僕はマーガレットのことを軽蔑するよ、そんなことをする子じゃないって信じてるからだけれど・・・。」
そう返すと、マーガレットは少しだけ目を開いて微笑んだ。
彼女は僕と行動をする様になって2年と少し経つ、2年への進級のときにクラスの分かれたユミナ様たちや、戦士としての素質が僕とそう変わらなかったラフィネやメイド枠のシャーリーとも違って、彼女は望めば花形である魔導特務兵や得意の近接魔砲兵のコースに進むことができたはずだけれど、僕と同じ魔法戦技課/教導兵コースへと進級した。
そして日ごろから、僕についてウェリントンについてきてくれるといってくれている。
理由は、僕が心配だから・・・。
そんなに頼りないかな?とも思うけれど、確かに戦うことに関しては、マーガレットにはまず勝てないし、それどころか、ホーリーウッド邸に住んでいる年下の子たちの中でもユークリッド様やアイラを皮切りに、エッラ、ナディア、カグラ、エイラ、シャーリー、イサミよりは確実に弱いし、ソニアにソルやアルフィも最近はどれだけ強くなったやら・・・まだ負けてはないと思うけれど、ちょっと怪しいライン。
勝てるって断言できるのは、モーリスとトリエラ、アイリスくらいだと思う。
ただそれでも、兄として、なぜかなってしまった新興貴族の嫡男として、3年の先輩として恥じない戦いを見せなければならない。
マーガレット相手に隠す意味はないし、全部出し切っても勝てる可能性は100分の1もない・・・アイラとの訓練を思い出す。
僕は大きく飛び上がる。
足元に水面を強く意識して・・・その水面に足を置く・・・。
実況の人が、僕の水上歩行を見て、会場を盛り上げてくれている。
マーガレットも僕に合わせてか、水上歩行に移行した。
彼女の場合は水の属性とは相性が悪く、水上歩行は結構制御に意識を使うらしいので、少しだけ僕に有利になったというべきだろうけれど、燃費や操作性に問題があるといっても水上歩行相手に下半身を水につけた状態で有利に戦えるのは一部の特殊スキルもちだけなので、彼女の選択は不審には映らないだろう。
試合が始まる。
開始の合図と同時に僕はやや右よりに踏み込むマーガレットはそれを見てからすぐに左手の火精の石弓に刃を出現させ、僕の斬りかかりに合わせて受け流した。
そのまま右手側の石弓を構えて2発フレイムバレットを発射する。
通常主武装として選択されることのない火精の石弓を彼女が主武装として選択できる理由がこの連射だ。
僕は迫る火の弾を篭手で受ける。
僕の左の拳は武器・防具判定を受けられる様に申請しているのでセーフだ。
今回の僕の戦い方は両手に武器、左腕には特注の篭手を着けていて、これは盾の代わりに攻撃を受け流したり、兜ごと相手の頭部を打撃するのに使う。
右手には常用のブロードソードと同じものの刃を落としたものを持ってきている。
一点物ではないから刃を落としたほうが本気で振るいやすいのだ。
僕は受け流されたそれを、勢いを殺さない様に方向を変えながら跳び、空中に体を躍らせながら今度は縦に斬り落とす。
無論その間もマーガレットの火の弾は連続して発射される。
それをよけるか篭手で弾きながらたたきつけるとマーガレットはブレイジングマインという遅延爆発魔法を放りながら後方へ大きく跳躍する。
たぶんマーガレットが着水する位置が、ギリギリ爆発の効果の外だ
ならば彼女方へ進んで攻め切れなければそこで僕は爆発に巻き込まれて当たりの判定をもらうだろう。
僕も一度距離をとるべきだ。
僕も大きく後ろに距離をとりながら石弾を2つ放つ、一応マーガレットを自由にさせないためのけん制だけれど・・・?
マーガレットは着水と同時にこちらに向かって・・・というより先ほど自身が放り捨てたブレイジングマインのほうへ距離をつめる。
そしてブレイジングマインに火精の石弓を突っ込むと爆発、その衝撃波がすべて僕の方へ、まるで柱を横向きに伸ばしたみたいにまっすぐ襲い掛かってきた。
着水前だったので咄嗟に水上歩行を解除して、そのまま水の中に入る。
やっぱりマーガレットは強い。
でも少しは、男らしいところも見せたい!
水中で石弾を3つ用意して放つ。
細工をして、発射してから6秒後に小さく水柱をあげて爆発する様にしておく。
それから水底に足をつけて思い切り蹴り飛ばすと僕は水面から飛び出て、水上歩行に戻る。
そして再度接近のために走り出した。
しかしマーガレットは僕より接近戦もできる。
だから先ほどの細工で少しでも気を散らせないと、とても正面からは打ち合えない。
距離が10mほどまで再度縮まったところでマーガレットは太ももにつけていた何かの容器を投げた。
「これはまさか・・・?」
マーガレットの奥の手のひとつの!?
同時先ほど僕が仕掛けた細工の爆発がマーガレット正面に水柱を上げる。
やるしかない、マーガレットはあの容器を投げていたんだから、次にそれを撃ち抜こうと構えていたはずだ。
だから接近戦への備えは少しだけ遅れるはずだ。
僕はさらにスピードを上げて踏み込む。
そして水柱が僕と彼女の間のカーテンの役目を終えるとそこには・・・。
「けっちゃーく!!トーレス選手、3年最強と名高いマーガレット選手と激闘を繰り広げましたが、ここで寸止め判定!マーガレット選手の勝利です!!」
「まさかね・・・君の奥の手のひとつを引き出せたと思ったのにフェイントだったなんて・・・。」
僕の剣は彼女の持った石弓の刃に受け止められている。
そして、彼女のもう片腕の石弓の底の部分で僕の篭手は受け止められて、石弓の先端が僕の顎を捉えていた。
彼女の奥の手である先ほどの容器は、内部に火精石という魔石回路の一種がいくつも入っていて、容器を破壊することで中身が飛び散る。
マーガレットは火精の加護を持っていて、火の属性や火精石との相性が抜群にいいのだけれど、魔力を浴びせた火精石に、トリガーのついていない火精の石弓によく似た形状の、遠隔射撃可能な道具を精製することが可能なのだ。
遠隔操作可能といっても飛剣術の様に移動だけに魔法力を使うわけではなくて、射撃に魔法力を大幅に食われるため、2~3発ほど射撃するとその道具は魔力を消耗してその場に落ちてしまうけれど、ほんの数発でも多方向からの射撃を一人でできるため大変に凶悪な切り札だ。
またこの加護のおかげで連続した石弓よる射撃も可能になっていて、普通の人なら魔力が十分にあっても一本の火精の石弓で的撃ちしてもらうと1分間に24~28発程度射撃するところを彼女なら80発ほど放つことができる。
そして威力も魔力のこめ方しだいでだいぶ威力が高くなり、先ほどのように他の火属性の設置型魔法に方向性を与えたりもできることは昨年アイラと実験していて発見したらしい。
まぁ何にせよ、僕はすがすがしいくらいあっさりと、マーガレットに負けてしまったわけだが・・・。
「いいえ、火精の石弓での接近戦も私にとっては奥の手ですから・・・やっぱりトーレス様はさすがに手ごわいです。」
そういって笑うマーガレットは少し早口で、いつものジト目というか、半開きというか・・・な表情ではなく目を完全に開いていた。
・・・どうやら本当に、少しは本気になってくれていたらしい。
会場の盛り上がりも、実況の声もどうだっていい、ただ少しでもマーガレットの本気の2割でも引き出せたのなら、僕はそれでもう満足できた・・・。
---
「いやーさすがマーガレットは強いよ、普段どれだけ力を抜いているかよくわかった。」
その日の夜、食後の団欒の時間、僕は居間の揺り椅子の上でゆれずに座り、我が家の現在最高の癒しであるピオニーを抱いて寝かしつけながら、エッラに肩を揉まれている。
エッラはこういうこと、何をやらせても巧い。
財政や法律に弱いマーガレットと違ってそちらもなぜかそこそこ強いし、アイラといい、何で同じ村で暮らしていたのに、こんなにいろいろできるのか・・・。
「ですが、トーレス様もベスト8まで残られたのですから、これで胸を張ってエドガーさ・・・様に報告ができますね」
彼女に呼び捨てで呼ばれなくなってから4年経つけれどいまだになんとなく背中がくすぐったいというか、慣れない。
きっとエッラの外見が胸以外あの頃とほぼ変わっていないからだろう、使っている道具の質が高くなったからか肌や髪は驚くほどきれいになっているし、所作も洗練されていてグっとかわいくなったとは思うけれど、身長と顔立ちは変わっていないのだ。
「父さんは水練大会のこととかよりも、早く僕が帰ってきて、代わりに自分が母さんたちと暮らしたいと思っていると思うよ?」
そういって肩を竦めながら、ピオニーの顔を覗き込むと、まだ遊んでもらえると勘違いさせてしまったらしい、小さく声を上げながらうれしそうな顔をして手を上下にばたつかせた。
おとなしくさせるには・・・僕は体を少し前かがみにしてピオニーのおでこにキスをする。
すると僕の体が邪魔になって暴れるスペースがなくなったので、手足をばたつかせるのはやめて、でもキスは好きなので機嫌も悪くならない。
ピオニーは一度背中を大きく反らせて伸びをすると、大あくびをしてァーァーと眠たそうな声を上げる。
可愛くてたまらない。
父さんもこんなかわいいピオニーを抱いて眠りたいはずだ。
「あぁ・・・そろそろ大丈夫そうですね、お部屋へお連れしますね。」
と、エッラが肩を揉むのをやめて僕からピオニーを受け取ろうと前に回る。
でもなんとなく今日はこのぬくもりをまだ手放したくはなかった。
「たまには、僕が部屋まで運んでもいいかな?」
そういってピオニーをもう少ししっかり抱くと、エッラは微笑んだ。
「はい、もちろんです。それではご一緒させていただきますね。奥様、アイラ様、ピオニー様をお部屋に送って参ります。」
とエッラはくつろいでいた家族に一言告げると、僕を先導する様に先んじてドアを開けたりする役割を果たしてくれた。
ピオニーの部屋に着くと、ベッドの上にかわいい妹を横たえる。
すでにピオニーは半ば夢の中、ゆっくりと口がぱくぱくと動いて目はトロンとしている。
でも何に抵抗しているのか、時々ビクンと首を揺する様にしてはその目をまんまるに開いてきょろきょろとする。
そうしてまた眠たそうに目を半分閉じて・・・そんなことを3度繰り返すと、今度こそしっかりと眠ってしまった。
「では私はフィサリスが戻ってくるまでこちらにおりますので、トーレス様はお疲れでしょうから、どうぞお休みください。」
と、エッラは淡々と告げる。
身長は僕より30cmほども小さい、かつては僕よりも大きかった同い年の女の子、いつの間にかこんなに小さくなっていたけれど、その実力は測り知れないほど高い、何せ武芸を始めて1年ちょっとで3将軍以外の軍兵士たちも、城で訓練する騎士たちも大半が彼女の練習相手が務まらなくなっていたのだから。
もしかするとすでにマーガレットやシリル先輩よりも・・・。
「僕ももう少し一緒にいていいかな?たまにはエッラとも話をしたいんだ。」
今日は少し気分が高揚していたからか、自然とそんな言葉が出た。
「それではお茶のご用意をいたします。」
「頼む」
エッラは驚いた風でもなく、淡々と告げてお茶の用意を始めた。
「それで、お話とは?」
お茶の用意を終えたエッラは僕の向かいのソファの隣に立ったままで尋ねてきた。
本当なら、ピオニーの世話をする時間は座っているはずなので、着座を勧めると、エッラはゆっくりとソファに腰掛けた。
気まずい・・・。
とっさに踏みとどまってしまったけれど、話す内容なんて考えていない・・・。
「トーレス様?」
エッラは不思議そうに僕を見つめてくる、今でも少しだけ前髪で隠れている大きな瞳は吸い込まれそうなほど透き通っている。
身長の低さから自然上目遣いするみたいに、僕を見上げるその瞳に映る魔力灯の光が、まるで涙の様に見えて、僕を呼びかける声も少し不安げなものに聞こえてくる。
「えっと、今ここには僕たちと、ピオニーしかいない、昔の用に接してくれるとうれしい。僕とエッラは幼馴染じゃないか。」
僕の申し出にエッラは一瞬驚いた様な、呆れた様な、とにかく冷静な彼女らしくない表情を浮かべた。
困らせてしまったみたいだ。
それでも彼女は僕の意を汲んで、合わせてくれる。
「かしこ・・・わかったわ、その・・・トーレス」
久しぶりの呼び方に照れたのか少し頬に朱が差し、その可憐な容姿もあいまってエッラはメイドから少女へと劇的な変貌を遂げた。
少女・・・といっても彼女は僕と同じ年度の生まれで、15歳の成人はとうに迎えている。
ただ150cmに満たない彼女の身長と、その顔立ちの可愛らしさ、それに肌の美しさが、彼女を若く・・・幼く見せる。
その胸のふくらみがなければ僕は穏やかなままでいられただろうに・・・。
メイドから少女に代わったとたん、不安そうに胸元に腕を引き寄せたエッラ、圧迫された胸が強調されて、僕の視界の下3分の1程を制圧する。
「っ・・・・あ、ありがとうエッラ。」
胸が大きくなったのと服装が上等なメイド服になっている他は当時のままのエッラが目の前にいた。
村で生活していたころの空気が少しだけ戻ってきた様に感じる。
「え・・・何が?話し方を変えただけだよ?」
と、首を傾げ不思議そうにする。
その自然なあり方が、何よりも僕の心を癒す。
「うん、そうなんだけどね、ちょっと最近疲れてたから・・・母さん以外誰も僕のこと名前で呼び捨ててくれないしね。僕はトーレスのままのはずなんだけれど・・・。」
これは意味のない言葉だ。
変わったのは僕ではなく、僕に付随する身分。
それは最初からわかっていることで、身分が変わったからこそ周囲の態度も変わった。
でもだからこそ、自らメイドという立場を選んだ彼女に甘えたかったのかもしれない。
しかし彼女はそう簡単に甘えさせてくれるつもりはないみたいだった。
「トーレスは、変わっていないつもりかもしれないけれど、トーレスも変わったよ?」
エッラは穏やかな表情で微笑んだ。
でも僕にはわからない、僕は何か変わってしまったのだろうか?
自分の手のひらを見ながら考える。
すぐにエッラは続きの言葉を紡ぐ。
「トーレスはあの頃よりも少し残酷になったと思う。」
思いもしなかった言葉、残酷・・・!?僕が?
どういう意味かわからなくてエッラの方を見ると、彼女は立ち上がって、僕の隣に座った。
甘い匂いがした・・・。
石鹸と、わずかに彼女の汗のにおいとが混ざったもの、それに明日の準備として焼いていた菓子に練りこんでいたバニラかな?鼻腔を刺激する甘い匂いがする。
「失礼します。」
エッラは僕の頭をつかむと、無理やりそのひざの上に乗せた。
「エッラ!?」
混乱する。
突然こんなことされたら、意識してしまう。
昔ならともかく最近の彼女はそんなそぶりを見せないけれど彼女は僕に気があるのだろうか?
「トーレス様は少しお疲れなんです。私はメイドですから、これくらいのことはして差し上げます。」
そういって小さな手で頭をなでられる。
大きな槍を普段から振り回していることが信じられないくらい柔らかくて、。
気恥ずかしいのに、すごく気持ちがいい。
布越しに感じられる彼女の太ももの熱が、柔らかさが、僕の肌と理性とを直撃する。
なんでこんな・・・?
少し視線を上げると、エッラの脅威的な暴力が視界に入ってしまうので視線を上げられない。
さっきよりも甘い匂いが強く鼻腔を刺激する。
そして・・・。
僕の体のある部分が猛烈に自己主張をはじめてしまった。
エッラの手を撥ね退けて、あわてて体を起こし、ソファから立ち上がる。
起き上がるときちょっと左の頬にとてもやわらかい感触が当たった気がするが、そんなものは忘れなければ!!
「トーレス様、ここはピオニー様のお部屋だというのに、その様にされていてはいけませんね。」
すぐに気がついたらしいエッラは困ったものだという風に苦言。
いつの間にか口調もメイドの物に戻っている。
当然だろう・・・彼女は僕の疲れを癒そうとしてくれたのに・・・。
しかし彼女は、続けてとんでもないことを言う。
「その様に腫らしていてはお辛いでしょう?」
だから・・・メイドの口調に戻ったのだろうか?
「エッラ・・・?」
「処理を、お命じになりますか?」
エッラは座ったままで、僕を見上げる。
その顔は少し赤くなっているものの、口調は淡々と事務的なものであった。
僕だけ立ち上がったので、先ほどまで以上に見上げる様になっている。
ちょうど腰より少し高い高さに、彼女の頭がある・・・。
つまり彼女の目の前に・・・
「っ!?」
あわてて距離をとる。
彼女のやわらかそうな頬が、小さな唇が、とても蠱惑的に劣情を誘う。
身長が低いのに胸が大きいせいで少し丸く見えるが、彼女の体がとても引き締まっていることを僕は知っている。
彼女が、王城通いで勉強をしている時、メイドの嗜みとして、もしもの時にアイラの身代わりになってそういった男の願望をかなえるための術を習っていたことも知っている。
だけど・・。
「そういうことをエッラにさせたいとは思わない。」
彼女は僕の大切な幼馴染だ。
その口から処理、なんてことばを聞きたくはなかった。
「私はメイドですから、他の娘さんたちの様にお気になさらずとも、道具だと思って使ってくださってかまわないのですよ?」
そういうとエッラは口を開いて見せる。
小さく暗い口腔の中に綺麗に並んだ歯、ピンク色の歯茎と舌が唾液でぬらぬらとして、魔力灯を反射する。
「そういうことをエッラに命令なんてできないし、エッラにそんな言葉を言って欲しくなかった。」
何よりも、彼女の口を見て気持ちよさそうだと思ってしまった自分がおぞましかった。
そう言った僕の顔をしばらく見てから、エッラは立ち上がった。
「安心した。トーレスはトーレスだね、もしもトーレスが誘惑に負ける様だったら、ウェリントン家の直系男子が早くも途切れるところだった。」
淫靡な空気が霧消し僕は混乱する。
「終わったみたいね?お風呂から戻ったらもうピオニー様はお部屋だって言うし、こっちにきたら二人は変な空気だしてるし、居場所がなくて困ったわ?エッラ、私に気がついていたなら早めに終わらせて欲しかった。」
ノックせずにフィサリスが部屋に入ってきた。
「ごめんねフィー、でもトーレスがどうしたいのか、今何をしてるのかを自覚させたかったから。」
「あら、私がいるのに、その呼び方のままでいいの?」
「いいの、フィーも私とトーレスたちの関係を知っているわけだし。」
二人はまるでわかりあっているかの様に会話しているけれど、僕は混乱したままだ。
「ねぇトーレス、私は昔まだ村にいた頃、あなたのこと好きだったよ?」
突然の告白、でもそれは過去の彼女の感情で、今とはつながっていない?
「エッラ、何を・・・?」
何を言っているんだろう、何を伝えようとしているんだろう?
「あの村では、トーレスとカールとピピン、サルボウにトーティスとあとはハンスさんくらいしかいなかったよね、ほかの選択肢がつぶれてるかろくでもないかだったから、実質トーレス以外はごめんだったし、剣や槍をやる様になってからは、あなたと肩をならべて戦えたらっておもったよ・・・。何より、アイラやサークラと姉妹になれるっていうのが魅力的だったんだけどね。」
つまり消去法、付随するものに惹かれていた・・・と?。
僕自身のことをあまり見てくれていなかったってことかな?
でも肩を並べて戦いたいと思ってくれたってことは、一緒にいたいと思っていてくれたのも確かなんだろう。
でもそれは過去形の感情。
「それでエッラは何が言いたいの?」
少し寂しく思いながらも真相を問う、彼女が何の意図もなしにこんな性質の悪い悪戯をするとは思えない。
「さっき、私はトーレスが疲れているだろうからと膝枕をしたけれど、トーレスはどう思った・・・?」
先ほどまでと同じ、優しい表情を浮かべてエッラは僕に問う。
フィサリスはすでに夢の世界に旅立ったピオニーのおでこに手を当てて体温を確認して、記録をつけているみたいだ。
「どうって・・・気持ちよかった。エッラは優しいから、誰にでもこんなことをするのかなって思ったけれど・・・?」
うそだ・・・本当は都合のよいことを考えていた。
「ふぅん・・・じゃあ『処理』を申し出たときは・・・?」
「そんな言葉を、君から聞きたくなかった。」
これは偽らざる本音のつもりだ。
無論そういうことを想像しなかったわけではないけれど・・・。
「トーレスは優しいよ、でも残酷、そういう優しさを、自分に恋心を持っている女の子に見せてるんだもの」
そう言って諦めた様に笑うエッラ、意味がわからない、君はもう僕のことを想ってはいないのではないのか?
「エッラ、君は何を・・・」
「一番わかりやすいのは、エミリー姫殿下かな?」
「っ!?」
何を言いたいのかわかった・・・気がする。
「ほかにも何人かいるけれど、トーレスが自覚しているならば私が言う必要はないよね?」
いつの間にか、先ほどまでの様な優しい表情ではなく、刺すような視線で僕を見るエッラ。
そこに込められた感情は、きっと軽蔑に近い。
「貴方の背景を見ている人たちは良いとしても、本気で貴方のことを想ってくれている人たちに、貴方はもっと真摯に向き合うべきだわ。優しくして、面倒見て、でもそういう部分ははぐらかしてるよね?どうしてかな?」
穏やかに僕を追及するエッラの言葉は僕の優柔不断を責めるものだ。
いや、優柔不断ですらないか、僕のこれは彼女たちへの裏切りとか、不誠実さだ。
彼女たちを保険の様に扱って、自分の本音を語ってこなかった。
「ごめんエッラ、君のい・・・」
「私のことはいいの!私は貴方が誰を想っているか知っているもの、だから私に謝る必要はない。とっくに貴方のことは吹っ切れているわ。でもあの子たちは違う、今貴方があの子たちに想い人がいることを伝えないのは優しさじゃない、あの子たちはきっと貴方に想い人がいることを知っても貴方のことを好きだろうけれど、だからこそ貴方は最初に想い人がいることを明らかにするべきだったのよ。」
僕の言葉を食う様に、エッラは僕を責める。
なにも言い返すことなんてできない。
「貴方は優しい人なんだから、もっとちゃんと優しくしないとダメよ?わかったらこれでこの話はおしまい・・・私はもう少しピオニー様のお世話をさせていただいてからアイラ様のところに戻ります。」
「わかった、アイラに伝えておく、それと・・・ありがとう。」
暗に部屋に帰れといわれてしまった。
自分自身を情けなく思いながら、扉のほうへ向かう。
「あぁそうだトーレス様。」
するとエッラがもう一度声をかけてきた。
無言で振り返ると、エッラはいつもの優しい笑顔を浮かべていた。
「ベスト8おめでとうございました。なかなか格好良かったと思います。今日はゆっくりとお休みください。」
「・・・ありがとう、エッラ」
ピオニーの部屋を出ると、僕は居間に向かう・・・まだいるといいのだけれど・・・。
なるべく急いで想いを伝えなければならない、そのためにある人物を探す、部屋に戻っていないことを祈る。
居間の扉を開けると目的の彼女を探す。
・・・いた。
アイラとアイリスと一緒になってアニスに即興の人形劇を見せているみたいだ。
「お帰り兄さん、ピオニーはちゃんと寝た?」
「お兄ちゃん、ここ座ってここ!!」
アイラとアニスが僕に気付いて声をかける。
その声に、アイリスと彼女も気がついてこちらをちらりと見る。
僕は彼女たちの近くまで歩みを進めると一度大きく深呼吸した。
「あの、カグラに話があるのだけれど・・・」
「へ、わ、私ですか・・・?」
と普段ほとんど話しかけてこない僕からの申し出に、カグラはキョトンとした表情を浮かべる。
緊張からなのか胸が高鳴るのを感じながら・・・僕は彼女に告げた。
トーレスには幸せになってほしいと思っています。
エッラもトーレスには幸せになってほしいと思っているので、今回はちょっと嫌われ役をしてもらいました。
無意味に続きますが、100話が先になります。




